46 聖女の正体
昨晩は術式の回路を組むので随分と遅くなってしまっていた。そんな日の次の朝だ。それは、朝食の準備をしてウルカが起きてきた頃だった。
コンコン
と、ドアがノックされた。
「ふわぁ…誰ですかね?出ますね」
「いや、私が出るよ」
ウルカが出ようとするのを制止してエギルが玄関に向かう。ドアの覗き窓から来訪者の姿を確認する。
「リル」
「そうか。ウルカ、裏口に行っていてくれるかい」
「はい?まあ分かりました」
エギルの合図を受け取りウルカを裏手に向かわせ、それを確認して昨晩用意した腕輪を渡す。
「これを嵌めておくんだよ。少し待ってると良い。客の対応をしてくるよ」
「はい…分かりました?」
ウルカが腕輪を嵌めたのを確認し、テーブルに封筒を出してエギルのもとに向かう。ウルカは何事か理解できていないようだったが、とりあえず従ってくれた。
「『やるよ、エギル』」
「『行きましょう、リル』」
精霊術の契約を起動してからドアを開ける。
「どうも。なんの御用で?」
「お宅の少女、魔女でしょう?こちらに渡してくれますか?」
ドアを開ければ笑顔の聖女がそう言う。どこから勘づいたのか全く分からないが、家に来ている時点で何か確信を持っているのだろう。
「一応聞こうか。根拠は?」
「私のスキルです。お二人の視界を勝手に共有させていただきました。本当はちょっとした情報でも手に入れば御の字だったのですが、まさか炎を操る少女にいきなり当たるとは思いませんでした」
聖女のスキル。詳細不明だったがまさかそんなものだったとは。おそらく接触した時点で何か条件を満たされていたのだろう。
「あれはスキルによるものさね。魔女じゃあ無い」
「そうですか。ですが、時期的にも容疑者には違いありません。渡してください」
一応言い訳をしてみるが、聖女の表情は確信に満ちており、引く気はなさそうだ。
「そうかい。分かったよ」
「そうですか。嬉しいです」
「【魔過重水巨弾】!」
「【水の監獄】!」
誤魔化すのは無理だと判断した瞬間、聖女と聖騎士を攻撃する。ドームで囲み、巨大な水の質量で押しつぶす。そしてそれと同時にウルカのもつ腕輪に刻まれた術式回路を起動する。そのうち一つの効果により、ウルカは強制的に気絶し、昨日飛ばした水の辰の跡に沿って飛ばされているはずだ。
「取り巻き含めて無傷かい。やってられんね」
「かすり傷くらい負っていて欲しかったですね…」
裏口で何かが起きたことは今ので誤魔化せたはずだ。しかし、まさか全くの無傷とはやっていられない。どうやらドーム状の光の障壁で防がれたようだった。
「最後に、おとなしく彼女を渡しませんか?」
「そいつは無理な相談だねぇ。諦めな。ま、それでもやるってんなら相手になってやるがね」
「もう攻撃しているんですよ。渡すわけがないでしょう?さっさと消えてもらいましょうか」
魔力を練りながら聖女を挑発する。
「残念です。『シンジテオリマス』」
「はっ!?」
「まさか…」
すると、ほんの少しだけ残念そうに笑った聖女が一言呟き、魔力が爆発的に増大する。まるでウルカの覚醒のように。
「【渦槍】!」
「【守護領界】」
水の槍を放ってみたが、障壁に阻まれる。
「困ったもんだね」
「想定以上かもしれないね」
最初に聖女にあった時に感じた違和感。今、それを理解した。感じた魔力の質が聖典のもではなかったのだ。聖典ではなく、聖女本人の持つ“魔者”としての魔力だったのだ。おそらく、聖典術で戦うと言うのは事実では無いのだろう。
