第零章 青年と……
異世界でのサバイバル生活。
青年と少女が生きている意味さえ見出せなくなるほどの時が経ち、毎日を無気力に過ごしていた頃。その終わりは唐突に訪れた。
『悠乃! 防御に徹しろ! こいつは俺が――!?』
「先輩!?」
鎧殻を纏った青年が巨大な触手に殴られ吹き飛ばされる。
森の大樹に激突しても勢いは止まらず、何十本もの木々をなぎ倒しながら百メートルほど離されたところでようやく地面へと転がった。
「がはっ、うっ」
衝撃のあまり呼吸もままならない。
だが、それだけだ。
即死してもおかしくない衝撃を咳と多少の立ち眩み程度まで軽減する。それが鎧殻という鎧がなせる業だった。
(俺は問題ない。だけど悠乃は……)
戦場へと舞い戻るため青年は駆ける。
「……」
一方、悠乃は青年を弾き飛ばした化物と睨みあうように対峙していた。
化物は紅色の鳥の姿をしていた。
その身体はまるで不死鳥のように燃えているのではないかと錯覚させるほどの熾烈な赤。翼開長五十メートルはあるのではないかという巨体が森を覆い隠さんとばかりに広がっている。
それだけなら壮大ではあるが美しい鳥だと悠乃は思ったかもしれない。
しかし、それは上半身だけだった。
紅の鳥の下半身にはまるで闘牛が逆立ちをしているような顔があった。その両脇からは鳥の脚ではなくゴリラのような剛腕が伸び、尾羽の部分には蛇腹状の触手が何十本と生えている。
統一性のない多数の生き物を無理矢理縫い合わせたような化物。
そんな化物が突然、狩りに出かけていた2人の前に現れ、挨拶代わりに青年を吹き飛ばしたのだ。
「……ぁ……ぅ」
悠乃の身体が震える。今までにない本能的な恐怖を感じ、足も腕も動かせない。
自分が戦っても負ける。
一目で確信する。これは今まで戦ってきた化物とは段違いの化物だと。
化物を食べ続け、灰色から緋色へと変化した魔装。色が変化したことにより頼もしく感じていた日々の思い出が嘘のように崩れていく。
(鎧殻がないとお話にならないじゃないですか!)
魔装の剣と盾を構え、緋色の鎧で身を隠す。
一見、鎧殻を取得しているよな悠乃の出で立ち。だがそれは張りぼてのような子供だましだった。
全身を魔装で覆い隠し身に纏うことであらゆる攻撃を防御するのが鎧殻の本質だ。しかし悠乃の鎧は関節部分が外気に晒されている中途半端な物だった。
つまりは弱点だらけであり、魔装の濃度も青年と比べると少ないため鎧の耐久値が低い。
(先輩が特撮ヒーローだとしたら、私なんてただの一般兵なのに……!!)
自虐的ではあったが、悠乃の評価は的を射ていた。
鎧殻という現実離れした強さと普通の化物には通用する現実的な強さ。
青年であれば耐えられた一撃。果たしてそれは彼女が耐えられるものなのか。
「……っ」
ぞくり、と背筋が凍るような悪寒が走る。
触手がうねうねと不規則に動き出し、狙いを定めるように段々と先端を悠乃へと向ける。
そして――触手の雨が弾丸の如く降り注ぐ。
「――! 防いで!」
腕を水平に薙ぎ払うと、悠乃の十数メートル前方に緋色の盾が無数に展開された。
魔装を扱うのに掛け声や動きは必要ない。重要なのは創造したいモノを意識することだ。声や動作を付け足すことにより創造はより早くより的確になり、スポーツにおいての素振り的役割を果たしていた。
キィン――という金切り音が何重にも響き渡る。
急造の盾がすんでのところで間に合い、傘のように触手を弾き返したのだ。
「ふう――」
『油断するな!』
安堵したのも束の間、化物と悠乃の間にさらに割って入るように黒い魔装の盾が展開される。
「きゃっ!」
悠乃の目前で図太い注射器のような針が宙に舞う。それは触手の先端から生えていた針が青年の魔装に衝突し、折れて飛んだ結果だった。
彼の魔装が悠乃を護らなければ、今頃彼女は串刺しになっていたことだろう。
『逃げろ、悠乃! 鎧殻がなければ死ぬ』
「で、でも……それじゃあ先輩が――」
『様子を見て、俺も後を追う。俺たちじゃ勝てない! 逃げるぞ!!』
「わ、わかりました……!」
鞭のようにしなる触手の束を何十本もの魔装の剣でいなし続け、逃走の算段をする。今までも見た目が凶悪な化物との戦闘は忌避してきた。わけのわからない化物どもが跳梁跋扈するような異世界。逃げることに恥など存在しなかった。
悠乃は脇目も振らずに逃げ出した。
魔装でできた足の鎧で大地を踏みしめ、現実離れした脚力で森の中を疾走する。
(他の化物が見当たらない……? もしかして、アレの存在を恐れてる?)
