32 二度目の不幸
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい。ちゃんと休むのよ」
「はーい」
私はノームさんとガイアさんに挨拶して、いつもと同じようにネルと寝室に向かう。ノームさんとガイアさんの家に住み始めて10年、ネルが誘拐されて5年、私たちは15歳になって成人していた。
「ちゃんと寝るんだぞ。2人とも最近疲れてる気がするからね」
「大丈夫だよ。もう私たちも子供じゃ無いんだし」
「そうよノーム。もう成人したんだし、大丈夫よ」
「それに、自分の体のことは自分が一番分かってるよ」
「そうか?まあなら良いんだ…おやすみ」
「ノームは心配性なんだから…おやすみ」
「うん。おやすみ」
ノームさんに言われてそう返す。ちょっと感じが悪くなってしまっていたかもしれない。
「「ふわぁ…」」
ベッドに寝転がるとネルと一緒に大あくびをする。ネルが誘拐されてからはいつも一緒に寝ているのだ。
「ウルカぁ…」
「ん?なぁに?」
「んーん…なんでもない」
ネルは眠気でちょっとぼんやりしているようで、緩んだ笑顔でそう言って抱きついてくる。ネルは無防備なところを私にしか見せないのだが、私はそれを見るたびに無性に抱きしめたくなる。可愛い。
「そお?ならいいや」
「うん…えへへ…」
私はネルを抱きしめ、ネルと笑いあって目を閉じる。抱き合っているとお互いの体温や鼓動が感じられ、とても落ち着く。何となく、一緒にいるなぁ、という感じがするのだ。
「お休み、ネル…」
「うん…お休み、ウルカ…」
そのまま私とネルは目を閉じ、お互いを感じながら眠るのであった。
※
ドッッッゴーン
「…ん?ふわぁ…」
「なにぃ…?」
なにやら物凄い音が鳴って目を覚ます。ネルも同じところで起きたようで、眠そうに目を擦っていた。
「おまえは…なんの用だ?こんな夜中に」
「ええ、なに、あなた方が少々不都合でしてね。まあ念のためという形にはなるんですが、消させてもらいますよ」
「はぁ…よく分からないけど…『殺ろうか、ガイア』…ま、なんだ、ちょっと状況は飲み込めないけど、そう簡単にやられてやる気は無いよ」
「ええ…身に覚えはないんだけど、ここまで殺気をぶつけられちゃあねぇ…売られた喧嘩は買ってやるわ。覚悟しなさい。『戦るぞ、ノーム』」
眠い頭でちゃんと内容が理解できていないが、ノームさんとガイアさんの声と、知らない誰かの、3人の声が聞こえてくる。2人の声には、ネルが攫われた時のような殺気が籠っているのが感じられた。
「ね、ネル、なんか…大変だよ」
「うん…なんかそんな感じがする…」
殺気に充てられてネルと共に意識が覚醒する。しかし依然なにが起きているかは分からないので、今自分たちが非常事態の中にいることだけをネルと共有できた。
「しかし、その顔は…君、一度だけ見たことがあるね。確か、ナート教の大司教だろう?それなりの地位…どころかナンバー2じゃなかったかい?」
「外に魔物の気配もするし…ここ、町中のはずなんだけど。それに、ナート教と魔物の取り合わせなんて、問題とかそういうレベルの話じゃ無いわ」
「……元々この町は滅ぼす予定でしたから。本来なら手駒がいたんですが、5年前にあなた方が討伐してしまったので私が直々に来たのですよ。あなた方のせいでまた魔物を集めるのに5年かかってしまいましたよ…ああ、あと私たちと魔物ですか?まあ一般人からすれば真っ黒ですねぇ。ですが、結構使い勝手が良いんですよ。現に魔物のおかげで町が滅ぶのもそう遠く無いですしね」
耳を澄ましてみると、さらに会話が聞こえてくる。《強化感覚》を持っている私でも聞こえずらいし、ネルはよく聞こえていないようだった。
