第4話
斜陽の王国に祭上げられた『英雄』の少女。
剣と銃と魔物と陰謀のダークファンタジー!
第六章・「トゥールズの休日」 休暇中のフェデルタは旧友トゥルーズ公テオドアの元を訪れるが、その街にも魔を宿した盲目の少女――魔物の気配があった。
「フェデルタ、さすがだね。完全に私の負けだった。ちょっとは自信あったんだけどな」
城壁に上がり、リズは町を見下ろしながら言った。試合の後、二人で話をしようと誘ったのはリズのほうだった。フェデルタは石造りの壁に身体を預けながら小さな少女を見た。身体的には大きく成長は望めないだろうが、彼女は若くまだ伸びしろがあるように思える。
「いや、お前もなかなかものだったぜ。正直驚いた」
フェデルタは率直な感想を述べた。
リズはフェデルタに会ったばかりだが、彼は世辞を言うような人柄でないことはわかり始めていたのでその言葉は嬉しかった。
「えへへ。そう言われると嬉しい」
リズは素直に言うと伸びをして町を見た。ファヴァールがある方角だった。
彼女は少し切なそうな顔をしてつぶやく。
「でもどんなに強くても、私たちはエリーゼを救うことができない」
フェデルタは何も言わず、リズの横顔を見た。
基本的に魔物化した人間を元に戻す方法は解明されていない。彼らがしてきたことは、魔物化し凶暴となって人を害するようになったものを殺すだけだった。
唯一、メフィストに魔物化されたルクレール候ベルナルドは魔物化した右腕を切り落とされ、命をながられていると言うことだが、その後の彼の様子をフェデルタは知らなかった。
フェデルタは目を細めた。
「この件、俺に任せろ。お前にとっては辛いばかりだろ?」
フェデルタがぶっきらぼうに言った。だが、それは彼なりの優しさだった。リズは彼の言わんとしていることを理解して振り返った。
彼女は少しの間うつむいて逡巡した。
だが勢いよく顔を上げると大きな目でフェデルタをじっと見つめた。
「いやだ。私も行く。エリーゼは私の妹だ。血は繋がってないけど、わずかな間だけど、私たちは一緒に暮らした。エリーゼを助けられないなら、せめて私の手で――」
リズは大きな目を見開いて強く言った。それは強く強く、悲しさにみち溢れていた。
フェデルタは苦い表情で少女を見た。彼女は強いと思ったが、その強さは自身を滅ぼしかねない危うさを孕んでいるように思えた。
彼はそう思いつつも「わかった」とだけ答えた。
二人はファヴァールへ向かった。
シスターや子供たちの様子からもエリーゼが凶暴化した様子はなさそうだったが、早いほうが良いと思ったからだ。またもし修道院で彼女が凶暴化すれば被害者となるのは彼女の同胞となるのは必至だ。そんな罪を彼女に負わせたくないとリズは思った。
ファヴァールの修道院に近づくと修道院から悲鳴が聞こえた。それから間もなく修道院からガラの悪い男たちが駆け出してくる。全うな職業の人柄ではない。人買いの末端の組織員だろう。彼らはたびたび修道院に現れては嫌がらせを働いていた。エリーゼが逃げ出したり売る気をなくさないようにするためだ。
だが今、彼らは皆一様に恐怖に顔を歪ませ、だらしないほど怯えてフェデルタたちの横を走り去っていった。
「あんなのと俺は一緒にされたのか?」
フェデルタは残念そうに呟いた。
「そう思うなら服装を改めたら? それにしてもあいつら……私が修道院にいた頃なら追い返していたのに」
リズは返したが二人は顔を合わすと真顔になって頷き、急いで修道院へ駆け込んだ。
修道院の中は騒然としていた。シスターや子供の悲鳴が聞こえてくる。その声を頼りに二人は駆けた。
そこは礼拝堂だった。
丁度礼拝の時間だったらしい。大勢の孤児たちとシスターが悲鳴を上げて慄いていた。
その先にいるのはエリーゼだった。
「ああああああああああ」
人ならざる声を悲しそうに上げ、黒い霧をまとってゆらりと立っている。フェデルタたちにとって魔物の気配は探る必要はなくなっていた。
「本格的に魔物化してしまったのか?」
フェデルタは舌打しながら言った。
彼が聞いている話では、感情の揺らぎ、特に負の感情をきっかけとして魔物化は始まると言う。不安、怒り、恐怖、嫉妬――エリーゼは一見穏やかな少女だが、彼女の中にそう言う感情がないわけではない。彼女の将来は不安なものであったし、ならず者たちの嫌がらせに怒りを覚えずにいられなかった。特に小さな孤児たちへの危害は彼女の感情を大きく揺るがした。この時もそうだった。彼女の負の感情は彼女の目に巣食った魔物を目覚めさせてしまった。
