エピローグ 裏
「……で、結婚するの?」
ルダージュが紅茶を飲もうとカップを傾けた時、不意にそんな疑問が投げかけられた。
「……できませんよ」
カップに口をつけることなく、ソーサーへと戻す。
合宿から帰ってきた翌日。
ルダージュは人型精霊の秘密を唯一知っている男――クレイゼル・ブライトに会うために、朝から学園の保健室に乗り込んでいた。
理由はもちろん合宿で遭遇した幻魔について相談をするためだった。
だが、あまりにも気迫に満ちた顔で部屋に入ったため、「とりあえず落ち着け」とクレイゼルに御茶を出されたのだった。
「知ってるんですね」
「そりゃ私も一応はこの学園の教師だからね。合宿の報告は受けているよ。キミが聖刀剣を引き抜いたこともね。お茶、飲まないのかい?」
「後にします。俺にはまだ熱そうだ」
飲むタイミングで質問をしてきてよく言う、と心の中で独り言つ。
口に含んでいたら危なかった。もしかしたら噴き出していたかもしれない。わざとなんじゃないかとクレイゼルのことを疑いたくなるルダージュだった。
「今回の一件はキミが想像しえない――それどころか僕らも想像できないほどの歴史的快挙だ。勇者の聖刀剣が人の手に――失礼、人型精霊の手に、だったな」
「皮肉はいいから続けてください」
やれやれ、とクレイゼルが肩をすくめる。
「勇者だった学園長以外の手に渡るなんて当然だが世界初だ。おそらく聖刀剣を管理している国、そのトップは今頃てんやわんやだろうね。幻魔討伐を称え叙勲式を執り行うか、それとも世界初の聖刀剣授与式(仮)をやるか、はたまた世界の救世主である聖剣の巫女さまの結婚式を盛大にお祝いするか……ってね。どうしたんだい? 頭を抱えて」
「……なんでもありません」
改めて人の口から聞かされ、事の重大さが身に染みてしまったのだ。
「“主役”なんだからもっと毅然とした態度をしてないと駄目だよ!」
「……わざとからかってますよね?」
「うん! とても面白い」
主役という言葉を強調し、「お前が渦中なんだよ!」とはっきり告げてくる目の前の男が憎たらしい。
「ま、とりあえずキミとアンヴリューくんが王都から呼び出される事は確定だろう。処遇は悪い方向にはいかないと思うが、聖刀剣という強大な力を個人が保有するのは危険だからね。何かしら国として拘束してくるかもしれない」
「待つしかないってことか……」
対策の施しようもないため、『なるようになれ』という精神で流れに身を任せるしかない。ルダージュは考えることを放棄した。
「で、結婚するの?」
そこでなぜ同じ質問が飛んでくるのか。それがわからない。
「さっき否定しましたよね?」
「ああ、“したくない”ではなく、“できない”と聞いたね」
揚げ足まで取られてしまった。今日は一段と絡みづらい……と早くもルダージュは逃げ出したくなったが、そういうわけにもいかない。
「巫女さまは相当乗り気だそうだ」
「誰が言ってたんですか、そんなこと……」
「学園長。昨日の会議で『姉さまに意中の人が現れた!』って泣いて喜んで先生方を呆れさせてたよ」
「……」
「おや、だんまりかい? 誰もが羨む美人エルフ姉妹を落としたというのにこの色男は――」
「オリヴィエさんとシルヴィエさんの好きなタイプは強い男だそうですよ」
「ん? 有名な話だね」
ぐちぐちと話が長引きそうだったため、ルダージュはクレイゼルの話を遮り昨日の夜に出した結論を教えることにした。
「だから今日の午後……というか夜に、俺と巫女さまで決闘することになりました」
「……は?」
クレイゼルが唖然とした顔を晒している。
ルダージュはそんな彼の間抜け顔を眺めながら、2人に提案した時も同じように驚かれたな……と、昨日のことを思い出していた。
(ま、あっちはとても可愛らしい驚き方だったけど)
「自分たちより強い男が好きって話だったので確かめることにしたんです。本当に俺が強いのかって」
