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怨嗟の魔女  作者: ルキジ
55/140

55 山越え

「さて、今日はちょっと大変だね」


 朝日を浴びながら領地の境に向かって歩いていると、ニナが言う。


「山越えかぁ…歩いてするのは初めてだなぁ」


 少し前まで住んでいた山は高くも険しくも無かったし、2、3度山を越えたことはあるが馬車でのことだ。これから越える山は「センメイズ山脈」という山脈の一部で標高は4500メートル程。今回通る予定のルートでは3000メートル付近を通過する予定だ。これまで体験したことのない未知の領域となる。


「…ねぇニナ、数字見て思ったんだけどさ」

「なに?」

「“ちょっと大変”って次元じゃないと思うんだけど」


 3000メートルにもなれば地表と比べ、暖かい今の季節でも結構な寒さな上空気も相当薄い。ちょっと大変レベルなら高くても1000メートルも登らないと思っていたし、とても大変だったとしても道の整備されていない魔物の出る3000メートルの山を一日で越えようなど不可能に近い。


訓練を受けた獣人()人智を超えた魔者(ウルカちゃん)なら大丈夫かなって。ラークくんと山越えしたことあるけど何とかなったよ」

「…そっか。まあニナがそういうなら大丈夫なのかな…?」


 魔者の、しかも炎を扱う自分はどれだけ寒かろうが問題無いし、多少空気が薄かろうが水の中のように完全な無呼吸でもなければ問題ないだろう。過去に事例もあってニナが大丈夫と言うなら大丈夫なんだろうと一応は納得することにする。


「ラークくんがぶっ倒れて行程が数日遅れたのも今となっては良い思い出だよ」

「大丈夫じゃないじゃん!」


 一応の納得が一瞬で吹き飛ぶ。


「ああ、ちゃんと余裕もって予定組んでたから仕事に支障は無かったよ」

「そこじゃない…」


 獣人は他の人種より体が強いと言うが、そう言う次元ではない気がしてくる。ニナが山の上でも快活に笑っているんだろうことは想像に易い。


「にはは。まあ真面目な話大丈夫だと思うよ。何回か山越えることもあったから私は平気だし、魔者なら環境のあれこれ無視して突貫できると思うから1日で越えるのも無茶じゃないと思うよ」

「…分かった。ニナが大丈夫なら私は大丈夫だと思うし、頑張って1日で越えよう」


 ラークが倒れたのは可哀想だが、ニナが大丈夫なら問題ないだろうと納得し、ニナに従う。


「それじゃ行こっか」

「うん」


 目の前の、道と言えるか微妙な道に登山の一歩目を踏み出す。ニナが山越え経験者で自分は魔者ということでそこそこ楽観的にスタートすることとなった。


 残念ながら“ちょっと大変”では済まなかったのだが。



 登山開始から4時間ほど、標高1000メートル程の場所。山の環境が過酷なのかすでに草花や木々は見る影もなく、岩と苔だけとなっていた。見上げれば曇り空が広がり、ごうごうと風が横から吹きつけている。


「やだねぇ…これは」


 もはや道と呼んで良いものはなくなり、眼前には絶壁が立ち塞がっていた。それもただの岩ならまだしも苔の生して湿った岩場はクライミングするには最悪の条件だ。


「抱えて飛ぶには風が強いね…私1人なら何とかなるけど」

「そうだねぇ…そしたらこれ持って先に上がって上から垂らしてよ。頑張って登る」

「あー、分かった」


 またもやどこから出したのかわからないが、ニナはロープを取り出して渡してくる。


「とりあえず行ってくる」


 崖は25メートルあるかどうかといったところで、風に煽られながらも危なげなく上に辿り着くことができた。


「じゃあ下ろすよー!」

「おねがーい!」


 ロープは特別なものではなさそうだが、強度と長さは十分で風に揺られながら崖下まで難なく届いた。


「よっ!」


 ニナは飛び上がってロープを掴むと、苔だらけで滑るはずの岩壁を的確に蹴り、時にはロープと腕の力を使って大きくジャンプして、平地を歩くよりもずっと早く崖を登り切った。


「…速くない?」

「にはは。ま、訓練の賜物だね」


 ニナはいつものように快活に笑う。


「んー…でも、前来た時こんな崖あったかなぁ…」

「前って?」

「ああ、ラークくんとした仕事の時だよ。まあもう3年は前だしそのうちに崩れたりしたのかな」


 聞いていた「前にラークと山を越えた」というのは今いるセンメイズ山脈のことらしい。しかし、巨大な崖が新しく現れるなんてことがあるとは。自然は不思議なものだ。


「とりあえず進もっか。問題が起きたらその場で対処しよう。今考えてもどうしようもないし」

「そうだね。進もっか」


 続く道をみれば、地面には苔生した岩が続き足場は悪いものの、遮るものや邪魔になるものは少なく道幅もそこそこある。ここからしばらくは比較的楽に進めそうだ。


「ん?なにこれ」


 しかし、楽に進めたの距離はそう長くはなかった。標高1600メートルあたりを越えた頃だろうか。地面の岩場に苔以外の黒いぐちゃぐちゃした液体と固体の間のような物体が見え始めた。


