令和のオープニングに祝福を
中谷が本田を追いかけてたどり着いたのは、遺族らに待機してもらっているリビングの扉の前だった。
本田は、躊躇することなく勢いのままに扉を開け放ち、中へ進んでいった。開けられた窓からまだひんやりとする空気が吹きぬけた。
待機していた者たちは驚いて顔を上げる。
その視線を意に介さず、本田は少し芝居がかったように話し出した。
「みなさん、御揃いのようですね。少し、お時間の方を――――」
しかし、すっと右手が上がったので、言葉を止めて発言を促した。
「申し訳ありませんが、お話の前に。妹が、眠ってしまったんです。きっと、泣き疲れたんでしょう。それに、もうこんな時間ですから、弟と共に部屋へ送ってあげていただけませんか?」
「姉さん……!」
ソファーに大人しく座っていた少年は抗議するように立ち上がる。
しかし、姉の微笑みに勝てないことを悟ったのか、チェック柄のハンカチを握りしめたまま姉の膝で眠ってしまった妹を抱き上げると、後ろ髪を引かれるようにしながらも、彼はその場にいた警察官と共にリビングを去った。
優しい微笑み。
本田は、それを準備完了の合図と受け取った。
「“現実は小説より奇なり”とは、よく言ったものです。
これから、鈴美夜彰治氏の死の真相について、少々、私の見解を聞いていただければ、と存じ上げます」
本田の言葉に、その場にいる容疑者候補の三人――長男の正治、長女の和花、担当編集者の佐々木――は、それぞれ反応した。
「まあ……」
「犯人が、分かったんですか?」
「だ、誰が先生を……!」
「落ち着いてください。順を追って説明させていただきます。まず、中谷さん。現状の説明を」
中谷は、焦って手帳を開いた。
「は、はい……! す、鈴美夜彰治氏は、執筆中に背後から首筋をアイスピックのような凶器で刺されて亡くなっていました。傷口からは、刃こぼれと思われる金属片も見つかっており、凶器は目下捜索中です。死亡推定時刻は、先ほど、皆さんにその間のアリバイをお伺いした通り、二十一時から二十二時の間です。また、家の防犯は完璧で、外部犯の可能性は限りなく低いと思われます……です」
本田は、ありがとう、と言うと右手の人差し指を立ててこう言った。
「彼の話の中で、事実とは異なることがあったのですが、わかりますか?」
「そ、そんな……! どこが違うんですか!?」
「落ち着いて。君の過失じゃないよ。だからこそ、真実へ近づけずにいたんだ」
「ど、どういうことですか?」
中谷は本田の言っている意味が分からなかった。そして、次の言葉で混乱は加速した。
「彰治氏は、刺殺ではありません。拳銃で殺されたんです」
本田の言葉に誰も反応しない。その場にいた皆が、思考が停止しているようだった。
しかし、本田はそのまま続けた。
「使用された口径が小さすぎたこと、回転や速度があまり加えられなかったことによって、体内に弾丸が残ったんです。傷口から採取された金属片が銃弾でしょうね。だから、犯人は返り血をほとんど浴びなかったし、太い血管が行き交う首を傷つけられたにしては被害者の出血量が少なかったんです」
そこで、ようやく本田の言葉を理解し終えた佐々木が叫ぶように言った。
「あ、あの……刑事さん、待って下さい! ここは日本ですよ!? そんな簡単に拳銃が手に入るわけが」
「それに、凶器は見つかったんですか?」
立て続けに正治が質問した。
しかし、本田は、焦らずに話を続ける。
「拳銃に必要なのは、筒状の加速をつけるための装置、火薬、引き金の三つ。使用されたのは、犯人の自作か改造拳銃あたりでしょう。被害者の書斎には、描写をリアルにするためか、様々な専門書が所狭しにありました。その中に、拳銃についての本もいくつかありました。
おっしゃる通り、本物の拳銃はそう簡単に入手できないでしょう。しかし、被害者の外傷から考え、弾丸に加えられた加速は大きくないので、筒の長さは長くなくていいし、筒は細くてもいい。火薬も少量で結構。なので、自作にしろ改造にしろ、それなりに強度のある他のもので代用できます」
「せ、先輩! そんなこと、可能なんですか!?」
「歴史的には、可能さ。四十年前には、口紅程の大きさで拳銃を作成する技術があったからな。