「……ほーう、まさかそれでわざと負ける気かい? それなら愛想を尽かされて結婚の話もなくなりそうだけどあまり趣味がいいとは――」
「いえ、本気で戦いますよ。俺が持ってる魔装を全て使って」
たぶん負けるだろう、と自らの敗北を予測するルダージュ。
なぜなら、人型の幻魔だと勘違いされた最初の戦いでルダージュは苦戦を強いられたからだ。
「勝ち負けの結果の後のことは考えてません。そこから先はあの2人が考えることだと思うので」
「まるで他人事みたいだね」
「先生なら理解してくれるんじゃないですか?」
「? どういう意味だい?」
「“幻魔”を食べるような“化物”が人間の真似事なんてできるわけがない」
「……」
「俺がいた異世界。そこで出会った魔獣。あれは全てこの世界でいう幻魔そのものでした」
本題だ。
無駄話が過ぎ、回りくどくなった。今のルダージュに浮いた話など、それこそ“身の程知らず”に他ならない。
アリアストラの住人であれば耳を疑うような事実。
だが、クレイゼルは少しの合間だけ口を閉じ、ルダージュの言葉を反芻するように見据え、そして一言――
「うん、知っていたよ」
と告白した。
勢いよくルダージュが立ち上がると椅子が机にぶつかった。上に乗っていたカップが揺れ、中身が少しこぼれソーサーを汚す。
「どうして教えてくれなかったんですか!」
もしかしたら、と感じていた。クレイゼルと出会ったころ、魔界の化物について鮮明に話したことがある。彼なら――この世界の住人なら”ルダージュが食っていた化物が幻魔だと”最初から気づけたのではないか、と。
「あの時は必要性を感じなかった。この世界のことを知らないキミに、幻魔の話をしてもややこしくなるだけだと思ったのさ。もし負い目を感じたキミがアンヴリューくんの元から離れたりしたら、もしかしたら彼女はキミの代わりを召喚したかもしれない。その時に幻魔そのものが召喚されたら全て終わりさ」
「それは……」
否定できない。
自分の存在がセルティアに迷惑をかけるようであれば、ルダージュは人知れず学園を去っただろう。
「もちろんそれは危惧に過ぎなかったけどね。彼女の場合キミが逃げたら地の果てまで追いかけていっただろうさ」
冗句を笑い飛ばせる気にはならなかった。
「いったいいつから……」
「幻魔だと知っていたかって? 確信があったわけじゃない。ただそれ以外には考えられないと、最初に出会ったときに思っただけだよ。だからキミがいた最初の異世界を幻魔に合わせ『魔界』と名付けた」
「悪趣味だ」
思わず吐き捨てる。
「悪かったよ。そもそも幻魔は一度滅ぼされている。それにも関わらず最近では目撃例もあるがそれもごく少数だ。まさかキミたちが早速遭遇するとは思ってもみなかったんだ」
運が悪かったとそういう事なんだろう。
(本当にそうなのか? セルティアたちは立て続けに俺を含めた幻魔に出くわしている。偶然にしては頻度が多すぎる。それに――)
「セルティアが攫われた時、黒装束のやつらが“目的とは異なるモノ”が召喚されたって言ってました。奪われた精霊――それがただの精霊ではなく幻魔だった可能性も……」
「ああ、そうだね。もしかしたら今回の幻魔がそれだった、という可能性もある。だけど所詮は予想でしかない。本人たちに何を召喚したのか聞かないと答えは出てこないよ」
「あいつらの情報は?」
「……すまない。まだ調査中だ」
沈黙が落ち、会話が途切れる。
重くなった空気を晴らすようにクレイゼルは声を上げた。
「ただ、安心していいのは、もし黒装束の連中が幻魔を手に入れても、その入手法を公表することは限りなく低いということだ。キミが思っている以上にこの問題は複雑なんだよ」
「……どうしてそう言い切れるんですか?」
相手は目的もわからない謎の組織。幻魔を召喚できるという情報は脅しにもなる。一介の学生を脅しても何の益にもならない――そう考えることができても、万が一にでもセルティアにまた危害が及ぶことは避けねばならなかった。
