異世界の化物
近い! おそらく学園の女子生徒だ。
「あっち……!」
獣人で耳が利くティーユがすぐさま場所を特定し方角を指す。
「ちょうど危険地帯の方か! 何かへまをやらかしたのか……!?」
「セルティア!」
オルガとアリージェはもう臨戦態勢だ。ヘルエルとティーユも班長の指示を待っている。そんな彼らにセルティアはただ一言「救援に向かいます」と意思を告げた。
行動は迅速だ。
各々が自身の魔法、身体能力を駆使し、森を突っ走る。ルダージュはその最後尾として彼らに追従した。
「そろそろ見える……!」
確認できたのは5人の生徒。制服を血で染めぐったりとしている男子生徒と彼を抱きかかえる女子生徒。そして肩や腹に傷を負いながらも彼らを庇うように囲んでいる男女3人の姿があった。
「……あれ、ですわね!」
学園生たちは一匹の黒い化物と相対していた。
鬼でも熊でもない。しかし、その体格は他の魔物を軽く凌駕し、人間の身長の5倍は優に超える巨体だった。見た目は不可思議。狼のような頭部に角が生え、筋肉質な胴体と腕、それを支えるアンバランスな細い脚と蹄。両肩にはさらに銛のような先端が尖った棒状のものが突き出ていた。
「――」
ルダージュはそいつを見た瞬間、ざわついた。
心が、ではなく。恐怖から、でもない。
あの程度の化物はあっちの異世界で何回も見てきた。
――そう、何回も見て、殺して、喰ってきた。
こんなもの、慣れている。
「アリージェとオルガは魔物の足止めを! ティーユとヘルエルは私と共に生徒の保護! 回復に専念します!」
「わかりましたわ――! これは、先手必勝ですのよ!」
アリージェが魔法を唱える。
「くらいなさい! ウォーター・ランス!」
詠唱により魔物と相対していた学園生たちがセルティア班に気がついた。
彼らの顔は絶望に染まっており、それは生徒会長であるセルティアを目にしても変わらない。
「ダメだ!! 生徒会長! みんな!」
1人の男子生徒が叫ぶ。
それと同時に魔物の顔面に魔法が直撃した。それは木々をも抉り削る水属性魔法。
だが、
「こいつには、魔法が効かない!」
悲痛な叫びで声を涸らす。
「魔法を無効化する化物――“幻魔”なんだ……!!」
直撃した、と――そう思った魔法。
水の槍。
だがそれは、まるで子供の水遊びのように魔物――いや、幻魔の顔を濡らすだけに止まった。
場違いのような静寂と停滞が生まれた。
助けに向かっていたはずのセルティアたちはその事実を受け入れるのに“動きを止める”という愚策を選んでしまった。それは本能的恐怖に選ばされたのだ。
動かない的は格好の餌食だ。幻魔は彼女たちに気付き牙を剥き出しにして飛びかかってくる。
狙いは――魔法を放ったアリージェだった。
「ぁ――」
『お前の相手は俺だ!』
尖爪がアリージェを引き裂く寸前、幻魔の懐に飛び込んだルダージュが、脇腹に拳を叩き込む。
素の威力と鎧殻によって強化された拳は、幻魔を退けるには十分な威力だった。木々をなぎ倒しながら後方へとぶっ飛んでいく。
だが、これで勝ったわけではない。あの化物はこの程度では死なない。
「灰色の、騎士? あなた……ルダージュですの?」
驚くアリージェの前にはいつの間にかオルガも立っていた。流石執事の鑑だ。お嬢様を護る献身的な姿はルダージュも見習いたいところである。
『逃げろ。こいつの相手は俺がやる。お前たちは逃げて先生たちにこのことを伝えろ』
灰色の鎧を纏ったルダージュの声は、自分でも驚くほど冷めきっていた。
彼は学園生たちを見つめ、そして確信する。
アリアストラの住人にとって幻魔とは本当に最悪の災厄なんだろうな、と。
振り返った時の光景。それを一言で表すなら“絶望”だ。
今まで普通に魔物と戦い、訓練をこなしていたアリージェたち学園生。そしてルダージュの召喚士であるセルティアでさえ幻魔一体に怯えていた。それほどまでに恐ろしい存在なのだ。
「きょ、許可できません! ルダージュ! 死ぬ気ですか!?」
『さっき言っただろ、幻魔の相手は俺がやるって。俺に任せれば百人力なんだろ?』
「あれは言葉の綾です!」
おいおい。
『生徒会長として学園生の命を優先するんだ。ここは俺に任せろ』
「……っ」
ルダージュの有無を言わせぬ態度にセルティアは答えを窮する。契約の紋様を握りしめ視線を移すと、そこには負傷した5人の生徒、戦意を失った仲間たちがいた。
