エピローグ
王家主催の仮面舞踏会の会場では貴族や他国の来賓各位が華やかな格好で集まり談笑をしていた。ダンスの相手探しに興じる者や自らの趣味を語る者、最近の幻魔の活発化の危険性を説く者や聖刀剣の巫女を間近で見られることに興奮する者。
心の仮面どころか物理的な仮面を着けているからこそできる本音と思惑が入り混じった他愛のない様々な会話が舞踏会という囲いの中で繰り広げられていた。
その話題の中でも1つだけ彼らが本音でしか話せない噂があった。
それは最近になりアリアデュラン王国付属の魔導都市の学園で人型精霊が召喚されたという話。さらにその人型精霊は伝説の勇者の姉である聖刀剣の巫女に見初められ聖剣も扱える……と。
近隣諸国でも召喚士を養成する学園は存在する。しかし、創立の歴史は浅く成果はまずまずといったところ。ましてや人型精霊という伝説上の精霊を呼び出す偉業など成しえたことはなかった。
どうせならこの機会にその人型精霊に御目に掛かっておきたい、できることならば特別な召喚方法があるならば聞きだしたいという思惑を腹の内に抱えていた。
そして当の本人。
貴族社会に全く場慣れしていない話題の中心人物たちは、そんな思惑が錯綜し水面下で蠢いているとは露とも思わず、楽団が奏でる穏やかな演奏の横でひっそりと今後の作戦について語り合っていた。
「では、ルダージュ殿。姫様がダンスのお相手を選ぶときにしっかりと自分を証明できるサインを送ることを忘れないように。私たちのサプライズが台無しになってしまうからな」
メイド服に身を包んだラクスが目の前にいる仮面男に再三のように注意する。
「わかってますよ。大丈夫です。あんなに練習したのに関係ないところでへまはしません」
練習とは護衛任務中に行っていた舞踏会に向けてのダンスレッスンのことだ。
クララのために仕組んだサプライズとは。
それはお姫様のために舞踏会のダンスの相手として人型精霊ルダージュを用意することだった。
今は敵となってしまったアルメラや身長が同じくらいということで駆り出されたカイム王子。周囲の人間を巻き込んだサプライズ作戦。
王族には仮面舞踏会の相手は毎年1人だけという特に意味のない形式が存在し、その枠に特別な相手を準備したいと願った王妃たちの画策と結託がこのサプライズを生んだ。
そう、これはサプライズだ。
出来レースとも言うが今回はクララ姫の初めての舞踏会。
クララにとって思い出に残る舞台にしたいと考えれば、綺麗事ばかり並べている余裕は無く、ルダージュ以上の適任も存在しなかった。
「それよりも……さっきの話は本当なんですか?」
ルダージュはクララの為ならと二つ返事で了承し特訓してきた。
だが、つい先ほどラクスから信じられない発言を聞いてしまい、聞き返さずにはいられなかった。
「……なんのことだ?」
しらばくれるような表情と間。もう一度口にすることを阻んでいる、そんな顔だ。
「この舞踏会が終わったらクララ姫が――ララが軟禁されるって話ですよ」
「……本当だ。さっきも言っただろう? 幻魔教に狙われていることを踏まえ周囲に影響や負担を与えないための特別な措置だと。少なくとも加護が消える――召喚魔法が扱える年齢になるまでは外に出ることはできなくなる」
「……」
クララの表情が暗かった理由。
それはこれから数年先まで城を出ることができなくなるためだった。
マクゼクト王は娘が襲われてから囲うことを心に決めていた。ローゼもなんとなくそうなるだろうと覚悟を決めていたため反対はしなかった。それが一番、国の安全――延いてはクララの身の安全を保障するものだと考えたからだ。
「まさか内部から敵が出てくるとは思わなかったからな……今後は人員の確保も難しくなる」
