2 新しい人生
果てしなく続く荒野。見渡す限り草花はおろか、生命を感じさせる存在すら見つけられない場所に2人の男がいた。
一人は左右のこめかみから太い角を生やし、二メートルに手が届きそうな身長に大柄な体躯。見るからに人ではない。凶悪な顔立ちから、まるで嘲笑うかのように口の端を吊り上げている。
右手には黒く禍々しい剣を持ち、周囲の空間が歪んで見えるほどの黒く禍々しいオーラを全身に纏い、右手に握られた呪いを具現化したような剣と漆黒の鎧が絶対的強者、魔王を思わせる。
そしてもう一人は、龍の紋章が描かれた真紅のマントに身を包み、光り輝く刀を持って魔王を睨みつけている。しかし、その表情はどこか力無く影を落としていた。イケメンとまではいかないが、整った顔立ちが疲労感を漂わせ、息を荒げている。
魔王と男は睨みあっている。周囲には無数のクレーターや大地が割れたような傷跡が残る。
男は荒げた息を整えつつ思った。もう幾度打ち合っただろうか、と。魔王に攻撃を仕掛ければ避けられ、弾かれ、反撃を許す。魔王からの攻撃を受ければ避けきれず、防ぎきれず、傷を負う。
それに対して、魔王はかすり傷一つない。もう、限界だった。気力も体力も底をつき、体は悲鳴を上げ、心は絶望を感じる。
次が最後だ。次の攻撃を最後に命は尽きるだろう、と男は覚悟を決めて魔王に突撃を開始する。しかし、次の瞬間、男の意識は消失した。
「ハァハァハァ……」
まただ……。また、あの夢か……。くそっ、何でいつも殺されるんだ?それも、一方的に……。
新たに生を受けてから二年、毎日ではないが、頻繁に見る夢。夢の内容はいつも同じ、いつも殺されるのだ。
それが、
――死の夢――
この夢が何を意味しているのかは分からないが、一つだけ言える事がある。それは、酷く胸糞が悪くなるという事だ。
戦う事さえ許されない強大な敵、近寄る事も許されない相手に、何故俺が?どう戦えばいいんだ?との疑問はあるが、いつかきっと夢の通りに現実のものになると予感する。確証はない、が、夢の内容があまりにも鮮明過ぎるのだ。
強烈に刻み込まれる夢の記憶が、これは未来予知と言うものだろうか、と脳裏を過るが、今現在どうこうできる事じゃない。
「ヴェル?起きちゃったの?」
脳内で諦めにも似た考えをしていると、透き通った優しい声が聞こえた。
声の主は女性のもの。この世界で俺の母親と呼ばれる人だった。名はマリア。腰まで伸ばした長いブロンドの髪は美しく、整った顔立ちから美人であると思わせる。何と言っても印象的なのは、透き通った青い瞳の色。初めて見た時は、女神さまだ、と思い込んだほどだ。
「うん」
「あら?すごい汗じゃない。どこか調子が悪いの?待ってね。今、治癒魔法を掛けてあげるわね」
治癒魔法、怪我や負傷した時に使う魔法だ。病気には効かない、が、母様の治癒魔法はいつも気分までも落ち着かせてくれる。
「癒しの女神よ。我が魔力を捧げ、その大いなる力でこの者に癒しの力を、ヒール!」
母マリアの右手から発せられる青い光が全身を覆っていく。青い光が、不思議と暖かさを伝えてくる。これが母親の愛なのか、と錯覚さえ覚えてしまうほどの優しい光。悪夢とも呼べる死の夢を見て最悪だった心が落ち着きを取り戻していく。
本来、治癒魔法は精神的なものにまで効果は発揮しない筈だが、その透き通った詠唱の声に安らぎを感じるからだ。
「さあ、もう大丈夫よ」
「うん。ありがと」
マリアの言葉に、まだ覚えたての言葉で返事を返すと廊下から声が聞こえる。
「奥様、如何なさいましたか?」
紺のメイド服に身を包み、ぱっちり二重の整った顔立ちをした美少女。一番の特徴は、見事に育った胸だ。その双丘の大きさはEカップはあるんじゃなかろうか、と推測する。
