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復讐の舞台

作者: ZERO
掲載日:2026/01/30

第一章 春嵐の出会い


最近、やっと暖かくなってきた4月上旬。

桜の蕾が、青空の下で薄ピンク色の美しさを溢れさせようと、開花の準備を始めている。

だが残念、今日から一週間は雨だってさ。


「……憂鬱だなぁ」


4月6日、今日は全国で春嵐を装う雨模様であり、今日は高校生活1日目の入学式であった。

中学校で陰キャを貫いてきた氷川(ひかわ) (らい)にとっては、高校での新生活など苦痛でしかない。

唯一中学の頃に仲良かったオタク友達がいなくなってしまえば、蕾はただのボッチなのだ。

そう誰しもが思っていた。


東城高校入学式後。


「おはよう! これからよろしく頼むよ! 君はどこの中学校から来たんだい? 俺は緑原中学校出身だよ!」


な、なんで、こんなことに〜! こ、これが高校生活……恐ろしい……

てか距離近くない?! 目の前この人の顔しか見えないんだけど!

てかここまだ教室の入り口なんだけど?!


中学校ではなかった初めての体験に戸惑う蕾。

そう、これこそが高校デビューという名の大事なイベントを成功させるためには必要な、いわば挨拶なのだ。

そしてその挨拶を……蕾は無視してしまった!

戸惑った挙句、彼が選んだのは「か、かんちがいです……」と弱々しく逃げるしか選択肢がなかったのだ。

これが陰キャなのだ。本物の。


し、しまったぁー! せっかく話しかけてもらったのに! なんでいつもこうなんだ、僕は……


蕾は入学して、新しい教室に入って、はや1分が経ったところですでに机に突っ伏していた。


し、死にたい……


「どうした? 大丈夫? 俺でよければ話聞くよ?⭐︎」


蕾はビクッと肩を震わせ、恐る恐る横を見た。

ま、まぶしい! この人、後光が差してるみたいに黒光の金のようにキラキラしてる………

僕とは正反対の人だ。


「……大丈夫です。ありがとうごーー」


「どうしたんだ?! 体調が悪いのかい?

 保健室行くならちょうど俺も一度校内を回ってみようと思っていたところでね。一緒に行くかい?」


「……け、結構ですー!」


今がチャンス? 高校デビューするならまずは自分から話しかけなきゃ。

でもどうすれば……


「ん? それって煉○さんかい?」


そのとき、蕾に電流が走った。


「そ、そう! 知ってるんですか!」


「もちろん。俺は炭○郎を応援したくなるんだ! 炭○郎を見てると俺もなんか、頑張れる気がするんだ!」


「わ、わかります! 僕も煉○さんを見てると、勇気が出て、いつか自分も煉○さんみたいになれたらな、と……

 無理だと思うけど」


「それはまだわからないだろう。あっははは」


高校デビューという名のイベントにはたくさんの入り口がある。

その一つに、共通の好みを語り合うというものも存在する。

それには重なる偶然が必要なのだが……

今日の蕾はツイていた!


「あら? それ鬼○の刃よね! 私も好きなの! ほら冨○さん!」


そう言って冨○義勇の小さいぬいぐるみがついたキーホルダーをじゃらじゃら鳴らしながら、いかにもお嬢様のようなかわいらしい見た目の女の子が話に入ってきた。


す、すごい! こんなことってあるんだ!

まさかお嬢様みたいな子が好きとは思わなかったけど。

そして僕の脳内で、もしかしたらの奇跡を信じ始める。

恐る恐る右に顔を向ける。

それに気づいたキラキラの人は、一瞬恥ずかしそうにしながら、少し呆れたように腕を持ち上げた。

その手にあったのは。


「あ、猗○座だ!」


興奮のあまり大声を出してしまう。

ギロっとクラスメイトの視線がこちらを向く。


「ぁ、スイマセン」


今日イチの小さい声だったな。


「改めて自己紹介するよ。

 俺は緑原中学校出身、神崎(かんざき) 恒一(こういち)だ。

 高校での初めての友達だ! よろしく!」


と、ともだち……!


共通の好みからの高校デビュー、これには大きなメリットがある。


「私は月島(つきしま) (みお)よ。

 えっと、出身は広山中よ。

 2番目の友達になるのかな? よろしくね!」


好みが同じであれば、友達とまではいかなくとも、知り合いの輪が無限に広がるということだ。


「俺は鷹宮(たかみや) 剣斗(けんと)。よろしく⭐︎」


誰かの好きがわかれば、自ずと距離が縮まるものである。

裏がない限りは。


僕、なんとかやっていけるかも!


蕾はこれからの高校生活に期待を膨らませて、声が弾んだ。


「ぼ、僕は、広山中学から来ました、氷川(ひかわ) (らい)です。これからよろしく……!」


「あら?あなたも広山? 同じだったのに気づかなかったわ……ごめんなさい」


「あ、無理もないです。影薄いんで……」


「というか、敬語やめてくれよ相棒」


「あ、相棒?! それは早い気が…」


「あっははは、今後も頑張っていこう!」


「はい……あ、う、うん…!」


やれやれと鷹宮が肩をすくめる。

そう、これが蕾の夢にまで見た友達! 学校生活!

朝の憂鬱なんてどこに行ったことやら……

興奮した気持ちを落ち着かせるため、ふと外を眺める。

そこには雨なんて降ってなく、光が差し込む雲の間から大きな虹がうっすらと空に溶け、水滴が輝く蕾のままの桜との奇跡的相性(マリアージュ)を、僕は嬉しそうに見つめた。


第二章 理想と裂け目


虹が消え、教室にざわめきが戻ってきたころ、担任の先生が入ってきた。


「はーい、入学初日から元気そうなのは何よりだ。一旦席に座ってくれるかー。

 初めまして。私は桐生(きりゅう) 直人(なおと)と言います。

 これから1年間この1年1組を担当します。みんなよろしく」


そう言いながら桐生先生は、黒板に、絶対習字得意だっていうぐらい綺麗な字で名前を書いた。

親切そうで優しそうな先生だ。


「早速だが、まず一人一人顔と名前を一致させる作業に入る。名前を呼ばれたら好きなように返事しろー」


みんなそれぞれ独特な返事をする人もいれば、奇声を上げる人だっていたが、僕はというと、それどころじゃなかった。


やばい、ほんとにこれ現実なのか?