「それは私がアンヴリューくんのことを秘密にしている理由の1つと同じさ」
と言ってクレイゼルは何も描かれていない左手の甲を見せ、
「私は1つの仮説に辿り着いた。“ノイシスの加護”――あれは幻魔を召喚してしまう能力がある召喚士に描かれている……と。彼女は世界に危険を知らせるための目印として、あの魔法を残したんだ」
「……でも、加護持ちの召喚士は過去にもいたんですよね。暴論では?」
「だから仮説だって言ってるだろ。話の腰を折るんじゃあない」
「す、すいません」
「続けるよ。さてここで問題だ。現在ノイシスの加護持ちだと認知されている人間は世界に今1人しかいない。誰だと思う?」
認知ということは加護持ちだと国に申告していない人間もいるのか、とかそんな余計な疑問もルダージュには湧いていたのだが、また腰を折るなと怒られそうなので黙った。
答えもわからない。
「正解はね、我が国の第一皇女殿下さ。つまり「加護持ちが幻魔を召喚した」なんて妄言を発表すれば、私たちはめでたく国家反逆罪だ。この国のお姫様に喧嘩を売ってるんだからね。王様が許してくれないよ」
「裏を返せば……もしばらされても国が味方になってくれると、そういうことですか」
「そう。私たちはただひたすらこの事実を黙っていればいい。これまでもこれからも、ね。どうだい? 少しは安心できたかな?」
「……先生がセルティアのことを隠す他の理由は――って聞くまでもないか。研究のため、でしたっけ?」
「はっはっは、よくわかっているじゃないか。私にとって魔獣と幻魔が等式で結ばれた時点で多大なる一歩となった。キミには悪いが私にとっては喜ばしい情報の1つでしかない!」
食えない男だ。
だが、国がセルティアの味方になってくれる、という情報は素直に心強いと感じた。聖刀剣に選ばれた関係上、ルダージュは国に召集される。その機会を利用すれば王族がどんな人物なのか知ることもできる。
セルティアの敵になるか味方になるか。ルダージュは見定めなければならない。
「いただきます」
自然と手は紅茶の入ったカップに伸びていた。区切りがついたことで、一息入れたかったのかもしれない。
放置された紅茶はぬるくなってしまっていたが、渇きには抗えずそのまま飲み込むことにした。残すのも忍びないという感情もある。
「そういえば、味はどうだった?」
「?」
そういえば? なんでそんな質問をするんだ?
この紅茶はどこか特別な場所で仕入れたものなのだろうか。そういえば似たようなものを最近飲んだかもしれないが……
「ぬるくなってしまったので味はよくわか――」
「ああ、違う違う。そっちじゃないんだ」
飲み干したカップを戻し、疑問符を浮かべながら答えようとするルダージュに、クレイゼルが否定するように慌てて手を振る。
「幻魔は美味しかったかい?」
「……」
「なんだいその眼は」
「デリカシーとかないんですか?」
「研究に不必要な物は壊れてなくなってしまったよ」
(やっぱり、苦手だわ。この先生)
最初に俺を手当てしてくれたのがアーネだったらよかったのに……とルダージュは思わずにはいられない。そのままわざとらしく「はぁ……」とため息を吐き、出口へと向かう。
「もう行くのかい?」
「ええ、決闘の準備もしないといけませんから。……あと、前も教えましたがあいつらの味は全部同じです。血生臭くて不味いだけ」
「……ふふ、そうか。不味い、か。情報提供感謝するよ。それと……」
「まだ何か?」
「聖刀剣の正統なる継承者に祝福を、学園の人間として勇者の誕生を喜ばしく思う」
「……オヤジギャグを言いたかっただけですか?」
「酷いな! これでもキミのことを勇者と見込んでルダージュ様とお呼びしようか迷っているぐらいなのに!」
「気持ち悪いからやめてください」
「本気なのに! 最近容赦ないな!?」
そう言ってクレイゼルは愉しそうに笑った。
ルダージュが部屋を出るまで途切れることなく、いつまでも笑い続けていた。
第二章 幻魔と伝説の聖刀剣 ―完―