アルメラというメイドが残した爪痕は大きい。
従者や騎士、宮廷魔法使などの王族に仕える者たちのほとんどは家柄が保証されている人材だ。それが王族の誘拐に加担し、あまつさえ幻魔教の信者だったのだ。城内人事部は頭を抱え、今後はさらに慎重に雇用していかなければならない。
あのアルメラも例外なく由緒正しい家柄なのだが、『そこまではまだ今は知る必要はない』とラクスはそれ以上のことをルダージュたちに教えることはなかった。
「まったくあの女にはしてやられた。副メイド長はやつを気に入っていたせいか元気がないし、王子に至っては……と、愚痴になってしまったか。みっともなかった。忘れてくれ」
「なにか力になれることがあれば言ってください。私たちも卒業後は魔法使としてクララ様を御守りしますので」
首を振り、決意の言葉を口にするセルティア。
彼女は舞踏会にはそぐわない学生服のままで参加していた。パートナーであるルダージュは用意された社交界用のスーツを身に着けており、セルティアにもドレスが支給されたのだが本人が遠慮したのだ。
任務中だからルダージュの召喚士として参列する、と。
「心強いな。セルティアが魔法使として私の同僚になることが待ち遠しい。ちなみに学友で宮廷魔法使になれそうな人材はいないか? セルティアが評価する生徒がいるならばぜひスカウトしたいところだが……」
「あ、それなら――」
セルティアが幻魔討伐作戦で活躍した班員たちの名前を列挙する。どうやら売り込みを始めたようだ。
特にミリアとアリージェを強く推しているようで、話は長くなりそうだった。
(時間はまだある……な)
クララのダンスパートナー探しまで、まだ余裕はあった。だからと言って他の相手と踊る気もないためルダージュは手持無沙汰になってしまった。
「少し外の空気を吸ってくるよ」
「遅れないように」
「応援していますからね、ルダージュ」
ひらひらと手を振り会場外のバルコニーへと出たルダージュは、そのまま手すりに腕を掛け「ふぅぅぅぅぅ~」と深いため息をついた。
慣れない雰囲気に当てられ気疲れしてしまったともいえるし、昨日の精神的疲労が残っているだけかもしれない。
「……」
煌びやかな城下街の祭の様子を眼下で捉え、遠く離れた喧騒を耳にしているとなんだか取り残されているような錯覚に陥る。
目まぐるしい毎日に追われ、やるべきことを忘れてしまっているからだろうか。特に“彼女”と魔装の棺を召喚する目処は全く立っていない。
しかし、それは後回しにせざる負えない状況だ。
セルティアの二柱目の精霊――本当の召喚獣を発見できた今、ルダージュは命の恩人に対し、精霊を奪還することで恩を返す必要があった。
セルティアは精霊のことになると無茶をしてしまうというのは今回の事件で得た教訓だ。元々、そういったきらいはあったが、敵に幻魔がいる可能性があっても形振りかまわないほど追い詰められているとは思わなかった。
事が収束するまで見守る必要がある。
もう大切な人を幻魔の手によって失わないためにも。
そして、
「あと他にやるべきことは……」
わざとらしく声に出して呟くが……本当はわかっている。
大切な人が大切な人たちに変わろうとしていることに。
(来たか……)
手の平で二身一体の上下仮面に触れる。
仮面舞踏会用に身に着けた巫女の仮面。ついに舞踏会当日まで返すことが叶わなかった仮面をわざわざ持ち出して使っているのだ。思い出さない方がおかしい。
「ん」
トントン、と何か四角い――まるで筆談するにはもってこいのボードで突かれた感触が背中から伝わる。
(やっと落ち着いて話ができる)