前には月島さん、後ろには恒一くん、横には鷹宮くん。

この構図を再確認するたびに、僕はここにいていいんだという感覚が現実味を帯びてくる。


その日の休み時間。


「さぁ、相棒。購買に行くよ!」


「え?あぁ、えっと……」


僕と恒一くんの間からにゅっと鷹宮くんが顔を出す。


「もしかして行かないつもり? それは許さないなぁ⭐︎」


「……行く」


思ったよりも自然に言葉が出たことに、自分でも驚いた。

恒一は満足そうに頷き、澪はくすっと笑う。


「ふふ、蕾くんって意外とかわいいタイプね」


「そ、そんなことない……」


「照れてるわね」


「相棒をからかわないでくれよ、月島さん」


購買への道すがら、他愛もない話が続く。

好きなアニメ、昨日見た配信、推しの話。

中学では一人で抱え込んでいた話題が、今は誰かに届いて、返ってくる。

しかし、そのような感動は蕾の中にはなく、彼の脳内は。


ーー陽キャも推しっているんだ!


まだこれである。


そのとき、ふと鷹宮が前を歩きながら振り返った。


「なぁ、恒一クン。君、結構面白いよね。

 頭に君の声と顔がずっと残ってる気がするよ⭐︎」


「そうか? それなら良かった!」


「よく言われるんじゃない?⭐︎」


「確かに!言われること多いかもな」


「だろうな⭐︎」


僕から見えたその笑顔は明るく、誰にでも向けられるもののように見えた。

なのに、なぜか胸に小さな棘が引っかかった。

今の、なんだろう。理由はわからない。

ただ、恒一くんの笑顔とは違う。月島さんの優しさとも違う。鷹宮くんの笑顔は、少しだけ遠かった。


その日の夜。

幸先のいい高校デビューを果たした蕾は、気分が高揚したまま、ベッドに仰向けになり、スマホを眺めていた。

スマホには、恒一、澪、鷹宮からのメッセージが送られていた。


『今日は楽しかったな! 明日からもよろしく!』


『初日から元気だったわね〜 普段からそんな感じ〜?」


『あぁもちろん! 鷹宮も楽しかっただろう?』


『あぁ⭐︎』


『とにかくよかったわ! 友達ができて』


指先が少し震える。勇気を振り絞って送信ボタンを押す。


『こちらこそ。ありがとう。』


短い文だったが、送信した瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。


ーーもし、この関係が壊れる日が来たら。


そんな未来を想像して、蕾は首を振る。


「……大丈夫だよな」


蕾は中学の学校生活に別れを告げて、眠りについた。


第三章 相棒のいる日々


それから数日が過ぎた。

教室の空気は、本格化した春の浮ついた空気に満ちていた。

しかし、一週間と予定されていた春嵐が長期化し、今もなお雨は止まず、花々は開花の時期を延期させていく。


「高橋、そこ違う。そこはペットボトルを捨てる場所じゃないって。分別をちゃんとするんだ」


恒一の声が、教室の後ろから響く。


「うるせぇなぁ、俺教室掃除担当だから後からやるっつーの」


「“後から”ができてないから言ってるんだ」


生真面目な口調。

でも声を荒げることはない。

ただ、正しいことを言ってるだけ。

すごいな恒一は。

自分だったら波風を立てないように、見ないふりをする。

けれど恒一は違う。誰に対しても同じ態度だ。


「まぁまぁ恒一クン、そんな固くならずにさ⭐︎」


割って入ったのは鷹宮くんだった。

周囲の目線が一斉に集まる。


「恒一クンは真面目すぎるんだよ。さすが委員長だけどさ⭐︎」


「お前が一番校則を破ってるんだけどな、鷹宮」


「はいはい、正論だね。高橋、怒られる前にとっととあっちに捨ててきな⭐︎」


「……わかったよ」


鷹宮は笑いながら肩をすくめる。

その場は笑い声で流され、注意された生徒も「剣斗が言うなら」とペットボトルを捨てに行った。


「神崎は間違ってないぞー。ちゃんと分別して捨てるんだぞ」


いつの間にか教室の入り口に寄りかかっていた桐生先生が、合わせて注意してくれた。

みんなが次々に席をつく中、恒一の顔は、少し曇った感じに見えた。

しかし、輝きを失うことはないようにその眼差しは立派で正しかった。

だからこそ蕾は、何も声をかけられなかった。


入学してから数週間、すでに教室でのグループは形成され、僕たちも4人で机を囲んで弁当を広げるのが、いつのまにか当たり前になっていた。


「ねぇねぇ、文化祭って何やると思う?」


「クラスでやるのはバザーや展示とかだな! あとなかなかいないが舞台も選べるって聞いたんだが」


「それは劇とか? 僕は裏方でいいや……」


「もしやるとしたら、俺は主役がいい⭐︎」


確かに人気者の鷹宮くんならできそう。

恒一も澪も少し困ったように、でも楽しそうに笑う。


ーーこの時間がずっと続けばいい。中学校の僕からは考えもしないような幸せな生活を送っている。

 ほんとに楽しい…!


だがその願いは、あまりにも無惨に脆かった。


ーー「なぁ、相棒。俺、みんなから嫌われてるんじゃないかな」


夕焼けのオレンジ色が土手を覆い、川の水の音に聞き惚れていた僕に、聞き捨てならない言葉が聞こえた。


「……そんなことないと思う。みんな恒一の良さに気づいてないだけだよ」


待てよ? 今のは否定できてなくないか?

ごめん恒一! そんなつもりじゃ……!