食料となる化物が表れなかった理由を今更になって理解する。
異世界の化物の主とも呼べる紅の鳥から身を隠すためだったのだと。
(どうして気付けなかったの!? 異変を感じていれば……先輩を置いていくことなんてなかったのに)
後悔の波が押し寄せる。だが、時間は巻き戻ることはない。
「……」
戦況はどうなってしまっただろう。
不安を胸に悠乃が振り返ると――そこにはなぜか鎧殻を纏った彼の姿がすぐそこにあった。
そして――
『バカ! 立ち止まるな! くそっ』
「え!? ちょっ、どうして!?」
タックルするように青年が悠乃に体当たりしながら抱き締める。
2人が地面へと転がると同時に、地響きのような音と大地の震動の波が彼らを襲った。
悠乃は青年の肩ごしからそれを見た。
彼女が立ち止まった場所に、まるで神の鉄槌のような拳が振り下ろされている。それが地響きの発信源だった。
『走れ!!』
「は、はい!」
急かされるように立ち上がり悠乃はまた大地を蹴る。
だが、それは化物の触手に道を阻まれ、逃げ出すことは叶わなかった。
(私が……狙われている?)
化物の行動は一貫して悠乃を狙い続けているようだった。
青年が悪態を吐きながら化物の注意を引こうと躍起になっているがうまくいかない。触手の一本を力任せに引き千切っても、化物の標的は変わらなかった。
無数の触手を地面へと突き刺し、巨体を浮かせると足の代わりとなっていた両腕を地面から離す。
何か――来る。
そう思った瞬間、目にも止まらぬ速さで繰り出された化物の正拳突きが悠乃を襲った。
『何なんだこいつは!?』
化物に生き物としての常識は通用しない。
青年は疑問を噴出させながらも悠乃を護るために魔装の壁を作り、軌道を反らすことに成功する。
だが、化物の猛攻はそれで終わりではない。
『あぐっ!?』
今度はまた逆立ちするとように地に両手をつけて、巨体ごと回転するように触手を振り回したのだ。鎧殻以外の魔装を壁に使い過ぎていた青年はしなる触手の打撃をもろに受けてしまう。
反撃の一手に出ようと構えていたため、最初の触手攻撃のような不意打ちにはならなかった。だがそれでも勢いは殺すことができず、吹き飛ばされないように無様に地面に転がることしかできない。
それでも――
(悠乃を置いて……また飛ばされるよりはましだ!)
起き上がろうとする青年に触手の針が迫る。
身体に突き刺さる寸前で2本、右肩と腹を襲おうとしていた針を掴み取るが、
『……っ!』
数多ある触手の前では2本だけ止めたところでたかが知れていた。
触手の針による乱れ撃ち。鎧殻の魔装が削られ、修復を繰り返す。
そして、一瞬の隙を突かれ、青年は化物の巨人のような手に掴まった。握りつぶさんとする化物の握力はあまりに強力で抜け出すことができない。
圧迫され死なないこと事態、奇跡のようなものだった。
(俺はまだ何とかなる……でも、どうして……!!)