聖女は、光の力を持つ魔者だったのだ。
「渡さないのなら、死んで下さいね」
瞳が白く輝くように変わり、髪も金髪だったものがところどころ色が薄まり輝きを増す。服は黒が基調だった修道服が白を基調とした金の装飾の入ったものに変わり、聖女の周囲が後光がさすかのように明るくなる。
「神に授かったこの力で、葬り去って差し上げます」
「葬るなんて物騒だね。老人はもっと労わるものさね」
「悪いが、簡単には死んでやれないんだ」
聖女が魔者であったことへの驚愕を悟られないよう平静を保ちながら軽口を叩く。
「「【流鱗鎧】」」
「【神衣】」
互いに防御のための衣を纏う。一瞬の膠着が生まれるが、それはすぐに破られる。
「【天煌槍】!」
「【麗流盾】!」
光の槍が放たれ、それを水の盾で防ぐ。しかし、やはり光の速さは別格だ。術名を宣言している間には盾が出せないと、防げず食らってしまうだろう。
「【水辰】!!」
「【天煌槍】!」
4体の水の辰を出すが、光によって対消滅させられて防がれてしまう。
「【魔過重水巨弾】!」
「【守護領界】…重いっ…!」
次は重水を上から落として押し潰す。防がれる前提の一撃だ。たとえ防いでもその重さで一瞬動きを止められる。
「まずは、だ【渦槍】!!」
「「【聖撃】!!」」
聖女の動きを一瞬止めた隙に取り巻きの聖騎士を仕留めようとそちらに槍を放つが、それぞれに剣で払われる。
「【天誅閃】!!」
「【排流波紋】!!」
光の極大の斬撃。聖騎士に意識を向けた隙に放たれたそれはなんとか受け流すことはできたが、水のドームが一瞬切り裂かれる。
「なんて威力だい…【渦槍】!!」
「【水の妨害】!!」
「くっ…【光臨環】!」
一瞬の拘束で回避を封じる。しかし、水の槍は回転する光の円環に弾かれ四方八方に飛ばされる。
「食らいなさい!【煌光砕】!!」
「なっ…くっ、【麗流盾】!!」
「なにっ!?」
身構えたものの攻撃を受けた感覚もダメージも無かった。しかし、とてつもない光量に視界が奪われる。
「【神煌剣・輝天】!!」
「ぐふっ!!」
視界を奪われていた隙にエギルが斬られる。ギリギリ腕で防御できたようだが吹き飛ばされてしまう。光の剣は一撃の後に聖女の手の中から消失し、空いた両手で次への準備を可能にする。
「エギルっ!【水渦千刃】!」
「【守護領界】!」
攻撃後の聖女に無数の刃を放つ。半球状の結界に阻まれるが、エギルから引き剥がすことには成功する。
「鎧がある!【水転三叉】!!」
鎧のおかげで酷い怪我は避けられたようで、エギルはすぐ反撃に転じる。
「【天翼領域】」
しかし、三叉の槍も無数の刃も突如出現した天使の翼のようなものにかき消される。聖女を後ろから抱きしめるように包むその翼は、先ほどまでの障壁と違い小さなヒビも入っていない。
「硬いね…【水転三叉】!!」
「【重海撃】!!」
「無駄ですよ…」
槍をぶつけ、直接殴るが、それでも翼には傷がつかない。聖女が一歩も動かないあたりそれがデメリットなのだろうが、魔術を使う以上大したデメリットではない。
「【煌光砕】」
「くっ、【麗流盾】!」
さっきも食らった目眩しの光が放たれる。その時点で次の攻撃への防御を展開したが、攻撃は聖女からではなく背後から飛んできた。
「「【聖撃】!!」」
「なっ!?ぐはぁっ…ちっ、【魔過重水巨弾】!!」
「リルっ!【水辰】!!」
辰と弾で聖騎士を吹き飛ばす。ギリギリで気付いてなんとか致命傷は避けられたものの、リルの背には深い十字の傷が刻まれてしまう。
