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Forgotten Saga  作者: 水夜ちはる
第六章・トゥールズの休日
26/59

第2話

斜陽の王国に祭上げられた『英雄』の少女。

剣と銃と魔物と陰謀のダークファンタジー!


第六章・「トゥールズの休日」 休暇中のフェデルタは旧友トゥルーズ公テオドアの元を訪れるが、その街にも魔を宿した盲目の少女――魔物の気配があった。

 ファヴァール修道院はトゥールズの中心から徒歩で一時間弱の町外れにある、大きな修道院だ。すでに市街地ではなく、田園風景が広がるのどかな地域である。修道院は大きく、他に肩を並べる建物もないので、フェデルタは道案内がなくても迷わなかっただろうと思った。だが、そのことをわざわざリズに言うことはないと、彼女の肩を軽く叩いて労をねぎらった。

 フェデルタはそのまま修道院の入り口に進んだ。

 脇の畑では少し年齢の高そうな子供たちが熱心に大地を耕していた。それを監督していたシスターがフェデルタに気がついて声をかけた。

「ファヴァール修道院に何か御用でして?」

 若いシスターの声には多少の警戒感があった。フェデルタはそれに気づいたが、このご時勢だからと特に気に留めなかった。

「ああ、ここにエリーゼという女はいるか?」

 フェデルタの問いかけにシスターの表情が険しくなった。

「……お引取りを。あの子はまだ十五です。あの子が十六に、大人になるまでは絶対に手放しません」

 シスターは嫌悪感のある表情と口調で鋭く言った。十六歳はこの国で大人と認められる年齢だが、何故名前を出しただけでこうも嫌悪されるのか、フェデルタにはわからなかった。

「どういう意味なんだ?」

「あなたも人買いならば仁義をお守りください。あの子が十六になるまで後少し……修道院長がお決めになったこととは言え、それまでは彼女はここの者です」

 シスターは必死な表情で訴えた。フェデルタは彼女の言っていることがわからず、少々うろたえた。

「待って待って! シスター・アニー。この人は私の連れです」

 フェデルタの影から現れたリズが抗議の声を上げた。

「あら、リズ?」

 シスター・アニーは驚いた顔をした。二人は顔見知りだった。

「お久しぶり、シスター・アニー」

 リズはメイドドレスのスカートを軽く持って丁寧なお辞儀をした。

「あら、随分と様になったものね」

 アニーは表情を和らげて言った。

「なんだ、二人は知り合いなのか?」

 フェデルタは呆気に取られて問いかけた。

「私、公爵様のところへ行く前に、少しの間だけだけどここにお世話になったことがあるの」

 リズは悪びれず言った。フェデルタは少しうんざりした顔で頭をかいた。

「なんだよ、ならお前が前に立ってりゃ俺は人買いなんかに勘違いされずに済んだんじゃないか」

 フェデルタの反応にリズはくすくすと笑った。

「だってねえ?」

 リズはアニーに目配せをする。アニーも困ったような顔で苦笑いをした。

「そんな格好ですから……てっきり」

 アニーは遠慮がちに言ったがフェデルタはため息をついた。確かに彼の着ている服はボロボロである。

「そんなに変か?」

 フェデルタはリズに言った。

「まずまっとうな職の人間には見えないわね」

 今日会ったばかりのリズは遠慮なく言った。

 フェデルタはしばらく頭を垂れて落ち込んだが、それも数瞬で気持ちを入れ替えてアニーに言った。

「と言うわけだ。俺たちは人買いなんかじゃない。エリーゼに会わせてくれるな?」

 フェデルタの言葉にシスターは頷いて答えた。

「はい。わかりました」

 アニーはそう言って、修道院の扉を開けてフェデルタたちを招き入れた。



 エリーゼを見たフェデルタは息を呑んだ。エリーゼは美しい少女だった。絶世と表現して良いレルシェルをそばに見ているだけに、女性の美しさついて驚くことが少ないフェデルタだったが、彼が素直に賞賛するほどエリーゼは美しかった。地味で少し身近めの髪と素朴な服装でも、彼女の輝きは群を抜いている。