青年は嘆くように彼女を見つめた。
『どうして逃げようとしないんだ!! 悠乃!!』
戦闘の中、彼は攻撃を受けながらも悠乃の様子をずっと窺っていた。
悠乃は化物から身を隠そうともせず棒立ちのまま青年と化物の戦いを見守っていた。
彼女は気づいてしまったのだ。
この化物に勝つためのたった一つの方法に。
彼の何気ない一言を思い出す。“俺たちじゃ勝てない”と彼は言った。それは青年にとって“2人の力を合わせても勝てない”という意味だった。だが悠乃は、それと同時に違う意味を見出してしまった。
(先輩だけなら……勝てる)
“自分がいなければ勝てる”のではないか、と。
化物はあくまで悠乃を標的として狙っている。青年を掴んで拘束している今も、触手が彼女を襲っていた。緋色と黒の魔装の盾でかろうじて防ぐことはできているが、均衡状態がいつまでも続けられるわけがない。
なにより黒の魔装は青年の能力だ。
(私を護っている所為で、先輩が反撃できない)
悠乃は化物に掴まりもがいている彼を見遣った。
いつ潰されてもおかしくない状態。だが、そんなこと御構い無しとばかり悠乃を護るための盾に魔装のほとんどを注ぎ込んでいた。
そうしなければ悠乃が死ぬとわかっているのだ。
だから、
「私は――っ!」
『!?』
青年は驚愕のあまり言葉を失う。
悠乃を護るために作りだした盾の数々が、緋色の魔装に絡め取られるように捕縛され動きを鈍らせていたのだ。
――そして、その一瞬の隙と盾の隙間を縫うように触手の針が悠乃の身体を貫いた。
『……は?』
間抜けな声が漏れた。
なにが起こったのかわからないと脳が現実を否定する。
だが、串刺しのまま持ち上げられた彼女の――悠乃の口元が笑っているように見えたことで全てが氷解した。
『まさか、お前……わざと――』
青年の言葉は続かなかった。
悠乃を串刺しにした触手がしなり、まるで手に付着したゴミでも払うかのように彼女を地面へと叩きつけたからだ。
バウンドし血をまき散らしながら地面を転がる彼女は人形の様だった。生という概念がなく、人の形をしたモノに成り果てた彼女の姿はまるで――。
『……ろす』
沸騰したように首から背中にかけて熱を感じる。
思考は回らず、怨嗟の念だけが彼の頭を支配する。
『コロス、コロス……殺す殺す殺す殺す殺す殺す、ぶっ殺す! ぶっっっっ殺してやるあ!!」
青年の意思に反応し、鎧殻の口元ががばりと開き、
「放せや! 化物!!」
剥き出しになった青年の歯が化物の指に食い込み、そして――
「っべ」
引き千切った化物の肉片を吐き捨てた。
青年を知る者であれば彼のそんな見苦しい姿など誰も想像がつかないだろう。本人でさえ知らなかった一面だ。
だがそんな醜態に恥も外聞も感じることはない。
なぜなら、自分はもうこの異世界で独りなのだと彼は知ってしまったから。
「死ね!」
化物に噛み付き開けた穴。
そこへ悠乃を護っていた魔装の無理矢理注ぎ込む。
化物の腕の血管が肥大化するように黒く浮き出ると、硬直したように片腕の動きが鈍くなった。
「弾けろ!」
血潮と共に魔装の塵が噴き出る。
痛みのあまり化物は青年を手離しよろめくように後退する。変色した腕は青年の魔装により内部を細断されボロボロだ。
追撃の手は緩めない。
青年はすぐさま魔装を集めると、歯車やカッターのような刃のパーツを作り、組み立てる。
それは、巨大なチェーンソーを模り、歪な駆動音を鳴らして現れた。
「ふんっ――!」
高層ビルを叩き切るように魔装のチェーンソーを振り回すように薙ぐ。
上半身と下半身を分断する必殺の一撃。
鳥の頭と牛の頭から悲鳴のような鳴き声が同時に轟いた。
「さっさと死ねや!!」
掛け声とともに化物の身体が千切れるように別れる。
鳥の頭がある上半身は尻尾を失った虫のように覚束無い飛び方をしながらそのまま墜落していった。牛の頭がある下半身は片腕で這うようにしながら頭と変色した腕を引きずり、なおも青年を殺そうと彼へと向かう。
「ああああああ!! しつこい!」
魔装のチェーンソーを消す。
牛の顔に向けて筒状の魔装を発射し、今度は口という大穴を空け、青年は化物の体内へと侵入した。