ルダージュが振り返ると予想通り2人のエルフが舞踏会用の派手な仮面で顔を隠し、並んで立っていた。
1人は黒を基調とした落ち着いたドレス、もう一人は新芽のような若い緑の色合いに……胸元が大きく開いた扇情的なドレス。
(……大胆な。あと、)
その素直な感想は誰に告げるべきなのか、まだはっきりしていない。
最初はなんと声を掛けるべきだろうか。ほとんど顔を会わせる機会がなかったから「久しぶり」と無難に済ませるか。
ルダージュが逡巡する中、リクエストが書かれたボードを2人のエルフが黙って掲げた。
『わがままに付き合って』
挨拶など不要で言葉などいらない。
そんな思いがそのボードには込められていた。
怒っているわけではなく、そこから始まらないとお互いにどう話していいかわからないのだ。
「わかった」とルダージュは頷くと「でも、今の俺にはまだ、その……2人を見分けるには時間が欲しい。不甲斐なくてごめん」と馬鹿正直に答える。
「!?」
エルフ姉妹は仮面の下で目をむく。
断じて「まだ私たちを見分けられないのか!」という理不尽な驚きではなく、単純に自分たちに呆れていないルダージュの実直さに目を見張ったのだ。
無理難題を押し付けているという自覚はある。それだけに自分たちの我が儘に応えようと努力してくれるルダージュの姿勢はただ単純に嬉しかった。
「ちょっと眺めさせて」
「……!」
収穫があっただけでもうこだわる必要はないようにも思えた2人だが、やはり欲はかきたい。姉妹ではなくルダージュにはオリヴィエ、シルヴィエとしてそれぞれ向き合いたいと、そう願うのは抑えられなかった。
「……」
「……」
『……』
ルダージュが黙って2人を見つめ続ける中、オリヴィエとシルヴィエもまた黙って彼を眺めつづけた。
「……っ」
視線を感じる。真っ直ぐで曇りのない黒曜石の瞳にただひたすら見つめられる。
それはなんだかこう落ち着かないというか、くすぐったいというか。
つまり……
(恥ずかしい……!)
気恥ずかしさでオリヴィエは沸騰しそうになっていた。それはシルヴィエも同じだ。
1人は困ったように仮面の一部に指を当て、所在がなく落ち着かない。もう一人は熱くなってきたのかパタパタと顔を扇ぎ始めた。
「あー……なるほど」
そんな姉妹の様子にルダージュは納得したように頷く。
『「……?」』
オリヴィエとシルヴィエは同時に首を傾げる。
(そこはシンクロするのか)
妙なところで関心を覚えるルダージュだったが、いつまでも待たせるわけにはいかないためカチャリと上の仮面を外す。
「2人とも後ろを向いてくれるかな?」
その指示に素直に従い背中を向けるオリヴィエとシルヴィエ。
「……おぅ」
黒ドレスは落ち着いたもの……という感想が瓦解する。
そのドレスは背中を大胆に開いたもので腰まで素肌を晒す刺激的なデザインだった。緑がかった金髪が肩から背中へと流れ落ち、絡みつくように煙るその姿にルダージュの動悸も激しくなる。
「仮面を外して、今度は俺がつける」
ぴくりと肩が揺れる。
その言葉はつまり仮面を正しく返すことで答えとする、という意味に他ならないからだ。
緊張したようなゆっくりとした動作で姉妹は仮面を外した。
「失礼」
最初は黒いドレスを着たエルフに上の仮面を返し、次に緑のドレスを着たエルフに下の仮面を着けようとして――ささっとハンカチで拭いてから返した。
何とも締まらないやり取りだが、あの時の姉妹の気持ちも理解できるルダージュだった。
黒ドレスのエルフが振り返り、口を開く。
「どうしてわかった?」
『すごい!』
ボードを胸元に掲げた緑ドレスのエルフも嬉しそうに目を細める。
(本当に当てられるとは思わなかったのかな……それはそれで悲しいが……)
