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Called end of True  作者: 野崎リント
少し長めのプロローグになりますの
3/9

ここから転調

中学二年生の2月2日。

私の人生は大きく変わった。


家庭内で父親から強制された監禁生活に耐えられなくなった私は、妹を連れて家出をしたのだ。

とある双子一家の手を借りて…。

父親と別居中だった母親に助けを求め、家出したその日の内に母と私達姉妹三人で女性専用のシェルターへ逃げ込んだ。

これでもう大丈夫だと思いきや母親には親権が無く、このままでは人拐いというレッテルを母親が背負ってしまうという問題が浮上し、母親達と話し合った結果…。

私と妹は児童相談所の一時保護施設へと移されることになった。

この施設での生活は、後に私の人生観に大きな影響を及ぼすことになった。

今思うと、私は自分の家庭が周りと比べ異常なモノだとかなんとか昔思っていたけれど、父親に不快感を与えられるセクハラや監禁されるなんてまだまだかなり優しい方だった。

私はお腹がすいて三日以上全然寝られなかったことはなかったし、祖母に二階の階段から髪を掴んで引き摺り下ろされた上にガスコンロで髪を燃やされるなんてこともなかったから。

ちなみに今あげた二つの話しは私がそこの施設で知り合った小学三年生の男の子と中学一年生の女の子の話しである。

本来ならその施設は個人情報を人に明かしてはいけないというルールがあり、人に自分の身の上話は話してはいけないことになっていたけれど、何故か周りにいる子どもたちは私に自分たちの事を話したがった。

私はいつ施設内にいる指導員にそのことがバレるのかと気が気ではなかったけれど、相手の切羽詰るような表情に毎度気圧されて話を聞くことを断りきれなかった。

ほぼ毎日、多数の子どもから身の上話を聞かされ、相談にのった。

施設内の歳の近い相談相手として、施設中の子から色んなとんでもない家庭内事情を語られ、自分の家庭内環境がどれだけ報われていたかという後ろめたさと自分とそう大差ない年齢か7歳近く歳の離れた子ども達へのあんまりな過去の経験話の同情からか、私はそこで施設を退所した後も皆の相談に乗れるようにとSNSのアカウントを指導員に絶対に分からないように子ども達に教えた。

この施設にいる全員でなくても、ほんの数人でもいい。

退所した後も出来る限りみんなの力になってあげたかった。

SNSのアカウントを教えたとき、皆とても喜んでいたけれど現実はそう甘いはずもなく、結局退所後にSNSで連絡が取れた施設仲間は一人だけだった…。


私たちの施設は、完全に子どもたちと外界をシャットアウトさせるために携帯電話を使用することは勿論、手紙も自由に出すことは出来なかった。

外に出ることもそう多くはない。

高い生垣に囲まれた小さな庭があったけれど、出たところで余計に閉鎖空間に囚われているという気分しかしない為、私はあまり庭に出たくはなかった。

けれどそんな中、施設の外へ必ず出られる日が二日だけあった。

施設にいる指導員の人たちや保育士さんが児童相談所に掛け合ってくれたらしい。

まず一日目は、図書館へ本を借りに行く日。

私はそれが施設に来てからの一番の楽しみだった。

毎回図書館へ施設の学齢組(小学一年生~高校三年生)と一緒に、わらわらと図書館へ続く長い土手道を歩きながら今度はどんな本を借りようかと話し合うことがなんとも言えない解放感があって、気持ちよくて大好きだったから。

