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Forgotten Saga  作者: 水夜ちはる
第十一章・血塗られし都
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第1話

王国は滅びた。その証として、王族の処刑が必要だった。

その贄に選ばれたのは、王妃ディアーヌであった。薄曇のルテティアの街で、彼女は静かに断頭台の上に立つ。

一つの才能が失われようとしていた。だが、犠牲者は彼女一人ではなかったのである――。

  1


 極めて端正な顔立ちと言うものは、時して冷徹な印象を与えることがある。

 レルシェル・デ・リュセフィーヌと言う少女も稀有なる美貌の持ち主で、白磁の肌と真っ直ぐな黄金の髪、翠玉色の澄んだ瞳は、動きがなければ見事な彫刻のような美しさである。

 しかし彼女は実に喜怒哀楽をその美しい顔で表し、彼女に対して冷たい印象を持つ者は皆無だ。それは彼女を慕う市民から、直接彼女と会話を交わす者たちすべてだった。

 その彼女が今は表情を失い、その端正な顔を凍らせてじっと感情を押し殺している。それは常の彼女ではなく、見るものを不安にさせる結果になった。

 集まった市民たちはそんなレルシェルの表情を見て、不安げにざわめいていた。普段のレルシェルであれば、そんな空気を感じ取って何かしら言葉なり態度なりで市民の不安を和らげてあろうが、この日ばかりは彼女にその余裕はまったくなかった。

「まったく、あいつは良くやる。あの場所にいるだけで立派なもんだと俺は思うぜ」

 人波の中でレルシェルの姿を認めて言ったのは彼女の部下であるギャラン・スタンフォートだ。

「皮肉なもんだ。最後まで王国を守ろうとしたあの人が、最後まで王国を支えた人の処刑の護送を勤めるなんてな」

 ギャランの隣で日に焼けた精悍な男が言った。身体は細いが絞まった筋肉を持つ男だ。ディルク・クラウフェルトと言うギャランとは傭兵時代からの付き合いがある仲間だ。

 彼の言う通りだった。

 レルシェルは今、十数名の騎兵と共に王妃ディアーヌを露天馬車に乗せ、ルテティアの中心部にある宮殿前の中央広場へ向かっている。その中央広場で、ディアーヌは処刑されるのだ。

 ディアーヌはレルシェルとは対照的に穏やかな表情でルテティアの景色を眺めていた。

 ルテティアに迫った革命軍と民衆に対し、彼女は王の代理者としてすみやかに降伏を選んだ。城の外ではレルシェルやフィルマンが革命軍と互角以上の戦いを見せていたが、王国の権威は失墜し、民意は王国にないと悟ったからだ。その英断により、ルテティアの街は戦火に焼かれることなく、この秩序を保っている。

 それだけでなく彼女は王妃でありながら、官僚のトップとなって末期的な王国の行政を天才的な手腕で支え続けた。

 王国を傾けたのは彼女のせいではない。

 どちらかと言えば同じ王族でも宰相として政治と軍事の最高の権力と責任を持ち、投機的で散発的な軍事行動と、特権階級を意識した不平等な法令を乱発したテオドール公にある。さらに言及するならば国の統治を放棄した国王セリオスにあると言えた。



 しかし彼女は自ら処刑台に立つことを選んだ。



「革命が成り、王国が倒れたのです。王族の首一つくらいは必要でしょう」

 ディアーヌはまるで他人事のようにそう言った。

 テオドールは革命戦争において王国の敗北が濃厚になると早々に行方をくらませていた。セリオスは彼女の最も愛すべき夫であり、その夫の命を差し出すことなど彼女には考えられなかった。

 またその決断に彼女らしさがあった。彼女の首は政治的にとても「軽い」からだ。

 通常、王の正妻ともなれば相応の血筋が求められる。ディアーヌはセリオスにとって三番目の妃であったとは言え、無名の中流貴族の出身で異例の存在だった。

 彼女の処刑に対して反発する国内の貴族もなく、他国がそれを理由に攻め入ることも無い。実に合理的で彼女らしい判断だった。

 それを自ら理路整然と革命政府の面々に語ったときは、彼らもさすがに鼻白んだ。

「よろしい。それでは王妃様のご提案を採ろうではないか」

 革命政府代表のキュメイル・オリオールはそう答えた。合理的な判断に彼らにとっては願ってもない提案だった。唯一、行政官として極めて優れた彼女の才能が失われること以外には。

「この命の代償は、他の王族に危害を加えぬことです。その約束をしていただけるならば、この首惜しくはありません」

 ディアーヌの交渉条件は極めて明快だ。だがオリオールたちは疑問に思った。ディアーヌがどれだけセリオスを愛していたからと言って、こうも潔く決断できるものなのだろうか。