「あーっとね、確か”高山粘性虫”とかだったかな。苔食べて生きてる魔物だよ。何もしてこないから踏んで滑んないようにだけ気を付けてね」


 ニナの口ぶり的に大きな障害という訳でもなさそうなので、踏まないようにだけ気を付けて進む。


「でも…ちょっと問題があってね。高山粘性虫(それ)が出るってことは他の面倒な魔物が出るってことなんだよね」

「他の魔物かぁ…強い?」

「いや、単体なら私でもどうにでもできる。曇鷹っていう鳥なんだけど、そこまで大きくないし力も強くないしね」


 ニナは随分と嫌そうな顔をしていたものの、強さ自体は死氷部隊最弱を自称するニナでもどうとでもなるらしい。


「ただ、風強い中で空飛ぶし群れだしすばしっこいしでめんどくさい。ウルカちゃんさ、今住んでる屋敷を一撃で吹き飛ばせる火力を空中に向かって出せたりする?」

「うん。できるよ」

「即答かぁ…まあそれくらいの範囲攻撃があるなら問題無いかな。前は私もラーク君も遠くに範囲攻撃できなかったから大変だったよ」


 若干引かれた気がしたが気にしないでおく。


「ただ、それ以外に一個問題があってね」


 ニナは嫌そうな顔から真剣に深刻そうな顔になる。


「高山粘性虫、前は2000メートルを超えるまでは見なかった」

「…崖と言い、3年で随分環境が変わってるんだね」

「そうみたい。最悪、道が完全に途切れてるとか強い魔物が出るとか考えておいた方が良いかもね」


 竜が出てオーガが追いやられたという事例もあるのだ。生き物(高山粘性虫)が本来の生息域から下に来たということは、何か強力な生物が現れた可能性を考えなければならない。


 そんなことを考え、立ち止まって会話をしていた時である。


「…ん?」

「うわ…」


 気づいたのはほぼ同時だった。少し遠く、まだ点にしか見えないような大きさだが、二人の感覚は件の鳥の群れ捉えた。


「どうする、ニナ?」

「進みながらかち合ったら迎撃って感じかな。私は空に手出せないからよろしく」

「わかった」


 対処の確認だけ済ませ、先に向かって歩き出す。一つ救いなのは、曇鷹の群れは進む方向に対して斜め前の方角からきており、運次第では会わずに済むかもしれないといったところだ。


「そう上手くはいかないよね」

「ニナ、私に掴まってて。爆風で飛ばされるから気を付けて」


 しかし、そう綺麗に避けられるはずもなく100メートルも登ったかといったところで群れとかち合う。


「単体で弱いのが救いかな」


 曇鷹の群れは想像の数倍は巨大なもので、数百単位だった。一匹一匹は小さいが、全部集まれば竜をも飲み込んでしまいそうなほどの規模だ。


「【爆焔球】」


 ニナを庇うように立ち前方でこちらを見据える鳥の群れを火球を数個生み出して威嚇する。群れはその場で滞空しこちらを睨んでいるようにも見える。


「…らぁっ!!」

「ギャア!!」


 火球が放たれるのと鳥が動き出したのは同時だった。


「ギアアアアア!!!」


 最初の火球に巻き込まれ、群れの7割が燃えカスとなって落下する。本当に単体では弱いようだ。


「【爆焔球】!」

「ギャアアア!!」


 爆風を逃れ突進してきた鳥に向けて追加で一つ球を放つ。その抜けてきた者共も最初に撃ち落された者と同じように燃えカスとなって落下する。


「【烈炎刃】!!」


 巨大な刃で残党も次々処理して行く。


「…ニナ」

「分かってる」


 群れの9割以上を削り、周りに気を配れるようになって気づく。


「「「「「ギャアギャア!!!」」」」」


 派手にやりすぎたのか、最初の群れと同じかそれ以上の規模の群れがいくつも寄ってきてこちらを囲んでいる。一撃でそこそこの数を落とせるとはいえ、いくら何でも数が多すぎる。処理が追い付かず完全に囲まれてしまう。


