1 魔女狩り
家が、店が、教会が、燃えていた。
そこら中に、かつては人だったと思われる、黒く炭化した物体が転がっている。
かつて村だったその地は、人も、物も、すべてが炎に包まれてかつての姿を失った。
ただ一つ、この場所で炭となっていないものは、ただ一人の少女だけであった。
唯一生物を保つその少女は、胸元のペンダントを握りしめていた。
※
「行ってくるよ、ネル。」
「行ってらっしゃい、ウルカ。今日もお願い。…あ、そうだ。ちょっと麓の村で食べ物買ってきてくれる?今切らしてるの忘れてた」
「そうなの?わかった、買ってくるよ。リクエストは?」
「ウルカに任せるよ。目利きとかはウルカの方が得意だし」
「そう?りょーかい。じゃあ海の魚でもあったら買ってくるよ。新鮮なの。商人さんが来てるといいなあ」
「海の魚ね。こんな山の中じゃいつもは食べれないしいいね。じゃあお願い。いつもごめんね」
「良いんだよ、そんなの。いつも苦労かけてるのこっちだしね。じゃあ、行ってくるよ。ん…」
「…そっか。いつもありがと。行ってらっしゃい。ん…」
行ってきますのキスをして家を出る。今日もいつものようにネルが薬を作るのに使う材料を採りに行くのだ。私は肩まで伸びた少し金色に近い銀色の髪を揺らして小走りで山を下っていく。
「あ、こっちの方にキノコの匂いがする」
「あ、むこうにも」
道中で薬草やらキノコやらを採りながら、一度家のある山の麓へ出る。いつも何かを買うときは麓の村の店で買い物をするので、買い物をする今日は麓まで降りてきたのだ。
「あ、ウルカ姉ちゃんだー、こんにちはー」
「こんにちはー。元気だったー?」
「あら、ウルカちゃん久しぶりねえ。今日も買い物かい?あら、そのペンダント綺麗ねえ」
「久しぶりです!そーなんですよ、お婆ちゃん。あ、掃除手伝います!ペンダント綺麗でしょー」
時々買い物に来るのと村が狭いのとがあって、ウルカは村の人々と顔見知りなのである。お婆さんの掃除を手伝ったり、村の人たちと交流しながら歩いていると、店まで結構かかってしまった。いつものことではあるのだが。
ちなみにペンダントはネルに貰ったものだ。ガラスの中に水が入っていて、その中央に宝石が浮かんでいるという珍しい形のもので、派手だが下品さは全くなく、上品に光輝いている。また不思議なことに、液体の中にあるはずの宝石は、いくら揺れても全くずれたりしないのだ。
「おじさーん、魚ある、魚。海のやつ」
店に到着し、店主のおじさんに呼びかけながらドアを開ける。
「おう、嬢ちゃん。久しぶりだな。魚、入ってるぞ。つい2日前に行商人が来てな。今回は何が入ってたか」
こっちの方に顔を挙げて返事をしたおじさんは、カウンターの椅子から立ち上がって店の奥で冷気を放っている箱をいくつか漁った。しかし、この間行商人が来ていたとはラッキーだった。いつもの周期的に来てないんじゃないかとも思っていたのだが。
「…おお、アジと、魚じゃねえがエビが入ってるぜ。どうする?」
「両方頂戴。えっと…、それと、それと、後その奥のやつ。はい、お代。あとそうだ、なんか今日村に人が少ない気がするんだけど。それになんか皆ピリピリしてない?子どもたちはそうでもないみたいだけど」
私はお金を払いながら今日村で感じた違和感について聞く。
「まいど。しかしいつも仕入れた中でも良いもんを選ぶな、嬢ちゃんは。…で、村の人間が少ねぇのと、皆気が立ってるって?よく気付いたなそんなこと。しかし、皆顔見知りとはいえ教えて良いもんか…。ほらよ。氷も一緒に入れといたぞ」
「ありがと、おじさん。私のスキルは《強化感覚》だからね。他の人より色々分かるんだよ」
買った商品を受け取りながら答える。
