第4話 飢えたモノ
その日、イーグル王国辺境都市アイルズベルグ冒険者組合所属のD級剣士、フィデリオ・ユンカーは人生最大の誤算を目の前にしていた。
アイルズベルグ大通り沿いにある瀟洒な作りをしたカフェの中、テーブルについているフィデリオと、一人の美少女。
それだけならば、普通のカップルか何かのように見えなくもない。
しかし、問題は、テーブルの上に山と重なった皿の量であった。
大量に重ねられ、グラグラと揺れつつ、今にも崩れそうなほどの数の皿の数に、フィデリオの視界の方がグラグラと揺れはじめている。
しかも、これは初めからずっと重ねられてこうなっているのではない。
定期的に店員がやってきて片づけ、回収しているにも関わらず、こうなっているのだ。
すべての皿は、この店の甘味の数々が載せられていたものである。
そして、載っていたそれらすべてをこともなげに片づけたのは、見るからに食欲の有り余ってそうな鍛え上げられた肉体を持つ大柄な青年フィデリオではなく、彼の目の前にいる華奢な少女の方であった。
「これは中々おいひぃわね! もう一皿行くことにしましょう……ちょっと、お姉さん! これ、もう一皿持ってきて! あ、こっちも!」
少女はあまりの食べっぷりに顔を青くしている店員にそう告げて再度、皿の上に載っかった菓子類の処理に戻る。
フィデリオは数秒の間、ぼんやりとそのやり取りを見ていたが、そのあと慌てて、
「お、おいっ! そろそろ……! そろそろ頼むから勘弁してくれ……流石にこれ以上は俺の財布がやばい!」
と懇願するような声で言った。
しかし少女の方はそれを聞いて、極めて不思議そうな顔つきで、
「……? でも、これって“デート”ってやつじゃないの? “デート”って、男の方が女の方に望むだけ、奢ってくれるって聞いたんだけど……?」
と、“デート”というものに対する酷く間違った見解を述べる。
いや、もしかしたら間違ってはいないのかもしれない。
しかし、本来そこには少女の言っているよりかはもう少し、細かな感情の機微が関わっていて、通常、よほど相手を破滅させてやりたいという歪んだ欲望を抱えていない限りは、女の方も男の懐具合を見て適度なところで調整したりしてくれるものだ。
けれど、少女の食欲にはそう言った遠慮などまるで存在しそうもない。
したがって、ここで止めなければフィデリオの財布がすっからかんになり、今日泊まる宿代も払えなくなり、さらにはここでの支払いも危険になって、皿洗いをしばらくただですることになりかねない。
それに、まだ、それだけで済むならそれでいい。
場合によっては、店主の虫の居所が悪ければ即座に治安騎士に突き出されて牢獄行きだろう。
冒険者として、初心者から抜け出し、最近そこそこやれるようになってきたと周囲からみなされ始めているフィデリオが、まさかそんな扱いを今更されるのは色々と沽券にかかわる。
何が何でも、この辺りでストップしてもらう必要があった。
とはいえ、この少女の食欲はまさに底なしである。
フィデリオがちょっと止めたくらいでは従わない可能性もあった。
ここで、フィデリオが少女の正体を知っていれば、直接文句など言うことが出来ず、絶望のゆえに神に祈ったかもしれない。
けれど、幸い、フィデリオはそれを知らなかった。
だから、フィデリオは言えた。
「それは……そうなんだが! でも、財布の中身だって有限だろ!? 俺はまだそこまで稼げなくてさ……これくらいで限界なんだ! 頼む! お願いだっ!」
台詞もシチュエーションも、ひどく情けないものであった。
なにせ、女に奢ると言ってカフェに連れてきておいて、その食欲に敗北し、これ以上は払えないからやめろと言っているのだから。
周囲の、他のテーブルについている女性陣の視線もどこか冷たい。
けれど、それもフィデリオとリリスのテーブルに載っている皿の数を見るまでの話だ。
大抵の者はそれで納得し、自分の食事に戻るので、フィデリオを情けないと心から思う人間はどうやら生まれなさそうだった。
なにせ、甘いもの、砂糖やはちみつを使った菓子類は恐ろしく値が張る。
本来であれば、フィデリオのような若造に支払えるような額ではない。
ただ、フィデリオの職業が命を掛け金とする高給取りの冒険者で、ついこの間、割のいい依頼を片づけられたから何とかなりそうなだけだ。
これ以上無理、という言い分にはかなりの理があるのだった。
そして、少女はフィデリオの言葉に少し悩み、それからふぅ、とため息を吐いてから、仕方なさそうな様子で、
「……そうねぇ。そこまで言うならもうやめようかしら……。ライも言ってたものね。お菓子類はすごく高いって。私、自分で買ったことなかったから知らなかったけど、きっとそうなのよね……ごめんなさい。私、そういうの、知らなかったから、気にしないでいっぱいたべちゃった……」
と、最後には頭を下げた。
先ほどまで好き勝手に注文を続けていたとは思えないほど、素直かつ謙虚なその様子にフィデリオは驚く。
てっきり、すべて分かっていて自分の懐に負担をかけて体よく振ってやろう、という少しばかり意地の悪いタイプなのかと考え始めていたが、むしろ全くの逆だったのかもしれない。
少女がぶつぶつと言った独り言からも、そんな気がする。
菓子があれほど好きなのに、“自分で買ったことがない”とか、誰かにその値段を高いと教えられたような記憶があるとか、そんなことを言っているのだ。
つまり、この少女は、食べたいものを自分で買わずとも、目の前に出てくるような身分であるということである。
それは、生粋のお嬢様、という奴以外には中々いない。
しかし、そう考えると、確かに納得はいった。
フィデリオのナンパに疑問も抱かずに素直についてくるところや、この容姿の美しさ、身に付けているものの仕立ての良さ、それにこの店での振る舞い。
すべてがその推測を肯定している。
もしかしたら、自分はついているのかもしれない。
こんな素晴らしい女性とお近づきになれるチャンスなどあまりない。
フィデリオは今はしがない冒険者に過ぎないが、徐々に出世して、A級にまで階級を上げれば、貴族の位をもらうことも夢ではないのだ。
そうなれば、このようなお嬢様とも釣り合うようになれる。
それまでは、適度に仲を深めていって、それから……。
と、フィデリオの妄想が膨らんだところで、少女がはっとした顔し、
「……!? ごめん。私、行かなきゃ! おごってくれてありがとう!」
そう言ってガタリと椅子から立ち上がり、そのまま店を出て行ってしまった。
フィデリオも止めようと立ち上がり、彼女を追いかけようとしたが、その前に店長と思しきコック服を身に纏った、フィデリオよりも巨体の大男が立ちはだかり、そして、
「お客様。まず、お支払いの方を」
そう言って、フィデリオに請求書を差し出す。
そこに書かれている数字は、フィデリオの予想よりも二割増しで高く、フィデリオは今日の宿が野宿になることを瞬間的に覚悟したのだった。