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平成のエンディングに彩りを


 テッシュと目薬が手放せないまま刑事となり、およそ一ヶ月。

 中谷光希(なかたにみつき)は、警視庁捜査一課強行犯係平野班の一員としてさっそく難事件に遭遇した。

 現場は、ある邸宅。古今東西の本格ミステリ小説や推理小説と呼ばれる書籍で溢れていることから、通称ミステリ館。これは、主の職業と深く関係している。

 殺害されたのは、鈴美夜(すずみや)彰治あきはる氏四十六歳。文壇の寵児、空澤章治として主に推理小説を執筆していた。

 担当編集者が被害者の自室のデスクのパソコンの前で椅子に座り亡くなっているところを発見。長男が通報した。

 検視官によると、死後硬直と出血量から死亡推定時刻は二十一時から二十二時。死因はアイスピックのような細長く、鋭い刃物で背後から首筋を突かれ、脳幹に達したことによるショック死、即死だった。

 傷口からは刃こぼれしたと思われる金属片が見つかっている。

 しかし、凶器となり得る刃物は現場、周辺を捜索しても未だ発見には至っていない。

 事件当時、館にいたのは被害者の四人の子どもたちと被害者の担当編集者の五人だけだった。(被害者の妻は、七年前に自殺している。)

 班長と三人の先輩は、周辺住民への聞き込みからまだ帰ってきていない。

 その間に中谷はもう一人の先輩、本田と邸宅の応接室を借りて、すでに関係者の聴取を終えていた。基本、中谷が質問をして、隣で本田が相手を観察するスタイルだった。

 中谷は事件現場で一人、そのときの様子を思い返していた。




 長男〈正治まさはる 二十歳 某国立大学医学部学生〉

 黒縁のメガネが似合う好青年で、清潔感がある。しかし、父親が死んだというのに、彼は妙に落ち着いていた。

 夕食後から自室にこもってレポートをたしなめていたこと、二十一時半頃にコーヒーを淹れにキッチンへ行ったこと、そこで妹のやけどを手当てしたこと。

 淀みなく淡々と答えた。


「第一発見者は、自分ではなく、父の担当者の佐々木さんです。彼が叫び声を上げたので、妹と父の執筆しっぴつ部屋べやへ行き、腰を抜かしている彼を見つけ、同時に、亡くなった父を発見しました」


「わかりました、ご協――――」


 中谷が質問を終わろうとしたとき、本田は「正治さん」と呼びかけた。そして、彼の顔を覗き込むようにして尋ねた。


「大丈夫ですか?」


 本田からどうしてその言葉がでてきたのか、真意を測りかねたが、中谷は無言で正治の言葉を待った。


「……どう、なんですかね。父親といっても、執筆が第一の人だったので……。幼少期に遊んでもらった記憶はかろうじてありますが、あいつらが生まれた頃には、もう、遠い文壇の人間でしたから……。母の葬儀にも参列しなかったような人ですし、同じ家にいるというだけで、関りなんてありませんでした……。ですけど……なんですかね、あの……やはり、あの人は、僕の父親だったわけです……。いままで、よくわかっていなかったんですけど、きっと…………すみません、忘れてください」


 正治はかぶりを振りながら立ち上がった。


「ご協力、感謝します」


 本田が静かにそう言うと、正治は、退室前に一度、無言で丁寧に頭を下げた。




 長女〈和花のどか 十九歳 某国立大学法学部学生〉

 一瞬、彼女は不自然な歩き方をしているように見えた。中谷は、勝手に茶色の革靴のサイズが合っていないのかと思った。

 失礼します、と丁寧にあいさつした彼女は、白いワンピースの上からカーディガンを羽織り、その胸ポケットに薄紅色の万年筆を携帯けいたいしているその姿。まぎれもなく、誰もが思い浮かべるような文学美少女だ。そんな彼女は、うつむきがちにシンプルで質の良さそうなハンカチを握りしめていた。


