133 ウルカ対アダム
聖女との戦闘からしばらく経った頃。アイカは別の戦場へと送られ、ホワイトコーク万年氷床の戦場ではウルカと一般の兵たちで陣を敷き守りを固めている状態だった。
「はぁ……」
剣を振る手を止めたウルカの口から溜息が漏れる。周囲を数羽の炎の鳥が舞っているが、もはやそれに思考のリソースは対して割かれておらず暇な現状と敵の出方へのことでいっぱいになっていた。
「もうちょっとやるか……」
戦地とはいえ暇を持て余したウルカは平時と同じようにずっと魔術と剣の訓練をしていた。流石に訓練の強度は落として緊急時に備えてはいるが。
「ウルカ様!!敵に動きが!!」
「……!!分かりました」
報告に来た兵士について外に出れば、ほぼ撤退しきり人のいなくなった敵陣の跡地に一人の人影が見える。周囲には魔王軍の兵の死体が散らばっており、その真ん中に立つ人影、神聖騎士の鎧を着た男が一人で成したと一目で分かる。
「『ユルサナイ』!!」
即座に戦闘態勢に入り覚醒状態へと移行する。魔力を瞬時に練り敵へ向けて開放する。
「【炎赤波爆】!!」
三つの極太の熱線が聖騎士に向けて放たれる。当たれば生きては帰れない超熱量の攻撃に、聖騎士は一見してゆっくりと、それでいてすさまじい速さで反応した。
「は……!?」
熱線は振るわれた剣に一瞬で斬り払われ、聖騎士に傷一つつけることは叶わない。
「ふッ……!!」
「……あッ!?」
次の瞬間、聖騎士は眼前に迫りその剣を首に向けて振るっていた。音など比べるのも烏滸がましいほどの速度で迫り振るわれた刃に、ウルカは致命傷を避けるのがギリギリだった。
「速ッ……!!【回炎鎧】【焼剣】」
呼吸と鼓動が早まっているのが分かる。絶望的な力の差が一瞬で理解できた。さっきは距離のおかげもあり首にこそ命中させなかったものの、胸を横に薙がれかなりの出血だ。鎧と剣を生成し最高速で距離を取る。
「貴様……怨嗟の魔女か。何とも幸運だな」
「お前は……」
「……ヴィスキア神聖国神聖騎士団団長、アダム。参る」
瞬間、濃密な殺気に充てられ全身から冷や汗が吹き出て震えが止まらなくなる。ヘルと相対した時に感じた力の差。それと似たようなものを、その時は無かった圧し殺されてしまいそうなほどの殺気と共に感じていた。
「ッ……!!」
幸いアダムが攻撃するより前に、殺気と絶望に呑まれた意識が現実に引き戻される。次の瞬間には首の薄皮が斬られるほどに刃が迫っていた。
「ふッ……!!」
「かッ……あぁッ……!!」
真後ろに転がってギリギリで死を回避する。反撃に転じようとすればその前に刃が迫っている。魔力を練るのに意識を割けばそれだけで死に直結するほどの速度と技術だ。壁すら作れない。
「くぅッ……!!」
転がり、転び、無様に逃げ惑う。致命に近い、偶然命に届いていないだけの傷が増え続けていく。眼前の絶望に、何もできない。
「はぁッ!!」
「あぁぐっ!!」
全ての斬撃が致命。攻撃の起こりから勘で動かなければ死んでいるほどの速さ。美しさに息を飲んでしまうほどの美麗で実直で剛健な剣技。あらゆる面で、勝ち目どころか生きて帰る目が無かった。
「あがぁっ!!」
なんとか命を繋げ続けて数秒、回避が間に合わなかった。全ての攻撃が真面に見えない。見えてはいるが処理速度も反応速度も間に合っていない。逆袈裟に斬り裂かれ後ろに吹き飛ばされる。
「聖女バーバラの仇……討たせてもらう」
