騎士の決意
彼女の名を呼ぶロイの声は微かに震えていた。
普段は「アンヴリュー」と苗字で呼んでいた彼が、無意識に彼女の名を呼ぶ。
素直になれない彼の心が、焦燥によって露わになった瞬間だった。
「頼む、答えてくれ。セルティアは今どこにいるんだ?」
この胸騒ぎを否定する答えをくれ、と縋るような眼。その奥にはルダージュの姿が鏡のように映っていた。
「セルティアは……二時間ほど前に街へ出掛けた」
言葉とともに胃が突き上げてくる。胸と喉が焼けつくような不快感がルダージュを襲う。
これ以上喋りたくない、言葉にしたくない、と訴えかけるように。
「街のどこへ行った?」
だがそれをロイは許してくれなかった。
「……わからない」
「ついていかなかったのか?」
「……」
「あの精霊バカがこんな時間までお前を放置して、学園に帰って来てないのか?」
「……」
まるで責められているように聞こえるのはルダージュに負い目があるからだ。
あの時、無理にでもついていけば……帰りの遅い彼女を迎えに行けば……そうすればこの不安を取り除けるのに、と後悔が押し寄せる。
「ありえない!!」
外灯が叩きつけられ、骨と金属が鈍い音を立てる。
感情を剥き出しにしたのはロイが先だった。
「なぜこんな時に限ってお前がいない! お前は生徒会長だぞ! 学園最強の一角だ! 遅れを取るなんてありえないだろ!?」
彼は否定する材料を探している。
もしかしたら、いや、まさか……とその可能性を否定する。セルティアが攫われなんてありえない、と。
ルダージュにも不安はあった。だが、実感がわかない。さっきまで魔物を殲滅していたセルティアが、負けて攫われるなんて考えすぎだろ、という期待が囁く。これは自分たちの思い過ごしで、けろっと物陰から現れて笑顔を見せ俺の名を呼んでくれると思ってしまう。
「落ち着くんだ。まだアンヴリューくんが事件に巻き込まれたと決まったわけじゃない。今この場に生徒会長がいないなら副会長であるマクセルくん――キミが総長にこの旨を伝え、補佐に移りなさい」
「しかし……!」
「キミは副会長だ。自分の任を全うしなさい。生徒会長は私と彼女の召喚獣であるルダージュくんが捜し出す」
「っ! ……わかり、ました」
窘める先生の手元には今もまだ板のようなものがしっかりと握られたままだった。
ルダージュは場違いにも、その板の正体が何なのか無性に気になった。クレイゼルが治癒術師として持ち歩いているポーションとは違うその何かに、違和感――疑問が生じたからかもしれない。
「クレイゼル先生」
「ん? なんだい?」
「先生が持っている、その板みたいなモノって……なんですか?」
「ああ、これかい? これは誘拐されたかもしれない生徒が落とした所持品だよ。学園の方でしばらくの間、預かる形になったんだが……どうやら買ったばかりの新品らしくてね。生徒に直接繫がる物ではなかったんだ」
「……ちょっと、見せてもらっていいですか」
「構わないよ」
ほら、と先生から手渡されたのは板などではなかった。
「……」
それは紙の束を丈夫な羊皮紙でカバーした一冊の本だった。
新品ではあるが砂埃で少し汚れている。 地面に落ちた衝撃なのか角は少しだけへこんでおり傷がついていた。
「せい、れい……お、う」
セルティアに教えてもらった異世界文字。ルダージュが読めたのはそこまでで、表紙には男の子と女の子が手を繋ぎ見つめあっている絵が描いてあった。
それはこの世界の絵本だった。
「『精霊王の冒険』っていう著者不明の絵本だよ」
「……」
「子供に人気でね。召喚士を目指すなら一度は目を通す本さ」
「子供……」
「だからこの学園の生徒が懐かしがって買った可能性は否定できない。絵本だからさ、幼い頃に読み聞かせてもらったんじゃないかな? 文字を覚えるのに最適だからね」
「!?」
新品の絵本、文字を覚える教材。
まるでパズルピースのように彼女の言葉とクレイゼルの言葉が重なり合う。
「……これ、セルティアが買ったんだ」
「なにっ!?」
確信した。
確信してしまった。
疑いようがない。この絵本はセルティアが今日まで悩んで導き出した答えだったのだと。
彼女はルダージュと同じ想いを抱いていた。
パートナーにプレゼントを渡したい。その想いで出掛け、そこで襲われた。
「なぜその結論に至ったのか、私たちにはわからないがキミも落ち着きなさい」
「っ!」
肩を掴みクレイゼルが真剣な目つきでルダージュを覗き込む。いつの間にか周囲一帯が足元を覆い隠すほどの霧で支配されていた。それは霧状に展開された魔装だ。
ルダージュの心が無意識に急かしているのだ。早く助けに行けと。
「私たちが生徒会長を捜すためにキミの元へ来たのは理由がある。契約の紋様があるだろ? そこに手を当て召喚士のことを想うんだ。召喚士と召喚獣は繋がっている。一応、それで正確な場所はわからなくても、ある程度の方角はわかるはずだ」
「は、はい!」
セルティアとの契約を思い出す。召喚士との契約があれば互いの位置を察知できたり魔力を供給して強化できると彼女は言っていた。
指示に従い頬に手を当て集中する。すると微かに磁石に引っ張られるような不思議な感覚がルダージュに伝わる。
そして理解した。最初からクレイゼルたちがルダージュに彼女の居場所を探させなかった訳。それは大雑把過ぎるからだ。方角以外、距離も何もわからず利便性に欠けているのだ。
「あっちだ」
ルダージュが指をさしたその方向は学園の裏側方面。校舎などの建造物が並び、そしてその奥には高い外壁が存在する。
「学園内に犯人と彼女がいるとは考えにくい……だとすると壁の外――」
「妖精の森……だと……?」
先生が苦虫を噛み潰した顔で壁を眺め、ロイはこの世の終わりとばかりに驚愕する。
(セルティアに教えてもらったあの森か……そこに彼女が捕まっているのか……っ!)