「…視界の端に捉えてたつもりだったんだがね」
「光で視覚が麻痺していたね…」
聖女と聖騎士から一度距離をとって息を整える。
「エギル」
「ああ」
一呼吸おいてから行動を開始する。
「ふぅ…【海皇斬】!!」
水による巨大な斬撃。家程度の大きさなら軽く両断できる程の大きさのそれは、聖女の出した翼と衝突し、大きな音を立てて翼を切り裂こうとする。
「中々重いですね…ですが、制御に手いっぱいなようで?【天誅閃】!!」
「【排流波紋】…ぐっ…」
聖女は2人同時に切り裂こうと先程と同じ斬撃を2つ放ってくる。エギルがなんとか受け流すが流した腕に痺れが残っている。
「よしっ…【渦槍】!!」
「なっ!?」
水の斬撃をなんとか安定させ、槍を全方位から二十放つ。それを見た聖女は余裕の笑みを崩し、初めて焦りや驚きの表情を浮かべていた。
「先程からなんという制御技術に手数…【守護領界】!」
聖女は翼に重ねるように障壁を張り補強する。翼への負荷が許容量を超え始めた証拠だ。
「エギル!」
「ああ!【水渦千刃】!!」
「なっ!?【聖盾】!くぅぅ…」
聖女がリルと押し合って聖騎士に手出し出来ないうちに、エギルはそちらを仕留めにかかる。聖騎士は背を合わせて盾を展開し刃をある程度防いだが、それでも漏れた分を食らって無視できないだけのダメージを負っていた。
「卑怯な…!【守護りょ…ぐっ…」
「【渦槍】!追加だよ…ふぅ…構う余裕は無いだろう?」
にぃ、と笑って槍を追加する。聖女は聖騎士の方へ遠隔で障壁を出そうとしたようだが、自分の方の翼と障壁の制御に影響が出て断念する。
「君たちから狩らせてもらおう。【渦槍】!」
「「【聖盾】!」」
聖騎士はまたも2人で防御するが、三十を超える槍を防ぎ切ることはできず、脚や腕を貫かれる。
「【重海撃】!」
「ぐふぅっ!!」
痛みで制御の甘くなった盾ごと殴り、片方にトドメを刺す。
「【渦水閃】!」
「がはぁっ!」
手刀に水の刃を纏わせ、残った片方も片付ける。
「ぐっ…!」
「エギル!ぶちこんでやりな!」
「もちろんだ。ふぅ…」
聖騎士を処理した後、聖女にトドメを刺そうとエギルが魔力を練り始める。しかし聖女が歯軋りをした瞬間から、聖女の漏れでる魔力が増える。
「ふぅぅぅぅぅ…仕方、無いですね。【天翼球崩壊波】!!」
「ぐっ…なにっ!?」
「【災渦…なっ!?」
聖女の魔力が増した瞬間から翼と障壁にヒビが入り始め、それが最高潮に達した時、聖女を中心に光の爆発が起こりそれに吹き飛ばされる。練っていた魔力も霧散し手元で消え去る。
「げほっ、げほっ…何なんだね、こいつは」
「かはっ…かふっ…なんて威力だ」
光が収まり周りが見えるようになると、満身創痍な状態の聖女が立っていた。
「はぁ…はぁ…」
翼と衝突していた槍と斬撃。軽減はできたのだろうが、その全てを食らったのだろう。大火力と引き換えに障壁を起爆し、降り注ぐ槍と斬撃を受け止めたのだろう。聖女は肩で息をしていた。
「【神衣】…ふぅ…」
聖女はボロボロになった魔術を貼り直し、余裕の消えた顔でこちらを睨む。
「「【流鱗鎧】」」
爆発で満身創痍なのはこちらも同じだ。聖女と同じように鎧を貼り直し、聖女を見据える。
「【天誅閃】!!」
「「【海皇斬】!!」」
聖女には単発火力で劣っている。しかし、2人で同じものを重ねれば互角以上にぶつけあえる。
「ちっ…!【煌光砕】!」
「【渦球結界】!」