 彼女の周りには小さい子供たちが群がっていた。どの子供も彼女に良くなついており、彼女も子供たちを相手に楽しげに笑っていた。

 フェデルタは彼女に違和感を感じた。

 彼女は目を開かない。彼は彼女が盲目であることを知った。

「あらシスター、お客様?」

 だが、彼女はフェデルタたちの気配に気づいて微笑んだ。

「そうよ、エリーゼ。リズが遊びに来てくれたわ。あとリズのお知り合いのフェデルタさん」

「リズ? 本当?」

 エリーゼの声が弾んだ。

「ええ。さああなたたち、エリーゼにお客様だから、お外で遊びましょう」

 シスターはそう言うと子供たちを集めて外へ連れ出して行った。

「はじめましてフェデルタさん。リズ、久しぶりね。この間もここに来ていたみたいだけど、会って行ってくれないんだもの、せっかくなのに」

「ごめん、エリーゼ。ちょっと急いでいたからね」

 リズは困ったような顔をして言った。その気配の機微をエリーゼは敏感に感じ取ったようだった。少し表情を曇らせたが、すぐに笑顔を作って立ち上がった。

 エリーゼは食器棚からティーセットを取り出してお茶の準備をし始めた。

 目が見えないのに器用なものだ、とフェデルタは思う。

「目が見えなくてもこの程度は不自由はありません。それに目が見えないことでわかることもいろいろあるのですよ」

 心を読み取ったようなエリーゼの言葉にフェデルタは驚いて彼女を見た。エリーゼは滑らかな手つきで茶器を扱い、紅茶を淹れてテーブルに置いた。

 エリーゼはそう言ってフェデルタに微笑みかけた。おそらく彼女は目が見えない分、他の感覚が鋭いのだ。目が見えれば人は人の表情で心を読むが、それに相当する何かを彼女は持っているのだろう。

「よかった。リズにもお友達ができたのね。それも、フェデルタさんのようなきれいな心の持ち主で安心したわ」

 彼女はそう言ってソファに座り、しぐさで二人に紅茶を勧めた。

「失礼ね、エリーゼ。私のほうがお姉さんなのよ。馬鹿にしないで。友達の一人や二人簡単にできるわ」

 と言って頬を膨らませるリズは見た目のまま幼い子供のようだ。

「お前のほうが年上だったのか」

 フェデルタが呆れたように言った。彼の言ももっともだ。小柄で元気の良いリズに比べると、背が高く落ち着いている雰囲気のエリーゼのほうが大人に見える。

「何それひどい!」

 リズは抗議の声を上げるが、エリーゼは愉快そうに笑った。

「そうは言ってもそんなに私たちは変わりはしないのですよ。私ももうすぐ十六でリズに追いつきます」

 エリーゼのその言葉にリズは少し身体を強張らせた。フェデルタはそれに気づいたが、気づかないふりをして紅茶に口をつけた。葉は安物だが、淹れ方は申し分なかった。

「そういえばシスターが人買いがどうのって言っていたな。それとエリーゼが何か関係あるのか?」

 フェデルタの問いにエリーゼは眉を潜めた。

 エリーゼはひざの上に置いた拳を硬く握り締め、形の良い唇を軽くかんだ。フェデルタはその彼女を見て目を細めた。

「言いたくないならいい」

 フェデルタは簡潔に言った。不器用な彼の言い方は聞き手にとっては冷たく感じた。

「他に言い様はないの?」

 リズが文句を言った。フェデルタは困って頭を書いたが、十六年近くを音を主に感じて暮らしてきたエリーゼはフェデルタの優しさを感じ取って微笑んだ。

「ありがとう。あなたは良い人ね」

 フェデルタはそう言われて悪い気がしなかったが、普段ぶっきらぼうな彼は不器用に笑って返すしかなかった。

 エリーゼはフェデルタに顔を向けて、表情を少し引き締めた。

「あなたには話すべきことなのかも。リズがわざわざこんなところへ人を連れ来るなんて、何か特別な意味があっての事でしょう?」

「俺は……」

 フェデルタは何か言おうとしたがエリーゼが首を横に振って言葉を続けた。

「どうも私は人身売買の組織に目をつけられているみたいなんです」

「エリーゼ……」

 リズが心配そうな声を上げたが、エリーゼは微笑んで彼女に応えた。

「お恥ずかしい話ですが、修道院の運営はうまく行っていません。何年か前、とある慈善団体を名乗る人たちに融資を受けたそうですが……それがブローカーたちに繋がっていて……借金を種にいろいろ嫌がらせなども受けております。このままでは子供たちに危害が及ぶかもしれないと、修道院長も……」