フェデルタたちが近づこうとすると黒い霧が驚異的な速度で襲い掛かった。咄嗟の判断で二人はそれを避けた。目標を失った黒い霧はそのまま床を叩き、木製の床は粉々に砕け散った。
「エリーゼ! 私よ、リズよ! わかんないの?」
リズは必至になって叫んだ。だが、エリーゼはやはり人ならざる叫びをあげると、先ほどの霧を四方八方へ放った。
礼拝堂のあちこちが破壊され瓦礫と埃が舞う。孤児たちの悲鳴が響いた。
霧の一つがリズを襲った。リズは反射的にそれを避けたが、わずかに反応が遅れて紙一重となってしまう。右肩から先のメイド服が引き裂かれて肌が露になった。
「エリーゼ……」
リズは愕然と彼女の名を呼んだ。覚悟をして望んだものの、エリーゼの姿を目の当たりにしてリズは戦意を失っていた。
フェデルタはある程度それを予測していた。リズは腕が立つが精神的に脆いところがある。幸か不幸か暗殺者としてなりそこなったのもそのためだと言えた。
フェデルタはリズの前に割り込んだ。
「リズ! 子供たちを避難させろ!」
フェデルタは背中越しに強く言った。その声にリズは身体を一瞬震わせた。
「えっ? わ、わかった!」
我に返ったリズはフェデルタの判断が正しいと思い、背を向けて孤児やシスターがいるほうへ向かった。
フェデルタは背負ったグングニールを取り出して構えた。
エリーゼに取り付いている魔物からはそれほどの力を感じない。フェデルタが戦った魔物の中では強いほうではなく、彼とグングニールの力を持ってすれば滅ぼすのはそう難しくない。彼は肌でそれを感じ取っていた。
エリーゼがフェデルタに目標を定めて攻撃を繰り出した。フェデルタは冷静な判断と身軽な動きでそれをかわしていく。グングニールを投擲すれば、聖槍の魔力は確実にエリーゼを打ち抜くだろう。だが、フェデルタは反撃をしなかった。
フェデルタは後悔した。事前にエリーゼに会うのではなかった、と。フェデルタは冷静に仕事に徹することが出来る人間である。そんな彼でも情というものがないわけではない。
「どうしたフェデルタ? 変わった敵に戸惑っているのか?」
そんな彼に声をかけたのはグングニールだった。
「変わった敵だと?」
フェデルタは聞き返した。グングニールは子供のような声だが、長い年月を過ごしてきた槍で戦闘の経験と知識はフェデルタの及ぶところではない。
「ああ、あれは珍しい『魔』だ。『魔物』ではない」
グングニールは愉快そうに言った。
「どういう意味だ? 魔物ではないのか?」
フェデルタは驚いて訊いた。
「ああ。『魔物』とは文字通り魔力が物質……つまり肉体や物だな。そう言った物に取り憑いて初めて『魔物』となる。魔は普通そのままではなかなか存在しないんだ。魔力は何かを依り代にしないと散らばってしまうものだからな。おそらくあの娘の最大のコンプレックスである目を依り代にしようとしたんだろうが、その目があの娘は機能していない。依り代に取り憑き損ねている状態だな」
グングニールの言葉を聞いてフェデルタはエリーゼを注意深く見た。魔物化した人間は漏れず禍々しい肉体へ変化するものだ。だがエリーゼ自身の肉体に変化は見られない。フェデルタはこれまで戦ってきた魔物とエリーゼは違うことを確信した。
「じゃあ、その魔力だけを殺せばエリーゼは助かるのか?」
フェデルタは訊いた。グングニールは即答しなかった。フェデルタは焦れてグングニールを握る手に力がこもる。
「理屈の上では可能だ。魔力だけを斬ることができればな。だが、できるか? フェデルタ」
グングニールは冷たく言った。
フェデルタは歯軋りをしてエリーゼを、いやエリーゼが纏っている魔力を睨みつけた。魔力の中心を見ることは出来る。だが、それはグングニールが言うとおりエリーゼの目に同化しようとしている。その距離はゼロに等しい。さらにその魔力は揺らめいていた。エリーゼに固着していないがゆえに、その位置は不安定で不規則に変化していた。そこに正確に、また速度を持って攻撃をしなければならない。失敗すればエリーゼの目を、いや顔そのものをそぎ取ってしまうことになりかねなかった。
