第6話
斜陽の王国に祭上げられた『英雄』の少女。
剣と銃と魔物と陰謀のダークファンタジー!
第三章・「死屍と人形」 ――『生体練成』の陰謀によって生まれた少女の悲劇
第三章完結編
「くそっ……反撃しろ!」
ギャランは殺気を受けて、相手が敵だと判断した。それは本能といってもいい。対峙した相手が恐ろしいほどの殺気を放っていれば、動物は生存のために逃げるか戦うか、判断しなければならない。ギャランは戦場での経験と生物の本能から叫んでいた。
ガルーダの隊員からいっせいにボウガンが放たれた。
それは狙い過たず、化け物に化した少年達に吸い込まれた。
耳を劈く悲鳴が上がる。それはおぞましいことに、子供の悲鳴そのものだった。
その声に隊員たちは怯んだ。ギャランの部下達は実戦経験豊富な猛者たちだったが、子供の悲鳴を聞いて平然としていられる人間ではない。
「や、やめろ!」
レルシェルは慌ててギャランたちの前に立ち、攻撃を妨げた。
レルシェルの表情は混乱していた。
「レルシェル! じゃまだ! そこをどけ!」
ギャランが怒号のような声で叫んだ。彼の部下もどうしていいかわからず、お互いの顔を見合わせた。
「今の悲鳴を聞いたろう? 私はレンにこの子達を助けると約束した。この子達は……」
レルシェルは子供たちのなりの果て、キマイラを背に必死に訴えかけた。彼女はまだ子供たちを助けることをあきらめては居なかったのだ。
だが、レルシェルは背筋に冷たいものを感じた。怨嗟と殺気が彼女を包み込む。死の香りを感じて、彼女はぎこちなく振り返ろうとした。
すでに誰に向けてかわからなくなった怒りが、彼女の身体に叩きつけられた。
化け物の巨大な手加減のない一撃に襲われたレルシェルはなすすべなく吹き飛ばされ、石造りの壁の民家に激突して転がった。
「レルシェル!」
マリアの悲鳴のような声が切り裂く。
「くそったれ、だから言わんこっちゃねえ! おまえら、アレを足止めしろ。ただ近づくな、近づけばあいつみたいになるぞ」
ギャランは部下に怒鳴るように命令した。隊員たちもレルシェルの事に我を失っていたが、彼の怒鳴り声で常の彼らの力を取り戻した。
幸いキマイラの動きは鈍い。いくつかの思考が混沌としているのか、動き自体もちぐはぐである。ギャランの部下達の力を持ってすれば、膠着状態を保つことは難しくなかった。
「レルシェル!」
マリアとギャランはぐったりと横たわるレルシェルの元に駆け寄った。
二人の声にレルシェルのからだが、わずかに反応する。
「生きてやがる。丈夫な女だぜ。石壁が砕けてるってのに」
ギャランは安堵のため息をつき、レルシェルがぶつかった石壁を見つめて言った。
「馬鹿! それでも重傷よ! 命に関わるかもしれない……」
マリアはギャランを叱咤すると、冷静な目でレルシェルの介抱にあたった。錬金術師は薬剤の調合も専門分野だ。医療の知識も学ぶ。
レルシェルの様子を見ようと、彼女の頭をゆっくりと動かそうとしたとき、おびただしい流血に気がついて青ざめた。金の絹のような髪が血に塗れて、おぞましい光景を作っていた。
マリアが覚悟をして息を呑んだとき、レルシェルの目が突然開いて、彼女は跳ねるように上半身を起こした。
「今、どうなった? 私は……」
頭部からの出血をぬぐい、負った傷の認識をする。呆然とした表情で取り囲む二人に聞いた。衝撃のあまり殴られた記憶が欠損している。
「動いてはだめ!」
マリアは必死な表情でレルシェルを落ち着かせようとした。脳への衝撃は、まず安静にしなければいけない。
「お前はあれに殴り飛ばされたんだよ。よく生きてたな、と思うくらいだ」
ギャランはあきれたように、キマイラを指差して言った。
「あれ……」
レルシェルはぼんやりとした顔でキマイラを見た。彼女の部下である騎士団の隊員がそれを取り巻いて、牽制を繰り返している。