「癖を、見つけたんだ」
「……癖? 私たちにもあったか?」
『たぶん』
シルヴィエには思い当たる節があったが、あえて言葉にはしない。ルダージュの口から聞きたかったからだ。
「2人ともその仮面が好きだろ? 弟――アルフォス学園長からの贈り物だから」
『「……」』
こくりと無言で頷く姉妹に苦笑を返すことしかできないルダージュだったが話を続けた。
「だから顔を触る時に違いがあって、オリヴィエは目元近くシルヴィエは口元に触れる癖があるんだ。たぶん」
最後に曖昧になってしまった理由。
それはシルヴィエに限っては今回はそんな癖があった気がするというぼやけた記憶を辿った結果に過ぎなかったからだ。
どちらかと言うと手で顔を扇いでいた動作からボードで仰ぐシルヴィエを連想したことの方が答えに影響を与えている。
「いつかさ」
「?」
「いつか一瞬で判断できる――判断という概念すらいらないくらい、オリヴィエとシルヴィエのことをわかるようにするからさ。それまで待っていてくれないか?」
ルダージュの決意に思わずオリヴィエは顔を背け、シルヴィエはと言うと――
『プロポーズ?』
と純粋な疑問を返した。
「あ、いや……その……」
冷静になり自分が言った言葉を反芻し、我ながら何を口走っているのかとルダージュは口を詰まらすが肯定も否定もできなかった。
隠し事をしている自分の後ろめたさが、どちらも選ばせてくれなかったからだ。
「妹よ、焦る必要はない。ルダージュも焦らなくていい。今の私たちにはこれだけで十分だ」
シルヴィエのボードを裏返し、ルダージュへと向き直るオリヴィエ。
「もちろん、続きはいつか聞かせてもらうがな。今日は主役に君を譲るとしよう」
そろそろ時間だとオリヴィエは会場を指し示す。
ガラス越しに見える内部ではクララ姫のダンスの相手を募る案内が放送されているところだった。
「ほら、姫のためにずっと練習していたのだろう? 行って責任を果たしてこい」
「責任って――」
『ゴーゴー』
何の? と聞く前に2人に背を押されてしまいそれどころではない。
それにルダージュはまだ、最初に伝えたかったことを口にしていない。
「ま、待ってください! 最後に! 最後に1つだけ言わせてください!」
「私たちはもう満足だ。だが口調はやはりくだけていた方が――」
「綺麗です」
「……」
「オリヴィエもシルヴィエもそのドレス、似合ってる。綺麗だ」
不器用で飾り気のない言葉。
だが、それ故に刺さる不意打ちでもあった。
「それだけ言いたかったんだ。あと、機会があったらその時は踊ってほしいな」
ルダージュはそう言い残すと照れ隠しをするように自分の顔に触れ――魔装で巫女仮面レプリカを作り、そそくさと会場へと戻っていった。
「……」
『……』
残されたのは仮面の巫女が2人。
呆然と立ち尽くし段々と言葉の意味が理解できて、
『「……っ!」』
かぁ―っと上気する顔。
熱のこもった頬や目を隠すように姉妹は手で覆い隠す。
それは新しい癖ができようとしていた瞬間だった。
±
クララ・ラスティム・クランベル・リ・アリアにとって仮面舞踏会はダンスを踊る楽しい時間……ではなく、社交辞令の波が押し寄せる堅苦しい時間となっていた。
上座に座るクララには国内外問わず身分の高い様々な人間が挨拶に来るためだ。
(こわい)
順番に挨拶を交わしていくだけで恐ろしいことを言われているわけではない。だが声色や仕草や視線が、何となく気味が悪い。
それはクララではなく彼女の後方に存在する権力を見ている者たち、逆に小柄な少女を舐め回すように眺める者たちが大勢いたことをクララの勘が告げていたからだ。
(こわい……!)
