54 一つ目の街
「ああ…やっぱり微妙な感じだ…」
「だいじょぶ?」
馬車の乗り場で待っているとニナに心配されてしまう。昨日から起き抜けに何となく気分が優れないのは変わらないでいた。
「大丈夫。朝強いのうらやましいよ。私の場合は普通の強い弱いとちょっと違う気もするけど」
眠たいわけでも体調が悪いわけでもないのだが、精神の問題がそのまま肉体に反映されている感じがして、「何となく気分が悪い」としか形容のできない感覚だ。
「にはは。別に私も特別強いわけじゃないよ。眠りが浅いだけだからね」
「そっかぁ…でも寝つきもすごい良かったしやっぱりうらやましいよ」
ニナは昨日の夜は明りを消した次の瞬間には寝息を立てていたが、寝る前になると色々考えてしまってすぐに眠れない身としてはその驚異的な寝つきの良さもうらやましい。
「もう寝るのやめようかな…」
色々悩んでしまうなら眠るのをやめてしまいたいとさえ思う。眠るという行為が人間っぽいだけでもう人間で無いのには変わりないのだから、食事と違って少しの娯楽にすらならない睡眠などやめてしまえばいい。
「にはは。悩むぐらいならそっちの方が良いかもね。ていうか私はそっちの方がうらやましいよ。寝るのをやめるって不可能だからね。私は一週間も寝なかったら限界だよ」
確かに魔者でもなければ寝ないで生きるなんて不可能だし、すごいことだ。しかし、ニナはニナで一週間寝なくても何とかなるのはそれはそれですごい気もする。
「ん、来たね」
話していれば馬車はすぐに来た。これから一日…途中に休憩をはさみながら約13時間かけて一つ目の貴族領を横断し、今いる場所とは反対の端の街まで向かう。馬車に乗っていればいいとはいえ、結構な長旅だ。
「んー…座りっぱなしって腰にくるんだよねぇ…」
「確かに。結構痛いんだよね」
ニナは伸びをしながら乗り込み、私はその後に続く。
「まあでも、空いてるっぽいのは救いかなぁ」
馬車の中には私とニナ以外に数名の乗客がいるのみで、空いているようだった。
「そんじゃお客さん方、そろそろ出発しますんで、揺れとかには注意してくんなせぇ」
馬車の扉が占められ御者は席に戻り、私たちは御者の言葉を聞く。次の瞬間、少し揺れたかと思うと馬車は前進を始める。
「結構かかるかなぁ」
「13時間とかでしょ、たしか」
他愛ない会話で馬車の旅は始まった。
※
ゆるい雰囲気で旅行者として下らない話をして笑っていれば、馬車の旅は存外早く終わったように感じられた。
「んー…休憩あったとはいえ座りっぱなしはきついねぇ…魔者の体が羨ましいよ」
「ふふっ…でもそんなに良い物じゃないよ」
ニナは馬車を降りると腰に手を当てて大きく伸びをして、何の不調も無い私の方を見る。魔者の体は頭がおかしくなるのとセットなのでならなくて済むならその方が良いが、体の不調がほとんど無いのを羨むのはよく分かる。
「今日は…別にできること無いか」
「うーん…そうだね。さっさと宿取っちゃおっか」
日の沈み月の輝く空の下、宿を探し看板に従って歩きだす。
「あそこでいっか」
適当に見つけた宿に入る。特別上等なものでは無いようだが、受付から手入れの行き届いた良い宿なことが分かる。確認したところ無事部屋も空いていたので一部屋取ることができた。
「ふぃー…」
部屋に入ったらニナはベッドに飛び込んで気の抜けた声を出していた。私はそれを見ながら隣のベッドに腰を掛ける。
「ニナ?」
「んー?」
話しかけるとニナはまた気の抜けきった声を出して返事をする。
「明日って山越えるんでしょ?道具とかっていらないの?」
「あー、だいじょぶだよ。半分獣道みたいだけど道もあるらしいし、魔物も出るって言っても大して強くないしね」
「ふーん。ま、大丈夫って言うならいっか」
山を越えると言っていたが、思っていたよりは楽そうだ。大変なのには変わりないが。
「…明日も早いし寝ちゃお。ウルカちゃんも一応寝るんでしょ?」
「うーん…まあそうしようかな」
ニナが明りに手を伸ばしながらそう聞く。
「あ、睡眠薬あるけど使う?敵にぶち込む用だから安全は保障できないレベルのやつだけど」
「いらないです」
食い気味で敬語になってしまった。
「にはは。そっかそっか。魔者なら耐えれるかもよ?」
「耐えるって表現の時点でダメ。いらない」
「にはは。残念」
ニナは燭台に手をかけて笑う。
「おやすみ」
「うん。おやすみ」
ニナは楽しそうに笑った後に明りを消す。そしてまた驚異的な早さで眠りについていた。
「やっぱりうらやましいね」
明りが消されると、思考が加速し始める。しかし、昨日や一昨日よりかは幾分かマシな寝つきだった。
※
「…」
街中が寝静まった深夜、寝息を立てるウルカを置いて、ニナは街に出ていた。上等ではないものの手入れのなされたローブを羽織り、フードを深くかぶって歩く。
「もうちょっと向こうで聞ければ良かったけど…ここしか無いか」
独り言が漏れる。
「いらっしゃい」
