第2話 信用のない従魔師
「まったく……ライってば従魔の気持ちってものをまったくわかってないんだからっ!」
ぶつぶつとそう呟きながら、街中を歩いているのは、初心者従魔師ライの従魔であるリリスである。
彼女の銀色の髪は今、陽光を反射して、きらきらと輝いていた。
肌は白く、瞳は血のように赤い。
通常の美的感覚を持っていれば、一目で美少女と断じるような、そんな容姿をしている。
実際、街中を歩く彼女に見とれる男たちの数は少なくなかった。
女性ですら、ぽかんとした顔で彼女を見つめ、そして数秒経ってから隣で同じように見とれている連れの二の腕をつねったりしている。
それくらいに、現実離れした容貌なのだ。
当のリリスはと言えば、そんな人々の視線などまったく気にしていない。
というか、そんな視線を向けられたことなど生まれてこの方記憶になく、気にしようがなかったというのが正確なところだ。
なにせ、彼女は魔王である。
人里に出たのは実は、これが初めてだったりする。
リリスは昨日、ライと従魔契約をしたばかりで、しかも街に帰ってきたのは日が落ちてからだったから、街人たちも彼女の美貌に気づかなかったのだ。
しかし、太陽の下で改めてみてみると、彼女の美しさが普通とは違っていることが分かる。
人の持てるものではない、視線を捉えて離さない妖しげな魅力が感じられるのだ。
そんな彼女が一人きりで歩いているのである。
ある程度の年齢の男が、彼女に話しかけよう、と思わないわけがなく、リリスのところに若い男が寄って来た。
「よう、そこの姉ちゃん。今、一人か?」
どことなく、堅気ではないような雰囲気の、大柄の男だった。
腰には剣を帯びており、身に付けているのは動きやすさを重視した、革製の鎧である。
おそらくは冒険者であろう、と誰もが判断する格好で、リリスもそのように判断した。
「ええ、まぁね。ちょっと連れと喧嘩してしちゃったのよ。全く、あいつったらとんでもないわ!」
そんな風に語るリリスに、男は少し同情的な視線を向け、それから優しく笑いかけて、
「そりゃ、災難だったな……ちょうどいい、今、暇か? 少しそこらで茶でも飲まないか?」
と至極自然な様子でリリスを近くのカフェに誘った。
リリスが男が親指をさしている方向を見れば、そこには明るい雰囲気のカフェがあった。
リリスは少し考える。
こんな風に街中で話しかけれることを確か、ナンパ、と言ったかしら。
ちょうどいい異性を見つけた時に、人間の男がアプローチする方法だったわよね。
確か、そういうときは、お店なんかに行って、食べ物とかを奢ってくれると聞いたわ。
食べて物を奢ってくれる?
あそこにあるのはカフェよね?
……あら、あのお客、ケーキを食べているわ。
あっちのお客も。
ココアを飲んでいるわ!
もしかして、この男はあれらを私に奢ってくれるというの?
だとすれば……だとすれば!
「もちろん、構わないわ! あなたの奢りということでいいのよね?」
「え、あ、あぁ。まぁ、男の甲斐性だし……」
男も、ナンパ慣れしているというか、こんなに簡単に誘いに乗ってくれるとは予想外だったようで、すこし面食らった顔をしていたが、しかしそう言われて否と言うことは男の沽券に係わると思ったようである。
おごって、と言ったリリスの言葉に二つ返事で頷き、二人はそのままカフェに向かうことになった。
男にとって不幸だったのは、リリスがどれだけ、甘いものに飢えているのかということをまるで知らなかったことだろう。
二人はお互いの思惑を胸の内に秘め、カフェの扉の中に入っていったのだった。
◆◇◆◇◆
「おう、ライ。今日も元気そうじゃな? 従魔は捕まったのかの?」
冒険者組合の建物に入って来た少年に向けてそう話しかけたのは、ハルマーフ・ジャジン、という老従魔師だった。
簡素な衣服を身に纏い、髪も髭もきれいに剃られたその容姿は、その辺の老人にしか見えない。
しかし、そんな見た目とは正反対に、彼はこの街の従魔師組合の組合長をしているほどの人物で、その従魔師としての功績も数多く、沢山の人から尊敬を受けている立派な従魔師である。
そんな彼が初級従魔師でしかないライに話しかけたのはいくつか理由があった。
まず、初級従魔師であるということが一番で、ハルマーフは初級従魔師たちには早く、組合に馴染んでもらいたい、というのが一つ。
次に、ライの師にあたる人物とハルマーフが親しい間柄で、この街においてのライの世話一般を頼まれているというのが一つ。
そして最後の一つが、今、ある依頼について受注してくれる従魔師を求めているから、というのがあった。
ハルマーフの言葉にライはちらりと目を向け、微妙な顔で、
「……なんだ、誰かと思えば爺さんか」
と言った。
ハルマーフはその言葉に多少のイラつきを感じ、その理由を言い当てる。
「爺で悪かったのう。それにしても、そんなにイライラするでないぞ。そんなことではいい依頼は回ってこんし、仮に受注できてもいい仕事は出来ん」
「だから、普段から誠実に礼儀正しく振る舞えってか? もう聞き飽きたぜ。会うたびに言うんだもんなぁ」
ハルマーフの言葉に、ライは呆れたような口調でそう返すも、別にそこまでいやそうではない。
それも当然だ。
ライも、ハルマーフを信頼する人間の一人だからだ。
この街に拠点を移すにあたって、師からハルマーフを紹介されたライは、彼から従魔師としての技能と心得を学んだ。
それは今でもライの中に生きていて、だからこそ、ライはハルマーフに深い感謝と尊敬の念を抱いている。
しかし、そうはいっても、毎回小言を言われれば、なんとなく対応は邪険になってしまうものだ。
それも、昨日までライが置かれていた立場からくる、ストレスがライの心を荒ませていたのだ。
「大事なことじゃぞ。ライ。じゃから、諦めずに頑張るんじゃ。お主とて、そのうち自分の従魔を必ず従えられるはず……」
ハルマーフがそう言って、ライの肩に手を置いた。
そう、ライは昨日まで、従魔を持たない従魔師だった。
何が悪いのか、まったくわからなかったが、どれだけ努力しても、従魔はライに懐かなかったのだ。
正確な魔法陣を描き、正しい魔力量を注ぎ、精密に魔力を制御して、従魔に対して対価として与える供物についても深く研究し最適なものを選んで、何度も従魔との契約に挑んだ。
にもかかわらず、野生の魔物たちはライとは契約を結ぼうとはしなかったのだ。
途中まではうまくいく。
それなのに、ライと従魔の間に魔力による繋がりを築くという最終工程になると、どんな魔物との契約でも失敗してしまうのだった。
従魔師にとって、従魔というのは生命線であり、実力の証明である。
したがって、従魔のいない、契約のできない従魔師というのは、無能の証であった。
ライは昨日まで、周囲からそう見られ、冒険者組合で話しかけられればひたすらに無能呼ばわりされてきたのだ。
それが、ハルマーフの声掛けに対して余計に邪険にしてしまった理由であり、ライのイラついた表情の理由であった。
しかし、ライはハルマーフの激励に少し笑って、
「爺さん、聞いて驚くなよ。俺は……従魔を手に入れたぞ!」
そう言ったので、ハルマーフは目を見開き、ライにその言葉の詳細を尋ねたのだった。