しばらく彼女はその様子をぼんやりと眺めていた。
「あれは俺達がやる。お前はそこにいろ。マリアさんよ、あれは魔物じゃないと言ったな? なら、俺達でも殺せるわけだ」
ギャランは体格に似合う大剣を抜くと、強い眼差しで言った。それは歴戦の戦士の目である。
マリアが緊張感のある表情で頷く。確かにあれは魔物ではない。ギャランたちの武器で十分倒せるだろう。
「それにだ。ああなったとは言え、元はガキだ。ガキ殺しの傷跡なんぞ、このレルシェルには似合わねえ。俺達下郎の出番だ」
「いえ、あれは私の父の残した罪業。彼らの命を奪うべきは、私でしょう」
マリアは鋭く言った。その瞳には強い決意と懺悔の光が宿っている。歴戦のギャランも思わず息を呑むほどであった。
「何を言っている」
レルシェルが低くつぶやいた。レルシェルはマリアを跳ね除けると、おぼつかない足取りながら剣を支えにして立ち上がった。
「レルシェル!」
マリアとギャランが異口同音に唱える。
「この件の責任は私が負う。それに私はレンに約束をした。彼らを助ける、と。だが、それがかなわぬのなら、私自身で斬らねばならないだろう。そうでなければ、私の道は正しきものではなくなってしまう。そう思わないか?」
レルシェルの瞳は強く輝いていた。だが、衝撃のダメージは酷いのだろう。彼女はからだをまっすぐに支えることが出来ない。それでも精神力が肉体を凌駕していた。
「無理だ、まともに立てないくせに……」
「たのむ! 私にやらせてくれ」
レルシェルは力強く叫んだ。その美しい顔の半分以上を血で染めながら、深緑の瞳はなおも輝き有無を言わせぬ説得力を放っていた。
ギャランはレルシェルをさえぎることが出来なかった。道を譲ったギャランの横を、ゆっくりとレルシェルはキマイラに向かった。
「ギャランさん、何故行かせるんです! あなたはあなたの主を死なせる気ですか」
マリアの抗議に、ギャランはレルシェルの背中を見つめてしばらく答えなかった。
「あの目は死人の目じゃねえ。これから死ぬ奴は、あんな目をしない」
ギャランは厳しい目でレルシェルの背中を見つめ続けていた。ギャランは生粋の武人だ。今のレルシェルの瞳は武人のものだった。武人において、生死を分かつ戦いは人生そのものだと言っていい。それは避けられないものであるし、何人も遮る事の出来ないものである。
「信じろ……レルシェルはこんなところで死ぬような奴じゃない」
ギャランは歯を食いしばり、低い声で言った。
マリアは彼の言い分を完全に理解したわけではないが、口を閉ざしてレルシェルの後姿を見守った。
レルシェルはゆっくりと、だがまっすぐとキマイラに歩いた。隊員たちの包囲の内側に入り、キマイラと対峙する。
レルシェルの怪我の様子に隊員たちはどよめいたが、彼女から迸る気迫を感じて誰一人動かなかった。
レルシェルはキマイラを見た。子供たちの融合体はギャランをもしのぐ大きさだ。とても人ではない。
レルシェルは悲しみに満ちた瞳で見つめた。
「すまない。私はお前達を助けに来たつもりだったが、情けないことにお前達を助けることは無理そうだ。こんな私を……そんな姿にした人間を、大人達を許してくれるか?」
レルシェルは静かに言った。キマイラはそれを聞いているかのように、彼女が口を閉ざすまで動きを止めていた。
だが、すぐに咆哮を上げて彼女に襲い掛かった。
「そうか、許さないか。当然だな……」
レルシェルは静かに目を閉じると剣を構えた。傷ついた彼女に余力はない。静かに相手を待った。
キマイラは力任せに突進した。それは無垢な子供が駄々をこねているようだとレルシェルは感じた。
双方の影が交わる。
夕闇の天を突くのはレルシェルの聖剣だった。
振り上げたそれは、的確にキマイラを切り裂いていた。相手の力を利用し、最小限の動きで彼女は致命傷を与えていた。