動く度に、たわわに育った柔らかそうな果実がプルンプルンと揺れ動く。俺の一番のお気に入りだ。抱き抱えられると、その見事な感触は優しく包み込まれ、安心感と満足感を与えてくれる。
「クーリエ、ヴェルが起きちゃったのよ。すごい汗を掻いてて……。怖い夢でも見たのかしら……」
「まだ幼子ですから、そうかもしれませんね。ヴェルナルド様、もう大丈夫ですよ。奥様が傍におられますよ」
マリアに負けない優しい笑顔で語りかけてくる。
優しい笑顔で美少女に見つめられると正直照れる。女性に対して免疫のない俺にとっては、どうしようもない事だ。
「あらあら、ヴェル。顔が赤くなっちゃって、よっぽどクーリエの事が好きなのね」
「っ!違うもん」
もん!?語尾にもんとか言っちゃった!自分で言ってて何だが、超恥ずかしい……。穴があったら入りたい。
「可愛い!もう、ヴェルったら可愛すぎるわ!」
「ちょっ!母様、苦しい」
目にハートマークを浮かべて、興奮した様子で抱き着いてくるマリアに抗うように抵抗を試みるが、びくともしない。
それもその筈である。大人と幼子の力の差だ。それと、もう一つ理由がある。マリアは元冒険者だったからだ。
冒険者、この世界にはモンスターと呼ばれる魔物や魔獣が存在する。そのモンスターの脅威を排除して人々を守る事を生業として、金銭を得る職業の人たちの事である。
だから、普通の人に比べると腕力が異常なまでに強い。しかし、その中でもマリアは治癒魔法を扱える凄腕魔法使いなのだそうだ。
どこら辺が凄腕なのかと問われれば、マリアの戦闘スタイルだ。高度な治癒魔法を扱えるだけではなく、杖で殴り殺すのだ。
モンスターが現れると、肉体強化魔法を駆使しては殴る、殴る、殴り殺すのだ。そんな戦闘スタイルに付いたあだ名が、治癒魔法使いには不名誉な撲殺のマリアだ。
しかし、マリアはそんなあだ名に興味ないとは言っているが、内心では誇りを持ってそうな雰囲気だった。
そんなマリアに腕力で勝てる筈もなく、諦めて抱きしめられ続ける。
「奥様、可愛いのは分かりますが、ヴェルナルド様が苦しそうですよ?」
「あらあら、ごめんなさいね。ヴェル。でも、ヴェルがいけないのよ?こんなに可愛いんだから」
いつもの事である。何かと付ければ可愛いと言っては抱き着いてくる。溺愛し過ぎだろ、と思いつつ、もう少し手加減してほしいと願うばかりだ。
これでも十分に手加減してはいる事は十二分に理解できる。何故なら、本気を出されると絞殺される……。一抹の不安と恐怖を抱きつつも、なされるがままだ。
「奥様、そろそろお時間です」
マリアが仕事に行く時間だ。治癒魔法使いとして、村で治療院を開いている。
「あら?もうそんな時間?うぅ、でも……ヴェルが、ヴェルが可愛くて残して行けない!」
いや、いいから早く仕事に行って……苦しいから……。
「奥様、我が儘を仰らないで下さい」
いいぞ、クーリエ。もっと言ってやりなさい。
「お願い、クーリエ。あと少しだけ……ね?」
子供がおねだりするように上目遣いでクーリエに頼む。
母様、そんなに可愛く言わないで……もうちょっと歳を考えてよ。こっちが恥ずかしくなっちゃうよ。
「また、ですか?……仕方がないですね。三分だけですよ?」
「はぁ~い」
上目遣いのマリアに呆れたようにしているクーリエ。しかし、何故だか分からないが、どことなく喜んでいる気がする。
そして、甘えた声で返事するマリア。子供か!?
「うがっ!」
だから、苦しいって母様……。胸が、柔らかくて気持ちいいけど……苦しい……。
「何よ?ヴェル。私に抱きしめられるのが嫌だって言いたいの?」
いやいや、と無駄な抵抗を試みていた俺に不満を露わにしていたマリアがジト目をしてくる。
あっ、うん。やばい……絞殺される。
こんな時は、魔法の言葉だ!
