第5話
斜陽の王国に祭上げられた『英雄』の少女。
剣と銃と魔物と陰謀のダークファンタジー!
第七章・「レルシェルの初陣」
ついに勃発した大規模な反乱。
英雄レルシェルは王都旅団を率い初陣に発つ。
だが、味方の軍が総崩れし孤立した王都旅団は――?
「さて、あのレルシェル・デ・リュセフィーヌはこの状況で何をしてくるかな。王国軍の指揮官の無能さにはさすがに食傷気味だ。彼女なら楽しませてくれるかな?」
リシェールはそう嘯いた。そう言うだけのことを彼は成し遂げている。彼は何倍もの王国軍を相手取り、臆さず怯まず勇敢に戦い策謀を巡らせて勝利を重ねてきた。今もまた王国軍三個師団を手玉に取り、散々に打ち破ったばかりだ。
彼は王国軍主力の追撃をジルベルスタイン軍に任せると、自軍を一端引き返しアルビンの丘へ向かわせた。アルビンには王国軍主力が敗退したため、王都旅団が取り残される形となっていた。
発案はアルノだった。
彼らはレルシェルの才能と名声を評価していた。王国との戦いはまだ先がある。味方に引き入れられないとなれば、倒せるときに倒しておくべきだとアルノは考えた。リシェールなどは倒しがいのある人物が敵にいることを歓迎する節もあるが、作戦立案を担当するアルノとしてはなるべくそう言った要素は省いていきたい。王国にはまだ動きはないが戦争の天才ヴァーテンベルク伯オスカーという人材もいる。
「あの娘はどういう選択肢を取るだろうな? 自尊心の高そうな感じだった。まさか降伏はしないだろうし、部下を巻き込んでの玉砕もないだろう。やはり、隙を突いての撤退だろうな」
リシェールの言葉にアルノは頷いた。
「おそらく彼女ならその選択をするだろう。ならば僕たちとしてはその隙を作らないことだ」
アルノの言葉でリシェールは戦術の概要を理解した。二人の間にそれほどの言葉は必要ない。
リシェールはすばやく戦術案を実行に移した。
「あと一万、いや六千あれば全包囲できるんだがなあ」
リシェールは残念そうに言った。
リシェールは相手より三倍ある戦力を活かし、相手を半包囲するように陣を敷いた。包囲に穴が開いてしまうのは彼が持つ戦力の限界だった。無理に包囲網を伸ばせば、その分兵力が分散する。薄くなった陣を一点突破されやすくなってしまう。それよりも彼は陣の厚みと攻撃力を重視して半包囲を選んだ。それにより断続的で重厚な攻撃は王都旅団を苦しめ、下手な撤退行動を行なえば総崩れになりかねないと言う重圧を与えた。
王都旅団の意思決定は早かった。レルシェルが即断したからである。
「逃げる。今はこれしかない」
屈辱的ともいえる選択を彼女はためらわなかった。それが今最良の選択であることを彼女は信じて疑わなかったからだ。アンティウスら彼女の部下も彼女の判断が正しいものだと信じた。
問題は逃げる方法だった。反乱軍の攻撃は熾烈だったためだ。今は防御に徹しているため何とか戦線を維持できているが、退却する際にはどうしても隙が伴う。その隙を見せたとき、リシェールは見逃してくれないだろう。
レルシェルはため息をついた。
「リシェールと言う男は意外としつこいやつだな。会った時はもっとさばさばした男かと思っていたが」
反乱軍の攻撃は断続的で気を抜くことができなかった。
「タイプではないですか?」
アンティウスが馬を寄せて彼には珍しい冗談を言った。その意外さにレルシェルは目を丸くして驚き、そして少し吹き出した。劣勢の軍の主将と副将の空気ではなかった。
「そうだな。次に誘われたときにはきっぱりと断ることにしよう」
「そうしてください。それでも無理に付きまとわれるようであれば、我ら騎士の出番です」
レルシェルの冗談にアンティウスは笑いながら応えた。
アンティウスは元々ユーモアを理解できない人間ではない。だが、生真面目な性格のため職務中はそう言った一面はほとんど出てこない。アンティウスの珍しい一面を見て、レルシェルは彼のことをまた理解できたように思い嬉しかった。
「しかしこれほど執拗な攻撃だと、卿の立てた案しかなかったかもしれないな」
レルシェルは表情を引き締めて言った。
撤退を決めたはいいが、反乱軍の攻撃の前にその方法を彼女は決めかねていた。そこへ意見を述べたのがアンティウスだった。
アンティウスの策は旅団を小部隊に幾つか分け、大部分の部隊が敵の攻撃を支え、その隙に一部隊づつ段階的に撤退させる方法だった。たしかにこの方法であれば撤退する部隊は安全で勝つ迅速に戦場を離れられる。