魔物を滅ぼすべき聖剣のレプリカは、人間の手によって生み出された化け物を殺した。
レルシェルは返り血にかまわず、彼らの血を受けた。少女は赤く重い血に染まった。
「お前達は人形ではない。化け物でもない。お前達は人間だ。死屍として私の道に刻まれた。私はお前達を殺し生き延びた。私を見るがいい、呪うがいい。私はお前達を決して忘れない」
レルシェルは天を見上げ、嘆くように言った。夕闇に染まる空は、赤く黒くおどろおどろしかった。影は長く、闇を深く刻んだ。それは少女の心の様を映しているかのようだった。
レルシェルは浮かない顔で北壁の城壁の上で座り込んでいた。頭に巻いた包帯が痛々しい。ファカスで受けた怪我は癒えていないが、それ以上に彼女の心は暗く沈んでいた。
静かに物思いにふける彼女の周りに魔法の力が作用する。精霊の力を感じることが出来る彼女は
「なんだ? 土の精霊? これは……ロックか?」
彼女の足元に魔法陣が浮かび上がり、土の精霊の力がほとばしる。レルシェルの予感どおり、その魔法陣からロックの姿が浮かび上がった。彼は地脈を使って土地を移動する魔法の使い手だ。
「やっぱりここだったか。レルシェルさん、ちょっといいか? レンがあんたに会いたがっていてね」
ロックはレルシェルの姿を確認すると、慎重な面持ちで言った。
レルシェルはレンの名を聞いてその肩を震わせた。ファカスで虐待を受けていた子供のうち、生き残ったのは彼女だけである。
「どうする?」
ロックは尋ねた。彼はレルシェルの心境を思い、彼女に選択権を与えた。
「会おう……連れてきてくれないか、ロック」
レルシェルは少しの間を置いてからそう答えた。顔には少しの緊張感と覚悟が浮かんでいた。
「いいのか?」
「無論だ……私はうそつきだし、無能者だ。レンには私を非難する権利がある。だから、私は逃げない。この上卑怯者になるのは耐えられそうにないからな」
ロックの問いにレルシェルは力なく笑って言った。ロックは彼女の覚悟に少し感心した。ロックは少し満足そうに頷くと再び地脈に姿を消した。
程なくしてロックがレンを連れて戻ってきた。ロックはすっかりレンの力を上手く利用している。というよりはレンの中で強く渦巻く精霊の力を、レン自身には魔法を使うことが出来ないため誰かが逃がしてやる必要があるのだ。
「レン……」
レルシェルは幼い少女の顔を見て、その名をつぶやいた。
レンは無表情でレルシェルを見つめた。過酷な実験により彼女の心は壊れ、感情そのものが乏しい。レルシェルはレンの表情から心の内が読めず、少し戸惑った。
「ありがとう」
レンの口から発せられた言葉は、レルシェルの予想を大きく外れた。
驚いた表情でレルシェルはレンを見つめ、言葉が出なかった。
「私は……私はお前との約束を破ったのだぞ。私は、お前の仲間を殺したのだぞ。聞いていないのか?」
レルシェルはようやくの声でつぶやくように言った。ファカスからの帰還したレルシェルは、頭部の怪我からすぐに医療施設に直行した。結局のところ外傷以外に問題はなかったが、レンに会う機会を失ってしまい、事の顛末は先に他の人間からレンに伝わっているとレルシェルは聞いていた。
「聞いてます。でも、それでも私はあなたに感謝しています」
レンはまっすぐレルシェルを見つめて言った。
「人間に戻れないなら、人を傷つけるだけなら、それは生きていても不幸なだけ。実験の日々と変わらない。だから、みんなもそれでよかったんだと思う」
レンは城壁の風に髪を煽られて、左手で押さえた。
もしかするとレンは彼らのことを知っていたのかもしれない。レルシェルはそう思った。レン自身、自分の力に脅威を感じている。普通の人間に戻ることは出来ない、救われるとしたら、それは『死』であると。幼い彼女が望むものとしてはあまりに救いのない。