恐る恐る顔を上げ、恒一の顔色を伺うと、その顔には、迷いなど何もない、嫌われていることにも動じていない。

ただ夕焼けの空を見つめている。

多分見ているのはいわゆる明日の方向なんだろう。


「俺はさ、みんなのヒーローになりたいんだ。

 誰かがやられ役をしなければいけないのならヒーローとして引き受ける。

 だから落ち込んでなんかいられない。」


かっこいい……

本当にヒーローのセリフじゃん。


夕焼けが水に反射して、ゆらゆらと揺れている。

まるで、恒一の言葉を肯定するみたいに。

恒一は、さっき歩きながら、自販機で買ってきたココアを僕にも渡してきた。

ふたを開けて2人で一口、ぐいっと飲む。

甘くて味が残る、そしてあったかい。

恒一は、飲み終えて一息ついてから再開する。


「……でもさ」


しばらくして、恒一がぽつりと続けた。


「ヒーローって、一人じゃなれないんだよな」


「え?」


僕が顔を向けると、恒一は少しだけ困ったように笑った。


「どんなヒーローにも、信じてくれる誰かが必要なんだ。改めてそう思ったよ」


恒一はそこで、初めてこちらを見た。まっすぐで誤魔化しのない目だった。


「相棒、いや、蕾がそばにいてくれるだけで、なんとかなる気がするんだ」


「なっ……?!」


お、男でもキュンとしそうなこと平然というな、この人……


それと同時に、キュンとは違う、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚にあった。

そんなこと、簡単に言っていい言葉じゃない。

その上、僕みたいな何もできない人間に。


「俺は目立つし、口うるさいし、真面目すぎるけど、それが間違いだとは思っていないさ。

 もし、俺が間違ってたら、その時は止めてくれ。

 それができるのは……相棒の君だけだ」


蕾の心臓は破裂しそうなほどうるさく鳴った。


ーー無理だ。酷いよ、恒一は、僕にも責任背負わせる気……?

 無理だって言おう。

 僕はヒーローにはなれない……

 恒一には鷹宮くんも澪さんだっている。僕じゃなくても……


そう、ヒーローというのは多大な責任を持つ。

ただそれだけじゃない。

責任には代償も伴う。

アニメや漫画の主人公は確かに心も体も強くて誰から愛されている。

しかし、物語は仲間だけでは進まない。

相対する敵が存在し、敵を犠牲に信頼を得ているのだ。敵からすれば恨まれて当然……狙われて当然……

しかし、ヒーローには共通して大きな弱点がある。それは……


ーーヒーローがみんなを守るなら、ヒーローのことは誰が守る…?


その答えは、自分には一個しか出なかった。

その言葉は声に出せなかったけど、覚悟は顔に出てたようだ。

恒一は僕の顔を見つめて、安心したように笑った。


「あっははは、やっぱり君は、俺の相棒だ」


笑う恒一は、本当にヒーローのように頼もしく感じた。

影が二つ、さっきよりも日が落ちて喑度が増した夕焼けの中で重なり、底に溜まるココアの粉のように溶けていった。


その後もなんともない、普通の日常が進んでいった。

いつも通り、恒一と鷹宮くんと澪さんと僕の4人で昼ごはんを食べて、たくさん笑い合った。

でも最近、鷹宮くんが都合が悪くて一緒にいられないことが多くなった。

嫌な胸騒ぎがした。


ある日の放課後、蕾が教室に忘れ物を取りに戻った時のことだった。

隣の空き教室から、低い声が聞こえた。


「ーーだからさ、あいつウザくない?」


僕は息を呑んだ。

その声は、普段とは違う、少しドスの効いた鷹宮くんの声だった。


「あー神崎? ちょっと真面目過ぎて空気読めない感じだよな」

「確かに、委員長だからって偉そうにしてる感じ?」

「誰か言ってやらないと調子乗るんじゃね笑」


笑い声が混じった男子3人の声。

蕾は、物陰に立ち尽くしたまま、動けなかった。


ーー聞かなきゃよかった。


心臓が早鐘を打つ。

頭が真っ白になる。

怒りと悲しみが最高潮になり、どうしたらいいのか困惑した。

それらの感情よりも先に、僕は憎しみを覚えた。

ハッと気づいた時には僕は、無意識に空き教室の扉を強く開け放っていた。

……え? 僕、何をしてるんだ……いくらなんでも無謀すぎるだろ……


「え……なに、こわ」

「あれ? 氷川じゃん、どした?」


男子2人の問いかけよりも、何よりも、怖かったのは鷹宮くんの目を見ることだった。

僕は目を逸らしながら、どうにか誤魔化す。


「あ、あれぇ……ふ、筆箱忘れたから……取りに、きたんだけど、こ、ここって空き教室かぁ……あー間違えちゃった……あはは」


咄嗟の言い訳も、我ながらダサすぎる。


「ご、ごめんね、4人とも、あ、鷹宮くん……またね」


「あぁ……またね」


僕は今度も扉を強く閉めた。

閉める瞬間鷹宮くんの顔をチラッと見た。

あれは、いつもの鷹宮くんとは違った笑顔。

目の奥に闇を持った作り物の笑顔だった。


第四章 解ける結び目


その日から、僕の中で何かが変わってしまった。

恒一と話していても、澪さんと笑っていても、教室で鷹宮くんの声が聞こえるたびに、あの空き教室の光景が、脳裏に蘇る。


「相棒、どうしたんだい? 最近、元気ないな」


恒一がそう声をかけてきた。

机を挟んで向かい合う彼は、相変わらず真面目で、まっすぐだった。


「……ちょっと寝不足なだけ」


「そうかい? 無理はしないでくれよ」


それだけ言って、またクラスの様子に目を配る。

恒一はなにも知らずに変わらない。

だからこそ胸が痛んだ。


「ねぇ蕾」


澪さんが少し声を落として聞いてきた。


「最近、剣斗くんと何かあったの?」


「……別になんともないよ。心配してくれてありがとう、澪さん」


「そう……なんともないのならいいのだけど」


ーー言えない。話したら全部壊れてしまうかもしれない。僕だけの秘密にしなきゃ。


怪訝な顔をする蕾を鷹宮は横目で睨むように伺っていた。


学校が終わり、委員会の仕事がある恒一と別れ、僕と澪さんは先に帰ることになった。

話しながら昇降口で靴を履き替えていると、背後から聞き慣れた声がした。


「お、2人で帰り? 珍しいな⭐︎」


いつも通りの笑顔の鷹宮くん。僕は心臓が速くなるのを感じた。


「恒一クンは?」


「……委員会だよ。それを言ったら、鷹宮くんとも最近一緒に帰ってなかったから久しぶりだね」


僕は、少し抵抗の意を込めて饒舌に返した。

ここは澪さんがいるから、勘付かれるのはまずい。


ーーこの人は、もう“仲間“じゃないんじゃないか。


「あー、一緒に帰れはしないよ。俺も用事があるからさ⭐︎」


「そうなの。また明日会いましょうね」


澪は気付いてない。

なんの疑いもなく手を振って、蕾と澪は学校を後にした。

住宅街を抜けて土手に出た。

会話もある。笑顔もある。

でも、ふと沈黙が続くとまた思考が蘇る。

途中、僕は立ち止まった。

そして風もピタリ止まってしまった。

夕焼けがあの日と同じようにオレンジ色で染められていた。

やっと桜が開花した5月中旬。

ピンクとオレンジの奇跡的相性(マリアージュ)が僕の心を抉る。

川の音はない。恒一もいない。

焦りと不安と緊張が、僕にあの問いを強く思い出させる。


ーーヒーローがみんなを守るなら、ヒーローのことは誰が守る?


