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Forgotten Saga  作者: 水夜ちはる
第十三章・戦場の姫君
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第2話

大陸各国を巻き込んだフェルナーデ共和国包囲戦争。


最も激戦が予想される北東戦線にレルシェルはいた。親フェルナーデのヴェルア王国において戦いは始まり、迫るロイセン王国の大軍の前にレルシェルは――。

 アステルの砦を攻略中だったロイセンの部隊は、突如現れたフェルナーデ軍に驚きつつも、それに対応するべく矛先をフェルナーデ軍に向けた。

 このロイセン軍の指揮官ジンクマイヤー将軍と言う質実剛健な騎士だった。彼の戦力は約五千。砦は陥落寸前であることは目に見えていたが、後背に大きな敵を抱えつつ、砦の攻略を続けるのは危険と判断した。電撃的に現れたこの一軍を非凡な将が率いていることを知ったのだ。

 その将、レルシェルが持つ戦力は約二千。

「左翼、敵の突撃が来るぞ! なるべく引きつけて撃て!」

 レルシェルが率いてきたのは奇襲用の部隊であり、火力と機動力を重視した編成で陣地の防衛には向いているとは言えない。しかしフェルナーデ軍は高所を押さえ、またロイセン軍が構築中だった陣地も利用して硬い守りを構築していた。レルシェルの戦いの潮目を的確に読む指揮と、それに率いられた兵は粘り強かった。

「なるほどこの士気の高さは……王国が負けるわけだ」

 レルシェルは傘下の部隊の動きを見つめ、呟いた。

 彼らのほとんどが市民である。

 選抜したこの部隊はもともと錬度・士気共に高い精鋭ではあったが、自国を守る、と言う使命に燃えた市民兵の戦意は目を見張るものがあった。傭兵達とは違い、彼らは負ければ自分達の土地や財産、家族を失うかもしれない。その想いが彼らを必死にさせた。

 一方で粘り強い防衛に対して、ジンクマイヤーは兵力に任せた力攻めをしなかった。

「右翼、中央、左翼でそれぞれ順番に攻め立てよ。敵は強行軍で疲れている。先にひざを着くのがどちらかは自明だ」

 ジンクマイヤーは自軍の被害を最小限に抑えながら、三方からフェルナーデ軍を断続的に攻撃して疲弊を促した。

「けれん味のない、だがよい用兵をする。持久戦では分が悪いな……」

 レルシェルは敵軍の動きを見て言った。

 彼女の美しい顔も戦場の煤と埃と返り血に塗れている。

 戦場に到着してからと言うものの彼女は常に最前線に立って指揮を続けている。もう丸二日ほど不眠不休のはずだが、活力に溢れた彼女に疲れの色は見えない。

 突撃してきた敵兵を自らの剣で斬り捨てた彼女は、その姿を見せ付けて味方を鼓舞する。

 だが指揮を下している隙を突いて敵兵が突っ込んでくるのに彼女は気づいていないようなそぶりを見せた。

 その時、彼女の傍から小さな影が走る。

 影はレルシェルと敵兵の間に滑るように割り込んだ。尋常な速さではない。

 影は手にした短剣で敵兵を斬る。

「レルシェル様! あまり前に出すぎると危険ですよ。今だって!」

 リゼット・ド・ヴィリエだ。レルシェル付きのメイドである彼女は、ルテティアの屋敷とは違ってさすがに軍服だが、小柄で童顔な彼女が着るとまるでお遊戯会のようにも見える。

