模擬戦 3 覇蛇の黒杖ペインペルト
勝った。
アーデルデは人型精霊に自分の魔法が直撃した手応えを感じ取り、勝利を確信した。
本当は精霊同士を戦わせ相手の手の内を探るような慎重な作戦を考えていた。だがそれはクレイゼル・ブライトの言葉で白紙に戻った。
セルティア・アンヴリューの精霊は結界を破壊できるほどの力を持っている。
クレイゼルの言葉を理解した時、アーデルデは心の中で言葉を吐き捨てた。
馬鹿馬鹿しい、そんなこと有り得るはずがない、と。
だから最初から切り札である自分にとっての最強の魔法で人型精霊を屠ろうとした。相手に行動をさせなければ何の問題もない。一々、出方を見てやる必要はない、と。
「……ふ、やはりこの程度だったか」
つまり、アーデルデは恐れたのだ。
馬鹿馬鹿しい、有り得ないと考えながらも、心の奥底では人型精霊が結界魔法を打ち破るような召喚獣である可能性を考え、不安に駆られた結果がこれだ。
「先生、どうやら人型はあなたが思っているほど強くはなかったようですね」
「……」
「せっかくの模擬戦なので、僕ももう少し戦いたかったんですけど……ちょっと本気を出しすぎました」
「……」
不安を誤魔化すようにアーデルデは言葉を連ねる。
「いや~手加減すればよかったかなぁ、これでは僕のためにここに来てくれた学友たちに申し訳ないことをした。いくら上級魔法とはいえ一撃で方が付いてしまっては面白味に欠ける試合になってしまった」
「……」
「でも仕様がないですよね? ここまで弱いとは思いもよりませんでしたし……おっと! こうしている間に早く救護班を呼んだ方がいいのでは? 精霊でも僕の魔法を受けてしまっては手遅れになってしまいますよ」
「……」
「……っ」
なぜこの男は動かないんだ! 勝者はこの僕、アーデルデ・グロウ・カスティーだと宣言すれば終わりじゃないか! あまりにあっけなく終わって思考が停止しているんじゃないか!?
矢継ぎ早に試合終了を促しているのに何の反応も示さないクレイゼル。その態度にアーデルデは怒りを覚えると同時に焦りを感じていた。
自分の魔法は完璧だった。人型精霊に直撃だった。避ける暇さえ与えなかったし、そのような動きも見せていない。だったら僕の勝ちじゃないか! どうして誰も何も言わない! この静けさはなんだ!
「……グロウくん」
「! なんですか先生?」
焦燥を悟られないようにアーデルデは取り繕う。
だがそれはクレイゼルが放った一言で早くも崩れさることになる。
「試合中に余所見をするな、負けるよ?」
「……は?」
刹那、上級魔法エクスプロージョンによって残された黒煙の陰から灰色の短剣が3本、煙を断ち切るように飛び出てきた。
「な!?」
アーデルデは突然の攻撃に困惑しながらも剣を握っていた右手に力を込める。貴族として英才教育を受けていたアーデルでにとって、軌道が知れた攻撃などあってないようなものだ。
「この程度……!」
剣を構え、一振り、二振りと短剣を斬り落とし、去なす。
そこでアーデルデは違和感を覚えた。
(なんだこれは……!)
刃を交えた感触がまるでないのだ。破壊した筈なのにその手応えと短剣の重みすら感じない。
現に斬り落としたはずの灰色の短剣は存在自体が幻であったかのようにサラサラと灰塵へと変化し、空気に溶け込んでいる。
(これがやつの! 人型の精霊としての力か!)
アーデルデは思い出す。模擬戦前、最初に向けられたあの出所のわからない大剣を。
(わけのわからない奇術だ)
遅れて飛んできた3本目の短剣は切り落とすのではなく、弾くように切り上げた。
人型精霊の力の正体を探るために態と加減し、壊さないようにしたのだ。
だが、
「……ちっ」
思わず舌打ちをする。
完璧に弾いたはずの短剣だったが、自分が思った以上に柔だったらしい。
3本目の短剣は最初はくるくると空中を回転していたが、他の2本と同様に灰となり消えてしまった。
「悪足掻きはこれで終わりか! 人型!」
アーデルデが叫ぶ。
すると、それに応えるようにまた短剣が飛んできた。
今度は5本。まるで先程自分が立てていた作戦と似た、相手の行動を探るような攻撃にアーデルデは怒りとともに痺れを切らす。
「猪口才な! そんなものでこの僕は倒せないぞ!」
アーデルデは杖を構えた。
剣ではなく杖を。
枝木のような錫杖に蛇を模した像が天に昇るように巻き付いた、その覇蛇の黒杖を。
「来い! ペインペルト! 僕を護れ!」
霊獣化。
それは精霊本来の姿に戻り『獣』となること。
『――――――――――――!』
覇蛇の黒杖ペインペルトは主人の命を受け顕現する。
塒を巻いていた蛇の像がぼとりと不自然に落下し、次の瞬間にはアーデルデを囲うように螺旋を描きながら上昇する。次第に肥大化していくそれは金属質の鱗で物のついでのように短剣を弾き、不協和音を奏でながら変貌を続ける。
「……」
会場にいたほとんどの生徒が言葉を失った。
その圧倒的存在感にまさに蛇に見込まれた蛙のように生物として畏縮したのだ。
霊獣化したペインペルトの体長は鎌首をもたげ塒を巻いていなければ演習場の高さに収まりきらないほど大きく、黒曜石のように輝く鱗、何者も咬み殺す鋭い牙と顎、敵を射抜く紅眼は巨悪のようで何処か神々しい。その美しくも禍々しい大蛇の頚部には身体を締め付けるように鎖が幾重にも重なり、中央には大きな錠が装飾されている。
その姿はまるで何かを封印している檻のようにも見えた。
(どうだ! 僕の召喚獣は!)