「蕾? どうしたの?」


澪は蕾を心配するが、今の蕾には聞こえない。

その時、蕾の脳内に数十分前の出来事が浮かんできた。


ーー『あー、一緒に帰れはしないよ。俺も用事があるからさ⭐︎』


……用事?


どうしてもその言葉が引っかかる。

とても嫌な予感がする。


ーー行かなきゃ。


「……ごめん、澪さん。先に帰ってて」


「え? ちょっ、蕾ー?!」


第五章 天秤にかける覚悟


走り出した足音が、やけに大きく聞こえた。

暗くなっていく住宅街を横目に、蕾は学校へ引き返す。

胸の奥がざわつく。理由はわからない。

でも行かなきゃいけない気がした。

昇降口は、もう静まり返っていた。部活の声も、委員会のざわめきもない。

教室の扉を開けた瞬間、視界が、止まった。


「…あ、あああ、こ…こういち…?」


返事はない。呼吸はある。

でも、目は閉じられたまま。意識がない。


ーー遅かった。


頭の中が真っ白になる。

絶望感の増幅で吐きそうになる。


「……何を、した……」


声が、自分のものとは思えないほど低かった。


「何って? 話し合いだよ。言葉と力の一方的な……ね⭐︎」


鷹宮くん……いや、鷹宮は、床に倒れた恒一を一瞥し、鼻で笑った。

苦しくて、息ができないのに、僕は無理やりにでも声を出す。


「なん、で……友達だったのに……」


「ともだちぃ……?それは違うね⭐︎」


その声の発信者はもう僕の知ってる鷹宮じゃなかった。

あの日見た、ドスの効いた低い声で、目の奥に闇を宿す“鷹宮 剣斗”だった。


「俺の演じた“偽りの友達”……だろ?」


どっと冷や汗が出たように感じた。

ここだけ重力が違うかのように、空気がどんよりしている。


ーー偽りの友達…?

 僕が幸せだと、ずっと続いてほしいと思ってたアレは、全部嘘だったというのか。


その言葉が、胸の深い深い奥の何かに亀裂をつけた。

その時だった。


ーーピロン♪


……通知? 僕じゃない。鷹宮のスマホから通知音?

鷹宮は目線を蕾から離さずに、ポケットからスマホを取り出した。

そして画面を見てニヤリと口角を上げた鷹宮に、蕾は背筋が凍るように感じた。

僕は、鷹宮がスマホに目が行ってる今がチャンスだと思い、恒一目掛けて走る。


ーー今助けなきゃ! あの時の問いの答えは今ここで! ヒーローを守るのは……! 僕だ!


