134 ヘル対アダム
「本当なの?」
「ええ。確かです」
ヘルが魔王に報告をし部屋を後にしたところで、フォルネウスはヘルを呼び止めていた。
「そう……分かったわ。でもどうしましょう」
ヘルは足を止め一瞬悩む。だが、その後すぐに結論を出したようで顔を上げ歩き出した。
「どうするおつもりで?」
「私が出るわ。これ以上魔王様の手を煩わせるわけにもいかないし、何かあれば出ると言っていたわけだし。あなたは今回は出なくていいわ」
「そうですか……まああなたが行くなら安心ですね」
魔王城の正面の門が開き始める。ゆっくりと開く門の隙間からは、いつの間にか姿を変えた覚醒状態のヘルが見える。
「アイカは別の場所に送ったわね……あそこはウルカだけね」
門が開ききると同時、ヘルが音を置き去りにして飛び立つ。残されたフォルネウスは門を閉じ自らの執務室へ戻っていく。
「……残念ね」
行き先の戦場にいる1人の私兵に思いを馳せる。だが、その思考が深まる前に眼下に戦場が見えて来る。
「……?あら……生きて……」
ヘルはその眼に捉えた戦況に驚きを隠せなかった。神聖騎士団団長を相手にウルカが生きていたのだ。
「そう……【氷宮具】【氷彫像】【麗氷界】」
降下を始めると同時に、十人ほどの氷の使用人を生み出し神聖騎士団団長にけしかける。そして自身はウルカの前に降り立ち振るわれていた剣を弾く。
「貴様ッ……!!」
「よく頑張ったわね。団長さん相手に私が来るまで生きていられたなんて……正直、予想外よ」
※
「【大雪晶】」
「ちッ……!!」
振るわれたアダムの剣は無数の雪の結晶に弾かれる。アダムは焦りや畏れはないものの苦々しい顔をしており、ヘルは微笑みを崩していない。
「あら……疲れているみたいね。ウルカの相手は大変だった?それとも元いたの戦場での疲れかしら?」
「ふんっ……」
アダムは無視して剣を振り続けるも、ヘルの言葉は間違いない。スコルとの戦闘では相応に疲弊していたし、敵ではないとはいえウルカの相手も楽では無かった。
「はッ!!」
「【凍乱華】!!」
互いの武器が何度もぶつかり合い、時折アダムの剣が砕けているのが分かる。彼の武器は刃が砕け再生成するのを前提としたものらしい。
「【死の指】」
「……ッ!!」
近接戦の最中、不意にヘルが手を伸ばし人差し指がアダムに触れんとする。瞬間、アダムは後ろに跳び退き回避する。
「ちッ……!!」
アダムは空いた距離に斬撃を飛ばし牽制するが、流石に直接切りつけるよりは威力が落ちる。ヘルにとっては大した脅威ではない。
「【氷転禍】」
無数の氷の欠片が空間を埋め尽くす。掌に握り込める程度の大きさの氷の結晶は、数千や数万ではきかない数まで増殖しそのすべてが回転しながらアダムに殺到する。
「くッ……!!」
アダムは苦い顔をしながらも迫り来る氷片を片っ端から斬り落としていく。当然この程度であれば無傷で切り抜ける実力はあるだろうが、ヘルも次撃を放っている。
「【貫麗氷華】!!」
放たれるは、一本の槍。冷気によって模られたそれは、音を置き去りにアダムに迫る。
「ちッ……なッ……!!」
アダムは刃で受けた瞬間、その異常さを感じ取る。先程再生成したばかりの刃が一撃で貫かれたのだ。
「くッ……!!」
刃を破棄し、全速力で後ろに跳ぶ。見れば、先ほどまでいた場所には人など簡単に吞み込んでしまえるほどの大輪の氷の薔薇が咲き誇っていた。
「ふざけているな……」
「あなたが言えることじゃないわ」