「そうか…魔物はもう町全体に広がってるみたいだね…だが、滅ぶのを黙って見てる訳にも行かないんでね。少しだが遅延させてもらおう。【盗感覚砂嵐】!!」
「【地帝右拳】、【岩王左拳】…私も行くよ。まずあんたをどうにかしなきゃ、魔物の方には行けなさそうだ。オラオラオラァ!!」
「ふむ…お二人とも、中々ですね…ですが、甘い」
今度は地面を拳で殴る音と砂嵐が吹き荒れる音が聞こえてくる。どうやら戦闘が始まったようだ。
「え…何、これ…!?」
「どうしたのウルカ?」
「魔物が、いっぱいいる」
最初の戦闘音で意識が完全に覚醒し、スキルで強化された耳や鼻が屋外の違和感をキャッチする。人のものではない足音や匂いがしてきたのだ。そして、それは10年前村で感じたものと、そして5年前地下で感じたものと同じものだった。
「この砂嵐は感覚を奪う…君には通じて無さそうだけど、魔物には有効だろうね。カバーに行かなくて良いのかい?」
「そうですねぇ…まあ、彼らには見境なく暴れてもらえれば問題無いから大丈夫ですよ。それよりご自分の身を案じられては?」
「こっちのセリフ、だっ!!オラァ!!」
「おお…怖いですねぇ…」
何が起きているのかを見にドアから少しだけ顔を出すと、玄関のすぐ外でノームさんとガイアさんが白いローブを着た何者かと戦っていた。
「誰…あれ?」
「わ、私もわかんないよ…」
聞こえる声からは男だと思われる謎の男は、汗ひとつかかずに二人の猛攻をかわしていた。
「5年前に、手駒だった司祭があのお方、と発言したのを覚えていますか?」
「【鏑失】!さぁてね」
「【咀嚼土亀】!どうだと思う?」
男が二人に問いかけるが、それを適当に流して矢と亀を放つ。
「ええまあ…どっちでもいいんですがね。あなた方があのお方について詮索している様子も無かったので、こちらも急いで始末しに来ることも無かったんですが、あのお方とナート教を繋げられそうな人物は結局はどこかで始末しなければいけないですからねぇ…それで今日、この町を滅ぼすついでにあなた方の始末に来たのですよ」
「ちっ…よくもまあそんな簡単に避けてくれるね」
男は喋りながら楽々と攻撃をかわし、なんでもないかのように続ける。
「キマイラを楽々に突破したあなた方の対処が魔物だけでは不安、そしてもしあなた方があのお方の情報を集めていたらそれを直接抹消する。その二つの目的を持って、私が直々に出張って来たのですよ。まあ、情報の方は集めていない様ですがね」
「そうか…ずいぶんよく喋るんだな…【最過重土亜鈴】!潰れろ!!」
「あのお方、ね…別にそいつの情報は何も調べてないんだけどね…【千手・環暴空】!!」
今度は男の頭上に土の塊と拳が降り注ぐ。しかしこれも難なくかわした男はさらに話し続ける。
「ええ。ですから念のため、なんですよ。どうせギルドか衛兵には報告しているのでしょう?それに、この町で一番強いのはあなた方2人ですし、手駒が潰されては結局私が来ることになったでしょう。結果は変わりませんよ」
「そんな理由で迷惑極まりないね…それに魔物まで…【岩石招来】…」
「こっちはあんたを倒して魔物の対処しなきゃいけないの。さっさと退けっ!食らいな!」
「【終焉土招落】!!!」
「【御世羅】!!!」
下から拳が、上から巨石が、男に向かって放たれる。これまでで最大の規模の攻撃だったからか、男が初めて動きを見せた。
「ふむ…これは……はぁっ!!」
「なっ…!?」
「砕い…た…!?」
「思ったより火力はあるようですねぇ…少し談笑に興じ過ぎましたか。さっさと終わらせましょう」
男は腕を振るい上下から迫り来る岩を簡単に砕いてしまった。ノームさんとガイアさんも驚きを隠せていない様で、目を見開いていた。
「どうしましょうか……まあ、後ろの子供を狙った方が簡単そうですかね。沈め…【冥海渦蛇】」
