第零章 青年と少女 口の悪い後輩
彼女と打ち解けるのに時間はそうかからなかった。
寝食を共にし、くだらない世間話に花を咲かせ、お互いがお互いを助けないと生きていけないような地獄の世界で苦楽を共にする。吊り橋効果がなかったわけではない。むしろ危ない橋を一緒に渡るからこそ、すぐに手を繋ぐことができたと青年は自覚している。
「先輩!! 人の話、聞いてますか?」
「うお! な、なんだよ急に……耳元で大声出すなよ……」
隣に座る悠乃が青年を見上げ、怒ったように口を尖らす。
ちょっと前まで彼から距離を置こうとしていた少女とは思えない態度だった。
「だって、私も早く“魔装”の鎧を着てみたいんです! もっとコツとか教えてもらわないと難しくてできませんよ、これ」
「そうはいってもなぁ、俺も最近できるようになったばかりだし……悠乃は籠手をもう少しうまく扱えるようにしないと」
“魔装”とは異世界に堕ちた2人が手に入れた能力“灰”のことだ。
異世界に訪れた者は化物を食べる前から否応無にこの能力に目覚めるらしく、それに青年が気づいたのは悠乃が異世界に堕ちたときに彼と同じように咳が酷くて大変だった、という話をしたことが切っ掛けだ。
「魔装を手に纏わせて、硬化と軟化を瞬時に切り替えていく。そうすれば魔装が手足のように動かせる、文字通りな」
黒い魔装の籠手を装着して見せ、グ、パーと拳を握ったり開いたりして見せる。
灰色だった青年の能力は化物を食らうごとに濃く変色し、今では漆黒ともいえる色合いとなっていた。そのため悠乃が「灰色じゃないなら違う名前がいい。そのほうが便利だし、先輩のはなんか安直で嫌」と身も蓋もないツッコミをしたため、ちゃんとした名前を付けることになった。
「それが難しいって話なんですぅ」
「慣れだ慣れ。悠乃もすぐに全身に纏えるようになるさ」
全身を漆黒の魔装で覆い隠し、鎧を纏った青年が悠乃の前で立ち上がる。
「そうやって見せびらかす……あ、そうだ! 先輩! それにも名前を付けましょうよ!」
『これにか?』
「そうですね……魔装は魔法の武装を略しただけなので、次は少し洒落た感じにしてみたいですね」
『仮面なライダーの変身を彷彿とさせるから――』
「却下。先輩のネーミングセンスはこの異世界のように地の底なので不採用!」
『はいはい』
お手上げだとばかりに鎧姿の青年が肩を上げる。
悠乃はそんな彼を見上げながらうんうんと唸るように身体を揺らす。そして、何か閃いたのかぴたり、と動きが止まった。
「鎧と言う殻に籠もる……漢字で書いて“鎧殻”なんて格好良くないですか!?」
悠乃が自分の魔装を操り空中に『鎧殻』と灰色で漢字を描く。
『よく漢字で書けたな』
「や、そこはどうでもいいんですよ」
『あと、もっと化物を食べないと魔装も増えないぞ? 黒くするには食わず嫌いして――』
「あーあーうるさいですよーなにも聞こえませーん。か弱い女子高生にゲテモノを食べさせる先輩の言葉なんて聞き取れませーん」
青年は苦笑する。
悠乃は正真正銘か弱い少女だった。
初めて異世界の化物を口にしたとき、彼女は吐いてしまった。だが、それでもいつか帰れることを信じて、生きるために化物の肉を食いちぎった。
化物との戦闘も最初の頃は恐怖で逃げ出し、魔装の盾の影に隠れ震えていた。今では小型の化物であれば1人でも狩ることができ、中型以上であれば魔装で青年を援護することもできるようになった。
(か弱くてもお前は頑張ってるよ)
夜、息を殺すように人知れず泣いていることを知っている。
寝言はいつも「ママ……」と「パパ……」だった。うなされていたときはわざと悪戯して起こすこともしょっちゅうだ。そのたびに「ヘンタイ!」と罵られたが、照れ隠しであることは知っていた。
「……どうして黙ってるんですか? もしかして、怒り――」
無言を青年の怒りと勘違いした悠乃は不安そうに上目遣いを送るが、代わりに返って来たのは彼の手だった。
ポン、と頭の上に置かれてしまったため「何の真似です?」と悠乃は訝し気な視線を送る。
『なんとなく』
「はあ、なんとなく、ですか……あ、わかりました。先輩は幻想を抱いているタイプですね? 女の子が頭を撫でられれば誰でも喜ぶと思ったら大間違いたたたたたたた!?」