扉を押せば、カラン、とドアの上につけられたベルの音が鳴り、それに気づいた店主が客を出迎える。数名の客はいるが、店内は非常に静かでベルの音がよく響く。
「ダーテン・ファウルを」
そんな名前の酒は存在しない。
「かしこまりました」
しかし、店主は手際よく準備をして酒を提供する。無論、ダーテン・ファウルなどという酒ではないが。
「ダーテン・ファウルは久しぶりだね」
グラスを持ち上げて眺めながら言う。
「どうマスター、少し愚痴を聞いて貰っても?」
一口酒を飲み店主に語り掛けるが、店主は無言のままでグラスを磨いている。
「了解ととるよ」
少し間をおいてそう言うが、無言の店主は嫌悪を示すこともなく、こちらの言葉に反応しない。
「お仕事、上手くいかなくってね」
言葉を切り、酒を眺めて溜息をつく。
「納期が何回も早まってね」
グラスを傾ける。喉を焼くアルコールの感触をしばらく感じた後、次の言葉を紡ぐ。
「ほんと、人を馬鹿にしたような予定の組み方しやがってさ」
また溜め息を吐く。店主はやはり反応せず、静かにグラスの手入れを続けている。
「ゆっくりやっても終わるはずだったんだよ、最初の予定じゃあ…」
グラスの酒は半分を切り、溜め息の数も嵩む。
「上手くいくはずだったんだけどなぁ…」
漏れるように口から音が出て、続いて大きな溜め息をつく。
「折角作った物も結局間に合わなかったし」
グラスに口をつけ少しだけ喉に酒を流す。店主のグラスを拭く音だけが響いたしばらくの沈黙の後、口が開かれる。
「んー、いや、これはやめとこう」
しかし開かれた口は閉じられ、当初話されようとしたものとは違う音が口から出る。ふぅ、と息をついて続きの言葉を紡ぐ。
「理解できる?ホントにクソ上司だよ」
仕事の愚痴じゃありがちだが、結局は上司の悪口に落ち着く。さらに酒を飲みアルコールの感触を味わう。
「よくしてくれた先輩もそれで辞めちゃったよ」
何かを思い出すような仕草をしてため息をつき、残った酒を飲み干す。
「クソ喰らえってやつだね、ホントに」
最後にそう言って席を立つ。
「…勘定をお願いしようかな。すまないね。こんな話に付き合わせて」
お金を取り出してテーブルに置く。
「ああ、それと、ここでの話は秘密で頼むよ」
席を離れる時、振り返って最後にそう言い残す。
「…またお越しください」
扉を押し店を後にした時、最後に店主が口を開いた。
※
「んぅ…」
普段は絶対しない喋り方をしたせいか、少しばかり疲れてしまった。小さく伸びをしながら手元の資料に素早く目を通してゆく。
「気づいては無さそう、か…ただ…」
手元の読み終えた紙を水で消しながら呟く。静かな街に小さく水の音が響き、紙だったものは跡形もなく消え去る。足音も無い分水の地面に落ちる音だけが寂しく聞こえる。
「最近雇った詳細不明の護衛が1人…これだけは少し不安かな」
ダドリオの現在保有する護衛戦力。先ほど買った情報によれば、そのほとんどは大して気に留める必要の無いような強さで、戦闘が本職で無い自分でも正面から勝ち得るような駒がほとんどな程度なものだ。確認した限りでは大幅な戦力の増強なども無いようなので、暗殺に気付いている様子もない。
「裏に精通している人間も知らない強者がいるとは思えないけど…警戒はしとかなきゃダメだね」
最近雇ったらしい新しい護衛が詳細不明なようで、唯一の不安要素といったところだ。軍に所属し、さらには裏社会についても良く知っている自分の知らない強者がいるとは考えづらいが、どうにも不気味な気がしてならない。
「でも…後は現地で確認するしか無いか」
しかし、不安とは言え今できることは無い。自力で実際に見に行って確認するしか無いのだ。仕方がないので今は不安が可視化されたことを喜び、実際に確認できるまで持ち越すことにして思考を止める。
「でも…本当ならもっと細かいことが知れたはずなのに…革命軍め」
ついぼやいてしまう。目的地のダドリオ領から一つ貴族領を挟んだ場所で情報を買ったが、距離がある分鮮度も確実性も落ちる。本当はもっと近くで買いたかったのだが、ダドリオ領とそこに隣接する領地の情報屋には革命軍の息がかかっているので安易に利用できなかったのだ。
「小さい組織のくせに…はぁ…まあ、しょうがないか」
悪態をつくが、結局情報が多くても自分で確認するのには変わりないかと思い直す。
「…ああ、ここか」
考え事をしていれば、いつの間にかウルカの待つ宿に到着していた。考え事に思った以上に入り込んでいたらしく、危うく通りすぎるところだった。
「起こして…は無いっぽいね。良かった良かった」
忍び足で宿の部屋に入り、ウルカの寝顔を確認する。小さく声が漏れてしまったが、それも問題無くウルカは眠ったままだ。本人は朝に弱いとか寝つきが良くないといっていたが、眠り自体は深そうで何よりだ。
「おやすみ」
ベッドに入り、もはや音になっていない程の小ささで呟く。長く訓練した分、眠りが極度に浅い代わりに寝ようと思えばいつでも寝られる。おやすみを呟いてすぐ、意識は速やかに暗転した。