だが、レルシェルはこの策に始め難色を示した。この策では敵を支える戦力は徐々に減少する。そして最後に残される部隊の運命は火を見るより明らかだ。
だが、アンティウスは言った。
「戦いに犠牲は付き物です。それも敗色濃厚となればなおのこと。指揮官のあなたは出来るだけその犠牲を『少なくする』義務がある」
アンティウスの冷徹な言葉にレルシェルはわずかに震えた。彼の言うことは正しいが、彼女は自身の指示によって生まれる犠牲のことを考えると怯えずにはいられなかった。だが、彼女はある決意と供に彼の案を採用する決断を下した。
「おう、レルシェル、アンティウス。先に行かせてもらうぜ」
大きな声で呼びかけてきたのはギャランだった。ギャランは離脱する部隊の最先鋒を任されていた。
アンティウスはその役目をレルシェルに担ってもらい、いち早く戦場から離脱させるつもりでいた。それが旅団随一の豪傑の彼がその役目に選ばれたのは二つ理由がある。
「この状況で最高指揮官が真っ先に逃げたとあれば、この作戦は成立しないだろう」
アンティウスの具申を聞いたとき、彼女はそう言った。確かに指揮官が真っ先に戦場を離脱したとなれば保身とも取られかねない。旅団の士気は落ち、残された兵士も不安に掻き立てられ戦線の維持が難しくなる恐れがあった。
もう一つは戦場を離れるとは言え、退却先に敵が伏せている可能性もゼロではない。もし敵がいた場合、突破するだけの力が要る。危険を排除し、後続のため突破口を開ける力を買われてギャランが選ばれていた。
ギャランとアンティウスはこの少し前、わずかだが二人で話す機会を得ている。
北壁騎士団で長く同僚を勤めた二人だ。
「アンティウス。レルシェルは上手いこと逃げてくれるかな?」
「どうかな、あの人はやはり『英雄』だ。おそらく最後まで殿に残ると言いそうだ」
「おい、それじゃ……」
「わかっている。それもわかった上で俺はこの作戦を提案した」
「……何?」
「大丈夫だギャラン。あの人はこんな所で死なないよ。死なせはしない」
「アンティウス……てめえ……」
「……ギャラン、俺は俺のできることをやる。卿は卿の出来ることしろ。そうでなければこの戦場は切り抜けられない」
ギャランはその時静かに言ったアンティウスの目を思い出してしばらく彼を見つめた。
「どうしたギャラン?」
ギャランはレルシェルの声で我に返った。
「ああ、いや何でもない」
ギャランは頭を掻いて言った。
「頼んだぞ。皆の退路を切り開いてくれ」
「ああ、任せてもらおう。先に行って待ってるぜ」
レルシェルはギャランの力強い言葉に満足して小さな拳を出した。ギャランもにやりと笑って大きな拳で彼女に合わせた。二人は目を合わせて微笑んだ。
ギャランは思いを断ち切ってその場を後にした。それぞれがそれぞれできることやる。アンティウスの言葉通りにしなければいけないことを彼はわかっていた。
「なかなかに粘り強いな、王都旅団は」
戦況を眺めやりながらリシェールは呟いた。圧倒的に彼らに有利な状況は変わらない。だが、王都旅団もわずかに戦線を後退、縮小させつつも決定的な穴をあけさせず頑強な抵抗を続けた。
「後一押しと言うところを的確に防いでくる。指揮と兵との距離が小さいのだろう。物理的にも精神的にも」
アルノはそう評した。リシェールもそれに同意する。
「俺でもあそこまで兵を扱えない。レルシェル・デ・リュセフィーヌはそれができる。天性の才という奴かな」
「やっぱり彼女が欲しくなったかい?」
「欲しい欲しくないの話をしたら、欲しいに決まっている」
リシェールは苦笑いをして言った。だが、たとえ生け捕りにしても彼女はこの旗の下では戦わないだろう。
「しかし王都旅団は上手い手に出たね。少しづつだが軍を割って撤退を始めている。現状彼らが取れる最良の選択だろうね。もしかするともうあの丘にはあの娘はいないかもしれない」
アルノは旅団の撤退作戦を賞賛した。
「いや、彼女はいるな、まだあの丘に」
リシェールは確信のある声で否定した。
「うん?」
アルノは何故そこまで確信を持って言えるのかわからなかった。王都旅団が取った作戦は犠牲を覚悟の上で大多数を逃すのが目的だ。その大多数の中に最高指揮官が含まれないなど、彼には想像できなかった。
「アルノにしては察しが悪いな。まあ価値観の違いかもしれない。彼女があそこに残っている理由はな、彼女が『英雄』だからだよ」
リシェールは言ったがアルノはまだ理解が出来ないようだった。