そうなりますと、どのようなものが代用されたのか想像つきませんか? 例えば、万年筆とか……」
視線を集めた和花は優しく微笑むと、カーディガンの胸ポケットから万年筆を手に取った。
「見ての通り、普通の万年筆ですわ」
「本当に、そうでしょうか?」
本田の挑戦的な言葉に、和花は表情を崩さず質問を返した。
「刑事さん、お言葉ですが……私が父を殺したという証拠があるんですか? これでは、立派な名誉毀損。確定的な証拠が無ければ、法廷に持ち込みますよ?」
「失念していました。法学部の学生さんでしたね。ご安心ください。証拠は、あなたが持っていますから」
「まあ。刑事さんがそんな戯れ言をのたまうのは、フィクションの世界だけだと思っておりましたわ。それなら、どうぞ。好きなだけお調べください」
そう言って和花は手にしていた万年筆を差し出す。
「いいえ。それよりも、あなたの右足の靴を調べさせていただきたい」
本田と和花だけ、時間が止まった。他の者たちは、二人の様子を黙って見守っている。
しばしの沈黙の後、本田はそっと口角を上げた。
「ところで、その手のやけど。本当に料理中のものだったのでしょうか?」
「何を、おっしゃっているんです?」
「拳銃は、火薬を爆発させて弾丸に加速をつけるんです。そのため、発砲後に本体は、特に射出口付近は非常に高温になります。
彰治氏殺害後、執筆部屋の窓を開け放ち、部屋を荒らしたあなたは、誰かが被害者を発見するまでの間、お兄さんや佐々木さんと何食わぬ顔で過ごしていた。つまり、事件後、あなたは凶器を隠す時間を十分に確保できなかった。いえ、それは承知の上でこのような事件を仕組んだんです。
事実、凶器の正体にも行方にも、頭を抱えさせられましたよ」
そう言うと、本田は和花を見つめたままゆっくりと歩み寄っていく。和花は、目をそらさない。
「あなたは、彰治氏殺害前後でその万年筆の中を自作の拳銃と本来のインクとを入れ替えた。インクは洋服のポケット等に入れておけばいいが、拳銃の道具はそうするわけにはいかない」
和花の目の前までたどり着くと、本田は片膝をついた。そして、彼女を見上げながら尋ねる。
「事情聴取のとき、あなたは右足をかばうように歩いておられた。想像以上に熱かったんですよね? 左手のやけども、入れ替えるときに負ってしまったものではありませんか?」
すると、和花は瞳を閉じた。
しばらくの沈黙の後、本田に優しく微笑みかける。
彼女は右足の靴に手を伸ばした。そして、茶色の革靴を本田に手渡した。
本田がそれを少しいじると、かかとが外れ、中からビニールと共に金属の何かが落下した。
和花は、つぶやいた。
「悪いことは、できないものなんですね」
「そんなっ、本当に……」
「和花……?」
「ごめんなさい、正治兄さん、佐々木さん」
本当に申し訳なさそうにそう言うと、和花は本田に向き直った。
「いつから、お気づきに?」
「初めは、事情聴取のときに」
「まあ、右足をかばって歩いていただけだというのに……」
「いえ…… それだけではありません」
そう言いながら、本田はかかとを戻した革靴を和花に履かせた。
それから、立ち上がりながら言った。
「お父様の御遺体になければならないものがあるんです。そして、その理由は、あなたのハンカチで証明できます」
「どういうことですか?」
中谷は首を傾げた。
「彼女の事情聴取のとき、何かが焦げたような、そんな臭いがしたんだよ」
「え、いつですか? 自分にはまったく……」
「花粉症で鼻詰まりが酷いせいで君の嗅覚はミミズ同然だよ。今はあまり感じないけれど、聴取のときは確かにしたんだ。あのときは、君が何も違和感を覚えていないようだったから気のせいかとも思ったけどね」
本田はそう言って苦笑した。中谷はおや? と思った。
「今は窓が開けられていて臭いが緩和されているようですけどね。つい今しがた、靴をお借りしましたが、臭いのもとではありませんでした。あのときあなたが手にしていて、今はしてないもの。妹さんにお貸ししたわけではないのなら、今もあなたは持っていますよね?」
「借せるわけないでしょう、あんなハンカチ……」
