知らない世界へ。
その時、稲妻が体を貫いたような衝撃が僕を走り抜けた。
そして確認するかのように搾り出した言葉。
「僕が、騎士ですって?」
「そうですとも。あなたには、このディーン共和国第一王女で在らせられるリーリエ姫の騎士であり勇者として、リーリエ姫を守る義務が与えられました。」
一国の王女の騎士。それは、僕のような軟弱な体の持ち主には荷が重過ぎる大役だった。
*
――物語とは、いつでも突然に始まるものだ。
僕はある日目が覚めると、いつものふかふかのベッドの上ではなく、固い石畳の上に寝転がっていた。
むくり、と体を起こすと、「おお!」とか「ほう?」といった感心や猜疑心の入り混じった声が周囲から上がる。
僕の周りの床には、六芒星の外角を円で繋いだ魔方陣的な物が描かれていた。僕にも覚えがある。これは召還の儀だ。ということは、僕はほぼほぼ間違いなく「召還された」と思っていい。
「…ここは…?」
「おお、お分かりですかな?あなたは呼ばれたのです。この国、ディーン共和国に!」
およそ神官であろうと予測できるような、周囲の人間とは違った衣装を身に纏う中年の男性がそう告げた。
ディーン共和国。聞いたことがない国だ。が、言葉が分かるのは恐らく、僕という存在がこの世界の言語自体を何らかの形で会得していたからに違いない。
この魔方陣が召還する対象は、少なからずこの世界の言語が分かるレベルで学を積んでいる、もしくはなんらかの形で習得しているものから選ばれるのだと推測できる。
そして魔方陣での召還。僕が居た場所では禁忌とされていたから、恐らく世界という名の土台が違うんだろう。いくつかの書籍で見たことがあるが、往々にして「召還された側」というのは「死ぬか、死ぬほど辛い目に会うか、帰ってこないか」の三択であると書かれていた。
そもそも自らが居た世界とは違う場所に一瞬にして送り込まれ、きちんとした帰り方も知らされず、さも「こっちは召還陣を敷いて呼んでいる使役側なのだからこっちの指示を聞くのが当然」みたいな形でこき使われ、いざ目的を達成すれば邪魔になって殺しにかかるという綺麗な死亡ルートまで確立されているところまで分かる。
早い話が「お前これから長い時間かけて別の世界で死ぬような思いするけど最終的に裏切られて死ぬから。」と死刑判決を下されているようなものである。
「えーっと…それで、僕にどんなご用事で?」
もちろん、それらが当てはまらない場合もあるだろう。でも、召還の儀なんて使って別の世界からイレギュラーを引き込もうとするような場合は、まぁ間違いなく厄介事か戦争絡みだ。だからつまり。
「ええ、あなたはこのディーン共和国の一員として、憎き隣国であるゾード帝国と戦っていただきます。」
こんな返しが来るなんてのは、お子様でも分かるって寸法だ。
*
「…僕はここに来るのは初めてなので、仰っている意味が把握しかねますが…それは武力によって、ということでしょうか?」
「もちろんでございます。ぜひ貴方様の…申し訳ありませんがお名前は?」
「えーっと…そうですね、Kとでも名乗っておきましょうか。」
「ほう、キロ様、ですね。そう、キロ様の膂力を持って、帝国の者どもをバッタバッタと薙ぎ倒して頂きたい。」
キロというのは偽名である。Kを頭文字とする言葉は沢山あるが、僕のいた場所ではキロというのはチーム分けに使われる記号と同義である。
意味合い的には、Kチームってことだ。
キロと言われて普通に名前として受け入れているということは、少なくとも僕の居た場所の現代と同レベルの文明はないと思っていいな。
いや、それよりも、だ。僕の見た目は確かにローブを纏っているからパッと見では分からないかもしれないが非常に非力そうな体つきをしている。剣を携えているわけでもなく、どちらかというと木の棒に似た物を背中に挿していることからも分かるだろうと思っているのだけれど、僕は剣やら槍やらを使って戦うようなタイプではない。
なぜなら、僕は魔法使いだからである。
「…それは、本気で、仰っているのですか?」
「ええ、もちろん本気ですとも。」
「拒否します。」
「それはなりません。この召還の儀を執り行うために先王はその御身を捧げたのですから。」