「その時間は……佐々木さんと、リビングに」


「そうですか。ちなみに、その間はずっと彼と一緒でしたか?」


「いえ、佐々木さんが一度御手洗いに。その間に弟の誕生日ケーキ――まだ、練習ですけれど――が焼ける時間になったので、私はキッチンへ」


「あ。やけど、大丈夫ですか?」


「ええ。私は、ぼんやりとしているものですから、よく怪我をしてしまいます。それでも、兄は、怒りながらですけど、上手に手当てしてくれるんです」


「そうですか。それでは、通報時の様子を教えてください」


 和花は、右手であでやかに髪の毛を耳にかけてから答えた。


「佐々木さんが父の催促へ行き、少ししてから兄と悲鳴を聞いたので父の執筆部屋へ。そのときには……もう、私、驚いてしまって! ……弟たちが心配になり、二人の部屋へ。弟は誰かと電話してましたが、妹は机に突っ伏せて寝ていました。

 それで、二人を連れてリビングへ……あとから、兄と佐々木さんが来てくれました」


「わかりました。ありがとうございます」


「それでは、失礼し――――」


「待って下さい!」


 本田は、遮るように彼女の腕を掴んだ。


「はい?」


 和花は突然のことに困惑している。

 すると、本田は中谷を見た。中谷は、ただ本田を見つめ返すと、本田は和花に向き直った。


「……右足、引きずってるようですけど」


「え、ええ。階段を踏み外してしまったときに……」


「そ、そうだったんですか。お大事になさってください。引き止めてしまい、すみませんでした」


 本田は、そう詫びを入れ細い腕を解放した。


「……ええ。それでは、失礼します」


 和花は足早に退室した。

 突然どうしたのか聞かれても、本田はごまかすだけだった。




 次男〈黎成あきなり 十七歳 某有名私立高校学生〉

 兄弟ということもあって、長男とそっくりな顔立ちだ。ここでは、まず本田が彼に質問した。


「珍しいね、名前の漢字」


「……ああ。黎明期れいめいきのレイです。二〇〇一年生まれなので」


「なるほど、二十一世紀の――――」


「あの、聞きたいことって何ですか?」


 彼が被せ気味に言うと、本田は肩をすくめた。中谷は、質問を始めた。


「二十一時から二十二時の間、どこで、何をしていたのか。教えてくれるかな?」


「なんですか、それ。俺、疑われてるんですか?」


「あ、いや……えっと」


「そういうわけじゃないよ。ただ、警察として、聞いておかなければならないんだ」


 先輩はやっぱり頼もしい、と中谷は改めて実感した。すると、黎成はため息を一つ着くと答えた。


「部屋で、勉強をしてました。二十時頃から電話で友人から質問されたんで教えていたり、普通にしゃべっていたり。その最中に姉さんが部屋へやってきたんです。何事かと思ったら、あいつが死んだって。

 ははっ……本当、いい気味ですよ」


「亡くなった人に対して、それはいけないよ」


「ふん、どうですかね。あんなやつ、殺されたって」


「どうしてそう思うのかな?」


 中谷は、そう尋ねてみた。


「母は、自殺ではありません。あいつに殺されたんです」


「殺された?」


「七年前……母は、部屋で首を吊っていました。姉が発見したんですけど、自分は、すぐにそこへ駆けつけたんです。でも、遺書が無ければ、踏み台もなかったんです。あいつには、サイン会に参加していたってアリバイがありますけど、きっとトリックを使っ――――」


 本田は少年の言葉を手で制した。


「父は、良い人間ではなかった。殺されても仕方がない」


「それはどうだろうね」


 本田がそう言うと、彼は黙って乱暴にドアを閉めた。




 次女〈零和れいな 十一歳 公立小学校学生〉

 零和は、入室したときから泣いていた。


「あの……話を聞かせてもらっても、いいかな?」


「は、はい! あの、すっ、ません……。あたし、ちょっ、びっく、り……しちゃって……」


「ゆっくりでいいよ」


「……ごめっ、なさい……いつもは、二十時に寝……るんですけど……今日は……本当は、二十一時にお父さんに執筆部屋に来るよう言われてたんです……だから、起きてなきゃいけなかったのに……あたしのせいで……ちゃんと時間通りに行ってたら……」


「君は悪くない。大丈夫、絶対にお父さんの無念を晴らして見せるから。ね?」


 本田はそう言って彼女の頭を優しくなでた。


「……お願いします」


 そう頭を下げると、女性警察官に付き添われながら退室した。




 担当編集者(佐々木(ささき)優伍ゆうご 三十一歳 大手出版社編集者)

