日常?
異世界で迎えた春、魔導都市学園では入学式が開かれていた。
真新しい制服に身を包んだ新入生たちが校門を潜り、会場となる大講堂にぞろぞろと吸い込まれて行く。
ルダージュたち精霊はその様を校舎の屋上から見守っていた。
「暇だな」
思わず不満が漏れた。
『……』
隣の鳥公からは反応はない。大方、新入生の胸でも拝んでいるのだろう。
『妾も同感だ。よもやこの霊核の状態でもご主人様から待機を命じられるとは……この小さき身体を煩わしいと感じたのは初めてのことよ』
イルムがぺしぺしと尻尾で地面を叩いている。相変わらずわかりやすい蛇である。
『中型以上は式に参加できぬとはな……』
そう、ルダージュたち精霊は入学式に出られない。
理由は単純明白。
大講堂に余裕がなくなるからだ。
新入生を含む魔法科の一年から六年、精霊科の一年から三年の生徒たちを収容して、さらに学園関係者、来賓まで含めるとなると、いくら広大な敷地に恥じぬ大講堂であっても精霊まで詰めてしまっては手狭になってしまう。
だから精霊は霊核の状態で小型――ネックレスやリングなどの装飾品レベルまで小さくなれる者だけが参列できるのだ。
『ガルバトスめ……あのような特技があるとはちゃっかりしておる』
ちなみにルダージュは大型、ヴァルトロとイルヴェノムは中型に分類される。いつもは小竜に変身しているガルバトスは中型に当てはまるはずだったのだが、彼は霊核状態からさらに変形でき、今回はブレスレットとなりロイの腕に引っ付いて行ってしまった。
ルダージュとしては初めて出会ったときは槍だったので、今更驚きはしないのだが……
『シャー! 思い出したら腹が立つ! 彼奴め! 置いて行かれる妾をへらへら笑いながら見下しおって……!』
ぺしぺしぺしぺし! と鞭打つ音が激しくなる。余程イルムは悔しかったのだろう。たまに何を考えてるかわからないガルバトスのことだが、今回は式自体に興味なく、イルムで遊ぶことが目的なのは明白だった。
彼女はすっかりといじられ役が定着してしまっている。そういうところは彼女の相棒そっくりだ。
「俺も参加したかったなぁ」
せっかく春休みも終わり、これからセルティアとの学園生活が待っているというのに出端を挫かれた形だ。異世界の入学式と聞くとまるで特別なイベントのように思える。元の世界にいた時は億劫だと思っていた式が世界が違うだけで単純な興味が湧いてくる。
それにルダージュは大学の入学式当日に魔界に堕ちたいた。この気持ちは式に参加できなかった未練みたいなものが燻ぶっているのかもしれない。
『であろう? 精霊は召喚獣として召喚士に連れ添うもの。妾たちが参加できぬのはこの祭が間違っておる証拠。ルダージュよ、これは誰に訴えればよいのだ?』
「学園で一番偉い人だから……たぶん学園長か。見たことないからわからないけど」
先の誘拐事件で聴取された際、セルティアと一緒に学園長室には入ったことはあっても、学園長本人には会っていなかった。学園長室で事情聴取された理由も秘密が漏れにくいから、というだけである。
「忙しい人だと思うぞ。おそらく式に参加してるから俺たちは会えないしな」
『それでは意味がないではないか』
落胆するイルム。
よっぽどロイにご執心の様子。
はぐれ精霊だった彼女がどうしてここまでロイにこだわるのか。ルダージュが前に聞いたときは『妾は面食いじゃからのう!』と本当かどうか判断に困る返しをされてはぐらかされた。『乙女の秘密よ』とも釘も刺されたため教えてもらえることはなさそうだ。
『どうした我が友たちよ。この素晴らしき日に暗い顔など』
人の行列が消え入学式が始まったのだろう。
翼の羽毛を双眼鏡のように丸め眼下を堪能していたはずのヴァルトロが振り返り、反復横跳びをやり始めた。
「お眼鏡に適う新入生でもいたのか?」
