正義のための判決
入所者のお年寄りがおやつのドーナツをつまみ食いし、喉に詰まらせ、窒息した。
刑事事件として裁かれ、担当看護師を有罪とした。
この判決により、高齢者からなる市民団体は歓喜した。
「裁判所が証明してくれた!看護師は殺人犯である!若者は、我々高齢者を労われ!敬え!」
障碍者施設から脱走した入所者が、店先に置かれていたケーキを食べ、のどに詰まらせ死亡した。
これも刑事事件として裁かれ、担当職員を有罪とした。
この判決により、障碍者を家族に持つ団体は歓喜した。
「裁判所が証明してくれた!担当職員は殺人犯である!健常者連中は、障碍者たちに優しい社会を築き上げろ!もっと理解をしろ!」
裁判官は様々な団体から支持され、熱狂とともに担ぎ上げられた。
様々なメディアに紹介され、正義の裁判官として一躍有名となったのである。
この裁判官こそが、真に弱者を理解し、正しい判断を下せる人物であると---
数年後、「弱者」たちは路頭に迷い始めた。
介護士が圧倒的に不足し、一部の金持ちしか施設に入居が出来なくなった。
ただ、入居できたものも幸せではない。
食事はすべて流動食。
施設の外には出られぬよう、何重もの柵が張り巡らされている。
まともな待遇を要求しても、過去の判例を持ち出され、「真に正しい待遇」について延々と教え込まされる。
施設に入れなかった者たちは家族が面倒を見ることになるが、どこの家も「弱者」の存在により疲弊しつつある。
そんな中、裁判が行われた。
痴呆老人が家から抜け出して徘徊し、そのまま線路に侵入した。電車が遅延したため、鉄道会社から家族が訴えられたのだ。
裁判官は、家族を監督者不行き届きとして有罪とした。
別の裁判も行われた。
痴呆老人が家から出ていかないようにと、部屋に閉じ込めていた家族が、支援団体から訴えられた。
裁判官は、監禁罪で家族を有罪とした。
そして、弱者たちを介護する家族たちの多くが逃げだし、残された弱者は路頭に迷い始めた。
この事態に政治がついに動き、弱者たちは一か所に集められ、管理されるようになった。
安全第一をスローガンに、厳重な掘りの中で、流動食だけを与えられる生活。
ケガをする可能性のある、鉛筆やハサミなど、少しでも尖っているものはもちろん、誤飲防止のため、口に入る大きさのものもすべて没収された。
電磁波は体に悪いため、電話もTVもない。
柵に囲まれた何もない部屋で、運動のための強制的に歩かされる。
そんな社会でも、年老いた親とともに暮らす家族も珍しくはない。
共通していたのは、どの家庭でも、正義の判断を他人に委ねてはいなかった。