どうすればこの窮地を脱することができるのか、必死に考えても答えは1つしかない。
「あっ……」
掠れた声が漏れる。
どうやらその答えを口にする勇気がないらしい。
言葉にしたらそれがルダージュにとっての死刑宣告にでもなると思っているのだろう。
だったら、
『そういえば――』
「?」
『さっき、俺にだけ指示がなかったな。寂しいじゃないか』
「そ、それはルダージュは私の精霊ですし最善を尽くしてくれると」
『だったらこれで問題ないな。俺が幻魔と交戦し、殿を務める。それが最善だ』
「……」
あ、ちょっと怒ってる。「ずるい!」って言いたそうなむくれ顔だ。
セルティアを見ているとちょっとだけルダージュの心も落ち着いた。
「死なないでくださいね? 跡を追いますよ?」
『脅迫かよ! もっと別の言葉があるだろ!?』
ずるいのはどっちだ! 本気にしか聞こえないから質が悪い。
セルティアが苦笑している。気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして気を紛らわす。
続いた言葉は少しだけ震えていた。
「……では、私の騎士に命令します。私たちを護ってください」
そうだ。それでいい。生徒会長として君は何も間違っていない。
『まかせろ』
「ほ、本気ですの!? いくらあなたの精霊でもいきなり幻魔の相手なんて――」
「今の私たちでは足を引っ張ってしまうだけです。けが人も多いので森を安全に抜けるには戦力も割けません」
セルティアの指摘に誰もが押し黙る。
アリージェはルダージュとセルティアを交互に見ながら今にも泣きだしそうだ。
別に死ぬ気はないのだが……そんな態度を取られるとちょっと困ってしまう。だからといってルダージュは自分が死なないという保証を教えることはできない。
『――幻魔が動き出したぞ。時間がない、早く逃げろ』
幻魔が木々の間から顔を出す。
ルダージュを警戒しているのか、ずっと彼だけを睨みつけ動かない。
(そうだよな。お前は俺が気になって仕方がないはずだ。下手な動きはできないよな?)
好都合だった。
こくり、と小さく頷いたセルティアは班員と怪我を負ったクラスメイト達に指示を飛ばす。重症の生徒はヘルエルが治癒をしながら運び、腰を抜かしていた女子生徒はティーユがおんぶすることになった。
「すぐに、救援を呼んできます」
『ああ』
むしろ生徒たちを安全なところまで運んだらセルティア自身が戻ってきそうな気迫がこもっている。それははっきり言って困る。あれの相手を大切な彼女にさせるなんてルダージュの気が狂ってしまうからだ。
だから彼はオルガに目配せをした。
おそらく、ルダージュたちの中で一番冷静なのはオルガだ。彼の行動は常に一辺倒。お嬢様であるアリージェの命を護ることを最優先で考えている。幻魔から攻撃を受けたとしても、アリージェの盾になれるよう気を配っている。
「……」
オルガは何も言わず頷いた。
これでセルティアがここに戻ってくることはないだろう。
大切な人を護る彼なら、ルダージュの気持ちがわかるはずだから。
±
セルティアたちの脱出はあっさりと成功した。
幻魔は彼女たちを追撃せず、唸り声をあげながらルダージュと対峙している。
『これで、俺たちだけだな』
疑問や怒り、困惑と焦燥を少しずつ吐き出すようにルダージュは感情を表に出していく。
返答なんて期待していない。こいつらは言葉が理解できないただの化物だ。
だが、言わずにはいられなかった。
『お前たちはこっちの異世界で幻魔って呼ばれてるんだってな』
幻魔はただ唸る。
前腕で地面を殴り、後ろ足で土を蹴り払う。
好戦的なのはどこも同じだ。
『なんでだろな、なんでお前たちがここにいるんだろうな』
魔装がざわつく。
自分と同種の力を本能的に感じ取っている。
魔法を無効化する力。
それがアリージェが口を滑らし、言いそうになったルダージュと幻魔の共通点。笑えてしまう。彼女はなにも謝る必要なんてなかったのだ。間違ったことは何一つとして言っていない。なぜなら――
『まさかあの異世界の……あの魔界の化物が、この世界にもいるなんて、思わなかったよ。さあ、幻魔――異世界の化物。化物同士、仲良くしようじゃないか。お前は俺が、殺してやる』
魔装は幻魔そのもの。
それは、ルダージュがこの世界の敵だということを如実に物語るには十分な真実だった。




