第2話
斜陽の王国に祭上げられた『英雄』の少女。
剣と銃と魔物と陰謀のダークファンタジー!
第一章・「嘘の手紙」――少女と魔物に犯された青年の優しい嘘――
「久しぶりに大きなお怪我をされましたね。ここのところ、お怪我をされないので安心しておりましたが……」
彼女はそう言って、傷口に薬草を塗ると魔法を唱えた。かすかに指先が光り、傷の回復を早める魔法だ。彼女は治癒魔法を心得た、リュセフィーヌ家の使用人で、レルシェルの五つ年上のまだ若いメイドである。
フェデルタの応急処置は適切でその傷の状態は悪くなかった。
「この程度なら、痕も残らずきれいに治りますよ」
彼女は微笑んで言った。
「セリカ、だから言っただろう? 大した傷じゃないって……」
レルシェルは大人しく手当てを受けながらも、頬を膨らませて文句を言った。その姿が幼くてセリカは思わず噴出してしまう。レルシェルは余計に反発しようとしたが、セリカは「動かないでください」と嗜めると、少女は大人しく従った。
「この程度の傷でまいったをするわけにはいかないからな」
一通り手当てが終わると、レルシェルは顔を引き締めて言った。
真っ直ぐな瞳と凛々しく美しい横顔にセリカは見とれる。見慣れたセリカでさえ、はっと引き寄せる魅力がそこにある。それは生まれ持った才能だろうとセリカは思った。それを利用しようとする者は少なくないだろう。王ですら、この斜陽の王国に光を与えるため、レルシェルを英雄として取り上げ、国民の期待を彼女に集めた。王も才能豊かなこの少女に本心から期待する面もあるだろうが、実のところは政治的に利用している部分が多いだろう。
「あまり、ご無理をなさらぬように」
セリカは思わずつぶやいた。名門リュセフィーヌ家の次期当主と目される立場、英雄としての民衆からの期待……十八の少女に背負わせるには、重すぎる責任がいつかレルシェルを潰してしまわないかと彼女は思った。
「傷は大したことないし、なによりセリカが見てくれたんだ。心配など無用だろ」
レルシェルは屈託なく笑った。本心からの笑みだった。彼女は一番身近な存在であるセリカのことを信頼している。
だが、セリカは心配そうな表情を変えずに言った。
「そうではありません」
「では、魔物のことか」
「いえ……いえ」
セリカは困ったように首を横に振った。
レルシェルはセリカの顔を見て、笑みを浮かべるのをやめた。少し陰りのある憂いの表情が彼女の端正な顔に浮かんだ。セリカの心配を察したのだ。ごまかそうとしていたわけではない。それについてレルシェルはあまり考えたくないと思っていたため、自然に避けようとしている。
「わかるよ……セリカの言いたいことは」
その声はすこし硬質な響きを持っていた。
もし私が魔物に適わない程度の者だと知れたら、民衆はそれでも私を英雄として崇めるだろうか。勝利あってこその英雄だ。敗北した英雄など誰も見向きもしない。それは歴史を彩る英雄達の足跡が示しているではないか。
ならば私も勝利を重ねるしかないのか。
レルシェルにはそんな悲壮な決意がある。レルシェルは武芸に秀でているが、すべての頂点に立っているわけではない。フェルナーデという王国の一大会で優勝しただけの身だ。限られた条件で頂点に立っただけである。現に魔物は恐るべき力を持っているし、彼女はフェデルタと真剣勝負をして勝てる自信はない。
「私は、私に期待された役割をこなそうとしているだけだ」
レルシェルは少しぶっきらぼうに言った。それは自分自身の心にうそをついているかのようだった。
セリカは小さく息をついた。
「それほど気負わなくてもよろしいかと。民衆は確かにレルシェル様に期待しているでしょうが、あなたがまだ若く未熟なところもある人物だということを知っています。もしレルシェル様が失敗したり負けたりしても、民衆は気にしませんよ」
セリカは思っていることを隠さず言った。主人に対して非礼といって言いかもしれない。だが甘い言葉しか口にしない彼女であれば、レルシェルとの信頼もうわべだけのものであったであろう。
「セリカ……ありがとう」
レルシェルは軽く苦笑いで答えた。
「でも、セリカ。私は民の期待に答える事が苦痛なわけではない。誇りを誇りに思っている。出来ることなら、ずっと皆が思うようなレルシェル・デ・リュセフィーヌでいたいのだ」
それは英雄であり続けると言うことだ。それは茨の道であろう。だが、レルシェルは迷うことなく、それを望み、言葉にする。
それをセリカは聞き、それ以上を言うことはなかった。