フェデルタは戦士として高い能力を持っている。個人戦であればフェルナーデ中の実力者を集めても彼と打ち合えるものはごくわずかだろう。技術、速さ共に彼は一級の能力を持っている。
その彼をもってして、不確かな魔力だけを斬ることは至難に思えた。
「俺なら確実に魔力に当てられるが……」
グングニールは言ったが、フェデルタは引きつった笑みを浮かべて否定した。
「人間は柔らかいんでね。お前を使ったらエリーゼの頭は粉々になっちまうよ」
「だろうな」
グングニールは聖槍の名に恥じない威力も誇る。その切っ先だけではなく、命中時に魔術的な作用が働き強靭な生命力を誇る魔物を一撃で屠る威力があった。
フェデルタは腰の剣を見た。銃はもとより命中精度が劣る。剣に賭けるしかなかった。
「剣! そうだ!」
フェデルタはリズの姿を探した。彼女は孤児たちを避難させ終えて、フェデルタのところへ戻ってきたところだった。
「リズ、お前の獲物はなんだ? 魔物は斬れるか?」
「え? これは聖別された銀を混ぜ込んだ短刀だから、魔物もいけるよ」
リズは両手に持った短刀を見せて答えた。
「上等だ」
フェデルタは頷き、言葉を続けた。
「いいか? エリーゼを助けられるかも知れねえ」
「本当?」
エリーゼが驚いた声を上げた。彼女の顔が期待に膨らむ。
「エリーゼを良く見てみろ、彼女はまだ魔物と同化していない。魔力がわずかだが彼女の『外』にあるのがわかるだろ?」
フェデルタに言われてリズは改めてエリーゼを注視した。エリーゼの目のあたりにある黒い霧がその中心だとわかる。
「あれがエリーゼと同化する前に斬れば彼女は助かる。リズ、お前は魔物を探る感覚と、速さ、剣の正確性で俺より上だ。そのお前の力であの魔力だけを斬るんだ。できるか?」
フェデルタの言葉にリズは息を呑んだ。フェデルタの声は多分に緊張を含んでいた。
魔力の中心はエリーゼの目にほとんど触れているような距離だ。無論、エリーゼは止まっている訳ではない。黒い霧の攻撃をかわし、動く目標に対して正確な攻撃を繰り出さなければならない。攻撃が外れたとき、危険なばかりかエリーゼの顔を傷つける恐れもあった。フェデルタの声が緊張していたのはリズの能力を持ってしても、成功する確率は低かったからだ。
リズは背中に走る冷たさを感じながらも笑みを浮かべた。
「わかった。やろう。エリーゼを助けられる可能性があるんだね。可能性がゼロじゃないならやる価値はあるわ」
リズは強い口調で言った。その強さにフェデルタは希望を持つことが出来た。フェデルタは頷くと、銃を取り出してエリーゼを見た。
「俺が囮になって注意をひきつける。その隙にお前は懐に飛び込んであいつを斬れ。チャンスは一度が良いところだろう」
「一度……わかってるわ」
リズは引き締まった表情で頷いて言った。彼女も幼いながらも戦いの本質を知っている。生死を分ける戦いでは二度目がないことがほとんどだ。
「よし!」
リズの反応にフェデルタは頷き走りながら銃を撃った。無論エリーゼには当たらないようにだ。だが、銃声は大きく相手を注意をひきつけるには適していた。
黒い霧はフェデルタを攻撃する。連続する驚異的な攻撃をフェデルタは巧みに避けて銃で反撃した。
フェデルタが距離をとって戦うのは懐に飛び込むリズのためだ。
リズはそれを理解し、神経を集中させた。
両手にこめる力をわずかに強くする。冷たい金属に彼女の集中力が浸透する。彼女はそうして武器をまるで自分の手足のように扱う正確性を得る。
「行くよ。エリーゼ……今、助ける!」
リズは小さく呟くと、床を蹴った。軽量な彼女はたちまち最大速度を得る。その速さはフェデルタですら見失いかけたほどだ。彼との試合の時より早い。試合で彼女は手を抜いたわけではなかったが今はそれ以上に集中していた。
リズは礼拝堂のイスに足をかけ跳んだ。フェデルタに集中していた霧がリズの存在を察知して彼女の背中を追う。リズはそれを感じたが、敢えて無視した。自らの身の危険よりも、目の前の魔力の中心に集中した。
もう一つイスを蹴る。そこはもうリズの間合いだった。霧の中心が揺らめく。その揺らぎはリズの予想を超えていた。
「くっ……」
リズは右手の短剣を振り下ろした。速さと正確性を誇る閃光が黒い霧を切り裂く。だが、それはわずかに中心部分を逃してしまう。
しまった!