『おお! さすがだルダージュよ。わかるか』
そりゃあね。そんな奇天烈なダンスを披露されたらね。
『神には及ばないが将来を約束された者が何人か……これは近い未来のために我が愛に磨きを掛けなければなるまい』
フン! ハッ! と、息を切らし決めポーズをとりながら輝かしい汗を流す。
正直暑苦しい。
しかも魔導都市学園の新入生とは小学校高学年ぐらいの平均年齢である。その歳でヴァルトロに有望だと唸らせるとは……末恐ろしい世の中である。
『妾にはまだ理解できぬ。男というのはそんなにもあの二つの脂肪に魅力を感じるものなのか?』
『脂肪ではない! おっぱいだ!! 同郷といえどその愚かな間違いは万死に値するぞ!』
『お、おお……すまぬ』
これが精霊の会話である。
この世界で神聖視され、良き隣人と呼ばれている精霊たちが、おっぱいについて語り始める光景。とてもじゃないが召喚士たちには見せられない。
『ルダージュもそう思うか?』
飛び火してきやがった。
『人型精霊の其方ならば特にそういった嗜好が強いのだろう? 聞いておるぞ。あの娘の胸に顔を埋めて寝ていたのであろう?』
「なぜそれを!?」
それはルダージュが召喚された当日の夜限定の話だ。なぜイルムがそんなこと知ってるのか皆目見当も――
『ヴァルトロが嘆いていたからな。友がパフパフされて幸せそうだった、と』
「犯人はお前か!」
進級祝いの夜、姿を見せなくなったヴァルトロはなんとセルティアの部屋を覗きに来ていたのだ。
『ぴーひゅるるー』
誤魔化そうとしてるのか、吹けもしない口笛のような息遣いが漏れ出ている。
その口じゃ無理だろ……ってくるくる踊りながら離れていきやがった。逃げ足の速いやつめ。
『妾にも胸があればご主人様は喜んでくれるだろうか……』
すとーんと首を下げ絶壁の身体を見下ろす蛇の精霊。
どうしよう。こっちはどこから突っ込めばいいかわからないが……とりあえずロイを巻き込むことにする。
「イルム」
『む?』
「ロイも男だからな。女性の胸が好きに決まっている」
『! やはりそうか!』
「ああ! 人型精霊の俺が言ってんだから間違いない!」
『おっぱいがいいのか!?』
「おっぱいがいいのさ!!」
『あいわかった。よかろう。ならば妾はご主人様のために胸を手に入れよう』
「!?」
勢いで会話していたらとんでもない展開になってしまった。
(でも、さすがに蛇の姿のまま胸をつけたらシュールすぎるような……)
『ん? なんじゃその眼は……ふむ、なるほど』
それの視線で気づいたのかイルムは自分の身体をまた見下ろした後、豪快に顎を開け笑った。
『カッカッカ! 馬鹿にするでないルダージュよ。妾とてこの身体に乳をぶら下げたら滑稽だと心得ておるわ!』
「じゃあどうするんだ?」
『秘密じゃ!』
言い切られてしまった。
『だが妾は其方を気に入っている。妾が真の姿になった暁にはご主人様の次に披露しようではないか』
喜んでいいのか悩みどころである。
『しかし、な? 準備には時間と魔力が必要不可欠。時間はどうしようもないが魔力を蓄える助力を求めたい』
「魔力? 集める方法は?」
『なに、ちぃーとばかし其方の血を頂くのよ』
キランと極太注射器の針のような牙を見せつけられ、ルダージュとしては即刻遠慮したい申し出だ。
『痛いのは最初だけじゃ。すぐに天にも昇るような痛みの快楽へと昇らせてやろう』
「それ死んでない?」
もしくは特殊性癖が発現である。
「魔力が欲しいならロイ本人から貰えばいいじゃないか。その牙であいつの首筋にかぷっとぶはっ!」
『ななな!? なにをたわけたことを!』
イルムの尻尾に顔を叩かれたルダージュが倒れ伏す。
(なんて手癖が――いや、尻尾癖が悪いんだ。びしびしスナップをきかせて地面を叩いてるし、アレは無自覚か?)
