添削動画でのコメントについて思うこと
最近、イラストについていろんな人の動画を見る。個人的にハマっているのが、「絵葉ましろ」さん。
解説はかなり知的で内容自体は理論派なのが、それを感じさせない、ゆるくて可愛くて、フワフワした雰囲気が好きだ。植物好き、自然へのリスペクトも伝わってきて好感がもてる。
――は、ともかくとして、だ(絵葉ましろさんのことはおいておく)。
添削系の動画で、たまに、「ん?その表現は一歩間違えると添削依頼者を不必要に傷つけるぞ?」と感じてしまう言い方や言い回しが気になることがある。
ほんとうはそういう動画を配信されるかたの、感想欄に書き込むほうが伝わるかもしれないが、それをやっちゃうと、それもまた配信者へのただのお節介、批判になりかねないのでやめている。
堀田はディスりたいわけじゃない。
同じ内容を伝える場合でも、言い方をちょっと工夫するだけで、聞き手の印象は大きくかわるしダメージが抑えられるのだ。
添削動画を配信する人だって、添削対象者を凹ませたいわけじゃないはずだ。以下の2点をおさえるだけで印象は大きくかわるはずなのにな、と思わずにいられない。
1 問題点を問題点としてとりあげることなく、できるだけ肯定的な表現で伝える話法を使う。
「ここが気になります」
「ここがちょっと……」
↓
「ここをもっとこうしても良いかもしれません」
「表現としてだめというわけではないけれど、こういうやり方もあると思います」
などだ。曖昧で煮えきらないように感じるかもしれない。そう、これは、仕事で上司などものすごく気を遣う相手に心証をできるだけ損ねないように気を遣いつつも進言するときのような言い回しに近い。
なぜ、添削希望をする相手にそこまでへりくだらなければならないのか、と、思うのかもしれない。
でも、だ。
そのほうが、添削動画配信者にとってもイメージアップに繋がるし、不必要に傷つけないほうがお互いのメリットに繋がるのだから、やったほうがいいと堀田は思う。
肯定的な表現は、煮えきれない印象を与えるだろう。
だが、問題を問題として指摘しないと伝わらないんだよ、ハッキリ言わなきゃ分からないだろう?というのは、多くの場合、指摘する側の思いこみではないだろうか。
少なくとも添削動画を見るような視聴者層は、もともと「どう変えたら良いんだろう?」と問題意識を持って、食い入るように見ている場合が多いはずだから余計に、問題点の明確化は最低限でじゅうぶんだ。
「ここをこう変えてもいいかもしれない」というさわり程度でもちゃんと伝わっている。あとは結果を見せてやれば、説明などしなくても相手はちゃんと分かるはずだ。
2 ここがちょっとな、と感じている部分は一度口にすれば良い。
やっぱりここが、と……まるで、ひとりごとのように、何度も口にしている配信者を複数見たことがある。気持ちは分かる。が、独り言のような呟きは、「ポジティブな内容」なら、気にすることはないと思う。堀田は個人的には、ひとりごと大歓迎だ(なお、絵葉ましろさんのひとりごとは面白くて好きだ。人畜無害だし)。
気を付けてほしいのは、添削対象者の「問題点」を、何度も繰り返さないということだ。つまり、ひとりごとはポジティブな内容なら味になることもあるがネガティブな内容は劇薬だと言っている。
悪気がないのは分かる。むしろ自然な反応としてはそうなるのが普通だろう。
でも、見ている側は、添削される相手の心境を想像して、けっこうハラハラする。
演出は大事だ。
相手の良いところを誉めようとすることも大事。でもそれをしたらそれでじゅうぶんということもない。良い雰囲気の動画にしたいなら、最後まで気を抜かず、いたほうが、
配信者にとっても利益に繋がるはずなのになと思う。
キツい言い方をする人が悪い人だとかそういうことは考えていない。毒舌だけど根は悪くないんだろうなと感じるVTuberもいる。
厳しいことも言うのが親切だと言う気持ちもあるのかもしれない。
わかる が、それでも、むやみに人を傷つけないようにしたほうがお互いの利益になることはたぶん事実だ。特に添削は、明確に相手がいる。
一歩間違えば(配信者にそんなつもりはなくても)公開処刑に近くなることを意識し続けてほしいと願う。
いや、堀田くらい図太くて、相応に打たれてきたそこそこの歳のやつはけっこう大丈夫だけどさ。多くは堀田の半分くらいの若いかただと思うから。
ほんとうは書き込むのがいちばんだろう。だがそれをやることで、相手を傷つける気がするし、堀田もむやみに人と敵対したいわけではないのでやめている。
どうにかして伝える方法はないかなぁ。
動画に限らず小説感想も似たようなことは言えると思うのだが。