「そうなのか?地味だが、良いスキルじゃねえか。しかし、そういや、俺も村の奴らも嬢ちゃん自身のことは名前ぐらいしか知らねぇな。そんなスキルだったとは。いつも野菜やら肉やら魚やら良いもんを見抜くのも、村の奴らの悩みやら困りごとにいつも気付いて助けてるのも、そいつのおかげか?」
「そうなんだよ。細かい変化でも目に付くんだ。それに気付いたら放っておけないし、いつも首突っ込んじゃうんだ。今回も私に何かできるなら手伝うよ」
私は少し笑いながら言う。ちなみに、スキルとは、人類種が満10歳になった瞬間に授かる特殊能力のようなもので、授かった瞬間に名前や使い方を本能的に理解して使えるようになる。私の《強化感覚》は、一言でいえば五感が鋭くなる、というものだ。また、スキルは魔力を持たない人類種が魔物や魔族に抗う数少ない手段の一つでもある。
「はははっ、まあ皆助かってるし首突っ込んでくれるのはむしろありがてえよ。…そうだな、いつも助かってるし教えてやっても良い。が、今回は嬢ちゃんには何も出来そうもねえ。どうする?それでも聞くってんなら何があったか教えてやるよ」
「うーん…うん。教えてよ。何にも出来ないかもしれないけど、知らないままなのも気持ち悪いし。それに少しくらい何か出来るかもしれないしね」
そう聞くと、おじさんは少し笑って話しはじめた。なにかあるって聞いて中身が分かんないのは気持ち悪いし、教えてくれるのはありがたい。
「そうか。わかった。なら教えてやる。さっき行商人が来たっていったろ?そん時にな、ナート教の聖騎士様が一緒に来て、この辺に魔女がいて討伐しなきゃいけねえって言うんだ。魔女狩りだってよ。んで、1日休んで、村の若い衆つれて討伐に向かったんだよ。それが嬢ちゃんがここに来た数時間前ってとこだな」
「へえ。そうなんだね。魔女狩りかあ。それはたしかに私じゃ何もできないね。無理に聞いちゃってごめんね、おじさん」
「別にいいぜ。こっちもよく助けられてるしな」
おじさんは笑顔で返してくれた。しかし魔女狩りとは。この村は自分の家にも近いし、この辺に魔女がいるとは怖いものだ。聖騎士が来たと言うなら安心だろうが。
「ねえ、おじさん、ついでにもう一個聞いていい?」
私は今気になった新しい疑問をおじさんにぶつける。
「なんでその聖騎士様は村の若い人たちを連れて行ったの?別に冒険者でもないし戦えないんじゃない?」
「ああ、それか。なんでも、魔女のいる場所が正確には分かって無いらしくてな。人海戦術で探すからって、元気で土地勘のある野郎どもを連れてったのよ」
「なるほどねえ。あ、じゃあその出発の時に私がいれば少しは役に立てたかもなあ。スキルもあるし、物探しとかは得意だしね」
《強化感覚》のおかげで物探しは得意なのだ。魔女の住処も見つけられたかもしれない。しかし、その聖騎士は戦えない人を連れて行って大丈夫なのだろうか?まあ守り切れるぐらい強いのか。
「ははっ、そいつは心強いが、お前さんみたいなか弱い少女が行くもんじゃねぇよ。実際に嬢ちゃんがその時に居ても大人が止めたさ」
「そう?まあいっか。終わったことだからね。おじさん、ありがとね」
「おう、まいど。またな」
そう言って店を後にする。氷が一緒に入っているとはいえ、魚が悪くなるといけないので、帰りは村の人たちの手伝いはしなかった。
帰りがけに薬草も採るのに遠回りしなくてはならないし、少し急いで山の方へ出た。薬草やキノコを採っていると、もうあたりは暗くなっていた。
「クマとかでそうだなあ。足跡とかも無いし大丈夫だと思うけど…あ、家見えてきた。やっと帰れるよ」
しかし、様子がおかしい。もう真っ暗になってくる時間帯なのに家に明かりが点いていないのだ。普段ならこの時間はネルは薬を作っているはずで、明かりが灯っていないとおかしいのだ。
不安になって駆け出した。