 フェデルタは小さくため息をついた。たしかにエリーゼのような美しい少女ならば高値がつくだろう。このご時勢良くある話だった。国営の孤児院ですら子供を売買することすらある。この修道院の修道院長だけを責められる問題ではない。

 テオドアはスラムに孤児が流れないよう、修道院をはじめ公共的な施設に孤児院の併設を推奨した。それ自体は英断であったが、孤児院は施設にとって多大な費用の負担をもたらした。修道院などはその収入のほとんどを寄付金で賄っていたが、貴族ですら借金で没落する時代である。わずかな支給金もすぐに底を尽き、気がつけば修道院も高利貸しに借金を作るありさまだった。

「目の見えない私にどれだけの価値があるかわかりませんが、私がそうすることによってこの修道院が救われるなら、私はそれでかまいません」

 エリーゼはきっぱりと言った。その潔さはある種の心地よさを感じたが、彼女の将来の絵に彼女の想像は追いついていないからとも言えた。

「どうしてそこまで自分を捨てられる? 悲しくはないのか?」

 フェデルタは問いかけた。それは純粋な疑問だった。

 エリーゼはしばらく沈黙したが、その可憐な唇を開いた。

「私たちには兄がいました。もちろん私たちは孤児ですから血のつながりはありません。兄のような存在と言うべきでしょうか。彼は私たちよりも早く大人になり、この孤児院を出て外で働くようになりましたが、この修道院の現状と私のことを知ってしまったのです」

 その男は危険な商売に手を出すようになった。いわゆる闇の家業だ。犯罪的な行為を繰り返す組織に属し、日夜荒事を働いた。それでも稼ぎは修道院の借金に比べれば微々たるものだった。エリーゼの誕生日が近づくにつれ彼は焦った。修道院の借金と引き換えにエリーゼが売られてしまう。彼にはそれが耐えられなかった。彼はエリーゼを愛してしまっていたからだ。彼は組織の金に手を出した。重大な裏切りだった。彼の企みは上手く行かず、組織に捕まり殺されてしまったのだと言う。

 リズとエリーゼは悲痛な表情を浮かべた。彼女らにとっては身内の非業の死である。当然だろう。

「すみません、今日会ったばかりのあなたに話すようなことではなかったかもしれませんね」

 エリーゼはそう言うと悲しそうな顔で微笑んだ。

「いや……」

 フェデルタはそれだけを言った。彼はしばらく黙っていたが、立ち上がってリズを見た。

「長居してしまったな。そろそろ行こうか、リズ」

 リズは少し驚いてフェデルタを見た。フェデルタは視線でエリーゼに気付かれないように目配せをした。

「え? う、うん、そうね。エリーゼ、また来るよ。今日は久しぶりに話せて楽しかった」

「そう……リズ、フェデルタさん、また遊びに来てくださいね」

 明敏なエリーゼはリズの動揺に気づいたようだった。だが彼女は気づかないふりをして、特に何も言わずに微笑んで二人を送り出した。リズのことを彼女は信じていたからだ。



 部屋を出たリズは深くため息をついた。

「どうにかならないかな? フェデルタ」

 リズの沈鬱な声にフェデルタは少しだけ間をおいた。

「どっちの話だ?」

「どっちもよ。でも、どっちかっていうとエリーゼの身売りの話よ」

「そっちか。それは俺たちでどうにかなる問題じゃないな」

「ひどい男ね。彼女がかわいそうだと思わないの? 助けてあげようとか思わない?」

 フェデルタは肩をすくめた。

「俺だって血も涙も無いわけじゃない。彼女がかわいそうだとも思う。だけどな、俺はこの修道院を救えるほど金を持っていないんでね。できやしないことを気安く口にするような男にはなりたくないんだ、俺は」

 フェデルタの言葉は事実に正直だった。実際彼女一人を救うのはたやすい。彼のコネクションを考えれば、テオドアやリュセフィーヌ家、さらに言えば国王セリオスに仕えさせることだって可能だろう。だが、それがエリーゼの望むことかといえば否だろう。彼女を失えば、この修道院の再建の道が閉ざされる。