『なにを勘違いしていんですか? これはアイアンクローですよ? ご存じない?』
「そうやって誤魔化して! まさか図星だったんですか!?」
ぐしゃぐしゃと髪を撫で回し解放すると「もー髪が乱れちゃったじゃないですか……この世界、鏡とかないですから」と魔装で作った櫛で髪を梳かしながら抗議の声を上げた。
『悠乃の髪もだいぶ伸びたな』
「……そうですね。シャンプーとかないので傷むのが怖かったんですけど……ここに来てから逆に艶がよくなっているような気がしないでもないです」
『どっちなんだよ、それは』
「さあ? ……ちなみに先輩」
『ん?』
「髪の長い娘と短い娘、どっちが好きですか?」
『唐突だな。俺は……長い娘かなぁ』
「ふーん」
質問をしたわりには態度は素っ気ないように聞こえた。
だが、青年の答えを知ってからあからさまに髪を梳く指の動きに変化があり、より一層と自分の髪を丁寧に梳かし始めた。
『……』
「……」
気まずい沈黙が流れる。
悠乃の頬には赤みが差し、それを気付かれまいとそっぽを向く。青年は鎧殻の兜を纏っているため、そんな心配をする必要はなかった。
お互い気付いているのだ。
相手が自分に対しどういう想いを抱いているのか。
しかしそれは吊り橋効果の延長であり、異世界に自分たちしかいないから。そう考えるとあと一歩踏み出すことはできなかった。
この異世界ではこの想いが本物なのか確かめようもなかった。
『そういえば悠乃にはお礼をしてなかったな』
沈黙を払拭するために青年はわざとらしく明るい声を上げる。
悠乃は彼の言葉の意味がわからず首を傾げた。
「……? どれのことですか? 女子高生と1つ異世界の下で暮らせる幸せについてですか? それとも――」
『この前、髪を切ってくれたことだよ。自分じゃやったことなかったから助かった』
「……あーなるほど……で?」
青年が魔装でできたハサミと櫛を両手に持ったことで、悠乃は彼が次に言わんとする台詞はわかっていた。だが、あえて問いただし、
『だから今度は俺が悠乃の髪を――』
「いいです。結構です。間に合ってまーす」
その上で断った。
「……バカ……意気地なし」
悠乃は拗ねたようにまたそっぽを向き髪を梳かし続ける。
青年のハサミは空振りするように空を切り、チョキチョキと虚しくもどこか小気味の好い音を鳴らすのだった。
±
「いつまでぼーっとしてるつもりですか、先輩。しかもその姿で」
ぼんやりと立ち尽くす青年の前で悠乃は魔装で小型のドーム――かまくらを作りだした。
そして出入り口と思わしき穴から顔をひょっこり出すと、ちょいちょいと手招きしている。
「寝るにはまだ早いんじゃないか?」
鎧殻を解き、かまくらの外側を青年の魔装で補強する。これにより化物対策も万全であり、就寝中に襲われたことはあっても不覚を取られたことはない。
青年が入り口をくぐると体育座りの悠乃が青年に隣に座れと訴えるようにかまくら内部の床を叩いていた。「はいはい」と青年が呆れるように隣に座る。
「……」
「……」
また、沈黙だ。
肩が触れ合いそうになるギリギリの距離で、彼らは一言も喋らずに寄り添った。
今度は悠乃が招いた結果である。彼女が喋り始めるまで、青年は自分から話そうとは思わなかった。
そして――
「先輩、私……空を飛びたい」
「……?」
よくわからない妄言の口走り始めた。
「えーと、それはなんだ、頭でも打ったのか?」
「違います。私の頭脳は絶好調です」
「ポエムを口ずさみたくなった……とか?」
「私がそんなキャラに見えますか?」
「いや、全然、まったくこれぽっちもぐふっ」
悠乃の肘が青年の脇を強打する。
「な、なぜ……っ?」
「なんとなく、ムカついたから。それよりも見てください、先輩」
悠乃は魔装で『鎧殻を纏った青年の人形』を作り、手の平の上に乗せた。そして人形を垂直に浮かし、青年に突き付ける。
「魔装は浮かすことができる。つまり、鎧殻を纏った先輩も鎧殻を浮かせようとすれば飛べるんじゃないかな? って気づいたんです!」
「ほう」
盲点だった。