地に倒れた私に向けて無表情で怒りと殺意に満ちたアダムが静かに言い放つ。その構えと剣から、死を直感した。絶望に笑いすらこぼれてしまうほどだ。でも、私を満たしたのは絶望でも諦めでも無かった。
「はっ……ナート教が……仇を……使うなよ……!!」
死を前にして怒りと憎悪がこみ上げる。口から勝手に怨嗟が漏れる。死を悟って恐怖も絶望も忘れ、震えは怒りと憎悪によるものに変わる。憎しみゆえに全身に込められすぎた力は自らの体すら傷つけ血があふれ出す。
「お前らが!!先に!!奪ったんだろうが!!」
憎悪が、魔力が、心が、激しく真っ黒に燃え上がる。限界を超えて己の心の内側で暴れまわり、食い破って己を変容させていく。
「なッ……!?」
アダムは失敗した。明らかな格下に対し余裕を見せすぎた。声をかけ、数秒の時間を与えてしまった。本来なら、アダムとウルカの実力差があれば問題の無い時間だった。だが今この瞬間、魔者は己の感情に呼応し成長した。
「【炎赤波斬】!!」
そして、私は自らの進化を自覚できた。一人の少女には身に余る、強靭で芳醇で濃密で純粋な憎悪と殺意が、私を進化させた。
「なッ……!!」
反撃を放つ。魔力を練るのは一瞬。火力と速度はこれまでの何倍にも膨れ上がり、アダムの首に迫った。
「……はぁッ!!」
だが、その攻撃も容易く弾かれる。そのまま反撃が飛来した。
「……!!」
これまでなら反応できなかった一撃。しかし、今回は違った。脳と神経と感覚器官に過剰な魔力を流して血を垂れ流しながら反応速度を無理に上昇させ、ギリギリで反応した。
「【灰烈炎刃】!!」
何かに導かれるように剣が振るわれた。反撃の一撃と正面衝突し、互いに弾かれ距離が空く。
「【炎赤波烈】!!」
何かの存在に教えられるように次にとるべき行動が分かる。魔力を一瞬で練り熱線を放つ。
「ちッ……」
魔力を練るのにかかる時間が大幅に短くなり、出力も大きく上がっている。熱線は全て斬り払われたものの、初撃への反応に比べて面倒そうにしているのが見える。
「ふッ!!」
「【炎柳燐波紋】!!」
速さも重さも魔力出力もすべてが数瞬前とは段違いだ。それに、次にとるべき行動が、剣を振るうべき道筋が、放つべき魔術が、強大な何かに導かれるようにして分かる。先程までは勘に頼って逃げ惑うしかなかった攻撃が、今なら正面から受け流せる。
「魔者め……だがッ!!」
「がぐっ……!!」
だが、それでもなお速さも技術も負けている。ほんの少し打ち合えば、その絶対的な差に圧し潰されそうになる。
「うっ……はぁっ!!」
「ふんッ!!」
アダムに傷は無い。その一方で私の傷は増え続けていく。進化したとはいえ、その背が地平線の彼方にあったところからかろうじて目視できるところまで追い縋った程度。近づいた分よりはっきりと敵の強さが感じ取れる。
「はぁッ!!」
死を感じた。魔術も剣も間に合わない。逃げることもできない。今回はさっきと違いほんの一瞬の猶予も無い。
「ぐっ……そっ……?」
瞬間、視界が弾けた。世界も自分も酷くゆっくりに感じた。
「ッ……!!」
軌跡が見えた気がした。間に合わないと思われた剣が、魔術が、導かれた軌道に乗って振るわれる。
「ぁあッ!!」
「……!?」
アダムは完全に殺ったと思ったのだろう。ほんの一瞬、驚いた顔をしていた。
「【炎赤波斬】!!」
見える。どこに剣を置けばよいか、どう魔術を放てばよいか、アダムの振るう剣にどう対処すればよいか。
「ふッ!!」
「【炎柳燐波紋】!!」