男は腕を前に向け、ノームさんやガイアさんと同じように何かを言う。すると超巨大な渦を巻く水で形成された禍々しい蛇が現れてこちらに向かってくる。
「精霊も無しに!?【城塞】!!…ぐっ!」
「これは…まさかお前、魔族か!?」
「魔族…全然違い…いや、4分の1程度は正解ですかねぇ?まあ、あなた方にはあまり関係ありませんよ」
ノームさんが壁を出してなんとか防いだが、衝撃は相当だったようで、壁はすぐに崩壊してしまっていた。
「防ぎますか…」
「ノーム!!」
「くそっ…ああっ!!【帰巣】!亀は置いて行くよ」
「助かる」
壁が崩壊してすぐにノームさんが私たちの方に向かってくる。
「逃しませんよ…」
「いいや、逃してもらうね!【千手・門武離明】!!」
「まあ、いいでしょう。それぐらいなら付き合って差し上げます。【冥海牙剣】」
「くっ…」
ガイアさんは浮かんでいる腕をさらに大量に生成して男を囲い、全ての拳をぶつける。しかし、男は水の短剣を大量に作って迎え撃ち、全ての拳を消し去ってしまう。いくつか当たったのかガイアさんの肌に血が滲んでいた。
「…よし…2人とも、これを持って」
その間にノームさんはすぐそこにあった紙に何かを走り書きして私たちに渡す。
「【岩石砲・弾変】」
紙を渡すと今度は地面に何かを作る。
「【施錠鎧球・開錠条件:着弾】…よし。いいか、ついたら近くの冒険者ギルドで今渡した紙を見せるんだ」
「の、ノームさん、どういう…」
ノームさんは私とネルを岩の球体で包み、そう言う。私は今も現状を理解出来ていないの困惑したまま聞く。
「ごめんな…【岩石砲・弾変・発射】!!!」
ノームさんはちゃんと答えることは無く、悲しそうに、申し訳なさそうに一言だけ言うと、地面に作られたものを起動する。発射台だったらしいそれは私とネルの入った岩を空高く打ち出す。
「えっ!?ねえノームさん!!ガイアさん!!」
「なんで…ねぇ!!」
空を舞いながら叫ぶが、ノームさんもガイアさんも聞いていないのか聞こえていないのか、答えることは無かった。空から見た地上の景色は凄惨なもので、建物は燃え、大量の魔物と人の死体が散らばり、さらにその上で人と魔物が戦っていた。
「む…逃がしませんよ…【冥海渦蛇】」
「逃がしてもらうさ…それが僕らの、最低限の責任だ!【終焉土招来】!!」
「あの子たちにはあんまり親らしいことをやれてないんだ…あの子たちの運命はまだ終わらせない!【岩大掌】!!」
「ちっ……」
男が私たちの方に水の蛇を放つのが見えたが、ノームさんとガイアさんがそれを防いで男に追撃を加えていた。男は何でもないように追撃を躱していたが、蛇の方は霧散して私たちへの攻撃は中断していた。
ノームさんとガイアさんの目の奥に一瞬だけ強く光が宿っていた。
「…遊び過ぎたか。私があのお方に文句を言われてしまう。しかし…しかたない…【冥海波蛇竜】!!」
「なっ!?【城s…ごふぁあっ!!けはっ…けはっ…」
「かっ…はっ…かひゅっ…」
男の方を見てみると男は海竜のようなものを出して攻撃していた。ノームさんもガイアさんも全く防げずに直撃してしまい動きが完全に止まる。《強化感覚》で強化されている私の聴覚は、鼓動や呼吸で今の一撃だけで2人が瀕死になっているのが分かってしまった。
「全く…しかしあの子供の処理はどうしたものか…顔も見れていないのでは追跡もできませんね…」
男が瀕死の2人の方へ向かう。一瞬見えたローブのフードの中では、男の目が妖しく光っていた。
「まあ今はいいでしょう。とりあえず、」
私とネルの入った岩は加速を続け、《強化感覚》を持ってしても地上が見えなくなってくる距離まですぐに到達する。
「死んでください」
地上が視界から外れる前に私が最後に見た光景は、2人が男の腕に胸を貫かれ、絶命する瞬間だった。