土手道の向こうにはゴルフ場やサッカー場、野球場が見えて沢山の草花がお生茂っていた。

風がいつも生暖かくて、空がとても近く感じられたのをよく覚えている。

私が施設に入ったころは、たまに土手を下ったところにある小さな公園などで遊ぶこともあったけど、春休みを過ぎた頃。

指導員たちの話し合いで何かあったのか、ぱったりと行くことが無くなってしまった。

その分、私にとってこの時間はとても貴重な物だった。

施設の外に出られるうちの二日目。

月に一度必ず行われる指導員と保育士が考案した施設内イベントの日。

毎月イベントを考案する指導員と保育士は変わる為、毎月動物園や森林公園などいろんなところへ行くことができた。

幼児さん組の子供たちはこの日が来るのを毎日といっていいほど楽しみにしていて、イベントの前日には楽しみになりすぎて眠れなくなってしまう子が大勢いた。

保育士の人たちは自分たちの企画したイベントを楽しみにしてもらえて嬉しいと思う反面、ちゃんと睡眠を取ってもらわないと後日イベントでみんな眠くなってしまいお守りがいつも以上に大変になってしまうと困っていた。

あとの施設内での生活は、大体勉強尽くしだった気がする。

何故かといえば、私はその頃受験生だったから。


話しが少し戻るね。

2月2日。私は妹と母と一緒に女性専用シェルターに入った後。

一か月ほどはそこに身を隠し続けていた。

その間、私は信頼できる友人にだけ現状を話し、今後いきなり消息を絶つかもしれないということを説明したりしていた。

このシェルターで過ごした1ヶ月より、緊張し続けほぼ絶食に近い状態になる事は今後無いだろう。

別にご飯がなかったわけではないのだけれど、家出をした私たち姉妹の事を、父親と父側の祖父母が今頃どう罵っているのか。

連れ戻した際どんな制裁を下されるのかと考えていたらどうしても喉に食事が通らなかったのだ。

胃のあたりがいつもズキンと痛んで真っ黒い得体のしれないものが腹を這っているような感覚があんまりに気持ち悪くて、何度もトイレに行っては吐いた。

吐くものなんて何もないのに、吐いて吐いて吐いた。

喉の奥がジンジンして、冷や汗が止まらなかった。

トイレの水を流すために伸ばした腕はやけに重たくて、トイレから出ようと状態を起こすと一瞬にして視界が真っ黒になり人知れず倒れていたことも少なくなかった。

児童相談所の人がシェルターに訪ねてきた二月末。

そんな状態はピークに達していて、私はシェルターの小さな部屋を二~三歩動くことすらつらくなっていた。

一日のほとんどは部屋で寝たきりで、体重もどんどん減っていった。

その頃の身長が163㎝なのに対し、体重は40㎏あるかないかというほどで母親には随分と心配をかけたように思う。

ごめんなさい。


3月1日。

私と妹は、施設に行くという選択肢を児童相談所の人に持ちかけられた。

シェルターに避難していられるのは一か月程だけで、早急に決断しなければならないことだった。

しかし私は自分で思っていたよりも臆病だったようでなかなか踏ん切りがつかずにいた。

児童相談所の人たちが帰り、夕刻時。

母親と妹は夕飯の買い出しに出かけた。

私は一人、ジーパンにトレーナーの上から真冬の黒いロングコートを着て、携帯電話と部屋の鍵だけ持って外に出た。

足元が少しふらふらする。

外は木枯らしが吹いていて、積雪のあとがちらほらと残っていた。

商店街の方へ向かいつつ、携帯電話で私は一人の幼馴染へ電話をかけた。

「はい」とぶっきらぼうに応答した少年声に不思議な安堵感を覚え、思わず泣きそうになった。

その少年は、アキといった。

シェルターに入ってからは、何度も相談のメールや電話をしている相手だ。

無愛想で口が悪くて、何でもできる癖に変に不器用な奴だった。

一言でいうならツンデレの先を行くデレ損ねたツン。

本音を言うとあまり好きな部類の人間ではない。

何故十年以上も付き合いがあるのかとても謎だった。

彼は男女の双子であり、妹にチアという男性恐怖症の少女がいる。

二人とも中性的でとても綺麗な顔立ちがよく似ている。

写真で見れば二人とも可愛いのに、実物を見ると二人そろって近づきがたい美人に見えるのは、きっと雰囲気のせいだと思う。

アキはいつも不機嫌そうな顔をしていて孤高でクール。

チアは極度の男性恐怖症というのもあって、か弱く儚い危うげな印象を皆一様に抱くだろう。

まあアキの印象に関してはその通りとしか言いようがないけれど、実際のチアは酷い男性恐怖症でありながら、幼馴染や自分の兄弟といった慣れ親しんだ相手に対してはとんでもない女王気質である。

