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怨嗟の魔女  作者: ルキジ
135/140

135 教皇

「御報告……申し上げます」


 教皇、ナート三十四世の眼前。平時は誰一人として入ることの叶わない教皇の居室。そこに、血みどろの大司教が突如として出現した。


「お前か」


 丈の長い聖衣に真っ白な長い手袋をはめ、顔の前には布が垂れ下がっている。一切の肌の露出の無い姿は、歴代の教皇が皆常に身に着けていた正装だ。


「はっ。各戦場での敗北を受け、神聖騎士団団長をホワイトコーク万年氷床の中心部に移動させました」


 大司教は息も絶え絶えの様子だったが、なんとか報告する。


「そうか。やはり戦力が足りぬか。序列騎士の行方は」

「いまだ不明でございます」


 教皇の声は何を聞いても乱れることは無かった。終始一定で無機質さすら感じられる。


「……ならば私が直接出向こう」

「なっ……!?」


 教皇は立ち上がりゆっくりと歩き出す。大司教は驚きに一瞬固まったが、すぐに教皇の方に向き直り跪いて見送る体勢をとる。


「癒えろ」


 教皇は一瞬大司教の方に振り向き一言声をかける。瞬間、大司教の傷が瞬時に癒え無傷の状態へと戻る。


「神聖騎士団団長の治療の準備を。その後彼を元の戦場に送れ。そして連絡を」

「了解いたしました」


 教皇は跪く大司教を置いて扉を開き戦場に向け動き出した。



「戦場に来るなんてね……」

「駒が足りんのだ」


 ヘルと教皇は睨みあったまま動かない。私は睨み合う二人の発する圧力の余波を受けただけで、足が竦み声が出なくなってしまった。


「そうねぇ……【氷下繚乱乱咲】」


 先手を打ったのはヘルだった。今この空間はアダムとヘルの戦闘により冷気と目に見えぬほどの氷の粒で満ちている。瞬間、教皇の周囲が透き通る氷の薔薇で満ちていく。


「ふむ……」


 教皇は一歩も動かずに全ての薔薇を受ける。アダムの方に手を伸ばそうとしている様子が見られたが、ヘルと向かい合っていては動けないようだった。


「【貫麗氷華(かんれいひょうか)】」


 氷に包まれ常人であれば生きていないであろう教皇。ヘルはそこに向けて冷気の槍が放たれる。


「護れ」


 だが、それは教皇には届かなかった。命中の直前、槍は教皇の眼前で見えない壁にぶつかったかのようにして止まり、消え去る。


「逃げなさい。ウルカ」

「ぁ……ぃ……」


 ヘルの意識と言葉が一瞬だけ私に向いたのが分かった。しかし、私は動けなかった。体は震えるのみで言うことを聞かなかった。


「【大雪晶】」


 次の瞬間、魔力の弾が飛んでくる。なんの属性も持たない、魔導における宣言も行われていない、本来であれば何かを傷つけるなど到底不可能なもの。しかし、その弾は巨大な雪の結晶に衝突しヒビを入れる。


「もう出てきたの……【氷転禍】」


 無数の氷の欠片が回転し鋭く突撃する。だが、教皇には傷一つつかない。よく見れば、無色透明な防御壁が皮膚のように全身を覆っているのだ。


「硬いわね」


 ヘルは攻撃が通用しなくとも微笑みを絶やさない。落ち着いたまま教皇を見据えている。


「ふむ……」


 教皇もまた焦りはない。ヘルを見据えていたと思うと突如として無造作に大量の魔力弾が放たれる。


「【凍乱華(とうらんげ)】」


 無数の魔力弾のうち、ヘル自身と私に当たりかねないものは全て打ち払われる。そのままヘルは駆け出し教皇と距離を詰める。


「生出よ」


 それを見た教皇が何かを呟くと、その手には剣が握られていた。それも一般的な魔導により生み出される炎や氷でできたものではなく、複数の材質を組み合わせ意匠の施された剣が。