……後ちょっと、本当に後少しだった。

恒一に向けて伸びた僕の指先は、もう少しのとこで止まってしまった。

「おっとぉ、君にもそんなに勇敢なとこあったんだねぇ⭐︎」

叩きつけられた。

僕は今床にうつ伏せになっている。背中が痛い。


「ウザかったんだよねえ、いちいち注意してくる神崎も、ずっと仲良しみたいなあの女とお前も。

 俺昔からいじめっ子だったんだよ。

 でも悪者じゃなかったんだよねぇ、俺はただウザいやつを成敗してるだけ。

 クラスのみんなも先生だって、厄介者がいなくなったからか、そこまで処罰もなかったし。

 今回もただ、正義を全うしてるだけなんだよ」


そして僕の顔を覗き込んできた。鷹宮の目には完全に光がなく、まるで悪魔のようだった。


「そうだろ? なぁ? そうだろぉ? なあ!!」


狂ったように怒鳴りつける。

僕は怖くなった。

圧に押されたのかもしれないが、多分、この人に逆らうとどうしようもないことになりそうだったからだろう。

ふと、恒一を見た。

横になって気絶してる恒一と顔を合わせる。

恒一の顔に、額に、口に、首に。あざや傷がたくさんあった。


ーーもう我慢できない。僕がどうなろうと知ったこっちゃない。こいつだけは許してはいけない。

 偽りの友達として僕たちの本当の友情を踏みにじり、恒一を、大切な僕の相棒をこんな目に……


僕は決心した。今から警察に行って事情を……


「なぁ、氷川。これを見てくれよ」


僕の視界は、鷹宮が見せてきたスマホの画面に釘付けになる。

そこには、どこか違う教室で、澪さんが数人の男子生徒に捕まって、制服は乱され下着が見えてしまっている姿があった。

澪さんの顔は、涙を堪えきれずに恐怖に歪んでいた。

とても、見るに耐えない光景だった…。


ーー僕を追いかけてきた澪さんにまで……


「使えなくなる前に遊んどこうと思ってさ⭐︎」


鷹宮の軽い声と、恒一と澪さんの傷ついた姿、偽りの友達……

僕の頭の中は絶望と怒りと悲しみでぐるぐるしていた。

その瞬間……


ーープツン


音がした気がした。

漫画で見るような、頭の中で理性が切れる音。

その後見ていた光景は、覚えている限り、音がなかった。

僕が気づいた時には、鷹宮の上に馬乗りになって鷹宮の顔を殴っていた。


「……っ!」


拳を振り下ろす。止まらない。


ーーやめろ。

ーー殺す気か。


頭のどこかで声がする。僕の声とそっくりだ。

多分僕の理性なんじゃないか。

でも、止まらない。


「友達を……!」


息が荒くなる。


「仲間を……!」


拳が震える。


「……傷つけるなぁ!!」


何度も、何度も。

誰かの叫び声。誰かが引き剥がそうとする感触。

でも、蕾の視界には、もう何も映っていなかった。

ただ一つしか頭になかった。

ーーこの人だけは、許してはいけない。


どれくらい、そうしていたのか。

時間の感覚が、完全に消えていた。


「やめろ!!」


その声が、初めて“世界の音”として耳に届いた。


「氷川!!  もうやめろ!!」


強い光。懐中電灯の白い光が、視界を切り裂く。

次の瞬間、誰かに腕を掴まれ、思いきり引き剥がされた。


「離せ!!」


抵抗しようとした身体は、思ったよりずっと、重くて、言うことを聞かなかった。


「氷川!  落ち着け!!」


桐生先生だった。

夜の見回り用の腕章、手に持った懐中電灯。

荒い息を吐きながら、必死にこちらを押さえ込んでいる。


「……はぁ……はぁ……」


視界が揺れる。

床に倒れている鷹宮。動かない。

数秒虚空を眺めて頭を整理した後、思い出した。


「恒一……!」


名前を呼ぶと、桐生先生の動きが一瞬止まった。


「神崎もいるのか?」


先生は、教室全体を見回し、そして、床に倒れる恒一を見て、顔色を変えた。

その時、教頭先生や事務の先生、学年主任の先生などがぞろぞろと様子を見にきた。


「これは……どういう状況なんだね?この生徒たちは君の教え子たちだろう? 桐生先生」


桐生は少し戸惑い、口ごもる。


僕が説明しなきゃ…。


「あの、実は、これは……」


その時、僕の横から大きな物体が飛び出た。

いつの間に起きたのだろう。鷹宮だった。


「実は……! 全部氷川クンがやったんです!⭐︎」


……は?


「俺は騙されたんです! いつも一緒にいる恒一クンが気に食わないから協力してほしいと頼まれて……

 協力しなきゃ、友達の月島サンまで酷い目に遭うと言われて……そして今用済みとなった僕を口封じするために 僕をこんな目に……⭐︎」


……こ、いつ……!


「違います! 嘘です! 僕は……!」


そこまで言いかけた僕の耳元に、鷹宮は顔を近づけてきた。

とても小さい声で……僕に言う。


「お前が罪を庇えば、2人の無事は保障してやるよ。

 今後一切あの2人には手を出さない」


その言葉を聞いた瞬間、頭の中が、すっと冷えた。


ーー庇えば、二人は助かる。


喉が、ひりつく。


「……氷川?」


桐生先生が、不安そうにこちらを見る。

周囲には、教頭、学年主任、事務の先生。全員が、答えを待っている顔だった。


「お前が、本当にやったのか……?」


小さく、桐生先生が言った。

確信というより、祈りに近い声だった。

視界の端で、担架に乗せられようとしている恒一が見えた。

呼吸は浅く、顔色は悪い。


ーー守るって、決めたじゃないか。あの時の約束に応える時だ。

ーーヒーローが誰かを守るなら、ヒーローは誰が守る?


拳を握りしめる。爪が食い込むほど、強く。


「……僕が」


声が震える。


「……僕が、やりました」


空気が凍りついた。鷹宮以外の。


「……そうか。君は1年1組の氷川 蕾くん、だね?」


覚悟を決める。

そうか、恒一はいつもこんな感じなのかな……

ヒーローは自分を犠牲にして誰かを守るって、こんなに辛いのか……


ーーでも、2人を守れたならそれでいっか。


そう言い聞かせるしかなかった。


「君を、2週間の謹慎処分とする」


僕の幸せだった高校生活は、夕日と共に幕を閉じた。


それからのことは、どこか現実感がなかった。


第六章 責任


後になって、桐生先生から聞いた。

澪さんの方は、あの直後に桐生先生が別の教室の異変に気づき、止めに入ったらしい。

幸い、取り返しのつかないことは起きていなかった、と。

その事実を聞いた時、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ抜けた気がした。

恒一も、澪さんも、しばらくは学校を休んでいたけれど、時間をかけて、少しずつ登校できるようになったらしい。

鷹宮は、約束通り、少なくとも表向きは、二人に近づくことはなかった。

相変わらずクラスでは愛想よく笑い、何事もなかったかのように日常を過ごしているように見えた。


ーーまるで、あの夕方なんて存在しなかったみたいに。


僕は、反省文を書いた。

何枚も、何度も。

自分のしたこと。取り返しのつかないことをしたこと。感情を制御できなかったこと。

確かに罪はなすりつけられたが、暴行に及んだ事実は間違ってない。

先生たちは「もう終わったことだ」と言った。

謹慎期間も、きっちり終わった。

でも……制服に袖を通すことが、できなかった。

校門の前まで行って、足が止まる。

廊下の音。教室の空気。誰かの視線。

それを想像するだけで、胸が締めつけられた。


ーーあの日選んだ答えは、正解だったのか?