腹の内ではなにを考えているのかわからない者たちが仮面を被りながら近づいてくる恐怖。
両脇にマクゼクト王とローゼにプレセヤがいなければ逃げ出していたかもしれない。
(ノイシス様……)
勇気を貰うために絵本を抱きしめたかった。
だが、社交場で絵本を持ち歩くなどできるはずもなく、マクゼクト王からは持ち出しを禁止されていた。妥協案として椅子の後ろに隠すように立て掛けて置くことは許されたが、それだけではやはり心もとなかった。
頼りになる兄たちも今はあいさつ回りで忙しい。
(カイムお兄様はすごいです。あんなに辛そうだったのに)
昨日、自分が寝ている間に起こった事件。
メイドのアルメラが実は幻魔教で、彼女に誘拐されそうになったという話は今朝聞かされたばかりだった。クララも最初は驚いたがそれ以上に思い詰めていた兄の姿が心配で恐怖を感じている暇などなかった。
(理由はわからないけど、お兄様が悲しいと私も悲しい……です)
しかしクララの心配を余所に、カイムは王族として毅然と振る舞っている。
(見習わないと)
事件を受け、今日を最後に城外へ出られなくなること――軟禁されることへの覚悟はできた。
これ以上周囲に迷惑はかけられない。兄のように家族を悲しませたくはない。
だから最後の――ラスティム家として最初で最後の舞踏会は成功させなければならない。
(……ルル)
クララは自分が身に着けている狐形の仮面に触れ、最愛の人――精霊を思い出す。
ここ一週間近くずっと浮かれていたが本当はクララも理解しているのだ。王族の自分に自由な恋愛など許されていないのだと。
つい、勢いで求婚してしまったがクララはマクゼクト王の許可なしでは結婚すらできない身。ローゼには応援されているようだが実現は難しいだろうとクララは考える。
目の前にいる貴族たちの中から相手を見繕うのだと子どもながらに彼女は察していた。
(どこにいるんですか、ルル)
“仮面”舞踏会で良かったとクララは思った。
目の前で挨拶を交わす貴族たちの素顔はもっと恐ろしかったはずだ。
仮面という外面がなければ泣きそうな顔を見られてしまっていたから。
刻々と近づく晴れの舞台。
挨拶もほとんど終わりに近づき、いよいよ最後の1人がクララの前で傅く。
「……」
相手の顔をクララは見ようとはしない。
どうせ本当の顔は見えないのだからと視線を落としてしまう。
「……?」
すると、仮面越しの視界端からちょこちょこと動き回る何かを見つけた。
それは騎士の姿を模った灰色の人形だった。
「!?」
思わず顔を上げるクララ。
目の前にいたのは灰色の巫女仮面を着けた黒髪の男だった。
「やっと顔を上げてくれた」
「……っ!」
安心したように優しく呟く彼の声を聞いて思わず胸が高鳴る。
仮面で向き合っているはずなのに、クララの瞳には絵本を読んでいるときの彼の笑顔が映りだした。
「俺と、踊ってくれるか?」
「……え? あの、その……」
護衛任務最終日。
きっと知らないところでお仕事をしてくれているのだと思っていた彼が、目の前でダンスを誘ってくれている。
クララは思いがけない事態に混乱していた。夢は夢だと諦めかけていた自分がこの差し出された手を取っていいのか躊躇してしまう。
そして、たとえ取ったとしても一時の夢で終わってしまうのではないかと思うと、怖くてできなかった。
「行ってきなさいクララ」
そんな彼女を後押しするように隣に座っていたマクゼクト王が言葉を発する。
クララが仰ぎ見るとそこにはぶすっとした父の姿があった。
「いずれ我も次の答えをだす。それまでは自分に素直になりなさい」
「お父、様……」
マクゼクト王の言葉に隣にいたローゼは「くふ」と仮面の下で嬉しそう笑う。貴族たちではなく精霊と踊ることを許可している時点で答えは決まっているようなものだと感じたからだ。
それはクララも同じだ。
自分が願った夢は幻のように消えない――そう期待してしまうには十分な一言だった。
(あとは、まぁ、婿殿に女として好かれるだけじゃのう)
ローゼはルダージュの手を取る娘を眺めながら今後の計略をめぐらす。
パタパタと尻尾を揺らしながら連れられて行く娘の後姿に思わずやれやれと首を竦めるが、自分の尻尾もいつの間にかゆらゆらと揺れていたので人のことを言えない。
(おっと、妾も浮かれておるのか……む?)
ローゼは気づく。
クララの椅子の後ろに御守りのように立ててあった絵本がぱたんと倒れていたことに。おそらくクララが立ち上がった拍子に動いてしまったのだろう。
好きな絵本を抱きしめいつまでも子供だと思っていた娘が、今は好きな男と手を取りダンスを楽しんでいる。
「くふ、ふふふ」
しかめっ面であろう旦那の横でローゼは拙くも微笑ましい娘たちの踊りを見守り続けた。
その光景を見ることは二度とないだろう。
だがいずれ、時が来たとき。
最初の思い出として懐かしむことができるようにと願い。
母はまたひっそりと尻尾を揺らすのだった。




