第零章 青年と少女 出会い
「90、95……99」
ナイフを逆手に握り、大樹に刻んだ“正”の字を数えていく。
あと一文字書き足せば20個目の“正”――つまり100を数え終わる。
「……」
青年の隣には殺したばかりの化物が横たわっていた。
ライオンのような頭を二つ持つ、オルトロスのような双頭の化物。体格差は歴然であり、普通の人間であれば為す術もなく噛殺されるような相手に、青年は無傷で狩りを済ませていた。
化物を見下ろす青年の顔は無表情だ。
勝ったことを喜ぶわけでも、食料が手に入ったことに安堵するわけでもない。
化物の腹にナイフを刺し込み勢いよく腹を開く。
逆の手には“灰”を籠手のように纏わせていた。
指先を鋭利な刃物のようにして内臓を弄り切り進むための処置。言わば生活の知恵のようなものだ。
「……あった」
目当てのモノを手探りで探し当てた青年は、そのままそれを引き千切る様に強引に化物の身体から引っこ抜く。
それは心臓のような臓器だった。
化物の身体のなかで一番“効果が得られる部分”だということを青年は経験から知っている。
「これで100だ」
そう呟いた後、青年は化物の臓器に齧り付いた。
まるでハンバーガーを片手で食べるような手軽さで食事を済ましていく。
そして最後の線をナイフで書き足し、正の字を完成させる。
合計100。
その意味は青年が異世界に来てから食事をした回数を指している。
なぜ食事の回数を数えているのか。
それは時間を把握するためだった。
太陽が昇らないモノクロの異世界に昼夜という概念はない。
スマホの電源は1週間程度しかもたなかったため青年が日数を把握する手段は存在しなかった。
そこで彼は腹時計を計算することにした。
――自分が異世界に堕ちてから何回食事をしたのか。
それで暫定的に日数を計ることにしたのだ。
1日三食。化物を食べる。
それが今ので丁度100回目。
つまりは約34日。
地獄のような世界を1カ月以上を過ごしたことになる。
「……」
青年に感情が無くなったわけではない。
どちらかと言えば先程、八つ当たりのように化物の身体を引き裂いていたのは感情的になっていたからこその行動だ。3日目に嘆き、1週間目で発狂し、2週間目あたりで自殺しようかと考え、それでもここまで生きていた。
やり場のない怒りをどこかにぶつけなければ自分は壊れると知っている。知ってしまったのだ。
「なんの役にも立たない」
電池切れのスマホを眺め、ぼやく。
最初は圏外とわかっていても通話やメールを試したが当然のように使い物にはならなかった。電池が切れた後も元の世界に戻ることができればまた使えると信じていた。
そうやって、いつまでも未練がましく持ち続けた。
この時までは。
「――っ!」
力任せに投げ飛ばす。
ゴミの不法投棄なんて前の世界にいた時の青年なら絶対に考えられなかった。だが、この異世界自体がゴミ箱のようなものなので、罪悪感が湧くこともない。
「――ん?」
ついでに財布も捨ててしまおう。
そう思いポケットを探ると感触が、ない。ぱっぱっぱ、とボロボロになったスーツを叩いていくが一向に財布の硬い感触に行きつかない。
どうやらいつの間にか無くしてしまったようだ。
「……ふふ、はは、くっ、く……」
笑いが込み上げてくる。
無くしたことに気付かないほど必死に生きていて、その割には元の世界に帰ることをとっくに諦めていた。
そんな矛盾した感情を突き付けられた気分になったからだ。
「……寝よう」
今更、財布ごときでは喪失感など得られない。探す必要もなければこだわりもない。
青年は適当な大樹に背を預け腰を下ろした。彼の前には同形の槍がずらりと宙に並ぶ。
「今日は……槍二本分か」
寝る前に食後の日課を行う。
それは“灰”を限界まで顕現させ、食事による“灰”の増加量を調査することだ。
化物の筋肉を食べるよりは内臓を食べた方が効率的であり、心臓のような部分が一番効果的。その事実を知ってからはずっと内臓を食べていた。
生きるために、戦力の把握は大事だと身に染みていたから。
「……馬鹿馬鹿しい」