「今はリズが居ることが判っていたからな。お前が私の周りを守っていてくれるから、私は安心して前線で指揮が取れる」

 頬を膨らませて文句を言うリズに対して、レルシェルは平然とした態度で返した。リズは怒り半分、呆れ半分でため息をついた。

「もし私がうっかりしてたり、サボっていたりしたらどうするんですか」

「リズがそんな人間ではないことを私は良く知ってる」

 レルシェルはにやと笑って言った。

「……流れ弾だってあるでしょ。さすがにそこまでは守りきれませんよ」

 この戦場に飛び交う弾丸は密度の濃い「弾幕」と呼べるものはなく、また「狙撃」と呼べるほどの精度を持った銃撃もないが、脅威であることは確かだ。

「流れ弾か。それは厄介だなあ」

 とレルシェルは言いながら、付近に飛んできた弾丸を剣で叩き落した。さも当然かのように。

「大砲だったら今のようには行きませんよ」

「確かに」

 リズも驚きもせず言う。

「何なんだ、この人たちは……」

 レルシェルが首都総監であった時からの部下であり、そのまま第十八師団の参謀士官としてレルシェルの幕下にいるベルナール・ラヴェル少佐は呆れて呟いた。

 この時代の一般的な銃弾は射程距離、命中精度共に頼りなく、剣術の達人であれば銃弾を打ち落とすことも可能と言われていたが、レルシェルもリズも造作もなくやってのける。さも当然かのように。

 唖然としていたラヴェルだが、レルシェルに言うべきことを思い出して彼女に駆け寄った。

「レルシェル様! そろそろ撤退のことを考えないと……われわれが携行してきた弾薬は少ない。ただでさえ数で負けているのです。このままでは押しつぶされますよ。皆、あなたのように非常識ではない」

 ラヴェルは現状を良く把握し、判断力と対応力に優れた人物だ。

「非常識とは失礼な。だが……たしかに卿の言う通りだな」

 レルシェルは応戦する味方の将兵を見つめて言った。強行軍に加え執拗なロイセン軍の攻撃に、彼女の部隊の動きは当初の鋭さを失いつつある。疲労と被害がこれ以上積もれば、組織的な抵抗は難しくなるだろう。