鎧殻は元々防御のために編み出した技だ。魔装は宙に浮くので、魔装で作った鎧である鎧殻も浮く。考えてみれば当然の帰結だ。
「だけどそれは難しいな。ただでさえ鎧殻は扱いが難しい。これをさらに浮かせるとなると相当な練習が必要になる」
「じゃあ……こうしたらどうですか?」
悠乃は宙に浮いた人形の背中に鳥のような翼を付け足した。
「翼を付けてそれを浮かせようとするんです。あとは勝手に身体を引っ張り上げてくれます」
翼を生やした人形が2人の周りを飛び回る。
「俺の魔装の量だったらできなくはないな。悠乃の場合は……魔装のほとんどが鎧殻に吸われるから、翼に割り当てる分量が足りないな。“譲渡”したところで意味はないし、実践したいならもっと食べないと駄目だってことだ」
魔装を貸し与えることができる譲渡。それに気づいたのは悠乃が異世界に来ばかりの頃の話であり、偶然の産物だった。魔装が足りないだろうからと青年が悠乃に槍を持たせたら、青年の力ではその槍が一時的に扱えなくなってしまったことが原因だった。
(今ではいい思い出だが、鎧殻は自分の力で纏わないと意味がない。悠乃が飛ぶ練習をするのは鎧殻を取得してからの話だな)
鎧殻という魔装による防御の究極系。
今後もどのような化物が潜んでいるかわからない。異世界を生き抜くための必須スキルであり、最優先事項でもあった。
「えー……じゃあ、私が鎧殻を纏えるようになるまで先輩が飛ぶ練習をしてくださいよー。そしてまた私に教えてください」
「高いところは得意じゃないんだけどな……わかったよ。それでやる気が出るなら」
「やった! 先輩大好きです!」
「現金なやつだ」
引っ付いてくる後輩にため息交じりで言葉を返す。
だが、時間が経つにつれ悠乃の様子がおかしいことに気が付いた。
「……悠乃?」
「……」
離れない。
抱き着いてから一向に離れようとしないのだ。
そして青年が悠乃の顔を覗こうとした瞬間、
「……えい!」
「うお!?」
押し倒された。
化物には不覚を取られたことはなかったが、まさか内部から襲われるとは想像していなかった。
「「……」」
青年と悠乃が見つめ合う。
彼女の長い黒髪が肩から流れ落ち、青年の顔をくすぐる。
「キス、しましょう。先輩」
片手で髪をかきあげ耳へと引っかける。
桃色の唇をきゅっと結び、潤んだ瞳が不安に色を染めながらもどこか期待するような眼差しを送ってくる。
青年はそんな彼女を驚いたように見つめ返し、口を開くと――
「……――」
本音を告げることを躊躇った。
そして戯けるようにして、淡々と言葉を紡ぐ。
「立場が逆じゃないか?」
「……先輩からは迫ってくれないじゃないですか」
悠乃は彼の態度に怒るわけでもなく、ただ少しだけ寂しそうな顔をした。
それを見てしまった青年は少しだけ本音を口にする。
「そりゃあ……だって、なあ?」
「だって、なに?」
「……止まれなくなるだろ」
「……」
その答えを聞いて、悠乃は笑った。
真面目な顔で頬を赤く染めているその姿が可笑しかったから。
「へんたい」
罵るように彼の耳元で呟くと「理不尽だ」と呆れられた。
「変態な先輩には抱き枕の刑です」
「お、おい!? ……ったく、今回だけだぞ……」
青年にしな垂れかかるように抱き着き、彼の胸を枕にする悠乃。
そうすることで彼の鼓動が聞こえ、自分たちがまだ生きていることを実感できた。
「……先輩」
「どうした?」
「先輩。絶対に……2人でこの世界から抜け出しましょう」
もう、異世界に堕ちてから数カ月が過ぎようとしていた。元の世界に戻れる目処など無く、正直なところ2人とも諦めようとしていた。だから青年はその言葉になにも返すことができなかった。
だが、悠乃は誰に言い聞かせるわけでもなく「約束ですよ?」と付け足してしまった。
「……わかった」
頷く青年に彼女はさらに言葉を続ける。
「もし、私が先に死んでしまったら、1人でも頑張ってくださいね」
「ふざけるな」
死なせはしないと青年がその手に悠乃を抱きしめる。
「……」
聞こえてきたのは洟を啜るような苦笑。
そしてじんわりと胸に広がり冷めていく小さな熱。
手持無沙汰な左手で青年は子供をあやすように悠乃の頭を撫でる。
茶化した文句は返ってこなかった。




