灰と紅 1
魔導都市学園から南に位置する大平原を、人はアリエスト平原と呼んだ。
平坦な野原がどこまでも続き、それはまるで自然の絨毯のように美しく壮大だ。夕刻時であれば野原が斜陽の光を浴びて緋色に染め上がり、陸の夕凪とも称えられる絶景を拝むこともできる。
しかし、残念ながら日が暮れるにはまだまだ余裕があり、紅騎士は手持無沙汰な時間を過ごしていた。
『早く着き過ぎたかな』
紅騎士の周囲にはゴブリンと呼ばれる三頭身の魔物たちの死体が転がっていた。
自然の絨毯に墨汁を零したように、アリエスト平原にはゴブリンたちが建てた木造の矢倉のようなものが密集し、緑の大地に影を落としている。
景観を損ねるその遮蔽物はゴブリンたちの巣であり、平原を見渡せる高さから他の野生の魔物を見つけ出し、山賊のように徒党を組んで狩りを行っていた。
それが数刻ほど前までの話だ。
『掃除も終わっちゃったし……』
狩る側から狩られる側へ。
突然舞い降りた太陽の化身の如き紅騎士に、ゴブリンたちはなす術もなく処分された。
あるモノは腹を割かれ、あるモノは心臓を撃たれ、あるモノは頭を潰され――まるで色々な武器を試すように死に方は様々だ。
紅騎士に嗜虐的趣向があるわけではない。むしろほとんどの魔物は戦闘をした痕跡すらない。抵抗する暇もない圧倒的な力で、命を散らされただけなのだ。
(準備運動にもならなかった)
仲間は彼女にこう伝えていた。『ゴブリンがアリエスト平原の一画を陣取り駆除対象となっている。そこを利用しよう。害獣を討伐できて我々は場所も確保できる。良いこと尽くしだ』と。
紅騎士は思う。
彼らは変な集団だと。
記憶が無くても、普通に生活をしていれば仲間の特異な部分は自ずと見えてくる。幻魔という世界の敵を使役しながらもやることはギルドと一緒。
それぞれの才能を生かした仕事と教団に寄付される資金源を基盤に、日夜幻魔という存在の研究に明け暮れる。
悪い集団とは思えなかった。だから紅騎士は手を貸していたし、何より懐いてくれているあの娘を――その兄を裏切れない。
『……? 生き残りがいたんだね』
高床式となっている階層。
階段を上る足音に気付き視線を向けると、そこには紅騎士の蹂躙から免れた小型のゴブリンが二匹。棍棒のような太い棒切れを握り締め、じりじりと近寄ってきていた。
『すごい顔』
醜悪で皺のある顔をさらに渋面させ、周囲の匂いを嗅いでいる。
時折、あらぬ方向を向き動きを止めるが、すぐに興味を失ったように紅騎士へと向き直る。
家族を殺したのが誰なのか理解したのだろう。
姿勢を低くしながら威嚇するように牙を剝きだす。
『……』
片や紅騎士は応戦する素振りすら見せようとはしなかった。
相手の出方を待つように、ゆっくりとゴブリンへと向き直り立ち尽くす。
「ガギャウ!」
知能がそれほど高くないゴブリンはその異様な態度を恐れなかった。
二匹のゴブリンは同時に駆け出し、紅騎士へと飛び掛かりその頭部へと棍棒を振り下ろす。だが、
『無駄だよ』
紅騎士を覆うように現れた黒い塵。
それが人のような形を形成しながらどこからともなく現れ、彼女を護るように立ちはだかる。ゴブリンの攻撃は黒い塵に阻まれ弾かれた。
そして、体勢が崩れたその隙を突くように紅騎士は紅の塵で二振りの剣を作り宙に浮かせ、二匹のゴブリンの身体を縦に両断する。
鮮血が紅騎士の鎧と黒い塵の影を汚していく。
『これで最後……かな? いつもありがとう』
紅騎士が自分を護ってくれた黒い塵に触ろうとするが、人型の影は役目は終えたとばかりに霧散して消えてしまった。
なにも掴むことができなかった手が空虚な空振りを見せる。
『……』
いつもそうだ。
この黒い塵は騎士のように自分を護ってくれる癖に触れる事すら許してはくれない。
記憶を失っていた紅騎士がすぐに戦うことができたのは身体が戦い方を覚えていたから。そして、どんなに危ない目に遭遇しても絶対に自分を護ってくれる騎士がいたからだ。
正体のよくわからないこの能力は最初は人のような形をしていただけだったが、騎士と意識してからはそれが正解であるかのように形が整ってきた。
(あと……どことなく、あの灰騎士に似ている気がする。それに彼はこの能力を自分のだと言っていた。私の名前を知っていて、髪の色も目の色も同じ人……)
自分と灰騎士はいったいどういう関係なのだろう。
家族なのだろうか、仲間なのだろうか、ただの知り合いなのだろうか、それとも……。
『早くきて、灰騎士』
今の仲間からは『戦うだけでいい』と命令されている。
これが『灰騎士を殺せ、召喚士の少女を殺せ』だったら紅騎士は任務を放棄しただろう。人殺しができるほど肝は据わっていないし、自分の過去を知る人間を殺せという命令に従う理由もない。
だけど戦うだけなら自分にもできてしまう。それだけで身寄りのない自分を救ってくれた彼らに義理を果たせるなら、できないとは言えない。
