4.ドロップアイテム
鍋いっぱいの湯気を立てるシチューを、俺はただ呆然と見下ろしていた。
「……は? どうなってんだこれ……」
ついさっきまで牙をむいていたグレートウルフが、いま目の前でぐつぐつ煮えている。
具材は肉、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん──まさに教科書どおりのシチュー。しかも香りが妙に……いや、明らかに美味そうだ。
ぐぅううう~。
正直すぎる腹の音に、思わず髪をかき上げながら呟く。
「……これは反則だろ……」
鼻先をかすめるバターと炒め玉ねぎの甘い香り。
胃袋がキュウッと縮み、脳が“食え”と騒ぎ出す。
なんでシチューなんだ??
本来グレートウルフのドロップは“銀色の毛皮”と“輝く牙”。
シチューが出るなんて話、聞いたことがない。
だが──
「……これ、食べても大丈夫だよな?」
ごくり、と喉が鳴る。
この状況で食欲に抗えるほうが異常だ。
目の前に毒が入っていたとしても、今の俺は食うだろう。
「……食うか」
警戒しつつスプーンを手に取る。
いや、そもそもなんでスプーンまで出てくるんだ。鍋とセットかよ。
……もしかしなくても、俺もう死んでたりする?
グレートウルフを倒したと思ってるけど、実は死後の世界にいる、とか──
まあいい。
夢でも死後でも、今は腹が減ってるし、シチューは美味そうだ。
ひと口すくって、口に運ぶ。
──その瞬間、脳天を味が貫いた。
「……うまっ……!」
言葉が出ない。
肉は驚くほど柔らかく、獣臭はゼロ。
玉ねぎはとろけ、じゃがいもはほくほく。旨味がスープの隅々まで行き渡っている。
「いや……完成度高すぎだろ……」
無我夢中で食べ進め、気づけば“多すぎ”と思っていた鍋はもう半分になっていた。
「……はぁ……生き返る……」
全身から力が抜ける。
死闘の緊張がようやく溶け、腹が満たされたことで、この世界の理不尽さすら少し許せる気がした。
温かいシチューのおかげか、身体の芯がじんわり温まっていく。
──ピチャ……ッ。
微かな音が響く。
床を跳ねる、あの独特の水音。
だが今の俺には、その音こそが福音に聞こえた。
鰤出刃を拾い上げ、入口へ視線を向ける。
そこにいたのは──ぷるんと揺れる、1匹の青いスライム。
「待ってたぜ、スライム……ッ!」
腹は満たされた。しかし──飲み物がない。
今このダンジョンで手に入る最高の水分補給アイテム、それが“スライムゼリー”。
スライム相手でも必死だった俺だが、シチューで回復し、鰤出刃という相棒を得た今なら──。
鰤出刃を握りしめ、一歩踏み込む。
「頼むぞ……! 出ろよ、スライムゼリー!!」
スライムが、ぴちょん、と跳ねる。
さっきまでは、この一跳ねでビビっていた。
だが今の俺は違う。
胃袋は満ち、身体は軽い。
そして──鰤出刃のおかげなのだろう。
スライムのどの箇所に、どういう角度で切り込めば最も効率的か、自然と理解できた。
(いける……いや、むしろ余裕だろ!)
スライムがこちらへ向かって跳んだ──その瞬間。
「ここだっ!」
反射だけで鰤出刃を横に払う。
──スパァンッ!
空気を断つような乾いた音。
次の瞬間、スライムは綺麗に上下に分かれ、床へぺしゃりと落ちた。
「…………え?」
あまりにあっさりすぎて、逆に脳が状況を理解できなかった。
なんだこの……雑魚感。
「え、ちょ……さすがに……こんな弱かったっけ?」
思わず、もう動かぬスライムに問いかけてしまう。
スライムといえば初心者殺しの代名詞。
弾力のある体は刃を弾き、下手に切り込めば武器を駄目にすることもある。
地味ながら厄介な存在。
──だったはずだった。
「えっ、マジかよ……本当に“雑魚”じゃん……」
さっきまではスライムとだって死闘だったのに。
あまりの呆気なさに、鰤出刃を握る右手を見ながら思わず笑ってしまった。
と──。
スライムの死骸から、ふわりと白い煙が立ち上る。
「これ……っ!」
ついさっき見た光景。
グレートウルフの死体がシチューになった、あの現象だ。
「ってことは……まさか……!?」
煙が膨らみ──
ポンッ!
軽快すぎる音とともに、何かが床に転がった。
見るとそこには──半透明のボトル。
中には白っぽい……白濁色の液体。
どう見ても、どこからどう見ても──
「……スポーツドリンク、だよな?」
貼られたラベルには、不思議な絵のような文字。
だが──俺には読めた。
心臓がどくん、と跳ねる。
「…………はぁ? いやいやいやいや……」
グレートウルフがシチューで、スライムがスポドリ……?
このダンジョン、どうなってんだ。
なんで魔獣から“俺の前世の世界”にあったものがドロップされるんだよ。
とりあえず拾い上げる。
「……冷えてるし」
しかも結露までしている。
まるで、冷蔵庫から取りだしたばかりのようだ。
──どういう原理だよっ!
混乱しつつも、喉がゴクリと反応した。
「飲んで、いいよな?」
キャップをひねると、プシュッと小気味良い音。
ヤバい。
この世界で、まさかペットボトルに出会えるとは思わなかった。
「……いただきます」
口をつける。
ひんやり冷たい液体が喉を滑り落ち、身体の芯へと染み渡る。
「…………っはぁ~~~……」
生きててよかった……。
当然ひと口では満足できず、ゴクゴクと飲み続ける。
そのとき──
──ピチャ……ッ。
再び、水音。
見ると、スライムが三匹ほど、入口から顔を出していた。
「あっ……」
スライムたちは、俺の手に握られたペットボトルを見て──揺れた。
「…………」
鰤出刃を握り直す。
「……いいぜ。まとめて相手してやるよ。
また出てくれよ、スポーツドリンク!」
そして俺は、再びスライムの群れへ向かっていった──。