恒一は学校に戻れた。澪さんも戻れた。

鷹宮はもう何もしてこない。

世界はちゃんと回っている。


「よかったな……」


そう思えるはずなのに、僕だけはそこに戻れなかった。

恒一の隣に立つことも、恒一を守ることも、もう、できない気がして。

ただ一つ、はっきりしているのは。


ーー僕の時間だけが、あの時から、止まったままだった。


ーー桐生は、職員室の椅子に深く腰掛けたまま、書類に目を落としていた。

正確には、文字を見ているだけだった。

あの夕方から、頭の中で何度も同じ場面が再生される。

倒れていた生徒。殴り合い。泣きそうな目で「自分がやった」と言った氷川。

本当に、あれが全てだったのか。

教師として、判断は間違っていなかったのか。


「……はぁ」


ため息が、自然と零れる。

経験上、学校という場所は“見えていること”だけで動いてはいけない。

だが同時に、“証明できないこと”を拾い上げる勇気も、教師には求められる。


ーーそして自分は、その勇気を持てただろうか。


コンコン


ノックの音に顔を上げる。


「どうぞ」


扉が開き、立っていたのは神崎と、月島だった。


「……先生、少し、お時間いいですか」


神崎の声は落ち着いていたが、どこか張り詰めていた。

月島も、強く拳を握っている。


「座りなさい」


二人は向かいの椅子に座った。

しばらく、沈黙が落ちる。

先に口を開いたのは、月島だった。


「先生……私たち、話さなきゃいけないことがあるんです」


桐生は、二人の顔を見た。

逃げていない目だった。


「……聞こう」


神崎は、小さく息を吸う。


「氷川 蕾は、あの夕方、嘘をついたんです」


その一言で、桐生の背筋に冷たいものが走った。

2人は少しずつ、しかし確かに核心を持って話した。

鷹宮について。あの日の出来事。なぜ蕾は黙る選択をしたのか。


「……先生」


神崎が、まっすぐに桐生を見た。


「俺たちは、全部鵜呑みに信じてほしいとは言いません」


2人の目には、覚悟が見える。

月島が続けた。


「でも……蕾は、私たちのために自分を犠牲にしたんだと思います」


「あいつが、俺たちを残して消えてしまったことには、怒ってます。でも……」


神崎がもう一呼吸置いて、震える声と手を押さえて言う。


「それでも、俺たちにとっては、あいつはヒーローで、その前に、大事な仲間なんです…!」


桐生は、すぐに答えられなかった。

教師として、軽率なことはできない。

だが、大人としてなら……


「……正直に言おう」


桐生は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「私は、あの日からずっと悩んでいる」


二人の目が、揺れる。


「もし、君たちの話が本当なら……私は、一人の生徒を見捨てたことになる」


職員室の時計が、静かに音を立てていた。

その静寂を破るように、神崎は音を立てながら立ち上がり、深く頭を下げた。

それを追いかけて月島も頭を下げる。


「蕾を……相棒を、助けてください……」


桐生は、目を閉じた。


ーー教師とは何だ。

ーー正しさとは何だ。


数秒後、目を開ける。


「……分かった」


二人の顔が、はっと明るくなる。


「ただし、簡単な道じゃない。それでもいいか」


神崎も月島も、力強く頷いた。


ーー教師として。

ーー1人の大人として。


今度こそ、この選択を間違いにはさせない。


人は、1人では何も始められないものだ。

同じ目標を持ったものが集えば、もう誰もそれを止められはしないだろう。

1人の生徒に助けられた生徒2人と、同じく1人の生徒を助けようとする教師の集いは、目標を果たす上で、強力な力となるだろう。


桐生は、立ち上がり、窓の外を見た。

桜の花弁は散り始め、春が終わりに近づいてきているのを感じられた。


第七章 止まった時間に、求める声


夏が近づくにつれて、学校は少しずつ浮き足立っていった。

それは、生徒たちにとって、日常からほんの一歩だけ外へ踏み出せる、特別な時間だった。

東城高校文化祭。

この高校の文化祭は、普通とは違って春の終わり頃に開催される。

教室の後ろでは装飾案が飛び交い、黒板には大きく「文化祭準備」と書かれている。

誰が何を担当するか、どんな出し物にするか。他愛ない会話に笑い声が混じり、教室はいつもより少しだけ明るい。


「じゃあ、演劇でいくぞ。脚本はこれな」


桐生の声と同時に、数枚の紙が前から後ろへ回されていく。

ざわり、と空気が揺れた。


「演劇かぁ」

「役決めどうすんの?」

「主役やりたい人いる?」


前向きな声が重なり合う中、38人の席のうち、空席がひとつだけあった。

窓側の後ろから2番目。そこにはいるはずの姿がない。


ーー氷川 蕾。


名前を口にする者はいなかった。

まるで、最初から存在していなかったかのように、話は進んでいく。


「鷹宮、主役向いてそうじゃね?」

「確かに。華あるし」

「異論なしだろ」


拍手と冗談が飛び交い、役は次々と決まっていく。

舞台の中心が形作られていく一方で、欠けたピースは、誰にも拾われないままだ。

恒一は、配られた脚本を手に取り、ページをめくる。

そこに書かれている台詞は、まだただの文字に過ぎないはずなのに、なぜか胸の奥が、ざらついた。

そして何か気づいたように、空席を眺めた。


ーーもしかして、これなら……!