それに決着をつけてしまえば後は自由だ。自分の過去を知ることができる。
『早く、早く……!』
逸る気持ちを吐露するように浮いていた二振りの剣を握り締め血潮を払う。
足元には血だまりが広がり、それはまるで夕焼けのように紅騎士の周りを赤く染め上げていった
±
「もしもしルダージュさん」
「なんだいセルティアさん」
仲良く並び、双眼鏡を覗き込んでいる召喚士と召喚獣。
紅騎士が決闘に指定したであろう場所から遠方の岩場の陰で、彼らは紅騎士の様子を盗み見ていた。
「なんだかとても猟奇的な光景を見せられている気がするんですが……本当に彼女はルダージュのご同郷の方なんですか?」
「そのはず……」
紅剣を振り回し、鮮血を撒き散らす紅騎士。
足元の床からはゴブリンたちの血が滴り落ち、緑の大地を汚していた。
「昔は小さい幻魔を殺すのだって躊躇っていたのに……成長したよなぁ」
「そう言う問題ですか? あと小さくても幻魔を倒している時点ですごいことなんですからね?」
「あ、もちろん最後の方はそこそこ大きい幻魔も悠乃だけで倒してたぞ? 彼女なりに魔装を使いこなして頑張ってたんだ」
「聞いてません。いえ、私の召喚獣のことなので彼女の昔話も気にはなりますが、そういう事ではなく――」
「死んだと、そう思っていたのに……あんなに元気に……」
「……」
双眼鏡から目を離したセルティアは無言で隣を向いた。
彼女のルダージュの横顔を見詰めるその表情は複雑だ。半眼で胡乱な瞳。訝しむ片方の眉。つまらなそうに窄める唇。「むー」と不満気に唸る喉。
会話が微妙に噛み合わない彼に異を唱えるような、そんな顔だ。
(ルダージュの気持ちもわかります。大切な人が生きていて、また会えたわけですから。……でも、なんだか、面白くありません)
まるで蔑ろにされているような感覚。
それと同時に襲い来るざわめく感情。
否が応でも自覚してしまう。やきもちという気持ち。
「……ルダージュ、少しいいですか?」
「ん? どうした?」
返事と共にセルティアを見つめ返すルダージュ。
何のこともない呼び掛けにいつも通りの反応。
だが、
「!?」
セルティアは驚いてしまった。
ルダージュがこんなにもあっさりと振り向いてくれるとは思わなかったからだ。
動作に一切の迷いや未練もなく、後ろ髪を引かれる素振りすら見せず、双眼鏡から目を離す彼に戸惑ってしまう。
「……」
「……」
本当は、なかなか目を離さないであろう彼に「こっちを見てください」と不満気に言ってしまうのだろうな、という予感がしていた。
だけどそれはやきもちが描いた夢想に過ぎなかった。
「セルティア? なにかあったのか?」
「……」
呼んでおきながら二の句が出てこない召喚士を不審に思ったのか、ルダージュは身体をセルティアに向け、心配するように彼女の顔を覗き込む。
「大丈夫か? 顔が赤いようにも見えるけど……もしかして体調が――」
「ち、違います」
「……本当に?」
「はい」
ルダージュは思った。
彼女は自分のように嘘を吐くことはない、と。
そしてそんな卑屈な考えを一蹴するように鼻で笑った後、
「ならいいんだ」
と安堵したように微笑んだ。
「――っ!」
セルティアはそんな彼に目が離せなくなっていた。
普通の会話でさえ胸が高鳴る。くすぶっていた感情の意味も知ってしまった。
言葉にするのは簡単だ。
しかし、それはよくセルティアが彼に伝えている言葉であり、昨日までに何回言ったか思い出せない。今までとは違う意味にするなら、そう。ティーユの言葉を借りると――
「私にも、違う音が聞こえるようになってしまいました」
「音……?」
ルダージュは耳を澄ませるように手を添え、反対にセルティアは赤くなった耳を隠すように手で蓋をする。
彼が意味を理解していないのも無理はない。
ティーユの告白は合宿が中止になった後、彼がいない宿の中で行われたのだから。
「すまん、よくわからな――」
「ルダージュ!!」
「お、おう!?」
突然立ち上がったセルティアに気圧されるようにルダージュは後退る。
そして、
「私が“召喚獣”のことを好きだって、これから証明に行きますよ」
「あ、ああ……そうだな。きっと記憶が戻ったら悠乃もセルティアのことを好きになってくれるよ」
気勢を上げるセルティアに、ルダージュが頷くようにそう補足した。
彼はちゃんと気付いているのだろうか? セルティアが伝えたい紅騎士に対する好きと灰騎士に対する好きが別の音であることを。今、言葉にした“召喚獣”にルダージュが含まれていることを、本人は自覚しているのだろうか、と。
(全てが解決したら……その時は――)
秘めた決意を胸にセルティアが右手を差し出すと、ルダージュはその手を握り締めゆっくりと立ち上がった。
無言で頷き合う2人。
固く結ばれることを願うように指を絡め、
紅騎士の元へと向かって共に歩き出す。