数秒後、痙攣するように化物の下半身が小刻みに動くと、バンッと爆弾がはじけた音と共に化物の内側から黒い棘が身体のいたるところを突き破り飛びだした。
『終わりだ……あとは……』
化物の身体を切り刻みながら青年が姿を現す。
黒色の鎧殻が返り血を浴びて趣味の悪いシマウマの悪魔のような姿へと変貌している。
もはやどちらが化物なのかわからない。
『……ふぅ……ふぅ……ふ……』
上半身の頭と目が合う。
鳥の化物は痛みでもがき苦しんでいるのか、青年から逃げようと必死に翼を動かしているが飛べはしなかった。
『いまさら……今更、逃げるつもりなのか……!』
ふつふつと怒りが沸き上がる。
襲われなければどちらも傷つかずに済んだというのに、なんて身勝手な化物なのだろうと。
『逃がさない……絶対に逃がさない……殺す、今すぐ、殺してやる』
化物を掴もうとするように腕を上げる。
青年の後方――化物の死骸から突き出た棘が共鳴するように振動し、
『これで、最後だ……!』
化物に向けた手を握り締めると同時に無数の棘が上半身にある鳥の頭に向けて発射された。首、クチバシ、目、脳、頭のあらゆる部分の隙間を埋めるように魔装の棘が刺さっていき反動で化物の上半身が躍るようにぴくぴくと跳ねる。
化物の死のダンスが終わりを告げたのは棘が30本を超えた後だった。
「……くっ」
鎧殻の兜の部分だけを解く。
青年が考え得る最善で最速の討伐方法。食糧を得るための狩猟ではなく、生きるか死ぬかの戦い。それが終わった。
「悠乃、どこだ……悠乃……」
辺りを見回し、彼女の姿を探す。
周囲の森は激闘の末に木々がなぎ倒され見晴らしがよくなっていた。
青年が悠乃を見つけるのに時間はそうかからなかった。
「悠乃!」
うつ伏せだったはずの彼女はいつの間にか仰向けになって倒れていた。
それはつまり意識があって起き上がろうとして証拠なのではないだろうか。
「……っ」
駆け寄り、彼女を静かに抱き起こす。
腹部と背中の損傷が激しく、身体は擦り傷だらけだ。応急処置として内臓が今にも飛びだそうとしている穴を魔装で覆い隠し、止血を試みる。だが、これ以上の手当てが思い浮かばない。
医学の知識が無いものに、身体に孔が空いた人間を助ける方法などわかるわけもなかった。あとは自分たちの自然治癒力がどれだけ人間離れしているのか、それに賭けるしかなかった。
「……先、輩?」
「! 悠乃、目が覚めたのか!?」
目は虚ろで焦点が定まっていない。それでも悠乃は青年を見つめようと首に力を入れ、それに気が付いた彼がすかさず腕を回し支える。
「あの、鳥の化物は……?」
「大丈夫だ。安心しろ。やつはもういない、俺が倒した」
「さすが……先輩、強いです……」
「……ああ、そうだな。戦いはもう終わったから後は悠乃が怪我を治すだけだ。止血も終わってる、もう、大丈夫だから」
大丈夫、大丈夫と青年は言い聞かせるように連呼した。
それは悠乃に対して言っているのか、それとも自分に言っているのか、わからない。
「……先輩」
「どうした? 今は無理にしゃべるな、傷に……」
「先輩って、意外と……怒ると怖いんですね」
「何を言って――」
そこまで言って、ついさっきまで化物に罵詈雑言を浴びせていたことを思い出す。
「忘れてくれ」
「ふふ、いやでーす……絶対、忘れません、から」
苦し気に表情を歪めながらもくすくすと笑う悠乃を咎めることはできなかった。青年は「ったく」と呆れたように彼女を見つめた後、周囲を見渡す。大型化物の影響のためか他の化物の気配はない。
(悠乃は動かせない。まだこの場所に留まっていられる)
青年自身、握りつぶされる寸前まで追い詰められていた。そのダメージが残る中、むやみに移動したくはなかった。
これからどうするか。
無言で思考する青年の頬にぴとりと悠乃の指が触れた。
「こっちを見て……」
「……どうした?」
触れられた手に自分の手を重ねる。
あまりにも冷たく弱々しいその手を、青年はゆっくりと温めるようにさすり続けた。
「私、先輩に出会えて、よかった」
