―邂逅―
妖精の森を人外の速度で疾走し、契約の紋様から伝わる感覚だけを頼りに突き進む。
薄暗い夜の森は魔界を彷彿とさせ、ルダージュを滾らせ思い出させる。
凶悪な獣を狩り、または襲われたあの日々を。
「ガルルルルッ――」
今もまた、ルダージュは魔物に襲われようとしていた。それはボワウルフの体格を数倍にも膨らせた親玉のような狼だ。大口を開き、その顎でルダージュを噛み砕こうと飛びかかる。
ルダージュはそれを強引に――
『邪魔だ』
引き千切った。
上顎と下顎を掴み力任せに抉じ開け、分断したのだ。
夥しい血飛沫が上がり血の雨のように周囲の木々と彼自身を濡らしていく。だが、魔物の亡骸になど目もくれずルダージュは突き進む。獣を残虐に殺すことなど慣れていた。そうしなければいつ反撃されるかわからない異世界にいたのだから。
出発前「森の魔物は危険種ばかりだから気を付けろ」と、ロイは忠告していたが、彼が心配する必要はなかったようだ。
この森はあの地獄に似ている。
だが、似ているだけで決定的に異なるものがあった。
魔物の弱さだ。
森を進んでから、もう幾度となく魔物に襲われた。
蝙蝠の羽を生やした熊みたいなモノ、サメの牙を持った巨大ワーム、岩石に覆われたトカゲに骨だけで動く鬼など。
態々ルダージュの前に姿を現す魔物はやはり好戦的だった。
彼を食らおうと牙を剥き敵意を見せ、行く手を阻んできた。
その全てをルダージュは鎧殻の状態で屠っていった。
頭を握りつぶし、身体を切り刻み、踏み潰し、蹴り砕いた。
本当はもっと魔装に余裕があれば足を緩めることなく剣の雨でも降らせて効率的に倒せることもできる。しかし、今のルダージュの魔装の量では鎧殻を維持するだけで精一杯だった。
“鎧殻”は魔装を“騎士の鎧”のように装着し戦う、護りの戦闘形態みたいなものである。
もともとルダージュは魔装を防御に使っていた。初めて魔界の獣――魔獣に襲われたときに盾を創り出したことが切っ掛けで、そこから反撃するために剣や槍などの応用に転じていった。
魔界では自分の命を護ることが最優先であり、その最終形態が鎧殻だ。
だが、この森の魔物は脅威ではないと理解した上でも、鎧殻を解くわけにはいかなかった。
ロイの言葉を思い出す。
「妖精の森の注意点を聞いておけ。まず1つ、森の木々は傷つけるな。ある程度なら許してくれるが燃やしたりしたら妖精が襲ってくる。2つ、妖精が現れたら適当にあしらえ。基本的に無視していいが、やりすぎて機嫌を損ねると襲ってくる」
……危険だ。
恐らく鎧殻でなければこいつらの攻撃は防げないだろう。
『……まだ、付いてくるのか?』
クスクスクス、フフ、キャハハ、とルダージュの周りを羽の生えた手の平サイズの人間――妖精が飛び回り、淡く綺麗な光を放ちながら笑っている。
八頭身で無駄にスタイルのいい妖精の子供(かどうかわからない子)たちは全員女の子だった。
その三人娘はルダージュがいくら速度を上げても振り切れず、魔物と遭遇し戦っている時も逃げも隠れもしない。寧ろ応援してくる始末だ。それはチアガールのようなポンポンを用意する徹底ぶりである。
わけがわからないし、言い知れぬ恐怖感があった。だが、悪意は感じなかった。ひたすらストーカーのようなしつこさで追従してくるが、邪魔をしたり悪戯をしてくるわけではない。
森の闖入者を物珍しく思っているだけだけなのか彼女たちの行動は観察だけにとどまっていた。邪険に扱わず妥協したほうがまだルダージュとしては安全だった。
『ここは……』
開けて見晴らしのいい場所に着いた。
そこは泉だった。
透明な水が夜の闇色に染まり、岩場は月光を反射し煌めいている。点々と光る金色がまるで蛍のように空を舞い、踊っている。
その正体は妖精だ。
数えるのも馬鹿らしくなるくらいの妖精が泉の周りを飛び回っている。
どうやらルダージュの進行方向は妖精たちの住処と衝突するルートだったらしい。
そして、
『……っ!?』
面倒事に巻き込まれないうちに身を隠し、遠回りしようと考えた矢先――ルダージュはソレに気付いてしまった。
(なん、だ、こいつは……!?)