「キリがない…」

「…走って抜けるよ」


 向かってくるものの処理だけで手いっぱいになってしまい、空中で待機している者へ手出しする余裕がなくなってきた頃、ニナが言う。


「分かった。【爆焔球】!」

「ギャアアア!!」


 自分とニナを中心にするように巨大な爆発を起こす。それによって曇鷹の攻撃の無い一瞬を作り、魔力を練る。


「道を作る。【炎赤波爆(レッド・ノヴァ)】!!」

「ギャアア!!」


 極太の熱線により正面の曇鷹が一掃され、熱線の太さのトンネルのような道ができる。


「よしっ…!」

「ふっ…!」


 そのタイミングで二人で走り出し、一気に曇鷹の群れを抜ける。


「ニナっ!前もこんなだったの!?」

「いや!群れ一つか二つだった!」


 走りながらニナに確認を取る。懸念通り、鳥の数も前回より大分増えているようだった。


「【爆焔球】!!道もか…」


 周囲に球を放ち曇鷹を削っていくが、それでも走りながらでは先程まで以上に処理が追いつかない。その上進めば進むほど道の幅が狭まっており、標高1800メートルを過ぎる頃には2人並んで走ることが出来なくなっていた。


「全然減らない…【爆焔球】!!」


 標高2000メートル付近。何分何時間と走り続け、何度も球を放っているが曇鷹は一向に減らない。足元はさらに狭まり、人が1人はいれば余裕が無いほどだ。最悪落ちても飛べる魔者()と違い、ニナは落ちたら死ぬ状況で全力で走っているのも合わせて、危機が加速する。


「【爆焔球】!ニナ!どれだけ走ればいい!?」

「最悪降り切るまで走んないとダメ!」


 降り切るまで。3000メートル地点まで登り、そしてそこから最後まで降り切るということだ。距離にしておよそ7200メートルを崖を含む急勾配の中走り続けなければならないと言うのだ。そうやって現状に絶望しそうになった時だった。


「【爆焔球】!!そっ…か…?」

「なに…あれ」


 山の急な登り坂、しかも足元は滑る岩場で道幅は人が2人並べない程。さらには道の両脇は切り立った崖であり底がよく見えない。こんな場所を全力で走りながら600メートル以上進み、高さにして300メートル以上登っているのだ。余裕などとうに消え去り、地面と後ろの鳥に集中していた。しかし、遠くに見えた()()の放つ圧倒的な存在感に、否応なしに視線を向けざるを得なかった。


「ギャアギャア!!」


 後ろで曇鷹が騒いでいるのがかすかに認識できた。今後ろを振り返れば、全ての群れが散り散りになっているのが見えただろう。


 息が詰まる。遠くに見えただけのその存在は、よく見ればこちらを見ているように見えた。


「あ…れは…まずい!」

「う…うん!」


 存在感か、威圧か、雰囲気か。かの存在の放つモノに呑まれ言葉も発せなかった。最初に喋れたのは、危機の確認だった。


「                       」


 存在は、何かの音を発したようだった。耳が正しく認識できないような唸るような轟音だった。


「う…あ…」

「な…」


 遠くにいる存在が、まるで目の前で威圧しているかのように錯覚してしまう。


「格が…ぐぅ…」

「う…わぁっ!!」


 地鳴り。大地が大きく揺れ動く。山が悲鳴をあげているかのようだ。


「あっ…」

「えっ…」


 もし、震度の概念を知っていれば、8だと判断しただろう程の巨大な揺れ。滑りやすく狭い道から、2人とも投げ出されてしまう。


「ぐっ…ニナっ!」


 何とか空中で姿勢を立て直すが、ニナは飛べない。落下するニナに向かって下に加速する。


「ニナっ!大丈夫!?」

「ありがと…はぁ…」


 何とか追いつき抱き抱えるが、下に急加速した分と合わせ、人2人分の重さを持っている今、落ちるスピードを相殺できない。


「ニナ!落ちる直前で上に投げるよ!」

「…分かった!」


 2000メートル地点からの落下。残り1メートルを切った、最後の瞬間、ニナを上に投げる。


 ドォオン


 地面に衝突し、爆音が響く。


「痛…ニナは…」

「ウルカちゃん大丈夫!?」


 すぐ隣で綺麗に着地できたようで、ニナも無傷で無事だった。落ちた場所はどうやら森のようで、土の地面に草が生い茂り、高い木々が茂っていた。先ほどの存在の威圧感ももう感じない。


「私は大丈夫。ニナも無事そうで良かった…ねえ、さっきのあれ何か分かる?」

「いや…何も…ん?」


 先ほどの存在についてはニナも分からないらしい。しかし、山の環境が変わっていた原因としては十分な力を持っていたのは理解できた。


「ウルカちゃん…謎の存在のことは後にしよう。」


 何かに気づいたニナがそう言う。


「ウルカちゃん、()じゃなくて()を通ったのはさ、理由があるんだよね」

「…何となく分かるよ。私も気づいた」


 私も周りを探るとそれに気づく。


「ゴオオオオオオオオォォォォォォォォォ」

「山とは比べ物にならないくらい強い魔物が出るんだよね」


 危機はまだ終わらない。

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