今度から警戒しておこうと心に刻む。イルムが霊獣化していた場合、本当に天に昇ってしまう可能性もあるのだ。下手な冗句も言えない。
『そ、そそそんなご主人様にかぶりつくなど! は、恥ずかしいではないか!』
乙女である。見た目はまんま蛇だが。
「いいアイデアだと思ったんだけどな。たぶん俺の魔力じゃ毎日吸っていても終わらないぞ」
『……なに? ルダージュよ。其方の魔力は……?』
「あれ? 知らなかったのか? 測定結果は評価2だったよ」
『……あ』
「その察したみたいな反応やめて」
『いや、すまぬ。模擬戦とはいえ妾を打ち負かした其方がそれほどまでに弱いとは考えもしなかった……ん? どうした急に、胸を押さえて』
「気にしないでくれ。不意の発言に心を抉られただけだ」
『そうか……しかし参った。これでは魔力が効率的に集められぬ』
ん~とイルムと一緒に頭を悩ますと、その視線の先に求愛ダンスの練習をしているヴァルトロが映った。
悩む必要なんてないのかもしれない。
「ヴァルトロ!」
『何用だルダージュ! 我は今、愛の狩人としての研鑽を――』
「おっぱいの誕生に興味ないか?」
『――詳しく話を聞こう。続きを』
音速のような速さで飛んでくるヴァルトロ。
荒ぶる鷹のようなポーズはおっぱいの為なら命を張るという表現なのだろうか。
『ルダージュ』
イルムがルダージュに近づき、小声で続きを促す。
『妾、この話題のときのヴァルトロが少々怖いのじゃが……』
「我慢しろ、ロイの為だろ」
『むぅ……』
ヴァルトロは精霊の中でも最高の魔力を持っている。これほど心強い味方はいない。
活躍させる方向性が間違っている気もしたが、我に返ってはいけない。
「イルムがおっぱいを手に入れるために力を貸してほしいそうだ」
『わかった』
「だからお前の……って即答かよ! まだ何も言ってねーぞ!」
『我はおっぱいの為ならなんでもしよう』
カッと目力を込め宣言するヴァルトロに気圧されるルダージュとイルム。
『ルダージュ! やはり妾怖いのじゃが!?』
「諦めろ、ロイの為だろ」
『むぅ~……背に腹はかえられぬか』
(……ちょろイン)
『さあ! 我はどうすればいい! 何ができる! おっぱいの為ならたとえ火の中水のなかぶしっ!?』
『これから噛みつくというのに汗臭くては敵わん。水でも被っておれ』
バケツをひっくり返したような大量の水がヴァルトロを襲った。
無詠唱の水魔法だ。
躊躇っていた割には行動が大胆なイルムだった。あまりの扱いの酷さにルダージュはちょっとだけヴァルトロに同情してしまった。
『なんだこれは!? 前が見えぬ! それに何かに縛られ……イルヴェノムか!』
『ヴァルトロよ、お主の血を頂くぞ』
『クエエエエ! その牙で何をする気だ! まさか! ……まさか!!』
『男に二言はなかろう?』
今更になり「止めた方がいいのかな?」と良心の呵責がルダージュを襲う。
締め付けられるヴァルトロと大口を開けるイルムが昔テレビで見た蛇の捕食シーンにしか見えなかったためだ。
『まて! 待つのだ!』
『……なんじゃ?』
『最後に1つだけ、聞かせてほしい!』
『……?』
『イルヴェノムはおっぱいを手に入れたら、それは……それは、巨乳なのか!?』
ずっこけそうになった。
イルムはヴァルトロの言葉を聞いて戸惑っているのか、視線を右往左往させた。
そして静かに――
――こくり
と恥ずかしそうに頷いた。
『ふっ、ならば我に後顧の憂いなし! さあ! ばっちこおおおおおおい!』
なぜ、言語を操り召喚士と言葉を交わす精霊が少ないのか。
それは精霊がアホばかりだから人に幻滅されないためだと、ルダージュはこの瞬間に確信した。
「……なんだこれ」
彼の呆れるような呟きは、牙を突き立てられてもなぜか幸せそうなヴァルトロの悲鳴によって掻き消されたのだった。