レルシェルは歯を食いしばった。
「レン……ならば、私はお前を救いたい」
「え?」
「お前のその力、なくすことはもはやかなわないとマリアに聞いた。だが、その力をうまく使いこなすことが出来れば、普通の人間として暮らせる」
「この力を使いこなす?」
「ああ、それも自分のためにだ。誰かのためにではない。お前自身が、生きる力として」
レルシェルは力強く頷いた。
「それを教えてくれる人がいる。あの人ならきっと、お前を救ってくれる」
「そんな魔法使いがいるのか?」
すっかりレンの世話役となっているロックが尋ねた。
「ああ……私の師でもあるのだが、その人は魔法使いではない。魔導師だ」
レルシェルの言葉にロックは驚いた。魔法使いはその名の通り、精霊の力で魔法を使役するものだが、魔導師は魔法を導くものとしてその高位にあたる。魔法の力の解明、摂理に関わるこの世界でも数人しかその称号は与えられないと言う。
「ロック。このレルシェルの依頼を受けてくれるか?」
レルシェルはロックに向き直り、姿勢を正した。
「レンをその人のところへ送ってくれないか。その人の名はマァラ。魔法都市ミリアムにその人はいる。私の願いであれば、先生は受け入れてくれると思う」
魔法都市ミリアム。高位の魔法使いや魔導師が集まり、研究都市として存在するといわれるが、ロックですらその場所は把握していない。ルテティアのはるか東方の深い森の中に、その都市はあると言う。
ロックが驚いていると、レンが彼を見上げていた。
ロックはそれに気づいて頭をかいた。
「仕方ねえな。だが、ちょいと値が張るぜ?」
「金か。無論わかっている」
「いや、そうじゃねえな……」
ロックは難しい顔をして否定した。
「まあ、その仕事が終わって戻ってきたとき、その報酬は頂くとしよう」
ロックはにやりと笑って言った。その対価は金銭でものではないかもしれない。レルシェルもそう感じて、彼の言い分を認めた。
ロックとレンが旅立ったあと、再びレルシェルは北壁の城壁の上に佇んでいた。城壁は高く、眼下には広大なガリア平原が広がる。ローヌ川とミランダ川は滔々と流れ、この疲れきった大地を支えている。
レルシェルはわずかに吹く風を感じながら、ぼんやりとその風景を眺めていた。美しい少女の表情を曇らせているのは、脳裏に浮かぶファカスでの出来事だ。
「柄になく、落ち込んでいるようだな」
いつの間にか現れたフェデルタがからかう様な口調で言った。
「うるさい。私だって落ち込むことくらいある」
レルシェルは不機嫌そうに言った。
「やっぱり落ち込んでいたのか」
レルシェルは失敗した、という顔をしたがさして後悔はしなかった。二人は兄妹のように育った関係にある。悩みを知られるのは気恥ずかしさはあるが、彼には絶対の信頼があった。
フェデルタはレルシェルの隣に歩み寄り、軽く肩を叩いて同じ景色を見た。レルシェルはこのしぐさ懐かしさを感じた。
子供の頃、叱られたり失敗して落ち込んだ時、フェデルタは隣にいて肩を叩いて傍にいてくれた。彼は優しい言葉を持たない。彼は慰める者ではない。だが、隣にいる彼にレルシェルは深い安心感を覚えるのだ。
「レンという子供には道を示せた。それでよかったんじゃないか?」
レルシェルは少し心が軽くなるのを感じた。それと同時に小さな悔しさも浮かぶ。フェデルタはいつもこうして『兄』である。いつも二三歩前を行く。彼に追いつきたいレルシェルは彼に感謝しつつも、反発してしまう。
「ふん」
意地っ張りなレルシェルは、つんとした表情でそっぽを向いて歩き出した。だが、その歩き出した方向は過去ではない。未来に向かって歩く姿だとフェデルタは思った。
その後姿に、常の彼女を感じてフェデルタは微笑んだ。
第三章・死屍と人形<了>