「……」
「先輩に、助けてもらわなかったら……化物に食べられて、死んでました。先輩に護ってもらえなかったらこの世界で、生きていけなかった……」
「やめろ、やめてくれ……そんな話、こんな時にしなくていいだろ?」
「こんな時、だからですよ……最後だから伝えたんです」
「……っ!」
悠乃が咳をすると口の端から血が零れる。出血も多くなったのか腹部と魔装の間から染み出すように溢れてくる。
「私、1人じゃこんな世界、耐えられなかった……」
「それは俺も同じだ! 俺も悠乃がいたからここまでこれたんだ!」
「へへ、私も……先輩の支えに、なれたんですね。よかった……」
「当たり前だろ。だから、いなくならないでくれ……! 俺を独りに……しないでくれ」
「……」
応えは返ってこなかった。
段々と呼吸が細くなり、瞼にも力が入っていない。目を放せば眠ってしまいそうな様相に青年は危機感を募らせる。
「恥ずかしいから、言えなかったんですけど」
「……悠乃?」
「鎧殻って、なんだか騎士みたいですよね……今の先輩、まるでお姫様を守る騎士みたいです」
「……はは、なんだそれ……じゃあ悠乃はお姫様ってことか?」
「えへへ……」
照れ隠しのように笑う彼女に力はない。
それを肩代わりするように抱きしめる腕に力が入る。
もう時間は残されていない。
漠然とした不安が胸を締め付ける。
「先輩。最後のお願い……聞いてもらって、いいですか……?」
「……っ、なんだ?」
最後なんて言わないでくれ、という言葉は飲み込んだ。
もう、そんな猶予はないとわかってしまったから。
「キス、してください」
静かに顔を向ける悠乃に対し、青年は躊躇いもなくゆっくりと彼女の唇に自分の唇を落とした。
それはただ触れるだけの純粋な口づけ。
十秒ほど時間が経過し、青年が唇を離し悠乃を見つめると、彼女の閉じた瞳から一筋の涙が零れていた。
そして、まるで悪戯が成功した子どものように口を開き、
「先輩は、止まっちゃダメですよ?」
と微笑んだ。
「……っ! バカ、それは意味が違うだろ……?」
釣られるように青年は笑い泣く。
「それにお姫様なら……キスで目覚めないといけないんだぞ? 寝たら、ダメだからな……」
青年の柄にもない言葉に悠乃がまた笑う。
「……目覚めるのは、王子様とのキス……だけですよ。先輩は……私、の……き――」
言葉がそれ以上続くことはなかった。
目を閉じて眠るように動かなくなった悠乃を見つめ、青年は腫らした目を見開く。
「悠乃……? 嘘だ、返事をしてくれ……頼む、目を開けてくれ……! 悠乃、悠乃……!!」
青年は彼女の名を叫びながら泣き続けた。
冷たい彼女の身体をその手に抱きしめ、その涙が枯れるまで泣き続けた。
±
どれほどの時間、そうしていたかわからない。
ただ、終わりは唐突だった。
動かなくなった彼女を抱き上げ、魔装を棺桶を作り上げ、そこに寝かせる。そんな青年の目に生気は宿っていない。ただ機械的に作業をこなすように、悠乃を自分の魔装で覆い隠した。
異世界の土なんかに埋めることも、火で燃やすこともできない。踏ん切りがつかなかったからだ。だけどそのまま放置しては他の化物に食い荒らされる。
だから、魔装の棺桶を用意してそこで静かに眠って貰うことにした。
「……俺も、死にたい」
漆黒に染まった棺桶と灰色にまで薄れた魔装を眺め、このまま死んでしまおうかと考える。
だが、それはできなかった。
全ての魔装を棺桶に使ってしまえば彼は無力となりすぐに化物の餌食だ。しかし、彼女との約束と彼女の願いが、青年を思いとどまらせ、灰色の鎧殻が使える程度の量の魔装を残させる。
「……」
棺桶で眠る悠乃を見つめる。
死んでいるとは思えないほど綺麗な顔だ。
もう何度も心臓の音を確かめ、現実が非情だということを青年は思い知らされている。
「お休み……悠乃」
魔装で蓋を閉じ、長方形の漆黒の棺となったそれを灰色の手で優しく撫でる。
そして青年は棺桶と並ぶように地面へと身体を投げ出し、異世界の空を仰いだ。
孤独へと戻り、彼は思う。
この異世界は地獄だった、と。