疲れたように青年は膝を抱え身体を丸める。
その周囲を取り囲むように“灰”の槍が幾重にも地面に突き刺さり、やがて彼を閉じ込めるように球体へと変化する。化物から身を護るための簡易カプセルホテルの完成だ。
「……ぅ」
思考を停止するように青年はゆっくりと瞼を閉じる。
起きていてもろくなことがないこの世界から自分を切り離すように、殻へと閉じ籠る。
±
「……?」
数時間後、青年は耳障りな音を聞いて目を覚ました。
何事かと“灰”の殻を内側から少しだけ崩し、周囲を窺う。
化物の姿は見えない。どうやら奇襲を受けたわけではないらしい。
(なんだ? どっかで化物同士が殺し合って――)
寝惚け眼をこすりながら妥当ともいえる推測を立てるが、それは思いがけない悲鳴によって掻き消えた。
「……!? 人間!?」
眠気が吹き飛ぶ。
“灰”の殻を霧散させ、代わりに籠手を装着し、槍を握り、十本ほど剣を浮遊させる。
確かに今、青年の耳には甲高い女性の悲鳴が届いた。
森を見渡し、発生源を探る。
すると――
「いやぁ! 来ないで!」
と、悲痛な女性の涙声がはっきりと聞こえた。
「そっちか!」
森を全速力で駆け抜けていく。
目的の人物はすぐに見つかった。
腰を抜かして後退る少女。学校の制服を着ており、歳は高校生ぐらい。涙を流し、恐怖で顔をぐしゃぐしゃにしている彼女の先には、化物が大口を開けて今にも食い殺そうとしている瞬間だった。
「――っ!」
青年はその場で槍を握り締め、大きく振りかぶり――放つ。
力任せに投擲された槍を能力で無理矢理コントロールし、化物の顎をぶち抜く。槍に追従するように射出された五本の剣は蜘蛛のような脚の関節部分を射る。
その化物は口しかない顔から尻尾の先まで黒い甲殻に覆われ、その先にはなぜか巨大な目玉があった。
ぎょろぎょろと生物らしからぬ動きで視線を彷徨わせ、青年を捉える化物。
だが、その瞬間には青年がストックしておいた残りの剣が化物の目玉を貫いていた。
「――! ――!?」
痛みのあまり堪らずのたうちまわる化物。
その隙に青年は顎から槍を引き抜く。
「あ、危ない!」
少女が叫んだ。
青年を噛殺そうと化物が彼に向かって大口を開けていたからだ。
しかしそれは弱点を晒したも同然の行為だった。
「しぶとい……!」
上顎と下顎を掴み、化物との力比べに応じる。
先程の槍のダメージが効いているのか下顎の力が弱く、均衡状態となった。
「外側が固いやつは……内側を滅茶苦茶にしてやればいいだけなんだよ」
槍のドリルのようならせん状の武器に変化させ、高速で回転させる。
そしてゆっくりと化物の口の中に入れ、口内の肉に接触した瞬間――
「!?!?!?!?!??!??」
化物の絶叫と共に血飛沫と肉片が青年を襲う。
彼の後方で「ひっ――」と引き攣るような声が聞こえてきたが構っている暇はなかった。目玉の化物との遭遇は三度目であり、この種類は残虐で食欲も旺盛だと知っていた。潰せるときに潰さないと返り討ちにあう。
どんなにもがき苦しもうが関係ない。
痛みから逃れようと必死に脚をばたつかせる化物の顎を、肉に食い込むほどの指圧で掴み、放さない。
「くさ……」
一分もしないうちにその化物は絶命した。
体内をドリルで掘り進められてぐちゃぐちゃにされたので当然の結果ともいえた。
そんな悲惨な光景を作りだした張本人といえば、血の臭いを不快に思う程度。血を浴びてしまっても「どうせ塵になって消えるから」と気にしない。
地獄のような異世界の生活に彼の感覚は麻痺してしまっていたのだ。
「……えーっと、怪我とかしてないか?」
だから少女へと振り返った瞬間――
「きゅ――」
「お、おい! どうした! 大丈夫か!?」
血まみれのぼろいワイシャツ。赤黒い爪からは血を滴らせ、顔面は化物の肉片塗れ。どこぞのB級スプラッター映画張りの姿は少女には刺激が強すぎたらしく、目を回すように気絶してしまった。
「可哀想に……やっぱり化物なんて見たら怖いよな」
原因が的外れなようで的を射てるセリフを吐く。
それが後に灰騎士と呼ばれる青年と紅騎士と呼ばれる少女の出会いだった。