「しかし……しかし、まだだ。もう少し……」

 レルシェルは遠方の空を見上げて言った。

 彼女の表情は何かを待っているかのようだ。

 その時だった。

「レルシェル様! あれを!」

 目の良いリズが叫んだ。

 彼女の目は白旗が掲げられているのを捕らえていた。戦場を越えた先にあるアステルの砦の一番高い塔にそれは掲げられている。

「本当か? 何が見える? リズ」

 レルシェルは目を細めて砦を見たが、リズほどの視力を持っていない。だがリズの言葉に踊るような声で訊ねた。

「白旗です。大きな白旗が!」

 下手な偵察兵より目が利くリズにははっきりと見えていた。

「白旗? ではアステルの砦は降伏?」

 ラヴェルは驚いて言った。

 レルシェルの部隊はアステルの砦を救援するために急行してきた。その砦が陥ちたのでは意味がない。だが、砦は今攻撃を受けている様子はなかった。

「あ!」

 ラヴェルはその意味に気付いて思わず声を上げた。

「そうだ。彼らは砦を明け渡した。つまり明け渡す準備が出来たと言うことだ」

 レルシェルはにやと笑って言った。

「撤退するぞ! 足の遅い部隊から後退する。怪我人を取り残すな! 皆で帰るぞ!」

 レルシェルは美しく、戦場でも良く通る声で叫んだ。

 疲労困憊だった彼女の部隊は、その声に反応して大きな歓声が上がる。

 若く美しく賢い指揮官が最前線で共に戦っている。これが彼女と彼女の率いる軍の強さの最も大きな要因の一つだった。



 一方でロイセン軍からもアステルの砦に白旗が掲げられたことが確認された。フェルナーデ軍より砦に近い彼らが白旗を発見するのは容易であった。

「やれやれだ。一杯食わされた、と言うべきだろうな」

 この部隊の指揮官のジンクマイヤーはあごひげを撫でながらため息混じりに言った。良く日に焼け、野趣に富んだ風貌を持つ彼は長年前線に立ち続けた歴戦の士官である。

「どう言うことですか?」

 参謀の一人が聞いた。

「わからんか? 奴らはこの戦いに『勝つ』つもりなど、初めからなかったのだろう」

 参謀の顔はジンクマイヤーの言葉を理解できない表情だった。

「アステルの砦の兵達は砦に篭り、町の住民を砦内に避難させる時間を稼いだ。騎士として兵士として当然であり、見事な行動だ。一方でフェルナーデ軍は陥落寸前の砦の兵達を救うべく、足の速い部隊だけでこの戦場に間に合わせた。俺達を追い払うには足りない戦力にも関わらずだ。しかし俺達も、新手の戦力に対して二正面を戦う戦力はない。砦の包囲を一旦解かねばならなかった。それを機にやつらは民衆を率いて安全圏に撤退したと言うことさ」

 ジンクマイヤーは軽く肩をすくめて説明した。

「つまりあの旗は……」

「開城の証ではあるが、降伏ではない。あの砦はもぬけの殻だろう」

 ジンクマイヤーの推測は正鵠を得ていた。

 彼の洞察は鋭かったが、同時に彼は戦慄も禁じえなかった。

 砦の守将であるアルベルトも、援軍に駆けつけたレルシェルも二十歳にも満たない若年だ。二人はおそらく事前の打ち合わせなどなかっただろう。その上で見事な連携を示したのだ。

「間もなく用が済んだフェルナーデ軍は退却するだろうな」

 ジンクマイヤーはぽつりと言った。

「では追撃しますか?」

「……やめておこう。俺達の任務はあの砦を落とすことさ。敵を殲滅しろ、と言われたわけじゃない。敵に譲られたっていいじゃないか。俺達は与えられた期限内に敵の拠点を占領した。作戦は成功したと胸を張っていいはずだろ?」

 ジンクマイヤーそう言って、部下達に戦闘を段階的に停止、後退の指示を出した。

 レルシェルの部隊に比べれば、彼の部隊の疲労度はまだましだったが、連戦の疲れの色は隠しきれていなかった。ヴェルア王国の本城は健在であり、レルシェルの第十八師団の主力は後方にあって危険を冒してまで追撃する価値を彼は感じなかった。

 その決断の潔さにレルシェルも舌を巻いた。

 彼女も敵の追撃に合わせて、後方に罠と反撃の準備を怠っていなかった。

「敵の指揮官は何を目的に戦争をしているのか良くわかっている。そう言う敵は手強い」

 レルシェルはジンクマイヤーの判断を見て唸った。

 ジンクマイヤーはレルシェルの部隊が完全に去ることを確認すると、部隊をアステルの砦へと進めた。

 白旗がたなびく砦は、やはり人の気配はなくもぬけの殻だった。

 特に罠や待ち伏せなどもなく、彼らは難なく砦を占拠した。

 この戦いは共和国となったフェルナーデとロイセン、ユグラッドを中心にした国家連合との最初の大きな戦闘となった。

 ジンクマイヤーらは当初与えられた任務を達成した。

 レルシェルはアステルの砦を守っているものたちを救うべく、ジンクマイヤーの部隊をひきつけ、そのかいあって、砦を盾に市民を守っていたアルベルトらは市民を無事避難させることが出来た。

 三者は各々一定の成果を得て、この戦いは幕引きとなった。

 

 

 その日の夕刻、レルシェルは泥と汗に塗れていた。

 彼女は率いてきた部隊が無事に安全圏へと退却するのを見届けると、本隊への合流までの指揮をラヴェルに任せ、自らは戦場だった場所へ戻って来ていた。

「まったくお前は変わった奴だ。わざわざ戦死した奴の墓を立てようなんてな。しかも敵の兵士までとはお人よしが過ぎるぜ」

 ギャランは呆れたように言った。彼もまた泥と汗塗れであった。

 レルシェルと共に引き返したのは、ギャランら元傭兵を中心とした北壁騎士団からのレルシェルの部下数十名だった。

「騎士や傭兵が戦場で倒れるなら、それは名誉あることかもしれない。職業軍人は有事のときに戦うのが仕事だからな。でも、今回の戦争は違う。彼らのほとんどは本来は農夫であったり、職人であったり、商売人だった市民だ。彼らは国を守るため、志願、あるいは徴兵によって武器を持ち、そしてここで倒れた」