リズは心の中で叫んだ。彼女の背中を追っていた霧が迫る。
リズは目を見開いた。テオドアの言葉が脳裏に浮かぶ。
「お前の力は人の命を奪うものではない。大切なものを守れる力だ」
そうだ、公爵様は私の力を信じてくれている。私はこの力で人を殺すために生まれてきたわけじゃない。大切なものを守るため、今エリーゼを守るため――!
「まだ――!」
彼女は勢い良く身体をひねった。小さな身体が回転する。彼女は利き腕がない。右も左も同等に扱える。彼女にはまだその左手が残されていた。
全身全霊を集中させた彼女の左手の刃が薙ぐ。白銀の刃が切り裂く風がエリーゼの肌を舐める。本当に紙一重をリズは狙った。エリーゼを傷つけてしまうと言う悪寒が彼女の背筋を駆け上がってくる。だが、彼女は信じた。自分の力を。自分の想いを。
木製の床が大きな音を立てた。礼拝堂の床にはリズの身体が転がった。
攻撃に集中しすぎたため、彼女は着地の態勢を失念していた。それだけ後先を考えていなかった。仰向けに転がったリズの視界に礼拝堂のステンドグラスが目に入る。色とりどりのガラスの色彩が彼女の視界に広がった。
リズはしばし呆然とその光景を眺めた。
身体が重い。あまりに集中した一撃だったため、疲労は一瞬で限界を超えていた。
だが、彼女の左手には確かな感触が残っていた。
ゆっくりと身体を起こす。すぐ傍にエリーゼが座り込んでいた。魔物の気配は消え失せていた。リズの一撃は黒い霧の中心を捕らえて消滅させていたのだ。
だがエリーゼはぼんやりとした表情のまま動かない。
「……エリーゼ?」
リズは恐る恐る声をかけた。
「あ……リズ? リズなの? 私、どうして……」
エリーゼは戸惑った声で応えた。彼女は魔物に取り憑かれていたときの記憶がなかった。
おろおろと戸惑っているエリーゼを見て、リズの大きな瞳から涙がこぼれた。
「エリーゼぇ!」
「わっ……ちょ、ちょっと? リズ?」
リズはエリーゼに抱きついた。
彼女はエリーゼを救ったのだ。リズはエリーゼが無事なことに嬉しくて自分を押さえられなかった。涙を振りまき、言葉にならない嗚咽をあげながらエリーゼに抱きついで泣きじゃくった。
「えっ? えっ? 本当にどうしたの?」
エリーゼはわけがわからず、ただなすがままにエリーゼを受け止めておろおろとするしかなかった。
その二人を眺めてフェデルタは安堵の吐息をついた。魔物に取り付かれた者が助かった。奇跡とも言える結果だ。
技術、速度、どちらもリズは類稀なものを持っている。だが、この奇跡を引き起こしたのはもちろんその能力は必要であっただろうが、もっとも重要だったのは彼女の『想い』だったのではないか。
フェデルタはそう思い、想いの力を持つリズを眩しそうに見つめた。




