黒板と仮面
それは不思議な出会いだった。
物資を補充するために王都へ立ち寄った際、生徒たちには1時間の自由時間が与えられた。
鮨詰め状態から解放された生徒たちは城下街に買い出しに行く者がほとんどで、彼らはちょっとした観光気分を味わっていた。
しかし、ルダージュだけ――正確には人型精霊である彼だけは、王都に入国するための制限を課されてしまい、挙句の果てにはツペルたちとはぐれて観光どころではなくなってしまった。
城塞とも呼ばれる王都の絶壁。その内部に通じる門を潜るには当前のように検疫が必要となる。
その検疫に唯一引っかかったのがルダージュだった。
人型精霊が召喚された快挙。それは公にはなっているが周知の事実というわけではない。そんな中、世界最大規模の人口密度を誇る王都で人型精霊の男が街を闊歩したらどうなるか。
想像もしたくない、と検疫官を務める兵士にルダージュは愚痴られた。
人型精霊だとばれないためのアイテムとして魔導具やらフード付きコートをルダージュが準備してもらっている間に、生徒会の仕事があるセルティアとは別々になった。残されたアリージェたちはルダージュの身支度が整うのを待つつもりだったのだが、ツペルたち精霊が召喚士たちの大都市への高揚を察し、後で合流するという名目で待ち人役を買って出たのだ。
そこまではいい。ルダージュも同じ立場ならそうした。
だが精霊たちはルダージュが兵士たちに『決して目立たないように普通の人間らしくしてくれ』という曖昧な制限を食らったことなど知らずに、近道と称して裏道を飛んだり跳ねたりして肝心のルダージュを置いて行ってしまったのだ。制限について伝えようとはしたが無駄だった。彼が口を開いたころにはアグニードが炎を推進力にロケットパンチをしているところであり、その手にはちゃっかりスライムも握られていて抜け目もない。
この時点でルダージュは諦めて普通に街を散策すれば良かったのだが、つい彼らを追ってしまった。少しぐらい待ってくれるだろう、という淡い期待を込めて……。
その結果、迷子の精霊が生まれた。
これが本当のはぐれ(た)精霊か……と、アホなことを考えながらルダージュは周囲を見渡す。
スラム――とまでは言わないがそこは寂れたところだった。都会のビルの隙間、日の差さない路地裏を思い浮かべる。そんな場所に彼は着いていた。
この危機を脱するのは簡単だ。
契約の証の力を使いセルティアの場所を探り、精霊たちのように高いところに跳んで、屋根を伝って賑わっている大通りに出ればいいだけ。
だがそれはこの世界にとっての“普通”なのかわからない。王都では箒に乗って空を飛んでいる人間をルダージュは見掛けなかったし、そもそも全身をコートで覆ったことで彼の服装は逆に目立っていた。
ルダージュは迷路のような路地から歩いて抜け出すことを強いられていた。
彼女と出会ったのは途方に暮れているそんな時だった。
純白のローブをなびかせた小柄な人影が、突然ルダージュの目の前に現れたのだ。
最初の一瞬は、その人物が男なのか女なのかわからなかった。彼女はルダージュと同じようにフードを目深に被っていたため顔を窺うことができなかったからだ。
しかし、ローブ越しでもわかる華奢な体付き、自己主張の激しい胸部、と順々に観察したことで、すぐに女性だという事に気付くことができた。
傍から見たらルダージュたち2人の絵面は奇妙に映ったことだろう。
どちらもフードで顔を隠す不審者のような出で立ちで、お互いのことを見つめ合っていたのだから。
正体を明かしたのはルダージュが先だった。
1人ぐらいなら『秘密がばれたところで問題はないだろう』と判断し、フードに手を掛け顔を見せる。すると彼女は驚きを抑えられなかったのかぴくんと身体を揺らし、感情を表に出した。
視線が左頬に集中していることは感じ取れた。
だが身の上話をしてる暇もないのでルダージュはその視線を無視して簡潔に要件をまとめて、彼女に助けを求めた。
召喚士とはぐれたので道を教えてくれ、と。
情けないことこの上ないが背に腹はかえられなかった。
一時の羞恥を我慢すればセルティアたちと合流できるのだから。
最初、彼女から反応はなかった。じっとルダージュの頬を見つめ、彼の言葉の真相を探るように視線をゆっくりと上下にさ迷わせるだけだった。
そして、逸る感情に流されルダージュがもう一度口を開きかけた時、ふわり、と自然な仕草で彼女はフードを脱いだ。
緑がかった金髪に横に尖った耳、口元を覆う仮面、こちらを真っすぐと見つめる碧の双眸。白日のもとにさらされた彼女の正体はエルフの少女だった。年の頃はルダージュと同年代のようにも見えるが、なんとなくヘルエルよりも年上なのではないかと思わせる独特の空気を醸していた。
彼女はローブの内側に手を突っ込むとゴソゴソと音を立てながらある物を取り出す。
出てきたのは持ち運びに便利そうな黒い薄板だった。
タブレット型の黒板――とでも呼称できるような板だ。
エルフの少女は魔法で羽ペンのようなものを創り出し、マナで魔法陣を描く要領でその板に文字を書き綴った。
そして彼女は胸元に黒板を掲げ、首を傾げる。そこには綺麗な異世界文字で『あなたも精霊なの?』と書かれていた。
ぎりぎり解読できたルダージュが静かに首肯すると、彼女は目を細め穏やかに笑った。
自前の黒板で筆談。
つまりはそういうことなのだろう、とルダージュは彼女の事情を把握した。
彼女との会話はとても緩やかなものだった。
質問を受け、ルダージュがそれに答える。たまに読めない文字が出て困ったりもしたが、そのときはジェスチャーをまじえて彼女は話してくれた。不思議なお踊りが始まったときはさすがのルダージュも理解できなかったが、とりあえず会話は成立した。
一通り話し終えるとエルフの少女は満足したように頷き。唐突にルダージュの手を取って裏通りを進み始めた。思わずドキッと胸が高鳴るルダージュだったが、道案内のためだとは気付いていたので素直について行くことにした。
そういえば昔もこんなことがあったな、と懐かしい気持ちを抱く。
幼稚園児ぐらいの頃、家族とテーマパークに遊びに行ってはしゃぎ回り、その時も迷子になった。
あの時は兄が見つけ出してくれて、両親と合流するまでは手を引っ張ってくれた。
エルフの少女の背中が小学生だった頃の兄の面影と被る。それは優しく頼もしい小柄な背中だ。
もしかしたら彼女も弟か妹がいる姉なのかもしれない。
ギュッと握られた手、袖から見え隠れする古風な木製の腕輪を眺めながら、ルダージュはそんなことを思い出しながら平常心を装うのだった。