 しかしディアーヌの提案を退けるほどの理由が彼らにはなかった。

 ディアーヌを乗せた馬車が中央広場にたどり着く。

 革命政府の正規兵による厳戒態勢もあるが、ルテティア市街に慣れたギャランらの働きもあって、集まった大勢の市民たちの不安たる様相と裏腹に秩序は保たれていた。

 これはレルシェルの力か。ディアーヌは感心し、レルシェルを見た。

 その少女はやるだけの事はやったのだろう。だが硬く沈んだ表情でディアーヌを見つめていた。

「レルシェル……あなたには辛い役目をさせてしまいましたね。これも政治的な選択なのでしょうけど」

 レルシェルをディアーヌ処刑の護送の任当てたのは、ディアーヌの想像通りだった。

 最後まで王国の側に立って戦い、ディアーヌを守ったレルシェルが、ディアーヌの処刑に立ち会う。これは少なからず燻る旧王国派に冷や水をかけるにまたとない機会だ。

「ディアーヌ様……」

 レルシェルはどんな表情をして良いか分からずに困惑した。

 ディアーヌはそんな少女を見て柔らかく微笑んだ。

「あなたは良く王国に尽くしてくれた。感謝しています。陛下があなたを北壁騎士団の団長に選んだときは正直悪い冗談かと思ったけど、陛下の人を見る眼は曇っていなかったわ。思えば、私もあの人に見出された一人でした。いえ、それほどの才能もなかったから、どうかしらね」

 ディアーヌは肩をすくめて笑った。

「いえ、そんなことは……」

 レルシェルが否定の言葉を言うと、ディアーヌは首を横に振った。

「そうね。あなたはこの時代に必要な人間です。その点に関して、陛下の目には狂いはなかった。共和制とは一人の人間が民を率いていく制度ではないけど、あなたの才は多くの人々に必要とされるでしょう」

 ディアーヌは目を細め、表情を引き締めた。

「辛いかもしれません。でも……王国は滅んでしまったけど……この国を頼みます。レルシェル・デ・リュセフィーヌ」

 レルシェルはディアーヌの強い眼光に圧倒された。それは死に逝く者の瞳ではなかった。彼女の眼は死を前にしても国の行く末を案じていた。

 レルシェルは唇を噛み、動揺と不安を振り払って強く頷いた。

「はい! 力の限りに――!」

 力強い声と視線にディアーヌは満足して微笑んだ。

 ディアーヌは振り返り、オリオールを見る。

「そろそろよろしいか」

 オリオールは冷静な声で言った。

「そうですね。オリオール卿、あなたにも頼みます。この国を、この民を良き道へと導いてください」

 死を前にしたディアーヌの立ち振る舞いにオリオールは驚いていたが、彼も革命を率いてきた胆力の持ち主である。落ち着いて彼女の願いに頷いた。もとよりそのつもりで革命を起こしたのである。

「王妃殿下、ご安心なされよ。必ずや我々がこの国を変えて見せます」

 オリオールの答えにディアーヌは安心したように頷き、自ら処刑台の上に立った。

 広場でも一段高い位置に設置された処刑台からは、ルテティアの街が広く見ることが出来た。

 ディアーヌは目を細めてその光景を見た。

 懐かしむように、愛おしいように、名残惜しむように。

 オリオールがディアーヌに続いて処刑台に上った。

 手には大きな剣が握られていた。処刑専用に作られたと言われる、重量のある剣だ。処刑される者が苦しまぬよう、一撃で首を落とせるように開発されたと言われている。

 ディアーヌは頭を僅かに垂れ、そして静かに眼を閉じた。

 それを見てオリオールは頷き、剣を高々と掲げた。

「共和国に栄光あれ!」

 彼はそう叫ぶと、剣を振り下ろす。

 悲鳴とどよめきと歓声。様々な感情と音が入り混じった中、ディアーヌの首がその体から永遠の別れを告げた。




 フェルナーデ国王セリオス三世の三番目の妃、ディアーヌは王族の代表として処刑された。

 享年二十七才――。

 才色兼備の王妃は有能な行政官として様々な功績を残したが、戦場の勝利者や制度の改革者のようにその業績が一般市民に知れ渡ることはほとんどなかった。

 政治を放棄した王の妃。成り上がりの王妃。市民の中では彼女の印象とはそう言うものだった。

 だが彼女を良く知る者ほど、彼女の死を悼み、嘆き、憂いたと言う。




 そして彼女の死は、それに関わった者たちが考える以上に世界に影響を与えることとなる。

 それは彼女自身、予想の外にあることだった。




「よお、レルシェル! 久しぶりだな。忙しいのか?」

 ディアーヌの死から数日が経つ。

 酒場の主人、テオが一人現れた少女に声をかけた。

 ルテティア北壁地区の下町にあるテオの店はレルシェルのような上流貴族が訪れるような店ではない。だがレルシェルは北壁騎士団就任以来、素朴で喧騒と自由に満ちたこの店を懇意にしている。

