幕間 少女と忘却のエトランジェ 4
少女は記憶喪失の女性を「お姉さん」と呼ぶことにした。
それは別に姉妹のように姉として慕っている、という意味ではない。ただ単純に年上の女性だからそう呼ぶことにしただけである。
仮名を名付けてもよかったのだが、記憶が戻ることに期待を込め名前呼びは保留となった。これは本人も承諾済みであり、少女からお姉さんと呼ばれるのも満更ではないようだ。
「またお仕事なの?」
別邸の一室で談笑していた2人。「そろそろ時間かな」と立ち上がったお姉さんを少女は呼び止めた。
「そうだね」
お姉さんが来てから一か月が経とうとしていた。
彼女は兄の紹介により仕事に就いていた。だが、少女はお姉さんがどんな仕事をしているのか内容の一切を聞かされていない。兄も妹に教えようとはしなかった。
「……」
兄を信用していないわけではないが、なにも教えてもらえないというのはもやもやするものだ。仲が良くなってきた女性が度々仕事と称しどこかへ行ってしまうと、なにか自分が与り知らぬところで変なことでもしているのではないかと心配になる。
「どうしたの? 変な顔して」
「変な顔とはなんですの!? これはあなたを心配しているだけで――」
「心配?」
「~~~っ!」
「へー」
つい本音を零してしまった少女に意地の悪い笑みを向ける。
そしてお姉さんは黒髪を隠すようにフードを被り、少女と目線を合わせるように前屈みになった。
「大丈夫だよ。危ないことはしてないし色々お話とかしたり任務のお手伝いをしたりしてるだけだから」
「ギルド関係のお仕事ですの?」
「んー守秘義務で言っちゃダメって釘を刺されてるから。あなたのお兄さんにも迷惑がかかるし教えられない」
「……」
「いいところだよ? みんな優しいし」
微笑むお姉さんは嘘を吐いているようには見えなかった。
「私を神様みたいに崇めてくる変人ばっかだけど」
「わけがわかりませんわ」
「ふふ、私も」
本当に大丈夫なのだろうか。
不安になるが少女にできることは兄とお姉さんの言葉を信じることだけだった。
「それにね、私には本当に守り神が憑いているんだよ」
「……はい?」
「その頭でも打って気でも触れたか――みたいな顔はやめて」
「あなたがそうさせているのです! ……って、なんですのこの物騒な紅い剣は」
少女は“いつのなにかお姉さんが握っていた紅剣”を手渡され困惑する。まるで何もないところから取り出したその紅い剣は年端もいかない少女には持つことのできない重厚な形状をしていた。しかし、見た目に反し驚くほど軽く、少女は手渡された紅い剣を両手で握り締め天井に掲げる。
「それはまぁ、私の隠し芸……的ななにか? かな?」
「随分と曖昧な表現ですのね……」
記憶喪失の所為だろうか。お姉さんにもその剣のことはよくわかっていないようだ。
「とりあえずそれで私のことを斬ってみて」
「……私、人に傷をつけるような趣味は持ち合わせていませんわ」
少女はいよいよドン引きしたようにお姉さんから離れるように後退する。変わっている人だとは思っていたがまさか被虐趣味があったとは思いもしなかった。しかも自分のような幼い少女に頼むほど歪んだ願望の持ち主とは恐れ入る。
「なにか勘違いされている気がする。私も痛いのは嫌いだよ?」
「ではどういった意味が?」
「守り神」
「またそれですか」
呆れたように少女は呟く。
守り神など聞いたことがない。
召喚士が精霊を使役し護らせている、という事ならば納得がいくがお姉さんには契約の紋様がないため召喚士でないことは明白だった。
「心配する必要もなくなると思う」
「――む」
少女は少しカチンと来た。
自分はお姉さんの身を案じているのに、本人は「守り神が憑いている」と妄言を口にする。おちょくられ、自分の気持ちを蔑ろにされているように感じたのだ。
「……本当に、いいのね?」
「どうぞ」
「……わかったわ」
そこまで言うなら、と少女は紅剣を構える。
もし傷つけてしまっても回復魔法で治すことは可能だという自信。
お姉さんの言葉をちょっぴり信じてみようという信頼。
ただの自棄。
折り重なった感情を手に少女は剣を構える。そして相手の腕を斬りつけるイメージを持ち、スイングさせるように振るう。
すると――
「っ……!? こ、これは――」
「ね? 言った通りでしょう?」
少女の剣は黒い塵のようなものに阻まれていた。
その塵をよくよく見るとお姉さんに覆いかぶさるような、人のようにも見える曖昧な形をしていた。まるで、彼女を傷つける全てのモノから護ろうとする守り神、あるいは――
「騎士……?」
少女にはその言葉の方がしっくりときた。
そしてそれは彼女にとっても同じだったようだ。
ふふん、とわざとらしく得意げな顔をしたお姉さんは確信したように頷く。
「となるとあれだね。騎士に護られている私はどこか遠いところのお姫様だったに違いない」
なんだそれは、と少女は呆れるが、彼女は本籍地不明の異邦人なためあながち馬鹿にできない。
だが素直に肯定するのも面白くないので少女は敢えて憎まれ口を選択する。
「あなたのような口の悪いお姫様に仕える騎士がいたとすれば、心労で倒れてしまいますわ」
「そんなに悪いかな? それに今日はまだ言ってないよ?」
「まだ……って、あなた……」
まるで「ノルマは果たしていない」みたいな言い方を聞き、少女は肩を竦めた。
本音を常に零しているだけの“嘘を吐けない素直な女性”かと思えば、それが全て故意的である可能性が出てきたのだ。眉も顰めたくなる。
(まだまだお互い知らないことばかり。アレはいい機会になるはず)
「アリアデュランで仮面舞踏会があるの」
「?」
唐突に少女は話を切り出す。
「城塞都市は少し遠いけど一年に一度の大きなお祭りなの。せっかくだから今度、一緒に行きましょう」
もともと少女がお姉さんを呼び止めたのは舞踏会に誘うためだった。
「お休みがもらえるかみんなに相談してみるけど……どうして舞踏会? 私、踊れないよ。たぶん」
「踊る必要はありませんわ。私たちが覗くのは城下街ですもの。あなたのその目立つ容姿を仮面で隠せるし、都市に行くのは初めてよね? まさに一石二鳥」
記憶を取り戻す切っ掛け。もう少し仲良くなりたいという少女の想い。
二つの願いを同時に叶えてくれる妙案だ。
懸念があるとすれば、そう――
「おっと」
「浮れて迷子にならないでね?」
お姉さんに抱きついた少女はそう忠告し、彼女に約束を取り付け送り出すのだった。