三度目になる目眩しに全方位への結界を張る。聖女にはもう駒は残っていないが、一応背後への防御も残す。
「【神煌剣・断光】!!」
「…!ぐっ!?」
全方位防御のおかげで食らう前に攻撃に反応できた。しかし、範囲の広い代わりに薄かった障壁は、聖女の剣に貫通され、そのまま攻撃を食らってしまう。
「ふっ…!」
「くっ!」
聖女は光の特性である「速さ」を活かし、手数で劣る遠距離戦を捨てて近距離に詰めてくる。
「ちっ!【重海撃】!!」
「遅いっ!【輝天】!!」
剣と拳が魔力を介してぶつかりあい、剣が拳を切り裂き弾き飛ばす。こちらも魔力による強化である程度打ち合えるとはいえ、やはり格闘戦で老いの影響は大きい。遠距離で技術勝負をしてくれる方がずっと楽だった。
「【天誅閃】!!」
「【麗流盾】!」
剣を持っていない方の手から斬撃が飛んで来て、こちらの移動ルートが制限される。剣術を含め、この聖女はどうやら近距離戦の方が得意らしい。
「【螺海撃】!!」
「【激流】!!」
「ちっ!【流天】!!」
エギルが水の螺旋を纏った貫手を放ち、リルがそれに合わせて火力を補強する。一瞬だが、拳が剣の火力を超え、聖女に突貫ではなく受け流しを選択させる。
「面倒な…【輝天誅閃】!!」
「「【海皇撃】!!」」
聖女は斬撃の魔術と剣撃を重ね合わせ手火力増強を図ってくる。こちらはそれに合わせて2人の一撃を重ねて打ち合う。結果互角となった一撃は巨大な衝撃をもたらしお互いを吹き飛ばす。
「ふぅ…【海皇斬】!!」
「【法臨】!!」
距離の空いた隙に斬撃を打ち込むが、それは剣でかき消される。
「「【渦槍】!!」」
「ちっ、【守護領界】!!」
2人で四十を超える槍を打ち込み、聖女に防御を強制させ接近を防ぐ。近距離戦では2人合わせてやっと互角だが、遠距離戦ならこちらに分がある。
「不味いぞ」
「…一気に行くかね」
一瞬で一言だけ相談し、すぐに追撃に向かう。
「【水辰】!!」
「【海皇撃】!!」
「ぐっ…!【流天】!!」
エギルは水の辰と共に突撃し、障壁ごと聖女を吹き飛ばす。聖女は剣で流そうとしたものの、障壁の制御と合わさって攻撃は流しきれたものの不安定な体勢で吹き飛ばされる。
「小技は流される!!次で終わらせる!【落水牢】!」
「【輝天誅閃】!!」
剣の一撃を残り魔力のほとんどを費やして完全に防ぎ、さらに聖女の動きを一瞬止める。
「【螺海皇撃】!!」
「【激流】!!」
2人で聖女に向けて今出せる最大火力の攻撃を放つ。
「【流て…ぐはぁぁぁ!!」
聖女は剣で受け流そうとするが、放たれた攻撃は剣を砕き、聖女の脇腹を貫く。聖女は血を吐き膝をつく。
「リル」
「ああ。負けだ」
「ごふっ…ごふぁっ…げほっ…」
こちらは最後の魔力を使い切り、普通に立っていられるかも怪しい。目の前の聖女は、膝をつきながらもこちらを殺せるだけの魔術を完成させている。
「…そういえば、何故、魔女と共に戦わなかったので?」
「さぁてね」
「…そうですか」
最期の一瞬、聖女の問いが頭の中を巡る。後から来る強者に対応できない、というのは襲撃しない理由であって共闘しない理由ではない。
「【天誅閃】」
たとえもう手遅れだとしても、戦いも復讐もやめて、安全に幸福に生きてほしい。
「「バカだね」」
そんな願い、届くはずも無かろうに。
全てを言い終える前に首が宙を舞い絶命する。自嘲げで、後悔に塗れ、どこか幸せそうな笑顔。リルとエギルは、最期に笑って、その長い生涯に幕を閉じた。