最悪の展開である。人を生贄にして召還のために必要な魔力を得たというのか。なんて非効率で非人道的な行いをするのだろう。人一人の魔力で事足りるのなら、数人で魔力を出し合えば済んだということじゃないか…。
しかし、この神官、神職についておきながらこんなことを言ってのけるとは…。これは断れない。いや、断らせないために言ったとも考えられるな。
正直な話、元居た世界での生活を丸ごと奪い取られてこんな場所に飛ばされた僕のことをこれっぽっちも考えていないというのも癪だが、そもそもここは彼らのホームグラウンドだ。「僕の生活はどうなる?」と返したところで、「それに見合うだけの犠牲は払いました」などと言われればこの数十人居る観衆は納得してしまうだろうし、言ってしまえばこれは「答えを強制させられている質問」なのである。
なんともまぁ僕としては「クソ食らえ」ってなもんである。
「はぁ…しかし、それは唐突であまりにも不敬ではありませんか?」
「と、申しますと?」
「僕が「今ここで生まれた」のなら話は別でしょうが、僕は「ここではない世界で生きていた」のですよ?僕の前の世界での生活はどうなるのです?向こうに居る友人や家族は?僕は死んだわけではない。生きていて、ある日突然ここに呼ばれたのです。それで呼ばれた先で開口一番「死ぬかもしれないけれど戦ってくれ。拒否権はないよ?だって貴方を呼ぶのに私たちは偉大なる人を代償としたのだから」と言われても、「いや待て、僕の生活のことは問題外なのか?」となりませんか?」
と言うわけで、恐らく無駄と思われるけれど、言わないよりはマシと言った感じで言葉を返してみる。
「一理ありますね。それではキロ様はこう仰られるわけですね。「お前らのことなんて俺には関係がない。むしろ突然呼び出しておいて戦えとは何事だ。その上大きな代償まで払っているのだから我らのために戦うのは当然だとでも言うように振舞うのは不敬極まりない。」と。」
おお、結構ストレートに言ってくるものだ。そのとおりです神官様。
「まぁ、概ねそういった感じでしょうか。」
「成るほど。それはそうでしょうね、キロ様の仰ることも分かります。が、非常に申し訳ないことに、帰還するための魔法陣の生成方法は…ゾード帝国帝王、ガズー王に奪われてしまいまして。」
なるほど、そう来たか。
いや、この国最低じゃないか?つまりそれって、帝国をぶっ潰すまで帰れないですよって言ってるということだよな。むしろこの国を滅ぼしたほうがこの世界のためなのかもしれない。
「…おや、怖い顔をしていらっしゃいますね、キロ様。よもや、現共和国国王の首を取り、ゾード帝国に持ち込めば帰る方法が手に入るのでは、とお考えですか?」
あ、正解。僕の考えていることを言い当てたというのもあるし、この場でそれを言う、というのも大正解だ。これで僕は「数十名の人間が疑惑の目を持って僕の発言を聞く」という状況に立たされる。
「あぁ、それは失敬。まさかそんなことを考える訳がないじゃないですか。よもや召還されるほどの人間が数十名の人間を一瞬で塵芥に変えるほどの力を持っていれば尚更正義のためにその力を使うというものでしょう。」
すでに頭脳戦という戦いの火蓋は切って落とされている。僕が知っているのは僕の力だけというのがすでに絶望的ではあるのだが。
「ええ、そうでしょうとも。しかし、そうですねぇ、この召還でそれほどの力を持っている人間が召還できているなら、我々としても万々歳なのですが…。」
うん、終わった。僕の負けである。
正直に言って、僕は数十人を無力化するような力は持っていないのだ。この神官はそれも把握している。
つまり、僕の力の底を見ているわけだ。
「…まぁ、僕にそれほどの力はないので…。まぁ、微力ながらお手伝いすることにしましょうか。ところで、貴方のお名前は?」
こうなったら、どうにかして元の世界に帰る方法を見つけ出すしかないわけだ。くっそう、どうしてこんなことに巻き込まれたんだ!?
「あぁ、申し送れました。私はディーン共和国現国王、ハリス・エンデルフォン・ディーンと申します。以後、お見知りおきを。」
…なるほど、僕は国王に喧嘩を売っていたわけだ。うーん、まずいなぁ。非常にまずいぞ!