「自己犠牲は大衆の目に美しく映る。彼女がそれを狙ってやっているかどうかは知らんが、彼女はこの戦い、旅団の部下を救うため最後まで残って戦い死ぬだろう。それが彼女の矜持だ。それが『英雄』でなくてなんだ?」
アルノは驚いてリシェールを見た。理で割れぬもの人は信仰することがある。それは合理的な精神の持ち主のアルノにも理解が出来る。だがそれはアルノの想像の範囲外だった。この時リシェールのほうがレルシェルの立場が近く、彼女のことをよく理解できたと言えた。
「『英雄』は大衆が望む英雄であり続けなければならない。それを裏切った英雄など、人々に忘れ去られ詩人にも歌われなくなる」
リシェールはアルノにも聞こえないような小さな声で呟いた。その声はとても低く寂しいものだった。
レルシェルの肩で息をした。美しい顔は汗と埃で塗れ、金色の艶やかな髪も乱れていた。彼女の剣は血に塗れ、軍服もまた返り血でところどころどす黒く染まっている。もはや前衛と司令部の境はなくすべての将兵が目の前の敵と戦っていた。
ギャランの言っていた事は正しいな、と彼女は思う。指揮官の剣が血に染まり、彼女はまさに負け戦を戦っている。
「アンティウス! 味方は上手く退却できたか?」
レルシェルは大声で叫んだ。大声でも損なわれぬ美しい声は戦場でも良く通り、アンティウスの元に届く。レルシェルとアンティウスの奮戦により王都旅団は二人の直属の部隊のみを残して戦場から離脱していた。
「はい! 残すところはレルシェル様と私の部隊だけですよ」
二人の武勇は比類なく、また二人の部下たちも勇者に率いられて良く戦ったが多勢に無勢は覆せなかった。百余名となった王都旅団は地形を活かしつつ抵抗を続けていたが、風前の灯だった。味方は時と共にまた一人、また一人と倒れていく。
「頃合だな。アンティウス、卿も退却しろ」
レルシェルの言葉にアンティウスは困惑した表情を浮かべた。
彼女は優しげに微笑んだ。
「どうせ卿のことだから、ここは自分に任せて私を逃がそうとか言うと思ったが、それはなしだぞ」
「レルシェル様……」
アンティウスはレルシェルに近づいた。
「卿はこの私なんかのために良くやってくれた。王都でもこの戦場でも。本当に感謝している。卿ならば……ぐふっ?」
レルシェルは腹部に鋭い痛みを感じて目を白黒させた。彼女の腹部にはアンティウスの拳がめり込んでいた。レルシェルは完全に不意を付かれる形になっていた。
「アンティ……ウス?」
レルシェルは痛みの中、彼を見た。アンティウスは優しげな目で微笑んでいた。
「ロベール、レルシェル様を頼む」
アンティウスは配下の若い騎士を呼んだ。ギャランにも勝らぬとも劣らない大きな男だった。ロベールは腹部を痛打されて下半身に力の入らないレルシェルを軽々と担ぎ上げた。
「やめ……ろ、貴様。はな……せ! アンティウス……何を考えている?」
レルシェルはもがくように暴れたが、力の入らない状態ではロベールを振りほどくことが出来なかった。
アンティウスは微笑んでレルシェルを見た。
「レルシェル様……生きてください。これが私の……俺の願いです」
静かな彼の声にレルシェルははっとなって彼を見た。
「俺は、騎士です。この身命は誰かに捧げるものと決めて生きてきた。それがあなたのような人でよかった。この腐った時代でもあなたのような人がいてよかった」
レルシェルは愕然とした。この作戦をアンティウスが立案したとき、彼の覚悟はもう決まっていたのだ。
「馬鹿を言うな……アンティウス……」
レルシェルは首を横に振って彼の言葉を拒否した。
アンティウスは笑った。
「いまや北壁騎士団にはあなたのために死ねる騎士は十や二十ではききませんよ。俺もその一人だと言うことです」
アンティウスの声は晴れ晴れとしている。死に直面して彼に迷いはなかった。その声にレルシェルは言葉をつむぐことが出来なかった。
「行け、ロベール!」
レルシェルを抱えたロベールは頷き、馬に跨った。
アンティウスはレルシェルたちに背を向けた。
北壁騎士団の象徴たる外套は戦いによってボロボロに解れていたが、アンティウスの背中はこれまでで最も誇らしい背中だった。レルシェルはその背中を目に焼き付けた。
「レルシェル様――。俺はあなたの騎士であれて幸せでした――」
ロベールが馬を走らせる。戦場が、アンティウスが急速に遠のいていく。レルシェルは何かを叫ぼうとした。声が出なかった。声が出なくて、彼女は固く固くその目を瞑った――。