文化祭は、始まったばかりだったが、すでにその舞台裏では、いくつもの感情が、静かに行き場を失っていた。


朝が来たことは、カーテン越しの光で分かった。

目覚ましは鳴らない。鳴らす必要もない。

蕾はベッドの上で、しばらく天井を見つめていた。

起き上がるまでに、かなり時間をかける。

身体が重いわけじゃない。動いてしまえば、時間が早く過ぎてしまうように感じてしまうからだ。


……今日は何日だろう。


蕾はスマホを手に取り、日付を見る。

文化祭まで、あと3週間。

恒一たちが1週間前に連絡してくれてから、もう1週間も経ったんだ。

それからは連絡はない。

文化祭で忙しいのか、僕のことを気にしなくなったのか。


「まあ、関係ないか……」


小さく呟いて、画面を伏せる。

ふと学校のことを思い出して、クローゼットにかけてある制服に目をやる。

しわもなく、きれいなままだ。

着られていない証拠みたいで、少しだけ目を逸らした。

この家にはもう僕しかいない。

母と父は2年前他界した。交通事故だったらしい。

中学生の頃かつ、親戚も近くに住んでいなかったため、母親の友人がアパートを貸してくれるとのことで、その大家さんに助けてもらいながら、僕はなんとか生きている。

冷蔵庫を開ける。

牛乳と、昨日大家さんが作り置きしてくれた惣菜があった。

食欲はないが、何かを口に入れなきゃいけないという、義務感だけで、朝食を用意する。

正直、今は味がわからなかった。

食べ終わって、片付けて、重い足取りで机に向かう。

勉強も一応、やらなきゃいけないのだろう。

学校には、何度も行こうとした。

制服を着て、校門前まで行ったことがある。

しかし、蕾の頭の中には、声が飽和して、足がすくんだ。

最近は、制服を着ることもできなくなった。


『やめろ!! 氷川!! もうやめろ!!』


その声が僕を悪者にする。

……違う。僕は守っただけだ。


『実は……! 全部氷川クンがやったんです!⭐︎』


その声が僕を覆う。

……何言ってんだよ。俺は……何もやってない。

『氷川……? お前が、本当にやったのか……?』


その声が僕を惑わす。

……僕は。僕は、間違ってなんか……。


『偽りの友達……だろ?⭐︎』


僕はもう考えるのをやめた。

そして最後に結論づけた。


ーー全部僕が悪かったんだ。


その時だった。


ーーピーンポーン


インターホンの音が、静かな部屋に、はっきりと響いた。

蕾は、動かなかった。

誰かが来る心当たりなんて、ない。聞き間違いだ。

そう思った瞬間、もう一度、音が鳴る。


ーーピンポーン


逃げ場は、なかった


第八章 守りたかった温もり


氷川の住むアパートの玄関に立った瞬間、恒一は無意識に背筋を伸ばしていた。


「……ここで、合ってるよな?」


確認するように呟いた桐生先生に、恒一は小さく頷いた。


「はい、ここが蕾の家です」


先生が確認する理由もわからなくはない。

静かすぎるんだ。

本当に人が住んでいるのかいってぐらい、気配がない。

桐生は、教師である自分が、放課後に、生徒の家の前に立っている、ただそれだけで軽率だと言われることも覚悟の上でここに来た。

今日は、引き返せない理由があった。

桐生は、インターホンに視線を落とす。

一度深く息を吸ってから、ボタンを押す。


ーーピーンポーン


音が鳴り終わるまでが、やけに長く感じられた。

返事は、ない。

恒一が唇を噛む。

澪は、両手を強く握りしめた。


「……留守? じゃないよね……」


「わからん。だが……」


桐生はもう一度だけ、ボタンを押した。


ーーピーンポーン


今度は、確かに家の中で、微かな物音がした。

足音。近づいてくる気配。

3人の心臓が、強く脈を打つ。


ーー蕾がいる。ドアの向こうに、確かに。


だが鍵は開かない。気配はあるのに扉は開かない。

恒一が一歩前に出かけて、それを桐生が制した。


「焦るな」


優しい声だったが、どこか緊張の声色にも聞こえた。

多分内心では、俺たちと同じように祈ってるんだろう。


ーー出てきてくれ。1人で抱え込まないでくれ。 


数秒。あるいは数十秒経った頃。ドアの向こうで、微かな呼吸音が聞こえた。


「……誰ですか?」


絞り出すような、か細い声だった。聞き慣れたはずの声なのに、どこか別人みたいだ。


「…蕾」


恒一の喉が鳴る。

名前を呼んだだけで胸が詰まりそうになる。


「俺だ。恒一だ」


一泊置いて、澪も続く。


「澪よ。蕾、会いにきたよ」


沈黙。

しかし確かに、ドアの向こうで心が揺れている気がする。

その間に、先生が一歩前へと進む。


「担任の桐生だ」


また空気が揺れる。


「……少しだけ、話をさせて欲しい」


返事はすぐには来なかった。

だが3人は、待ち続けた。

帰るという選択肢は最初からなかった。

ここまで来たのだ。

たとえ扉が開かなくても、立ち去るわけにはいかない。

春の風が、静かに横を通り吹く。散りきれなかった桜の花弁が、足元を転がった。

そして、カチャリ、と鍵の回る音がした。


玄関の扉が、静かに開いた。


「……上がってください」


その声と顔からは生気が見えない。

恒一と澪は視線を交わし、何も言わずに靴を揃えて居間に上がる。

最後に桐生が一礼してから、ゆっくりと家に足を踏み入れた。

部屋はきちんと整えられていた。

しかし生活感がない。

机の上に綺麗に積まれた教科書と、開かれていないノートが、それを物語っていた。

電気の付いていない暗い部屋の中央にある、低い机に案内される。

蕾が4人分の麦茶を用意してから、自分も3人の向かいに座った。


ーー沈黙が落ちる。


誰もすぐには口を開かなかった。

この時間が、今後の蕾を左右すると、全員がわかっていたから。

最初に破ったのは、恒一だった。


「…蕾」


いつもより真剣な声。


「俺、怒ってるんだ」


蕾の指先が、わずかに震える。


「勝手に消えたこと。全部背負ったこと。俺たちに何も言わなかったこと」


言葉は厳しいのに、蕾はその言葉で辛くはならなかった。


「でも……それ以上に、俺は悔しい」


蕾は顔を上げられなかった。


「俺、ヒーローになりたいって言ったよな。

 なのにさ、気づいたら、助けられてたのは俺の方だった。

 あはは……情けないよな。

 それに、あの時、俺、蕾に重い責任を背負わせてたんじゃないかって、後から気づいたんだ。

 俺が危ない時は、相棒の君が、俺を助けてくれって。

 本当に無責任だった…それのせいで蕾をこんな目に合わせてしまった…!」


恒一は頭を下げる。


「ほんとうに申し訳ない……!」


深々と下げる。頭は上げれない。

蕾はすぐには答えが出せなかった。

そして、静かに澪が続ける。


「蕾…私ね、あの日のこと、ずっと考えてた」


澪の声は穏やかだったが、芯があった。


「怖かった。

 でもそんなことより、あなたが、そこまでして私たちを守ろうとしたことが、苦しかった。

 私のためなんかに、なんでそこまで……」


もう澪の視界は涙でいっぱいだった。

涙と鼻水を啜って、蕾に向き直す。


「あなたのおかげで、私たちは無事よ。本当にありがとう……」


蕾は唇を噛む。

泣かないように。


「……なんでそこまで、か……」


もう言っちゃおう。

僕はもうどうしようもならない。

言ったら少しは楽になれるかな。2人も納得してくれるかな。


「……鷹宮に、僕たちは“偽りの友達”って言われた。

 絶望したんだ、その時。だって、ずっと僕が夢見てた、本当の友達にみんなとなら、なれた気がしたから。

 でも、恒一は相棒って言ってくれた。背中を任してくれた。

 澪さんは、僕をひとりにしないで追いかけてきてくれた」


蕾は俯きながら、泣いているのか肩を震わせながら、ゆっくりと語る。


「2人はやっぱり、本当の友達だと確信できたんだ。だから……」


少し間が開く。

まるで蕾が言う準備をしてるようだ。


「……だから、鷹宮が許せなかった……!」


絞り出すような声。

その言葉を聞いた3人は、蕾の覚悟が心臓を貫くように心に刺さったと感じた。

そして、蕾はふうっ、と呼吸を置いてから言う。


「……約束、守れたでしょ?