「待て! ルダージュ! どこへ行く気だ!!」
居ても立っても居られず走り出そうとしたルダージュをロイが牽制した。
「セルティアを――俺の召喚士を助けに行く」
「……っ、それは、この学園の副会長として許可できない」
一刻を争うという場面、ロイが止める理由がわからない。
「睨むな、言いたいことはわかる。俺だってあいつを――生徒会長を助けに行きたい。でも、妖精の森だけは駄目だ。あそこは特別な依頼がない限り立ち入りすらできない危険区域だ。副会長として生徒とその精霊を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
模範解答だ。感情を押し殺して流されない、生徒の上に立つ人間の言葉である。
正しすぎて反論なんてできやしない。
「言いたいことはわかった」
「……わかってくれたか。なら今すぐ俺は先生と一緒に学園に掛け合って――」
「でも関係ない。俺は1人でも森へ入る」
「おい!?」
「ロイたちは準備が整い次第応援に来てくれ。俺は勝手に先行する」
激昂したロイはルダージュから絵本を奪った。
「話を聞いていなかったのか!! あの森は危険だ! 精霊一柱がどうこうできる魔物の数じゃない。それに魔物の中でも最高レートのSランク級も潜んでいるんだぞ! 死にたいのか!?」
「……」
ルダージュは自分の手を見下ろした。
奪われ、空っぽになった手だ。
また大切な人を守ろうと決意した、空虚な手。
(……もう、嫌なんだ。大切な人が奪われて、この手から零れてしまうのは……もう、嫌なんだ)
「ルダージュ! 聞いているの……か――」
彼は無力だ。
だけど、大切な人ぐらいは守れると信じていたい。化物でも嘘つき精霊でもなんでもいい。“この力”は誰かを護れる力だと信じさせてほしい。
だから――力を貸してくれ。
――“鎧殻”
「頑張って生きてくれって彼女にお願いされたんだ。だから俺は死なない」
魔装が渦を巻き、暴風を呼ぶ。
「キミを護るって約束したんだ」
絡みつく灰色の塵は鎧を形成し絶対の楯となる。
「だから俺は彼女を――セルティアを助ける』
全身を覆う鎧の魔装を装着し、一体化する。
これが“彼女”に騎士と呼ばれた所以でありルダージュの切り札だった。
「騎士の精霊……」
「それがルダージュくんの霊獣化かい?」
呆然とするロイと白々しい疑問をぶつけてくるクレイゼルにルダージュは無言で頷く。
「……よかろう、学園の教師としてルダージュくんが妖精の森に侵入することを許可しよう」
「先生!」
「私の調べでは彼の霊力は測定不可能の域に達している。彼女の召喚獣の力に賭けてみようじゃないか」
「ですが、」
「もちろん私たちもすぐ後を追うよ。無理はさせたくないし、追い付くまでのちょっとした時間稼ぎとでもキミは考えればいい。もしかしたら私たちが辿り着く前に彼が全て解決してるかもしれないけどね」
「……くっ……わかりました。先生がそこまでいうなら生徒会もその意向に従います」
でも、とロイは続ける。
「これはあいつの……アンヴリューの友人として言っておく。……生きて帰ってこい。あいつに悲しむ顔をさせたくなかったらな」
させたくない、か。見たくないの間違いだろ。
『ツンデレめ』
「またわけのわからんことを……。ルダージュ、アンヴリューを――生徒会長を頼む」
『……』
騎士は静かに頷き、灰色の手を握りしめた。