ほんの一瞬の、百分の一秒にも満たないであろう膠着は、永遠にも感じられた。
「ふんッ!!」
「【零刃】!!」
剣圧と冷気の斬撃が衝突する。パラパラと氷の欠片が散り、陽光を乱反射し幻想的な輝きを見せる。
「【凍乱華】!!」
「はぁッ!!」
舞い散る氷片が地面に落ちる前に二人は衝突する。目にもとまらぬ速さの光の刃と氷の刃の衝突は、名画のような美麗さを錯覚させる。
「【死の指】!!」
「同じ手は食らわんッ!!」
瞬間、ヘルの手がアダムへ伸びる。だが、アダムも一度見せた手が通じるほど弱くはない。
「ええ。知っているわ。【絶対零度】」
「ッ……!!」
しかし、ヘルもそんなことは想定済みだ。アダムが指を打ち払った瞬間、微笑みを絶やさないヘルから暴力的な冷気があふれ出す。
「くッ……!!面倒なッ……!!」
元々展開されていた極低温のフィールドに重ねがけされたさらなる氷の世界にアダムはその場に留まることさえ許されない。
「しぃッ!!」
大きく後退したアダムは剣圧を連打し牽制するが、ヘルは意に介さない。そこは、ヘルの間合いだ。
「【氷下繚乱乱咲】」
空間に満ちた冷気が舞い散る氷の結晶を肥大化させる。目に見えぬほどの大きさだった極小の氷の結晶は、手のひら大の氷の薔薇となりアダムの周囲の空間を冷気と共に埋め尽くしていく。
「このッ……!!」
触れれば凍てつく薔薇。肥大化を続けるその群れを、アダムは端から斬り裂いて行く。余裕こそ無いものの、無傷で捌いていく。
「【貫麗氷華】」
冷気の槍が放たれる。一直線にアダム吸い込まれていくそれは、音を残して死を運ぶ。
「ふッ!!」
冷気の槍は光の刃を犠牲にし切り抜ける。そのまま前に駆け出し強引な正面突破を狙う。
「【氷転禍】!!」
無数の氷の欠片がアダムに向かって殺到する。一つ一つが鋭く回転し、アダムの命を刈り取りに向かう。
「ふ……ッ!!」
だが、それは読まれていた。一度目で氷片の動きを見切り、必要最低限のみ斬り伏せて最速で肉薄する。
「いいわ……【冠零刃】!!」
「はぁッ!!」
互いの武器がぶつかり合う。再び最接近した二人は氷片と光を散らして人知を超えた速度で切り結ぶ。
「【凍乱華】!!」
「ふんッ!!」
何度も衝突を繰り返すうち、変化が見て取れるようになる。アダムが一方的に疲弊しているのだ。
「【霜薇塊】!!」
「くッ……はぁッ!!」
前の戦場、ウルカ、そしてヘルとこれで三連戦目だ。それに加え環境は人間には寒すぎる極限環境と化している。余裕の微笑みを浮かべたヘルを相手にアダムは攻め手を欠いていた。
「【死の指】!!」
「……!!」
この手を見るのは三度目だ。アダムは、この瞬間を待っていた。この魔術に勝機を見ていた。
「ふぅ……ッ!!」
当然ヘルも同じ手が通用するとは思っていなかった。アダムを動かすための一手だった。しかし、アダムの行動は予想の外にあった。
「はぁッ!!」
無理矢理一歩踏み込んだアダムはヘルの首めがけて剣を横に薙ぐ。
「【寒冷流】!!」
不意打ちに近い一手だ。しかし、ヘルはその程度では揺らがない。すぐさま冷気の流れを操り振るわれた剣を受け流す。
「ふッ……」
咄嗟にして完璧な回避だった。アダムに読まれていたことを除けば、だが。
「ぅぅうんッ!!」
剣の軌道を流されたアダムはそのまま斬り返し下から袈裟に斬り上げる。振るわれた刃は、ヘルの体を確かに捉えた。
「ごぉぽぉ……」
大きく斬られたヘルは、微笑みを崩さなかった。不気味なほどに微笑んだままどころか、笑みを深めているようにすら見えた。