「だっ、大好き!」
どんなに機嫌が悪い時でも、この魔法の言葉ですっかり元通りになる。しかし、この魔法の言葉には弊害がある。
それは……、
「う~ん、もう!ヴェルったら、母さんも大好きですよ~」
たっぷりと可愛がられるのだ。時間を余す事無く、みっちりと三分間揉みくちゃにされてマリアは意気揚々と出かけて行った。
いつもの事である。いつもの事ではあるが、毎度死にかける。本当に手加減しろと言ってやりたい。
「さあ、ヴェルナルド様。ご本を読みましょうね」
マリアの拷問?にしっかりと耐えきった後のご褒美タイム。
クーリエの膝の上に抱き抱えあげられた俺は、頭越しにゆっくりと、そしてたっぷりと双丘に実った果実を堪能する。
幸せだ……。
「ただいま」
至福の一時を堪能していると部屋に男が入ってくる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
父様だ。父の名は、セドリック・フォン・グナイスト。アルネイ王国と呼ばれるこの国の騎士爵位を賜った貴族であり、人口300程度の村の領主である。
目鼻立ちは整った茶髪の好青年、イケメンと言えるだろう。腰に差したロングソードを毎日振るって鍛錬している所為か、鍛えこまれたであろう筋肉が剣の達人であると思わせる。そして何よりも、全身から漂うオーラが屈強な戦士であると思い知らしめる。
「お帰りなさい、父様」
「おお、ヴェル。クーリエに本を読んでもらっていたのか」
そう言いながらも父様の視線は本ではなく、クーリエのたわわに育った胸へと移行する。
「コホン。旦那様……」
「むっ、村の見回りに行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
父様の視線に気付いたのか、咳払いをしてジト目を送るクーリエに慌てた様子で出掛けるセドリック。いつもの事である。
しかし、クーリエの顔も赤くなっているのは何故だろう?もしかして、父様の事が好き?いや、恥ずかしいのかもしれない……。
どちらにせよ、クーリエに手を出さないでよ?父様。それが原因で離婚なんて事になったら、目も当てられなくなる。
まあ、それは置いておいて……今は、クーリエの胸を堪能……じゃなかった。文字を覚える事に専念しよう。
この世界に転生して二年、病気や怪我もなく無事に過ごしている。とは言っても、これから先どうなるか分からない。だから、今自分ができる事を精一杯やるのみだ。
まず、手始めとして文字を覚える事だ。何をするにも文字は大事だ。例えば、母様のように魔法使いになる為には魔法を覚えなきゃならない。魔法を覚えるには魔法書を読まなければ分からないからだ。
あの夢に抗おうとするならば、少しずつでもやって行かなければならない。
それにしても、魔法か……。いいな、俺にも魔法が使えるかな?まあ、それはおいおいやって行く事にしよう。
今日は家族みんなで日向ぼっこ……の筈だったが、歩く練習をしていた俺がこけて頭を打ったのだ。それで中止になりました。
張り切ってがんばっているとこれだ……ザマアないね。
「奥様、ヴェルナルド様の具合は如何ですか?」
「大丈夫よ、クーリエ。たん瘤が出来ちゃっただけだから」
「そうですか。ヴェルナルド様、よかったですね」
「うん。母様、ありがと」
「どう致しまして」
「そんなのほっときゃ治るって。」
剣の素振りをしていた父様が、素振りを辞めて呆れたように言う。
「何を言っているのあなた!?頭が悪くなったらどうするのよ!?」
たん瘤ぐらいで頭が悪くなったりしないと思う。母様は過保護過ぎだと思うよ。って言うか、父様…もうちょっと心配してもいいと思うんだけどな。俺、一応は嫡男なんだし……。
男親なんてものは大体こんなもんかな?日頃から剣を振り回しては鍛錬の一環だと言っているんだから、対応が雑になるのは当たり前かもしれないな。
「旦那様、ヴェルナルド様はグナイスト家のお世継ぎですよ?慎重に慎重を重ねるべきです」
流石はクーリエ、我が家のメイドは優しいな。クーリエは、いつも母様とコンビを組んで父様に反論する。
まあ、大抵は父様が悪いからだけどね。いつも雑な発言をして、母様を怒らせてクーリエとタッグを組まれて追い込まれる。
「うん?そっ、そうだな……」
今回も父様の雑な発言に、母様の鋭い視線が父様に突き刺さっている。そして、冷や汗を掻きながら視線を逸らす父様。
うん、いつも通り我が家は平常運転のようだ。これが我がグナイスト家のヒエラルキー……母マリアを頂点に、クーリエ、最底辺に父様がいる。
以前は、父様、母様、クーリエの順だったそうだ。俺が産まれるまではの話だが……。どこのご家庭もそうだと思うが、子を産んだ母は強しと言う事だな。
父様、ファイトです!