今は分かる。右手の甲に輝く五芒星、“五尖印”の神器が私を導いているのだと。
「ふんッ!!」
「【灰烈炎刃】!!」
炎と光の剣が正面衝突する。瞬間、光の剣が半ばから断たれバキリと音を立てて粉砕される。
「……!!」
好機。私も五尖印もそう捉えた。膨大な魔力を練り上げ攻撃に転じる。
「【炎赤波爆】!!」
剣と共に五つの熱線がはなたれる。剣を失い防御手段を失ったアダムに致命の攻撃が迫る。
「ふ……ッ!!」
「ぐッ……!!」
だが、それは命に届かない。熱線は再生したらしい光の刃に全て斬り払われ、剣も受けられ弾かれる。魔者として成長し、世界の見え方が変わり、使い方の分からなかった神器が覚醒し、武器の破損という隙をついてなお、互角にすらほど遠い。
「【滅炎球】!!」
「ふッ!!」
自分を中心に炎を展開し無理矢理距離を空けにかかる。だが、斬り裂けるようなもので無いはずの炎のドームが斬り裂かれ大した距離は稼げなかった。
「ちッ……!!」
だが、少しは距離がとれた遠距離の攻撃で負荷を掛けにかかる。魔力を練り上げ狙いを定める。
「【炎赤……ッ!?」
熱線をキャンセルし神器に導かれるままに最速で回避する。しかし、それでも間に合わず腕を斬られた。斬撃が飛んできたのだ。
「なッ……!!」
「ふッ……!!」
本来であれば剣の届き得ない間合いだ。何か神器や魔導を使われたようには見えない。スキルによるものの可能性はあるが、本能的に直感した。今の斬撃は、何の力も用いていないただの剣圧によるものだ。
「はぁッ!!」
「【炎柳燐波紋】!!」
腕を斬られ、隙を晒してしまう。神器のおかげで防御自体は間に合ったが、体勢は崩れ次撃への対処が間に合わない。
「くっ……ぁあっ……!!」
苦し紛れの防御は上から打ち砕かれる。死んでこそいないものの、傷は深く意識が明滅する。
「はッ!!」
次はもう、苦し紛れの防御すらできなかった。進化を重ねてなお、届かなかった。迫り来る死に、なにもできなかった。
「ぁ……」
とても、冷たかった。
「貴様ッ……!!」
「よく頑張ったわね。団長さん相手に私が来るまで生きていられたなんて……正直、予想外よ」
死んだと思った。でも、違った。目の前には、氷の武具でアダムを弾き飛ばしたヘルがいた。雪のように輝く白い長髪は毛先が薄い水色に染まっており、瞳は透き通るような水色をしている。薄い水色を基調とし白い装飾の入ったドレスを纏い、見惚れてしまうほどだ。初めて見る、覚醒状態のヘルだった。
「って……何かあったのね。あれに抗えるくらいにあなたを成長させた何かが」
ヘルは一目見て気づいたようだった。私が魔者として大きく変化していたことに。
「でも……だめ……でした……」
「少し、休んでなさい」
ヘルの手が私に触れる。瞬間、傷が全て治る。《奇跡》の力だ。ただ、勝てなかった無念も、傷が治り復活した恐怖も、消えず足枷となった。
「死氷ッ!!」
瞬間、ヘルに肉薄したアダムが剣を振るう。だが、ヘルはこともなげに正面から対処する。
「あら……もう倒してしまったの?」
どうやらヘルはここに来た瞬間に【氷彫像】をアダムにけしかけていたらしい。それを壊しきったアダムがこちらに来たのだ。
「良いわ。少し遊びましょう」
手にした【氷宮具】を悠然と構え微笑んだままアダムに向き直る。そこには、絶対強者の余裕があった。
「……斬る」
アダムもまた絶対強者だ。しかし、その表情は鋭かった。二人の絶対強者の戦いは、静かに始まった。




