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怨嗟の魔女  作者: ルキジ
56/140

56 森

 目の前に現れたのは熊だった。普通の、人の2倍程度の大きさの熊の、さらに5倍はあろうかと言う巨大な熊。それが4匹確認できた。その熊たちは全身から瘴気とでも呼ぶべきような何かを垂れ流し、どこか虚ろに見える目でこちらを見据えていた。


「どうする?」

「逃げる」


 次の瞬間には走り出していた。熊どもも獲物を逃す気はないと言わんばかりに追ってくる。巨体のくせになかなかの速さであり、距離が縮まらないにしても開くことも無い。


「あの熊どんなのか簡単に聞かせて!【焔槍】!!」


 走りながらニナに聞き、熊には適当に槍をぶつける。しかし、たいしたダメージは与えられていないようだった。


「デカい、重い、速い、硬い!その上群れる!後あの瘴気に触っちゃダメ!以上!」


 簡潔な答えである。単純な本体性能が高く数が多くて瘴気も面倒。シンプルに強いやつだと分かる。


「分かった!【爆焔球】!!」


 今度は球を撃ち込む。熊は一瞬怯んだようで、少し距離を空けることに成功した。しかし、今度もまともな傷はつけられず、熊は咆哮と共にスピードを上げる。


「行き止まり!?」


 ニナも山の地形は把握していなかったようで、行き止まりに突き当たってしまう。熊の放つ瘴気と同じような見た目をした沼が眼前に広がっていたのである。


「迎え撃つ!『ユルサナイ』!!」

「わお」


 迷っている暇はない。速攻で戦闘に移行して熊を葬る方へシフトする。魔力が爆発的に広がり、爆風が吹き荒れる。姿も覚醒状態に変わり、燃えるような瞳で熊を見据える。


「【烈炎刃】!!」


 刃を作り熊に放つ。薄い傷と少しの焦げ跡をつけることには成功したが、それだけだった。やはり相当に硬い。


「…!【炎壁】!!」


 一瞬動きが遅くなっていた間に足元に瘴気が迫っていた。熊は瘴気を垂れ流すだけで操ってはいないようだが、瘴気は風に乗るようで風下のこちらに流れてくる。


「【爆焔球】!!」


 瘴気を壁で防ぎ、熊に球をを打ち込んで距離を取る。


「ふぅぅぅ…【炎赤波爆(レッド・ノヴァ)】!!」


 下手に広範囲の攻撃をしてもまともにダメージは通らない。一体づつ最大火力で対処していく。


「ゴォォォォオオオオオオオオ!!」

「それで死なないの!?」


 熊は全身真っ黒になりながらもこちらに向かってくる。表面を焦がすだけに終わってしまったようだ。


「ウルカちゃん!火とかより物理の方がダメージ通る!」


 ニナからアドバイスが飛んでくる。違和感と合わせ、垂れ流される瘴気には毒効果以外に魔力攻撃の軽減効果がある可能性に思い至る。でなければ一撃で殺せている感触だ。


「グオオオオオオオオオ!!!」

「【炎壁】!!」


 熊はこちらに突進してきて爪を振り下ろす。攻撃力はそこまで高い訳ではないようで、壁を切り裂かれるようなことはなくしっかりと防いで距離を取る。


「ニナ、あの瘴気って一瞬でも触ったらアウト?」

「…ちょっとなら」

「十分。【回炎鎧】!」


 瘴気対策も兼ねて鎧を纏い、壁を解除し飛び出す。少しだけ空中に浮き地面の瘴気に触れないようにしつつ熊の1匹に肉薄する。


「グオオオオオオ!!」

「【螺炎槍手(らえんそうじゅ)】!!」


 熊は爪を振り下ろすが、瘴気も含めてしっかりと回避する。そしてそのまますれ違いざまに首を貫手で貫く。死んではいないようだが虫の息で、先ほど熱線で死ななかったものと同じとは思えないほど柔らかい。熊の纏う瘴気は想像以上に物理に弱い…と言うより魔力に強いようだ。