「【冠零刃】」


 瞬間、二人の武器が衝突する。その凄まじい連撃の応酬は、私にはとても分からない、目で追うこともできないようなものだ。だが、二人には余裕があるようにすら見えた。


「              」

「          」


 二人の発する異常なまでの威圧感は、私の五感を奪い去って行く。精神的な要因か、何か話しているらしい二人の声は認識できない。


「【死の指(ブライクニル)】」


 かろうじて、魔術の発生だけは分かる。頭がまともに回らない中でも放出される魔力と合わせギリギリ理解できる。


「……」


 教皇が指に触れられ凍り付く。だが、恐らく防護膜があるのでダメージは無いのだろう。だから防御が雑なのだ。近接戦の最中も体で攻撃を受け止めているのがかろうじて見えた。


「ふむ……」


 次の瞬間、教皇を包んでいた氷が砕け散る。恐らく、魔力を放出したのだ。ただ単に大量の魔力を放出する。それだけで物理的に氷を砕いて見せたのだ。


「無茶苦茶ねぇ……」


 私の傍まで退がってきたヘルの声がかろうじて聞こえた。たぶん最初に氷の薔薇に包まれた時も同じように脱出したのだろう。


「【冷明摩天楼】」


 周囲を舞い散る氷片が冷気を受け急速に成長する。氷の巨大な塔が教皇に向けて乱立する。


「護れ」


 氷の塔は全てが砕け散る。教皇の眼前で透明な壁にぶつかったようにしてその威力を発揮しない。


「建て」


 塔が建った。石や金属でできているであろう塔だ。それが、ヘルが氷でやったのと同じように、ヘルに向かって大量に伸びて行く。


「【霜薇狂咲(そうびくるいざき)】」


 放たれた塔は氷の茨に絡めとられ、成長し咲いた薔薇の花によって砕かれる。互いの攻撃が互いに届いていない。


「アダム団長、ここは危険です。一度戻ります。治療院長が待っています」

「はっ……はい」


 ある瞬間、突如として大司教が現れる。一瞬だけ教皇とヘルの戦闘を見たがすぐに視線を戻し、アダムに触れる。


「一応撃っておこうかしら……【貫麗氷華(かんれいひょうか)】」


 ヘルの元から大司教とアダムに向けて一本の槍が放たれる。だが、それは間に合わない。


「行きますよ」


 命中する寸前、二人の姿は掻き消える。転移したのだ。放たれた槍は二人のいた場所に巨大な氷の薔薇の花を咲かせ、何も傷つけることは叶わなかった。


「ふむ……直れ」


 傍観していた教皇は一言呟く。すると、砕けたはずの塔が修復を始めた。恐ろしい速度で再生していく塔は、その場にいたヘルを巻き込み潰そうとする。


「【大輪氷姫(たいりんひょうき)】」


 ヘルを中心に巨大な薔薇が花開き、修復途中の塔を内側から砕く。砕け散った塔の欠片は戦場に降り注ぎ轟音を響かせる。


「【氷輪の園】」


 空間を満たす氷片がまた形を変える。茨となり伸びてゆき壁を成し周囲を覆い尽くす。


「なるほど……」


 だが、防御膜を身に纏う教皇に対してはあまり効果は発揮しないだろう。ないよりはマシだろうが。


「【大雪晶】」


 ヘルは放たれた魔力弾を防ぐ。無造作に放たれるあの一発一発が大地に巨大なクレーターを生み出す威力を持つのだ。いくらヘルでも当たりどころが悪ければ即死するのだろう。


「……」


 ほんの一瞬間を置いて、これまで以上の大きさと濃さを持つ魔力弾が放たれる。無造作に放たれたものでは無く力を込めて作られたそれは、速度から別物であった。


「【絶対零度ノ息吹(ゼロ・ブレス)】」


 ヘルの口から、ふぅ、と軽くろうそくを消すような雰囲気で、凄まじい威力の冷気が放たれる。恐らく竜のブレスを真似たもであろうそれは、魔力弾と衝突し氷片を散らす。


「……」

「……」


 舞い散る氷片が美しくキラキラと光を乱反射し輝く中、二人の間には膠着が訪れる。互いに警戒は解かず隙は見せない。だが、余裕を崩すことも無い。睨み合う二人の放つ絶対的な雰囲気は、高まっていくばかりだった。