身内では私とアキ以外の人間の大半が”チア姫”と彼女を呼ぶ。

その呼び方は、名前をちゃんとした漢字に変換してみれば間違ってはいなかったりする。

アキとチアは二人ともすごいキラキラネームで、読みが二人して「ちあき」なのである。

千愛騎ちあき千愛姫ちあき

この双子のお母さんは二人にどれだけ愛に恵まれてほしかったんだろうか。

そして読みが一緒だとややこしくなるとは考えなかったのだろうか。

考えれば考えるほど不思議だ。

アキとチア、という風に周りが呼び分け始めたのは私が二人と出会って間もない頃、私がそうニックネームをつけたからだったりする。

私と双子が出会うまでは、チアはお母さんが大好きでずっとお母さんの後をついて回るお母さん子な上に、中々外には出たがらない子で、あまり周りが呼び分ける必要はなかったのだそうだ。

私は、双子と一緒に外で遊んだりしているとき、二人まとめて呼びかけたいときは「チアキ双子」と呼ぶようにしていたりする。

そして、この双子と私の付き合いは既に11年目にまで達していた。

二人共性格に難は多々あれど、とても信頼できる大切な幼馴染だと思っている。


この日、アキとの電話はかなり長い電話になった。

この日に聞いたアキの言葉を、私は決して忘れない。


私はアキに、施設行きになるかもしれないということを話した。

いつ皆の傍に戻れるか分からない。

もしかしたらずっと会えなくなるかもしれない。

連絡を取ることさえ、出来なくなるかも。

そうしたら、絶対に手紙を書くから。

どんなに先の話になっても、必ず書くから……。

この先何が起こるのか分からない。

何も変わらないかもしれない。

でも、変えるために私はあの家を出たんだと、未来への恐怖と期待のせめぎ合いに混乱しながら、私は10年以上も前からの旧友に今の自分はどういう状況の中にいるのか説明を続けた。


そういえば私が父親のいるあの家を出る事を決意したのも、アキと話している時だった。

中学生になってから、父親に携帯もパソコンも管理されていた私は長年連絡を取り続けていた幼馴染とも話す事が出来なくなっていた。

幼馴染たちと話がしたいと何度も思う時はあったけれど、パスワードロックをかけられた携帯電話とパソコンを起動しては、ため息をつくしかなかった。

この頃、幼馴染と連絡が取れなくなってから4ヶ月以上が経過していた。

もういい加減、家を飛び出して幼馴染の誰かのもとへ駆け込みたいという気持ちが溢れてくるのを抑え切る自信が無くなっていた。

幼馴染たちと連絡が取れなくなってから、4ヶ月と二週間程たったときだった。

2月1日の夕方。奇跡が起こった…!

父親がうっかりいつも管理していた私のパソコンの電源を落とし忘れていたのだ。

家にいる祖父母にバレないようにと、細心の注意を払いながら私はパソコンでチャットや通話が出来るソフトを開いた。

ずっと父親にパスワードロックをかけられ続けていたため確認できなかったチャットの通知が一気に来て驚いていたら、アキから突然通話が来た。

普段めんどくさがりでチャットもメールも自分から送らなければ、電話をかけてくることも年賀状も送らないような奴だったから、溜まっていた500件以上のチャット通知よりも驚いた。

アキから通話が来るなんて余程大変な何かが起こったのだろうか。

胸の奥に冷たい予感がして、そこらへんにあった片耳だけしか聞こえないイヤホンをパソコンに接続し、私は通話に出た。

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