ほんの少し顔を歪めて俯いた和花に対し、本田は口調を無機質に早めた。
「あなたは発砲直前にハンカチを被害者の首筋に掛けた。瞬間的にやけどを負うのに十分な七十五度という温度が発砲によって生成されてしまうので、それによるやけどを防ぐために。やけどがあれば、すぐにただの刺殺でないことがばれてしまいますからね。結果、ご遺体にやけどの跡は残らず、銃殺ではなくアイスピックのようなもので刺殺されたものだと思われました。そんなクッションのおかげか、銃弾も潰れずきれいに残ったために刃こぼれした金属片だと判断されましたし。
また、あなたは犯行直後にキッチンへ向かった。佐々木さんがトイレから戻ったときにリビングにいなかった理由を作るために。そして、これは偶然だったでしょうが、やけどしてしまうような“高温のもの”に触れてしまった理由も説明することに成功した。発砲時に放出されてしまう発射残渣はビニール袋で自作拳銃を覆うことで防げても、熱はそうはいきませんからね。ああ、そうだ。発射残渣が残っているとすれば、万年筆本体ですが、やけどを冷やす際に一緒に流水で流したのでしょうね。あれは水で洗い落とせますから」
本田はここまで一気に述べると、急に無言になった。すると、和花は穏やかに述べる。
「私、火曜日の夜が嫌いなんです」
「……お前も母さんが父さんに殺されたと思っていたのか?」
そう和花に尋ねたのは、正治だった。刑事らが後日に知ったことだが、被害者の妻、和美が自殺したのも火曜日の夜だった。
「ううん、違うの……。刑事さん、私の部屋の本棚に日記帳があります。そこに、あの人の遺書が挟んであるんです」
本田は、すぐ近くの警察官にお願いしますと言った。その警察官は、頷くと廊下へ出た。
リビングでは、先ほどまで冷静を保っていた正治は取り乱し、佐々木も十分に状況を理解できていないのか茫然としている。
「和花っ、どうして……こんなことを……」
「それは……あの男との秘密に、もう耐えられなくなったから……」
「秘密……?」
和花は、悲しそうに兄を見つめるとこう告げた。
「執筆部屋のベッド……あれは、仮眠のためだけにあるものではなかったのよ」
「っ……」
「あの人は、正真正銘の自殺よ。発見したとき、私が椅子を元の位置へ戻して、遺書をポケットに隠した。それから叫び声を上げたの。黎成が来たのはその後。あの人、私を見捨てて、あの世へ逃げたのよ。前の日、あの人に父とのことを話したの。辛くて、悲しくて、もう嫌だったの。私は、あの人に助けて欲しかった。それなのに……」
和花は温度のない言葉を紡ぐと、再び俯いた。しかし、今度は震える声を吐いていく。
「四月最後の火曜日、二十一時に執筆部屋へ来なさい……。あの男は、零和にそう告げました。……あの子、普段から二十時には寝ているんだから無理に決まっているのに……」
そこまで言うと、和花は顔を上げた。 彼女は、聖女のように穏やかな笑みを浮かべていた。
「私、言ってやったんです。誕生日プレゼントは何がいい? って不機嫌を隠して尋ねたあの男に。
“あなたのいない日々よ”って……。私の誕生日は、あの男の命日。ふふっ……清々しいわ」
彼女は、ワンピースのポケットからハンカチを取り出し、瞳から溢れるものにあてがう。
淡い月光を頼りにしている部屋の中。
到着した警察官には、先客がいた。
彼は、ただ立ち尽くしていた。
「ケーキを焼いたのも、あの男を殺したのも……すべて自分のためです。黎成のためでも、零和のためでもありません。私が自分の新たな出発を祝うため。
それだけです」
未来あるうら若き乙女は、しっかりとした口調でそう述べた。
「鈴美夜和花さん。四月三十日二十三時五十九分。鈴美夜彰治さん殺害の容疑で、署までご同行願います」
「……はい」
彼女の静かだが力強い返事と共に、柱時計の〇時を告げる音が屋敷に鳴り響いた。
平成&the case are END.
令和 is to be continue......
ついに、令和元年となりました。
これから先、何が待っているのか想像もつきません。
「何でも、楽しめる」
そんな余裕が欲しいです。
改めまして、皆様、よろしくお願いいたします。
これからもがんばっていきましょう!!