幕間 少女と忘却のエトランジェ 3
少女は思った。
この女性はなんて失礼な人なのだろう、と。
開口一番に「うるさい」はないだろう。
(私は兄さんと一緒にいられる時間を邪魔されても文句も言わなかったのに! 着替えとかお世話もいっぱいしてあげたのに……!)
かぁーっと顔が熱くなりそのまま勢いよく立ち上がる。
「あなたっ! それが介抱を――」
と少女が文句の1つでも直接本人に言ってやろうとした瞬間、兄が立ちふさがった。兄は部屋から退出するように少女を促す。
「……わかりましたわ」
無礼だが仮にも相手は病人だ。
このままでは弱っている相手を怒鳴りつける人間になってしまうと忌避した少女は素直に兄の言葉に従う。無論、兄のお願いであれば少女は二つ返事で従ってしまうのだが。
「……」
部屋を出て盗み聞きができない程度の距離を保ち部屋を離れる少女。
兄がどんな会話をしているのかもちろん興味はあるが、立ち聞きのようなあさましい真似などできない。
そんな少女に近づく影があった。その影は少女に向かって「お嬢様」と事務的な声を掛ける。
「食事ができましたのね。私が預かっておきますわ」
影の正体は夜食の準備をさせていたメイドの1人だった。どうやらおじやを作ってきたらしく、小さめの鍋から隠しきれない熱気と卵と醤油の優しい香りがお盆の上から漂ってきている。「お熱いですよ?」と渡されるときに心配されたがそもそも食べるのは自分ではないし、兄の会話がいつ終わるかわからない状態。冷めてしまっては勿体無かったので熱すぎるぐらいが適温といえた。
「丁度いいぐらいです。ありがとう、今日はもう下がりなさい」
少女がそういうとメイドは頭を下げ離れ家を出ていった。
そこに余計な質問や無駄な会話は一切ない。一見して淡泊な関係に見えるが、お互いに身の程を弁えた行動を取っているに過ぎない。
メイドとしては鍋が少し重かったので「お嬢様がこぼさないか心配……」ではあったのだが、すぐに下がれと言われてしまったので見守ることも叶わなかった。
「……う、持ちながら待つのはやはり厳しいですわ。一時、避難を」
実際、少女は腕をプルプルさせながらお盆を持っていたのだが、廊下にはそれを置くことができる家具もあり問題はなかった。
適当な家具の上にお盆を置き「ふぅ」と息をつく少女。
だがそれはまさに一息であり、息つく間もなく寝室から兄が出てきた。
「兄さん?」
もういいのかという意味を込め少女は兄を呼ぶ。
すると兄は少女に近づき腰を下ろし目線を合わせ「お願いがある」と、少女に願う。
「!? 兄さんのお願いでしたら、私、なんでも叶えてみせますわ!」
大方、異邦人絡みの願いだろうと予測しながらも、改まって頼られることがなかったのでわくわくしながら次の言葉を待つ。
兄の願いとは異邦人を離れ家に住まわせるために両親を説得してほしい、という話だった。「異邦人の女性は記憶喪失であり、自分が誰かもわかっておらず帰る場所もない。見捨てることができない」と。
少女は疑問に思う。
そんなこと長男であり家督となる兄が願った方がいいのではないかと。
しかしそれをあえて口にすることはしない。折角、頼られているのだから余計なことは言わなのが吉だ。
「わかりましたわ。そういうことであれば私も助力しますの」
二つ返事で頷く妹に、兄は笑顔を見せ頭を撫でる。
少女は満面の笑みでそれを受け入れるが、その至福の時間はあっという間に終わりを告げる。「とりあえず、まずは自分が頼んでくるよ」と少女の兄が母屋へと向かってしまったからだ。
「……残念ですわ」
嘆息し、お盆を再び持つ。
余韻に浸りたかったが、用意してもらった食事が冷めてしまっては元も子もないので気持ちを切り替え、寝室へと舞い戻る。
そこにはベッドから上半身を起こした異邦人の女性がただ茫然と夜の暗い空を眺めていた。
「なにか見えますの?」
問いかけると彼女はゆっくりと首を振り、否定した。
「なにか見たいものがありますの?」
少女は気紛れに質問を変えてみた。
すると異邦人はぴくりと肩を上げ反応を示し、一言――
「……たぶん、光?」
と答えた。
なぜ疑問形なのか。
それ自体に疑問が残るが、それは置いておくとして。
「光……ですの? 朝日でしたら、寝ればすぐに拝めますわ」
「……そうだね」
曖昧な相槌だ。なにか間違えたのだろうかと少女は首を傾げながらベッドの隣にある椅子に腰を掛ける。
「寝てしまうのもいいかもしれませんが、食事はいかが? 私が、汚れていた貴女を洗って差し上げた時に気付いたのですが、やせ過ぎですわ。ちゃんと食べてますの?」
気まずい空気を避けるための雑談はもう終わりだ。
少女はてきぱきと食事の準備を行う。ついでに自分が面倒を見たんだぞ、と強調するのも忘れない。
鍋の蓋を開け、おじやを小皿に取り、味付け調整用の醤油をさらに少々付け足「あ! かけすぎましたの!」そうとして手元が狂い失敗するが、スプーンで混ぜ合わせて誤魔化す。
「……」
「……な、なんですの? その目は」
「別に、なんでもない」
恥ずかしさのあまり睨みつけてしまうが彼女は気にした様子もなくじっと少女を見つめていた。
その余裕のある態度がまた相手との歳の差をまざまざと思い知らされ、自分より兄と歳の近い彼女に対して面白くないという感情を抱かせる。
「出来ましたわ。今日はこれでも食べて寝てしまいなさい」
突き付けるように取り皿を差し出す少女。
「熱いのでちゃんと冷ましてから口を付けるといいですわ!」
つんけんとしながらも労わるような言動に異邦人の女性は思わず吹き出し、「ツンデレみたい」と聞きなれない単語を口にする。
「つん……? なんですの?」
「……?」
どうやら本人もよくわかっていないようだ。
適当に思いついた造語だろうと少女は結論付け、皿を手渡す。
あまり腕に力が入っていないように見えたが、手ずから食べさせる必要もないだろうと鍋へと向き直り蓋を閉める。
「おかわりも沢山あります」
「……うん」
「ゆっくり食べてかまいませんから」
「……うん」
薄暗い部屋を小さな魔導具ランプが淡く照らしている。
少しの間、カチャカチャという食器の小さな音だけが静寂な部屋を支配した。
「……」
「……」
どれくらいの時間が経過しただろう。
数分か、十分そこらか。
「……あたたかい。でも、少し……しょっぱいよ」
食事の感想だろうか。唐突にそんなことを呟かれたため、少女は女性を見やり、そして呆れたように返す。
「しょっぱいのはきっと、あなたがまた泣いているせいですわ」
「違う。味付けがしょっぱいの」
向きになる姿はまるで照れ隠しのように見えた。しかし、少女が先程調味料を加え過ぎたため嘘とも言い切れない。
だから少女は「そう言うことにしてあげますわ」と譲歩するように強がりを口にする。
その二人の姿は幼稚ではあったが、傍目から見ればまるで仲のいい姉妹のようにも見えただろう。
「でも……」
「?」
「おいしいよ……ありがとう」