周囲の反応にアーデルデは愉悦する。
ミリアとその精霊ヴァルトロの陰に隠れがちだが、その実アーデルデ・グロウ・カスティーという男は優秀な魔法使いであり、召喚士だ。総合成績はロイ・マクセル・ガーディに次いで学年第3位である。ただ、性格に難があるため悪目立ちばかりしてしまうが、召喚士としての素質は他の生徒を軽く凌駕している。
「風よ、吹け! ウィンド!」
初級魔法で黒煙を吹き飛ばす。自分で爆発させたにも関わらず敵が見えないことに苛立ちを感じたからだ。この後先考えない計画性のなさもアーデルデの欠点である。
「人型! いい加減出てこい! どうせもうボロボロなのだろう? 今から止めを――」
アーデルデが言葉に詰まる。
自分が思い描いていた瀕死の人型精霊の姿は見えず、どこから現れたのか今度は灰色の盾、しかも童話の世界の巨人が持つような馬鹿でかい大盾が何かを守るように2つ鎮座していたのだ。
「なんだこれは……一体どうなっているんだ!? 姿を見せろ! 人型!」
この模擬戦はいけ好かない生徒会長に一泡吹かせる千載一遇のチャンスになるはずだった。セルティアより自分の方が優秀だと証明して周囲に知らしめ、ついでに結界外にも関わらず油断していたセルティアを事故に見せかけて上級魔法の範囲に巻き込み退場してもらう。
そのはずだった。
なのに……。
「やれやれ、これが魔法か。セルティアは何も唱えないから詠唱なんて必要ないと思っていた。こっちのほうがわかりやすくていいけど」
灰色の盾が一瞬で塵となり突風に煽られた花びらのように空を舞う。
そこから姿を見せたのは2人の男女だ。
不意打ちで攻撃したはずなのに全くダメージを受けていない人型精霊とちゃっかり防御魔法で身を守っていた生徒会長だ。
「怪我はないか、セルティア」
「は、はい。私は大丈夫です。でもルダージュ、これはいったい……?」
「俺の……精霊としての力かな。セルティアには必要なかったみたいだけどね」
「そんなことありません。助かりました」
2人は対戦相手であるアーデルデを無視し見つめ合っている。演習場は今、距離が開いていても中級の風魔法によってお互いの声が聞こえている状態だ。それでも人型精霊はまるでアーデルデの存在など忘れてしまったかのように振る舞う。
「……ふ……ふっ」
わなわなと身を震わせる。
さらりと詠唱破棄ができないことを馬鹿にされ、その上不意打ちは失敗に終わり、セルティアに至っては召喚獣がいなくとも防御されていた。
アーデルデの低い怒りの沸点が限界に達するには十分だった。
「ふざけるなああああああああ!」
怒号と共にアーデルデは握っていた錫杖を地面へと突き立てようとする。それは自暴自棄になっていたり、やけになり八つ当たりしているわけではない。その行動こそがアーデルデの召喚獣を呼び覚ます鍵なのだ。
「っ!」
杖が地面に接触し、カンッと甲高い音を立てた。
その刹那、接触点を中心に魔法陣が形成され、肉体に針を刺すように地面が――いや、魔法陣が杖を飲み込んでいった。
『―――――――!』
呼応するようにペインペルトが鳴く。その頭上にはいつの間にか黒い杖が出現していた。アーデルデが持っていた覇蛇の黒杖を何倍にも大きくした巨大な杖だ。
そして、かの顎を縫い付けるが如く、金属質の鱗で覆われた頭をいとも簡単に貫く。
血飛沫は上がらない。
異様な光景だ。
だが、その威風堂々とした厳威がペインペルト本来の姿だと物語っている。
「人型! お前はこの僕、アーデルデ・グロウ・カスティーと――」
仕切り直すようにアーデルデはまた名乗りあげる。
「覇蛇の黒杖ペインペルトが叩きのめす!!」
しんしんと会場に灰色の雪が降る。
その正体はつい先程花弁のように散った大盾の断片だ。
『―――――――』
幻想的な雰囲気に呑まれ生徒たちが息を殺しているなか、召喚獣ペインペルトは塞がれた口からチロチロと器用に舌をだし、ルダージュを睨み続けていた。