自分でも何故駆け出すほどに不安になったのか分からない。だが、スキルで強化された感覚が、いつもと違う雰囲気を、小さくとも明らかな違和感を感じ取り、強い不安を伝えてくる。
しかし、本当ならただ明かりが点いていないだけの話で済むはずだ。ここまでどうしようもなく不安に駆られることも無いはずだ。いや、もしかしたら周りが真っ暗なせいかもしれない。
なにも無いに決まってる。あるはずがない。きっとネルは昼寝でもして長くなってしまったのだろうと自分に言い聞かせた。
しかし、家の前につくと、不安は不安でなくなり、恐怖と混乱に変わる。ドアが蹴破られていたのだ。
呼吸が大きく乱れ始める。
「ネル!ネル!返事して!ネル!」
呼びかけるが返事は無い。いや、大丈夫だ。きっと寝ているだけだ。
いつもネルが薬を作っている部屋に入る。ドアは開け放してあった。
「ネル!ネル!?どうしたの!?ねえ!ネル返事してよっっっ!」
ネルは床に倒れていた。心臓の位置に大きな傷があり、そこから血を流していた跡がある。しかし、もう、血が流れ出るのすら止まっていた。
ネルが、死んでいた。
「なんで?ネル起きてよ。いつもみたいにお帰りなさいって言ってよ。ねえ、お願いだよ。ネル、返事してよ。一人にしないでよ。ねえ、ネル、なんでぇ…」
もう感情がぐっちゃぐちゃで、涙が止まらなくて、現実が分からなくなって、もう話す言葉は言葉になっていなかった。
「なんで?なんで?ネルがこんな目にあうの?分かんないよ。ねえ、ネルは、なにか悪いことしたの?それとも私が何かしたの?ねえ、わけがわからないよ。ねえ、なんで?」
ほんの少しだけ残っていた冷静な思考と《強化感覚》が、無情に情報を伝える。ネルの胸に刻まれた傷が、何によるものか判別できた。それは魔物や猛獣の爪や牙では無い。剣によるものだ。人が作り、人が振るう、剣。スキルで強化された五感は、ネルは人に殺されたと告げていた。
この辺りに野盗の類は出ない。うまみがないのだ。なら愉快犯?いや、もしそうなら街道から遠い上に人がいるとも限らないこんな山奥にはこない。最初に村に行くはずだ。じゃあネルはどこの誰に殺されたのか。
「け、ん?なんで?………あ゛」
「この辺に魔女がいて討伐しなきゃいけねえって言うんだ。魔女狩りだってよ」
今日の昼間に聞いた言葉が頭の中で繰り返される。
ネルの亡骸の横に、ナート教の祈りの痕跡が残されていた。ナート教では、生命を絶つときに祈りをささげる。魔物も、魔族も、魔女も、敵ではあれど生命でもあると言って、戦争の時も戦いの前後に祈りをささげたらしい。その祈りの痕跡が、そこにはあった。特殊な技術を持ってなされる偽造不能のその印は、ナート教会の者がやったと断定するには十分だった。
「また、なの?」
まじょ?ねるがまじょ?そんなはずないよ。だってそんなわけないじゃん。わるいまじゅつなんかつかってないよ。どうして?やまおくにすんでただけじゃん。あやしいぎしきとか、なにもしてないじゃん。なんでねるはころされなきゃいけなかったの?わかんないよ。わたしだってまじょみたいなことなんてしてないよ。きょうかいはなんでねるのことをまじょだとおもったの?おかしいよ。なんのりゆうもないじゃん。なんでねるをころしたの?ねえおかしいじゃん。りふじんにねるのじんせいはおわったの?ねるがつかむはずだったしあわせも、くろうも、なにもかもなくなったの?なんで?なんでわたしからいちばんだいじなものをうばうの?ねるがいなくならなきゃいけないりゆうなんてないでしょ?ねえ、なんで?ねえ?なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで
景色が歪んでいく。
思考が壊れていく。
自分が分からなくなっていく。
ああ、ネル…
バキンッ
何かが壊れる音が鳴った。