「はぁッ!!」
追撃が放たれる。首や心臓に届かなかった先の一撃を越える、命に届く一撃だ。
「【凍乱華】!!」
だが、次撃はヘルには届かなかった。一瞬とも呼べぬ刹那の内に、ヘルの体の傷は完治し魔力を練った一撃がアダムに見舞われた。
「ごっ……ぐぅッ……!!」
何とか剣で受けたものの衝撃は殺しきれず大きく吹き飛ばされる。
「久しぶりねぇ……怪我したのは」
悠然と立っているのは無傷のヘルだった。《奇跡》の力だ。どんなに大きな傷も、死に至らなければヘルには無意味だ。
「化け物めッ……!!」
「誉め言葉として受け取っておくわ」
微笑むヘルはほんの少しだけ嬉しそうに見えた。
「せっかくならあなたともう少し遊んでいたいんだけれど……あまり時間も無いの。ごめんなさいね」
「……ッ!?」
傍から見ていて、ヘルのギアが一段上がったのが分かった。漏れ出る魔力と冷気がまた一段と周囲を凍えさせる。
「【冷明摩天楼】」
大地も大気も凍てつき普通の生き物は生きていられないほどだ。この戦闘でばら撒かれていた目に見えぬ極小の氷片が、冷気を受けて天を貫くほどの巨大な塔となり、アダムの命を穿とうと乱立する。
「ちッ……はぁッ!!」
だが、アダムもアダムで化け物だ。迫り来る摩天楼を何本もの刃を犠牲にしながらギリギリで捌ききる。
「【霜薇狂咲】」
必殺の一撃であっても、それだけで終わるほどヘルは甘くない。摩天楼の群れから漏れ出た冷気が茨を成し、荘厳で美麗な薔薇の花を模りながらアダムに向かって殺到する。
「くッ……!!はぁあッ!!」
万全の状態なら互角に戦うこともできたかもしれない。だが、四天王であるスコルと長く戦いウルカを下した後では、いくらアダムでもヘルの相手は務まらない。
「ちぃッ……!!」
体中に細かな切り傷が増え、そこから体に霜が降りている。絶大な運動量とそこから来る拍動と血流で体温を保っているが、一瞬止まればたちまち凍り付くだろう。
「【氷下繚乱乱咲】」
斬り、砕いてきた無数の薔薇と茨。それらが砕けた氷片が、もう一度薔薇の形を取り空間を埋め尽くしていく。透明な氷の薔薇は、触れたものを区別なく凍てつかせてゆく。
「くッ……!!」
付近の薔薇を斬り裂き後ろに跳び退いて回避する。だが、ヘルと遠く離れてしまった今アダムから手を出す手段は無いに等しい。
「【閇……!!」
瞬間、ヘルが最後の魔術を発動しようとした瞬間、魔力の塊が飛来した。気づいたヘルは回避したものの、着弾点には巨大なクレーターが出来ていた。
「教皇聖下がいらっしゃるなんて……珍しいわねぇ」
先程までよりずっと警戒度を上げたように見えるヘルは、微笑みながら魔力弾の発射された方へ目を向ける。
「……」
そこには、聖衣に身を包み、顔の前に一枚の純白の布を垂らし顔を隠した人物がいた。
「きょっ……教皇聖下……!?」
「退避せよ。大司教が迎えに来る。その後傷を癒し元の戦場に戻れ」
「はっ……はぁ!!」
教皇はアダムに指示を出すと、ヘルの方へ向けてゆっくりと歩き出す。
「“死氷”ヘル……と……」
布越しでも視線を向けられたのが分かった。得体のしれない圧力に、私は声が出せなかった。憎悪はとめどなくあふれて来る。しかし、それが外に漏れようとするとき、喉からは掠れた音しか出なかった。
「…………教皇の相手は大変そうね」
ヘルは微笑みを絶やしていなかった。絶望の具現かのような存在を前に、私と違い死を全く見ていなかった。