「ああ、まったくだ。猫の手も借りたいとはこのことだな」

 レルシェルは苦笑いをしてカウンターに座ろうとして、良く見る大男がいることに気がついた。ギャランだった。

「ギャラン、卿も来ていたのか」

「おう、先にやっているぜ」

 ギャランは酒の入った杯を掲げて言った。ごつい顔には赤みが差していて、すでに酒が入っていることを表していた。

「いいのかギャラン? 上官が忙しくしているのにお前は暇そうに先に飲んでいて」

 テオがからかうように言った。

「レルシェルが忙しいのは俺のせいじゃねえ。俺は俺の給料分の仕事はしているからな。文句を言われる筋合いはねえよ」

 ギャランは荒っぽくテオに反論し、席を叩いてレルシェルを招いた。

 レルシェルは笑って頷いた。

 この店では、身分も階級もない。それはレルシェル自身が望んでいることだ。レルシェルはこの雰囲気が好きなのだ。

「テオ、景気はどうだ? 繁盛しているようだが」

 レルシェルはギャランの隣に座りながら言った。

 店内は王国時代と変わらず、大勢の客でにぎわっている。

「そうだな。革命軍の連中もいるから、人は増えたな。だが、難民や流民も増えて治安も悪くなってる。レルシェルが北壁を仕切っている頃のほうが良かったな」

「そうか……すまない」

 レルシェルはテオが表裏なく言うことを知っている。彼の言葉は率直な市民の一意見だろう。

「レルシェルの責任って……そうなるのか」

「まあ、そう言うことだ」

 レルシェルは苦笑いをして言った。レルシェルは北壁だけでなく、このルテティアの治安維持の指揮を取る立場にある。治安の悪化は彼女が解決しなければならない問題だった。

「まあこれからだろ? 期待してるぜ」

 テオは豪快に笑いながら言った。その声には裏も嫌味もない。その心地よさにレルシェルは自然と笑みを浮かべて頷くのであった。

「しかしギャラン、卿がいてくれて助かった。新編された首都警備師団だけでは上手く行かなかっただろう」

 王都とその周辺の防衛と治安維持のため、レルシェルには約一八〇〇〇の兵力が与えられていた。一個師団に勝る兵力数であるが、王国側として戦ったレルシェルに対して信用の置けない共和政府は彼女の部下を一新し、ほとんどが革命側で戦った部下で編成した。

 彼らはルテティアの地理に明るくなく、各所で混乱が起こっていった。

 そこをレルシェルはディアーヌの護送に際してギャランらを傭兵として雇い入れ、遊撃部隊として密かに警護に当たらせたのである。

 結果、大規模ではなかったが、王政を取り戻そうとする一派の暴動を未然に阻止することが出来た。

「ま、俺達がいなかったほうが、王妃様はもしかして生き延びれたのかもな」

 ギャランは難しい表情で言った。

 レルシェルはディアーヌの処刑を思い出し、ため息をついた。

「いや、ディアーヌ様はそれを望んでおられなかった。混乱がおき、市民と町に被害が出ないように、と念を押されていた。それにディアーヌ様がいなくなれば、次に矢面に立たねばならぬのは陛下になる」

「その陛下だ。その王様は何をしてやがるんだ。自分の妻が処刑されたってのによ?」

 ギャランの声は荒い。男性として怒りの篭った声に、レルシェルは同調しないわけではなかったが、首を横に振って答えた。

「それもディアーヌ様のご意志だ。ディアーヌ様は嫁いで王族に入ったが、陛下は純粋な王族の血統だからな。フェルナーデの王族を処刑した、となれば、諸外国が黙ってはいないだろう。他の国は……すべて王族、特権階級が権力を持っているわけだからな」

 レルシェルの説明にギャランは半分納得したような、半分納得していないような顔をした。

 なおディアーヌ処刑の当日、セリオスは酒を浴びるように飲み、前後不覚を三度ほど通り越すようなひどい泥酔状態になっていたらしい。そうでなければ精神を保てなかったのだ。

 それに付き合ったのはセリオスの親友であるフェデルタだ。知的で冷静なセリオスがあれほど乱れた姿であるのを見たのは初めてだ、とフェデルタはレルシェルに話していた。セリオスの性格を知るレルシェルも、彼の心情を察して言葉が出なかった。

「そうは言ってもフェルナーデはしょっちゅう戦争してるんだろ?」

 テオは呆れたように言った。

「たしかにそれはそうだが、戦争と言ってもこれまでは国境付近での小競り合いがほとんどだ。だが私の言っている戦争は、国と国が存亡をかけて戦うものだ。規模が違う。しかもそうなればフェルナーデは諸外国すべてと戦うことになるぞ」

 レルシェルの言にテオは軽い口調で応えようとしたが、レルシェルの表情は彼が思ったより硬く、テオはその軽口を生唾と共に飲み込んだ。

「まさか……そんな戦争が始まっちまう、なんてことはないよな?」

 テオの質問にレルシェルは明確な答えを返すことが出来なかった。

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