 ネイビーのスーツ姿で、ネクタイはつけていない。ワイシャツの汚れが濃く、時折眠そうにあくびをしていた。


「ええ、はい。午前中に完成すると伺っていたのですが、なかなか……。私は、夕食をご一緒させていただいて、そのまま先生の小説を待ってリビングに。途中から、和花さんとお話させてもらっていましたね」


「ずっとですか?」


「いえ、一度トイレに。戻ってきたとき、彼女はいなかったので、キッチンにいるのかと思い、そちらへ向かいました」


「なぜキッチンへ?」


「彼女からケーキを焼いていると聞いていたので。そうしたら、ボールに氷水を張って、左手を入れていたのでどうしたのか聞いたら、誤ってやけどをしてしまったとか。ちょうど、そこにやってきた正治さんに事情を説明すると、彼女のやけどの処置をしてくれました」


「そうですか。それでは、最後に。あなたが第一発見者だとか?」


「ああ、はい。そうです。

 進み具合を確認するため先生の執筆部屋へ。何度もノックしても返事がないのでベッドで仮眠をとられているのかと思い、中へ。しかし、ベッドにはいなくて。デスクの前にいらしたので、軽く肩をゆすりました。そのとき、指先に嫌な感覚がして……血だと気がついたときには、自分でも情けないくらいの悲鳴を上げていました」


「わかりました。ありがとうございます」






 二〇十九年四月三十日二十三時十一分。新元号の施行まで、残り一時間を切っている。

 遺体は搬出され、鑑識作業もすでに終了していた。だから、ここにいるのは、中谷一人だった。

 ここは、本で埋め尽くされている。いくつもの辞書があれば、論理的思考や心理学、警察、拳銃、物理学なんて文字が並んでいる。

 中谷はそれを眺めているだけで、観察しているわけではなかった。

 事件には、進展が見られない。誰一人、確固たるアリバイを手にしているわけではなく、強いて言えば、犯行は誰にでも可能だったのだ。


 ――長男も次男も一人で部屋にいたというし、次女は部屋で寝ていた。それに、子どもたちの部屋は執筆部屋から最も遠い場所に固まっている。編集者は途中トイレに立ち、その間に長女はケーキを確認しにキッチンへ。この二人は、一見怪しいが、時間的に矛盾はないことは確認し終えている。それなら……


 こうしているうちに、ただただ時間だけが過ぎていく。それと共に、思考を嫌な焦りが支配していく。去り際の長男の姿が、次女の涙が、さらに――――


 そのとき、背中に軽い衝撃が加わった。


「大丈夫だよ、中谷さん」


 中谷は、本田の言葉に強くうなずくと、軽く三回ジャンプして一回丁寧に深呼吸した。そして、自分の考えを声に出した。


「部屋は荒らされていましたし、窓も開いていました。もしかして、外部犯でしょうか。犯人が凶器を持ち去ったとすれば、現場付近から未だに見つからないことも納得いきます」


 しかし、これを本田は腕組みをしてそばの壁に寄りかかりながらすぐに否定した。


「いや、この建物のセキュリティ的に無理だ。建物内には無いが、外には赤外線カメラと警報器が死角なく設置されている。さすがに、外部から侵入するのは不可能じゃないか?」


「じゃあ……先輩は、邸宅にいた四人を疑っているんですか?」


「完全犯罪も不可能犯罪も、可能が偽装されたもの。そこに悪意があるから、こんな悲しい事件が起きるんだよ。何か、あるはずなんだ。それが事件解決の鍵になる……。ん、あれは――」


 本田は床を指さした。そのときだった。


「ヒックシュン!」


 中谷はくしゃみを抑えきれなかった。すみませんと謝罪し、ポケットティッシュで鼻をかんだ。


「なんだ、風邪か?」


 一部の床を擦って真っ黒になったハンカチを観察したり、においを確認したりしながら本田は尋ねた。


「いえ、花粉症です。ヒノキ花粉がだめなんですよ。でも、スギは平気なので、花粉症だとは思わなかったって言われ続けて早十年です……」


 次の瞬間、本田は大きく目を見開いて、一瞬固まると


「そういうことか……」


 と、つぶやき、すくりと立ち上がった。


あと少しで、平成とお別れです。

様々なことがあった三十一年間。

良いことも悪いことも、未来に活かしていきたいです!

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