「【爆焔球】!!」


 自分を中心に爆発を起こし、追撃を防ぐ。そしてその間に一瞬瘴気に触れた右手を見て、異常のないことを確認する。


「よしっ…【焔槍】!!」


 貫いた傷口に槍をねじ込みトドメを刺す。流石に傷口から体の内側に撃ち込まれては瘴気があろうと耐えられないようで、しっかりと殺し切ることに成功する。


「ゴオオオオオオ!!」

「【烈炎刃】!!」


 残った3匹の熊は全員で突進してくるが、それは軽くかわし反撃を加える。熊と距離を取って次の1匹に狙いを定める。


「【赤火縄】!!」

「グオオアアア!?」


 再びこちらに向かってきた3匹の熊のうち2匹を縛る。恐らく長くは待たないが1匹処理する時間が稼げれば十分なので問題はない。


「ゴアアアアア!!」

「ふぅぅ…【炎赤波撃(レッド・バン)】!!」


 突進をかわし、熊の腹を最大火力で殴る。腹の右半分が抉り取られたように消し飛び、熊はそのまま倒れ伏す。


「おっと…【爆焔球】!!」


 1匹を処理しているうちに残りの2匹に挟まれてしまう。前の熊に球を打ち込み、さらに前に踏み出して両方の攻撃を回避する。


「【爆焔球】!!」

「グオアアア!」


 追加でもう一つ球を撃ち込み熊を仰け反らせる。


「【炎赤波撃(レッド・バン)】!!」


 作った隙に最大火力の拳を捩じ込む。綺麗に拳の命中した熊は、2匹目と同じように絶命し崩れ落ちる。


「後いっ…え!?」


 最後の1匹を処理しようと後ろを向くと、最後の熊はすでに倒れていた。


「流石に全部任せっきりは悪いからね。にはは」


 熊の死体をよく見れば、首に短剣が突き刺さっていた。綺麗に一撃で急所を刺され絶命したようだった。


「いつの間にそっちに」

「1匹目がやられる前くらいにちょっと大回りして後ろに回った」


 熊が殺されていたこと自体よりも、自分の後ろにいたはずのニナがいつの間にか熊を後ろから刺していたことが一番驚いた。それも自分にも熊にも気付かれずに後ろに回っていたのだ。


「全然気付かなかった…視野が狭いね」

「ん?んー…そう言うことでもないけど」


 熊の垂れ流していた瘴気はいつの間にか消えており、死んでからは新たに瘴気を出さないようだった。ニナは瘴気の落ち着いた死体から短剣を抜いて軽く手入れしながら言う。


「んー、まあ教えてあげよう。私のスキルのせいなんだ。《希薄》って言ってね、自分の存在感とかを薄く出来るんだ。流石に目の前で戦ってるところから消えたりはできないし、ものすごい達人とかだと気づいたりされるけど、あらかじめ発動しておけば目の前を横切っても気付かれないくらいなんだ」


 随分と仕事向き…と言うよりスキルが先にあったのだろうが、便利というか強力なスキルを持っているようだ。最初に会った時に後ろのニナに気付かなかったのもそのせいなのだろう。


「へぇ…便利?なのかな」

「にははは。普段は役に立たないからそうでも無いかな。すごく役立ってはいるけどね」


 ニナは何かを思い出すように視線を逸らす。あまりいい思い出では無さそうで、聞くことはできなかった。


「ま、それは良いよ。早く行こう。あの熊以外にも…なんだっけな…あ、そうそう、竜を殺す毒を持つ蛇とか、見たものを石に変える鶏とか、ヤバいのがいっぱい出るから森はさっさと抜けたいんだよね」

「魔境が過ぎる…」

「まあ魔物が森からでてこない分良心的だよ。それにウルカちゃんの方がよっぽど強そうだし…」

「うーん…熊とか一回戦うだけなら多分負けないけど…あんまり連戦になるとキツイかなぁ」


 そうして会話しながら出発する。目の前の瘴気の沼は、辺りの20メートル以上あるような木々をいくつかへし折って橋にして越えた。そこから森抜ける過程では件の蛇や鶏とは遭遇して戦闘を強いられたし、それら以外にも動いて襲ってくる木やら音速以上で動く蜂の大群やら煙とドロドロした毒を垂れ流す鰐やら、ランクに直せばAじゃ済まないどころか一部Sに分類されるような魔物と連戦させられた。森の出口が見える頃には2人とも疲労困憊で立っているのもやっとだった。