「本人の意思を超えて助けることが、正しいことか?」

 フェデルタの問いにリズは即答が出来なかった。リズは悔しそうな表情で視線をそらした。

「でも……」

 それでも彼女は不満そうな声を上げた。

 しばらく沈黙の後、彼女は強い視線を向けてフェデルタを見た。

「それでも、このままじゃエリーゼの未来は閉ざされたままじゃないか!」

 思いがけぬ強い声にフェデルタは驚いてリズを見た。

 フェデルタも同じく孤児である。ヴァルディール戦役のとき、彼の両親と祖国は失われた。ヴァルディール大公家の一族でありながら、幼かった彼は彼にとって仇である敵の司令官ジョアン・デリュセフィーヌ侯爵に保護されて育ったという、複雑な幼少期を過ごしている。ジョアンはフェデルタの意思と関係なく彼を保護し育てることになったが、今の彼はジョアンに感謝こそすれ、余計なことをしたなどと思っていない。だが、幼く右も左もわからなかったフェデルタとまもなく十六になろうとしているエリーゼでは条件が違う。エリーゼの判断が正しいとも思わないが、彼女の意志を無視した未来にフェデルタは希望を見出せなかった。

 フェデルタはため息をついた。それはとても深刻なものだったので、フェデルタも何も感じているわけではないとリズは悟った。

 結局正解など、未来でも覗き見しないことにはわからないのだ。そしてそれは予言者でなければ到底かなわぬことで、そんな人間などどこにもいなかった。

「わかったよ、リズ。その点については何とかなる方法があるかもしれない」

 フェデルタの言葉にリズの表情が明るく開く。

「だが、未来だな……まずそれがあるかどうか、彼女の場合そこが問題だろう」

 フェデルタは難しい顔をして言った。

「リズ、お前はエリーゼに魔物が取り憑いていると言っていたな。悪いが、俺はその気配を探っていたがわからなかった。本当にエリーゼに魔物が取り憑いているのか?」

 フェデルタの質問にエリーゼは小さく驚いた。

「フェデルタは感じなかったの?」

「どういうことだ?」

 二人は顔を見合わせた。

「私はこの感覚を持っている私以外の人に会ったのは初めてだから……個人差があると言うの?」

 リズは素直に疑問を浮かべた。フェデルタもそう言われて、魔物を感じる力に個人差があると考えたことはなった。

「俺も考えたことがなかったが、視力や聴力に個人差があるのだから皆の感覚が一緒ってわけではないだろうな……」

 フェデルタが立ち止まり考え込んでいると、リズは違和感を強く感じて立ち止まった。驚いた顔をして背後を振り返る。

「どうした?」

 フェデルタが訊ねても、彼女はエリーゼがいた部屋を凝視したまま動かない。

 訝しげにフェデルタが引き返して彼女を見た。大きな瞳を見開き、全神経を集中させて扉を凝視している。

「魔物の気配が強くなった」

「なんだと?」

 フェデルタは振り返った。神経を集中する。彼はのこめかみあたりに小さなものが刺さるような感触を覚えた。

 フェデルタは急いでエリーゼの部屋の扉を開けた。

 そこには茶器を片付けようとしていたエリーゼがいて、突然扉が開いたことに驚いていた。

 フェデルタは背筋にはっきりと悪寒を感じた。魔物の気配だ。

 エリーゼはその時、目を見開いていた。

 焦点の合わない目が宙を彷徨う。

 その目に魔物が宿っていることをフェデルタが、リズが感じ取った。

 フェデルタは愕然とエリーゼを見た。

「くそっ……」

 フェデルタは肩にかけたグングニールを手に取ろうとして舌打ちした。グングニールはテオドアに預けたままだ。

「びっくりした……フェデルタさん? 何か忘れ物でも?」

 エリーゼは一つ息をつくと、目を閉じて微笑んで言った。

 彼女が目を閉じると魔物気配が消えていく。フェデルタは驚いた顔のまま、エリーゼの顔を見つめ続けた。目の見えないエリーゼはそれでも彼の視線を感じるらしく、困ったように肩をすくめた。

「なあ……今のは」

「うん……わかった?」

 フェデルタの問いかけにリズは悲しそうな顔で頷いた。

 エリーゼという少女の中に魔物が潜んでいる。二人は愕然とその事実を見つめていた。

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