妖精の泉、その中心で少女が独り、彼を見上げていた。
白い髪、白い肌、黒い瞳。
真白色の少女。
純白のドレスを纏い、裾から生ずる水の波紋が泉との境界を曖昧にしている。まるで泉全てをウエディングドレスのように着飾る花嫁のような少女がそこにいた。
息を呑む。
彼女の美しさに当てられたわけではない。
極度の緊張で身体が縫い付けられ、喉しか動かなかったからだ。
アレはヤバいと、勘が、魔装が、全神経がざわめく。
確証はないが確信はある。
アレは――人の形を模った化物だ。
ふと、視線が交差する。
少女はルダージュが泉に現れてからずっと彼のことを見つめていた。
――否、そう見えるだけかもしれない。
ルダージュを観ているようで、何か別のモノを彼を通して見ている。
それが何なのかわからない。だけど、そうでなければ彼女がルダージュを観て“笑う”意味がわからなかった。
少女は笑っていた。
人間の女の子のような無邪気で可憐な笑みではない。愛した男だけに魅せる、色情に染まった女の笑みだ。
朱の差した頬を抱くように当てられた両手は、恍惚とした表情を抑えることはできず、瞳は濡れ、唇は笑みを崩せない。
見た目とは裏腹なその存在を前にルダージュは次の行動に移れなかった。
一刻も早くセルティアを助けに行きたい。だが、ここで選択を誤れば野垂死ぬようなそんなビジョンが襲ってくる。
最初に動いたのはルダージュに纏わり付いていた妖精たちだった。
近づくのは危ない、と止めようとしたが三人娘は彼の腕をすり抜け、少女の元に焦ったように馳せる。
よくよく考えたら妖精の泉にいる少女なのだから妖精とは深い仲なのだろう。三羽の妖精と何事かを話すと、少女はがらりと雰囲気を変えた。頬を拭いこちらを改めてみる少女の顔は普通の人間のように見えた。
そして彼女はぺこりと頭を下げドレスの端を軽く摘まむ。
挨拶だと気づくのに三秒の空白が必要だった。今更、人間のような行動を取られてもルダージュは反応することができなかったのだ。
どうしていいかわからず佇んでいると、少女は気を悪くすることもなく、にこりと微笑んだ。たぶん彼女が初めてルダージュのことを見た瞬間だ。
彼女は妖精の女王なのだろうか?
三人娘たち、そして泉にいる全ての妖精たちに指示を与え始めた。
光が中央に集まり、そして川の奔流のように彼女の背後の森に光の道が出来上がる。それはこの泉とどこか別の――ある場所を繋ぐ渡殿のようでもあった。
まさか……! と、頬に手を当てる。
『……! この先に彼女がいるのか?』
予想は間違いではなかった。
契約の紋様が伝える感覚はちょうど光の先の方角を示していた。
『――』
少女は口を閉ざし頷くだけだった。
どうしてこの少女がルダージュが向かいたい場所を知っているのかはわからない。三人娘の所為か、妖精の統率者がなせる業か、森の主だからか。
セルティアの元へ行けるならこの際どうでもよかった。
『……ありがとう』
跳躍し泉を飛び越える。その擦れ違う瞬間、少女が静かに口を動かす。
『―――――』
それは音にならない声、誰の耳にも聞こえない形だけの言葉。
伝えたくても言えないその言葉は誰に向けた言葉なのか。
『……』
着地し振り返ると、少女の姿はどこにもなく幻のように掻き消えていた。
頭を振り、すぐに忘れる。
余計なことを考えている余裕はない。今はこの先にいるセルティアを助けることが最優先だ。
妖精が灯す光の道を駆ける。魔物は妖精を畏れ襲ってこない。
道が途切れ、妖精たちが散らばった。
目の前に映ったのは石造りの神殿。
セルティア……!!
扉を蹴破り、ルダージュは中へと飛び込んだ。