「やっっっっっと終わったぁ」

「流石に疲れた…」


 森を抜けるとそこは平原が広がっていた。今日の目的地の街の入り口までは少し歩くが、今は何より森を抜けられたことが嬉しかった。


「あれは山の上で鳥に追っかけられてる方がマシだわ…」

「ホントにそう。でもあれだね、戦闘ほとんど任せっきりでごめんね…私じゃ食い殺されそうなのも多くて…」

「いや良いよ。それに戦ってないって言っても結構仕留めてたしさ」


 もう魔物は出ない。ゆっくり談笑しながら歩く程度の余裕はある。日はすでに沈み空には星が瞬いていており、急がなければならないのはあるが、やはり先ほどまの森と違って平和な平原を歩くのは楽だ。


「にはは。後ろから刺してただけだけどね」


 ニナは笑う。何度か戦闘したが、《希薄》はいつも最大の効果を発揮しており、目以外の感覚器官に頼る者にも通じるようだった。


「まあ、何より無事で抜けられたのが一番だよ。何回か死にかけてた気がするし」

「ずっと前面に立ってて一つも怪我してない人の言うことじゃないね」


 ゆっくり歩きながらそんな話をしていれば、存外早く街に辿り着く。結構距離があった気がするが、疲れからか感覚が大分ずれているようだった。


「宿探そ。流石にもう休みたい」

「そうだね」


 街に入ったら宿屋街に直行し一番最初に見えたものに入って速攻で部屋を取る。


「「はぁぁぁぁぁ…」」


 2人揃ってベッドに倒れる。魔者や軍属の獣人といえど、流石に半日以上戦闘しながら走り続けるのはキツかったようだ。


「あ、ニナ」

「なにぃ?」


 気の抜けた返事である。


「寝る前に一個だけ聞きたいんだけどさ」

「うん」


 ニナは体を半分起こしてこちらを向く。


「山の上で見た()()、何か知ってる?」


 山で出会ったあの圧倒的な存在。今でも思い返すと少し恐ろしくなる。姿を思い出せば、人ほどの大きさの陸亀のようだった。


「うーん…何も知らないなぁ…亀っぽかったけどあんな生き物知らないし…」

「そっかぁ。まあでも、追いかけて来たりはしなかったしいっか」

「そうだね。考えてもわかんないし。ヘルさんとか…あとフォルネウス様とかなら知ってるかも。帰ったら聞いてみよ」

「うん。そうだね…」


 ニナも知らなかったようだが仕方あるまい。帰ったら確認することにして今は考えるのをやめる。


「おやすみ」

「うん。おやすみ」


 ウルカは寝なくても傷もないのですぐ回復するのだが、ニナはそうもいかない。最後に一言だけ言って目を閉じる。


 今日は、随分と上手く眠ることができた。



 ウルカとニナが山から落ちて森を抜けた日。その、数日か数週間か後のこと。


「…なんだ、お前か」

「そだよん。ちょっと前に起きてたみたいだから会いにこようと思ってさ。遅くなっちゃったけどね」


 亀の上に鳥が留まり、どこか楽しげに話している。


「わざわざ来なくてもどうせすぐに会うと言うのに」

「あー、やっぱり?そんな気はしてたけど…多分、起きる時間間違ってるよ」

「何?今は何時だ」


 鳥は亀の甲羅から降りて向かい合う。


「聖歴2002年。ご主人に言われてるのは700年以上後だよ」

「なんと…随分早く起きたものだな…」


 亀は驚いているように見える。


「ま、早起きは良いことだよ。折角だし、みんなに会いに来なよ」

「それもそうか。まだ眠っているつもりだったんだがな…」


 亀は歩き出し、鳥も続く。


「人の世に降りるのも久しい…楽しみだな」


 亀の言葉に鳥は笑い、一頭と一羽はゆっくりと歩いて行った。

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