昨夜の事件についてめぼしい情報を得られなかったレルシェルは、夜が更けてからテオの店に寄っていた。
レルシェルはカウンターに座り、そっと肩を撫でた。
痛みはないし、セリカの術を受けたならば傷跡も残らないだろう。だが、無策だったとはいえ、魔物に手も足も出なかったと言う事実は彼女の記憶に深く残っている。
「まあそんなに気負いなさんな。あんたはまだ若い。俺たちはたしかに期待しているが、あんたが背負い込むほどのことじゃない。そうだな、連勝中の鶏に給料を賭けたくらいだな」
テオが豪快に笑って言う。レルシェルの顔を見て、彼女の心情を察したのだろう。酒場のベテランだ、人の顔色を見る目は誰よりも優れている。レルシェルはきょとんとした顔でテオを見る。セリカと同じようなことを言う、とレルシェルは苦笑いを浮かべた。
「私と鶏と一緒にしないで欲しい。私は人生を賭けて戦っているんだぞ」
幾分か心が軽くなる。だが、彼らがチップにしているのは人生そのものだ。投票された鶏も相応の責任を感じると言うものだ。
と、入り口のベルが鳴って青年が駆け込んでくる。ユリアンだ。
彼は青い顔をして、テーブルに着いた。どことなくそわそわとした落ち着きのなさが伝わってくる。レルシェルでもそれに気づくくらいだから、テオは注文をとろうとした給仕を遮って、常連の青年に声をかけた。
「ユリアン、今日も代書屋か? ずいぶん顔色が悪いぞ。ここんと頃ずっと閉店までいるじゃないか。身体に悪いぞ」
「ああ、大丈夫だ。本業のほうはしばらくお休みでね……」
「そうか、おまえんとこの親方、殺されたんだったな。大変だな」
ユリアンはその言葉にぎくりとして苦笑いを浮かべた。
「テオ、いつものように場所を借りるよ」
「ああ、構わんよ」
ユリアンは逃げるようにいそいそと奥のカウンターで準備をし始めた。その顔はやつれて酷く疲れを感じる。レルシェルは本業の師匠を殺されて心労が現れているのかもしれないと思ったが、それ以上の何かを彼に感じていた。それはまったくの勘でしかなかったのだが。
「ねえ、ユリアン。私も手紙を書いてもらえないかな?」
「え? レルシェルさんが? レルシェルさんに代書は必要ないでしょう?」
レルシェルとユリアンはテオの店の常連客として顔なじみである。特に親しかったわけではないが、何度か会話を交わしたこともある。
レルシェルは貴族で騎士である。無論、読み書きを学んでいた。その彼女がユリアンのような代書屋を必要とすることは基本的にない。
「字は書けるよ。だけど、手紙を書くのは苦手なんだ。口に出すのは簡単だけど、いざペンを握るとダメなんだ」
レルシェルは照れくさそうに笑った。
「ふうん、恋文か? なんだかんだで女の子なんだなあ」
テオが冗談半分に混ぜ返す。レルシェルは鋭い目つきで彼を殺すと、神妙な顔でユリアンに向き直った。
「……どう言った内容にするんだい?」
「うーん……恋文ってわけじゃないんだ。その人には普段からよく助けてもらってるし、迷惑もかけてる。彼がいなかったら、今の私はいないし……とにかく感謝してるし、いつまでも一緒にいて欲しい、って気持ちを伝えたい。だけど、それを文にしようとすると、いつもすぐ止まってしまうんだ」
レルシェルはまっすぐな瞳でユリアンを見つめた。その声は必死で真摯だ。彼女の純粋さが強く現れていた。
こういう人だからみんなに慕われるんだな、とユリアンは思う。
「分かった。僕が書けるだけのことをしてみよう」
彼は微笑むと、ペンを取ってさらさらと紙の上を走らせ始めた。
レルシェルは黙ってそれを見つづけ、ユリアンは手馴れた手つきで文章を書き上げて行く。レルシェルは感心した。どこで学んだのだろうか。ただの大工見習いの彼がだ。
「そういえば、レルシェルさん。これは誰宛の手紙だい? 相手の名前がないと」
「ああ、そうか。それはもちろん……」
レルシェルが答えようとすると、店のドアが開いて、少女が現れた。マリアだ。
マリアはユリアンを見つけると、厳しい目で彼を見つめた。
それはユリアンが若い女と親しげに話している姿を見た、嫉妬からだとレルシェルは思った。マリアは足早にユリアンの席へと進む。
「レルシェルさん、ちょっとこれは後にしてくれないか?」
「うん、ああ。別に急いでないし」
レルシェルは苦笑した。取り繕うような顔でマリアを迎えるユリアン見て、彼がマリアに惚れているんだと分かったからだ。同年代の娘に比べて、色恋沙汰に疎いレルシェルだが、それくらいは分かる。ここはマリアに譲るのが筋だ。
「やあ、マリア。ここのところ毎日だね」