「…なるほど、貴方様が国王陛下でございましたか。数々のご無礼、お許しください。」
「いえいえ、お気になさらずに。さぁ、ご案内します。キロ様のお部屋へ、ね。」
なんとかこの場でスプラッタ表現の規制が必要になるような事態は避けられたか…。ちくしょう、ハリスとか言ったな?覚えておけよ…。
と、そんなわけで、僕はまんまと頭脳戦にも敗北し、部屋へと案内されることになった。
通された部屋は、まぁそれなりにいい部屋である。…失敬、どちらかというと今までの僕の家よりもはるかにいい部屋だ。
「それでは、夕食の時間になりましたらメイドが部屋へとお持ちいたします。この世界のことが知りたければ、本棚に一通りそろえさせていただいておりますので、そちらをご参照ください。それでは、また。」
そういってハリス国王は部屋から出て行った。
*
「うーん…」
と、僕は一人、客人室の中で頭をひねっていた。
確かにこの部屋においてある書物は、この世界のことについて記されているものばかりだった。
最初は僕を欺くためにいい感じで虚飾がなされているんじゃないかと思って注意深く読んだのだけれど、そういった部分もとくには見当たらなかった。
それ故に頭を捻らざるを得ない、とも言える。何故なら、そもそもこのディーン共和国がゾード帝国との戦争で召還に頼らなければならないほど劣勢だとは思えないからである。
さらに輪をかけて言うのであれば、先王自身を生贄にして「僕程度の力しか持たない人間」を召還する必要性も感じられない。
どっちかといえば、立ち位置的には有利なはずなのである。このディーン共和国という国は。
まずは立地。そもそもゾード帝国の位置はディーン共和国よりも数百メートルほど下った場所にある窪地だ。戦争においても、攻めるのであれば上からのほうが有利。火矢や投石器等を使えば簡単に攻め込めそうな位置関係にある。
さらに資源もディーン共和国のほうが富んでいる。炭鉱も多数発見され、水産資源も多く、海にも隣接し、広大な緑豊かな森と草原が領地内にあるディーン共和国に対し、ゾード帝国はまず水産資源に恵まれていない。以前はそうでもなかったらしいのだが、そもそもゾード帝国のある窪地には川が流れていない。領地内にも川と呼べるようなものはなく、肥沃なディーン共和国ほどの森林も草原もない。あるのはどちらかといえば荒涼とした荒野や湿地帯くらいであり、鉱山資源もぶっちゃけて言えば存在しないとまである。
さらに人数。人口約7億人ほどのディーン共和国に対し、ゾード帝国の人口は約2億と少し。3倍もの差があると考えれば、兵の数もそれに準じていることだろうから、戦争を仕掛ければほぼほぼ間違いなくディーン共和国が勝つ。
いや、もっと端的に言うなら、ゾード帝国がディーン共和国に勝っている部分がないのである。
それに文明力的にもディーン共和国のほうが優れている。いや、これに関しては優れているという表現は適さないか。ゾード帝国の文明力が明らかに他国と比べて劣っているのである。
そもそもこの世界、「ランドルテ」というのだが、このランドルテの平均的な文明度は、産業革命時代のイギリスくらい進んでいるのに対し、ゾード帝国は未だにローマ帝国全盛期くらいのレベルだ。
蒸気機関はすでにこのランドルテでは使われているし、そもそも戦争を行っている国も多くはない。現にディーン共和国はゾード帝国以外とは鉄道や海路による交易も盛んに行っているし、電気がまだ発明されていないのは謎だが、魔力を利用した遠距離通信だって可能になっている。
なのにゾード帝国は件のローマよろしく投石器や矢で戦闘を行うのがメインらしく、武器も遠距離武装なんてほとんどない。強いて言うなら魔法くらいだ。
そう、もしゾード帝国が他国より勝っている部分があるとするなら、この魔法という一点にある。
何を隠そう、ゾード帝国のある大地はマナ…つまりは魔力がほかの土地に比べてはるかに肥沃なのである。
いや、肥沃というよりは、過多と言ってもいい。魔力の量が多すぎるがゆえに、大地が荒涼としているとまで言われている。
だが、魔力は魔力だ。これを利用しない手はない。ゾード帝国はその有り余る魔力を有効利用するため、国を挙げて魔法の研究に勤しんだようだ。
だが、歴史本に記されているのはその研究を行ったという部分までしか書かれていない。これは、単純に現在研究を始めたばかり、というわけではなく、研究を開始してからゾード帝国は他国との交易を完全に停止し、鎖国状態になっているらしく、情報がないのだ。
とはいえ、である。それでも3倍差を埋めるには、魔法だけでは足りないだろう。
何故なら、魔法とはとかくそこまで強い力ではないからというのが理由である。
まぁそもそも僕が元居た世界でも、魔法は世間的には認知されていない。僕がたまたま魔法使いの家系に生まれたから魔法を使えるというだけの話である。また、このランドルテと元居た世界の魔力自体は同じだけれど、魔法自体は違うらしい。
話を戻そう。この世界の魔法が強い力ではない、というのは、単純に戦闘用の魔法というのが発展していないからである。
せいぜい火を点したり水を綺麗にしたりぐらいのものだ。が、ゾード帝国はこの生活を少し楽にする程度の魔法に目を付けたらしい。
と、いうわけで未知数なのだが、もし本当にディーン共和国がゾード帝国に押されているのであれば、魔法の分野で驚くべき変化を遂げた、と思わざるを得ない。
と、まぁ、実はそこまで悲観しているわけではない。何故なら、魔法なら一応どうにかできなくはなさそうだからである。