「ん……?」


 瞬間、呼吸が落ち着く。超越者とでも呼ぶべき二人から発される威圧感。高まり過ぎたそれは、私には感知し得ぬ領域にまで昇っていった。


「ぁ」


 視界が開けた。恐怖に絡めとられていた私の心は、その根源を認識できなくなってもう一度燃え始めた。燃えていたことを認識できた。


「っ……!!」


 立ち上がり駆け出す。魔力を練り殺意と憎悪を研ぎ澄ます。恐怖の中でも膨れ上がりあふれようとして外に出られなかったドロドロの感情は、もう留めておくには大きすぎた。


「ぅ……っ……!!」


 教皇とヘルからすれば、私は道端の石ころとさして変わらない存在だ。戦闘においてどちらの側に居ても居なくても変わらない、取るに足らない存在だ。


「【炎渦針誅】」


 故に、完全な奇襲が成立した。


「ウルカ……!?」


 【炎渦針誅】。それは、【災渦針誅】を元にした貫通力に特化した一点突破の魔術。単純に防御力の高い相手に対して選ばれる札。


「かっ……!?」


 ほんの一点、傷もつけられないほどの小さな穴だ。しかしそれでも、教皇の纏う超硬質の魔力防御を貫いて見せた。


「ウルカ……!!」


 ほんの一瞬だけ、本当に一瞬、”ゼロ秒”という表現が正しいと思えるほどの刹那、教皇に隙ができる。ヘルの表情は驚きに満ちていた気がしたが、すぐに教皇に意識を戻していた。


「【霜薇狂咲(そうびくるいざき)】」


 滞留していた冷気が茨となり教皇に迫る。隙とも呼べぬような隙だが、教皇とヘルにとっては絶大で致命的な時間となるはずだ。


「……!!」


 教皇も回避できず砕けていない防御膜を犠牲に受けるしかなかったようだ。だが、一つ問題がおきた。


「ん……ぁぇ……?」


 魔力を持つ者なら、五感の強化は魔力ですればよい。その点で言えば《強化感覚》というスキルは、あっても良いがなくても困らない。


「ぁ……ぁ……」


 だが、《強化感覚》には魔力による強化にはない利点が一つある。それは、魔力を感じる感覚、魔力を嗅ぎ分ける感覚と言った、魔力による強化のできない、天性のものによるところが大きい感覚を強化できることだ。


「ぅ……ぁ……」


 今回は、それが裏目に出た。


「ゃ……ぁ……」


 教皇の体表の膜が破れた点からは、凄まじい魔力が漏れてくる。ヘルすら上回る、怪物や化け物のような単語では形容できない、神のごとき魔力。私は再び動けなくなり、今度は呼吸すらままならない状態へと陥ってしまう。


「ぃ……ゅ……ぅ……」


 教皇が膜の修復に要した刹那。その間に、私は恐怖というものを真に理解したと思う。呼吸もままならず、口からは泡を吹き、気づかぬ間に失禁していた。


「【閇ザサレシ銀世界(ニヴルヘイム)】!!」


 気が付いた時、世界が氷に閉ざされていた。それも、初めて見た時とは比べ物にならない速度で氷が広がっていく。刹那の間にヘルは魔術を完成させていたのだ。


「巻き込んでごめんなさいね」


 地平線を越え彼方まで凍り付いて行く中、意識が暗転する前の最後の瞬間にヘルの声が聞こえた。

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