「毎日はお邪魔かしら?」
「いや、ぜんぜん。歓迎するよ」
「今日は兄さんに手紙を書いてもらおうかと思って。お願いできる?」
「もちろんだよ。お兄さんも喜ぶよ」
ユリアンが勤めて明るく答えると、マリアの顔は花が咲いたように笑顔が溢れた。
レルシェルはテオから酒をもらい、二人の様子を伺った。マリアは兄思いのいい少女だった。兄への慕い、尊敬、心配……どれをとっても純粋だった。だが、その手紙を受け取る兄は本当にいるのだろうか。ユグラットに出征した兄らしいが、その戦争は既に終わっている。
おそらくはユリアンがマリアの兄に成り代わり、返事を出しているのだろう。
やさしい青年だ。だがそれは欺瞞でしかない。いつか真実を知るとき、マリアはどう思うのだろう。
マリアと会話するユリアンは時々悲痛な表情を浮かべる。レルシェルの想像を彼の表情が肯定していた。
と、突然ユリアンが右腕をおさえると苦しみ始めた。
「ユリアン?」
「どうしたんだ?」
マリアとレルシェルは驚いてユリアンを見つめた。
ユリアンは何かを必死で抑えるかのように呻いていた。
「マスター、お水を!」
マリアが鋭く叫ぶと、テオは何事かと思いつつ水の入ったカップを差し出した。
マリアはそこへ懐から出した紙に包まれていた薬を溶かすと、ユリアンに与えた。
しばらくするとユリアンの苦しげな表情は落ち着き、ユリアンはうっすらと目を開けた。
「ユリアン、私のあげた薬を……」
「飲んでたよ。でも……」
マリアはそれを聞いて、視線を少し落とした。暗い表情が彼女を包んでいた。
「マリア、お願いがあるんだ。明日の夜二十時、町外れの教会跡にきてくれないか?」
「え? ええ……」
ユリアンは必死な表情で言った。その迫力に押されてマリアは了承の言葉を促された。 ユリアンは僅かな時間、マリアの顔を見つめると、逃げ出すようにその場を去った。
マリアは不安そうな表情を浮かべ、彼の背を見送る。
レルシェルは同様に彼を見送ったが、その顔は猜疑に満ちていた。ユリアンから魔物の気配を感じたからである。魔物は人の心の闇に取り付き、その身体を支配すると言う。目を細め、哀れむ。あんな気のいい青年が、と惜しむ思いもあった。
「彼に何を飲ませた?」
レルシェルは鋭く言った。マリアはそれにやや困った顔を浮かべ、即答を避けた。
「鎮痛剤です。この間から、彼頭痛がするといって……」
その言葉はうそだとレルシェルは見破った。マリアはレルシェルの表情を見て、ユリアンを追うように逃げ出した。
「あっ、まて!」
レルシェルはマリアを追いかけようとした。
「……こいつは恥ずかしい手紙だな。誰から誰あてだ?」
突然背後から聞きなれた声がして、レルシェルは飛び上がらんばかりに驚いた。
慌てて振り向くとそこにはいつの間にかフェデルタがいて、ユリアンが書いたレルシェルの手紙を摘み上げて読んでいる。
「なっ、フェデルタ! お前いつからそこに! って何読んでるんだ!」
レルシェルは耳まで真っ赤にしてそれを取り返した。それは誰の手紙だと宣言してるようなものだったが、彼女はそれすら気づいていない。
フェデルタはそれを笑うと、レルシェルの肩に手を置いた。
「魔物の気配がしたんでな。しかし、やっとつかんだな」
「ああ、しまった! 逃げてしまう! お前のせいだぞ」
レルシェルはまた顔を紅くしてフェデルタをにらむ。フェデルタは、レルシェルを一度見てなだめるような視線をやり、二人が去った入り口をぼんやりと見た。
「これを見ろよ」
フェデルタはレルシェルが奪った手紙を広げた。これはレルシェルがフェデルタに宛てようとしたものだ。レルシェルは恥ずかしそうにそれを見る。
「……これは……」
「この文字を見ろ。この文字は現代に使われるものじゃない」
二人が見たその手紙は、ガリア地方に共通される言語で書かれていたが、現代のものとは違うものだった。文字、単語に共通点はあるもののいわゆる古典文法である。
「魔物の書く文字は八〇〇年から一〇〇〇年前後前のものが多い。どういういわれかは知らんがな」
「つまり、ユリアンは何者かの魔物に取り付かれたということか」
「そうなるな」
レルシェルは神妙な顔をして、しばらく沈黙した。
「助ける方法は……」
「セリカにも確認を取りたいが、俺が知る限り前例はない」
フェデルタは冷静につぶやく。だが、その声にはレルシェルを気遣う音色が含まれていた。
「面割れたんだ。もうどうにでもなる。だが、二人は明日の約束したんだろう? それまでの時間をやろう。それからでも遅くはない」