 レルシェルはあまり慣れてない様子で、スコップを扱い、掘られた穴に土を投げ入れていく。そこには今日命を失ったばかりの兵士の姿があった。

「フェルナーデの者も、ロイセンの者も等しく無念だったと私は思う。守るべき故郷があると言うことは、帰りたい故郷があったと言うことだ」

 レルシェルの作業を進めながら淡々と言った。作業をする間、彼女はずっと感情を押し殺していた。その声は彼女を知る者にとって彼女の心情を察するに十分すぎた。

「しかしよ、ここはもうロイセンの勢力下だ。まったく緊張感がねえって言うか危機感がねえって言うか……」

 あらかた埋葬が終わるとギャランがぼやいた。レルシェルは一息つくとしばらくぶりに感情を乗せた声で言った。

「十分その危機管理は出来ていると思うぞ。だからただの工兵ではなく、卿らを連れて来た訳だ」

「おいおい、俺達なら良いってのかよ」

「そうじゃない。卿らなら危機に陥ってもなんとかなる実力があるだろう?」

「やれやれ、それが危機管理ねえ?」

 レルシェルの声は少し愉快そうだ。

 ギャランもニヤと笑った。レルシェルとギャランらの信頼関係は北壁騎士団以来のものだ。ギャランのぼやきは、レルシェルの言葉を想定したもので、レルシェルも彼の気遣いに気付いていた。

「それにリズも居るし。リズの感覚は普通の偵察兵よりずっと信頼できる」

 リズは傍の高い木の枝に腰掛け、足をぶらぶらさせたり鼻歌を歌ったりしている。彼女はそうやってリラックスをしている時が一番五感が鋭くなると主張している。

 そのリズが急に立ち上がり、じっと一点を見つめた。北東の方角、ジンクマイヤーの部隊の本隊が居ると思われる方角だ。

「レルシェル様! 数人……いえ、六人の騎兵がこちらに向かっています!」

 リズは左手で方向を示して鋭く報告した。

 レルシェルたちは彼女が指を指す方向に目を凝らしたが、無人の平原しか見えない。リズの目はどこまで見通せるのか不思議に思った。

「六人? 哨戒部隊か?」

「哨戒なら歩兵がやるだろう。かと言ってあの人数で私達を追い払いに来たとは思えない。まずは様子を見よう」

 ギャランの問いかけにレルシェルが答え、彼女はギャランの部下達を集合させ、ロイセンに所属すると思われる騎兵に備えた。

 やがて彼女達の目にもその姿は映る。

 騎兵達は速度を速めるでもなく緩めるわけでもなく、一直線にレルシェルたちに向かって行った。

 彼らは堂々とレルシェルたちの目の前まで騎行し、洗練と統一された所作で馬から降りた。皆、ロイセンの騎士である鎧と騎兵兜を付けている。一目で精鋭の騎兵であることが分かった。

 その中で中央にいた小柄な騎士が兜をとる。

 銀色の髪がこぼれ、風になびく。

 あらわになったその顔は、澄んだ水色の瞳と銀色の髪を持つ美女だった。その美貌はレルシェルにも勝るとも劣らない。

 彼女は微笑んだ。

 レルシェルは驚いた。

「私の名はエルフリーデ・フォン・ロイセン。名が示す通りロイセン王家に連なるものであり、遠征軍の総司令官だ。この舞台の指揮官はだれか?」

 エルフリーデは不敵に微笑み、わかっていると言わんばかりにレルシェルを見て言った。

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