 恒一の背中も澪さんも守れたよ。

 僕には自分を犠牲にしなきゃ守れなかったけど、恒一は確かに自分の全てでみんなを守り切ってた。

 本当にかっこいいと思ったんだ。

 でも、僕は、人一倍正義感が強いだけだったよ。」


俺は抉られる思いだった。

やっぱり俺のせいで……!

しかし、恒一はその思考を頭の中で吹き飛ばす。蕾はきっと、俺のこの考えを否定する。

だったら尚更、次は俺がなんとしてでも、蕾を助け出す!


その後の言葉は、蕾が、今に至るまでの真意だった。


「ーー2人が無事なら、それでいいじゃないか」


それを聞いたと同時に、今まで黙って聞いていた桐生先生が口を出した。


「何にもよくない」


はっきりと、桐生が言った。

蕾が驚いて顔を上げる。


「それは、君が一人で壊れていい理由にはならない」


桐生は、机に両手を置き、蕾と正面から向き合った。


「君が誰にも、何も言わずに、黙っているのは弱いからじゃない。

 誰かを守ろうとする覚悟が、誰よりも強かったんだ。

 確かに、君が行ったことは暴力だ。

 ただし、それを評価するものは、評価対象の事情をしらない。

 つまり、君のしたことに対して、暴力だの、未熟だの、そんな一言で片付けられる資格があるものはいない。

 加えて……」


桐生は、大人として、教師として、この氷川 蕾という16歳の少年を助けたい一心で、しつこく、無責任だとしても伝え続ける。


「君の選択は、間違っていない」


その言葉を聞いた蕾は、風が通り抜けるように世界が明るく感じ始めた。

ずっと悩み続けたこの思いを肯定してくれた。

ただそれだけで、蕾の気持ちは、晴れていく。

すぐに桐生先生は自分のカバンを漁る。

そこから出てきたのは、僕の反省文用紙だった。

そして、一枚の紙とペンを取り出す。


「これは、停学中の氷川の反省文だ。読ませてもらったが、ここには嘘しか書いていない。やり直しだ」


桐生は教師として、教師らしく指導をし始めた。


「ここに書くべきものは、君の本当の想いや守りたかったものを書くべきなんじゃないか?

 君が何のために立ち向かったのか、君は何がしたかったのか。

 本当のことを書ける人間を私は決して罰しない」


力強く、強く言い聞かせるように指導する。

同時に一枚の無地の紙とペンを手渡す。

蕾は、桐生を見つめる。

桐生は何も言わないが、桐生の目に嘘はないように見えた。

おそるおそるペンを取る。

白い紙の前で、指が止まる。

頭の中には、いくつもの言葉が浮かんでは消えていった。

正義、友情、怒り、後悔ーーどれも違う。どれも足りない。

桐生は急かさなかった。

恒一も、澪も、ただ黙って見守っている。

僕は、ただ、ただ……!

蕾は、深く息を吸った。ペン先が紙に触れる。

『ボロボロのヒーローの背中を僕が守ってあげたかった。』

それは願いだった。

それ以上は続けられなかった。

書き終えて、桐生先生、恒一、澪さんの顔を順番に見る。

3人の顔には、笑みが見えた。


「それで十分だ」


桐生はゆっくりと蕾の頭を撫でた。子供扱いではない。1人の教師が大切な生徒を労う、優しい行動だった。

桐生の手が離れると、すぐさま、澪が、蕾に飛びつき抱きついた。


「もう……! ばか! なんで1人で決めちゃうのよ……私たちがいるのに……!

 私だって守られてばかりじゃなくて、2人を助けたいの……!頼ってよ……」


その横から、恒一も静かに近づき、2人ごと包むように腕を回した。


「俺も、澪も、怖かったんだよ。

 蕾がいなくなって、もう二度と会えないんじゃないかって……あの事件の恐怖よりも不安だった」


3人で抱き合いながら語り合う。

この時間が、なにものよりも幸せだと、3人は心から感じていた。


「……っ、……ごめん」


唇を噛んでも、もう耐えられなかった。

声が漏れ、肩が揺れ、視界が滲む。そして泣きながら、笑いながら、2人は、1人の大切な友達に一番伝えたいことを力強く言った。


「守ってくれて……」

「戻ってきてくれて…」


「「友達でいてくれて、ありがとう」」


2人の声が重なる。

蕾はずっと我慢していた涙を耐えきれなくなった。声を出して泣いた。ずっと泣いていた。

僕の近くにある、一番大切な宝物を強く抱きしめながら、泣いた。

桐生も大人気なく涙を流していた。そしてみんなで笑った。

窓は締め切り、もうすぐ暑さの訪れる季節とは思えないような、冷えきった室内だったが、今この時間だけは、とても温かかった。


人は、1人では何も始められないものだ。

同じ目標を持ったものが集えば、もう誰もそれを止められはしないだろう。

1人の生徒に助けられた、友人2人と、1人の生徒を助けようとする、1人の恩人は、目的を果たした。そして、4人の絆はより強固なものとなり、もう二度と壊れることはないだろう。


第九章 灯る日常


ーー朝は変わらずやってきた。

カーテン越しの光も、鳴らない目覚ましも、昨日と同じようにそこにあった。

そして、蕾が制服に袖を通すこともまだなかった。

そう“まだ”だ。

桐生の判断で、しばらくの間は自宅待機を命じられた。

しかし、大きく変わっているところがあった。

机の上には、桐生からの差し入れ、澪からの手紙と手作りのお菓子、そして恒一からの缶ココア。

それを見て、蕾は微笑む。


「僕には、みんながいる」


声に出てしまったようだ。

自分でも少し恥ずかしくなって、脳との話題を変える。

机の上には、東城高校文化祭のパンフレットが置かれていた。


ーー1年1組 『偽物勇者は僕だった』


「……ふぅ」


小さく息を吐く。

胸の奥に、まだ小さく火が灯っているのを感じた。


同じ時間。

学校では、少し違う日々が始まっていた。


「おはよー。昨日の続き始めちゃおう」

「みんなー机くっつけてー」

「ちょい買い出し行ってくるわ!」


文化祭準備期間が始まったのだ。

これからは学校での授業は中断して、文化祭の準備に時間を使う。

東城高校は県立高校さながら、とても大きい学校のため、文化祭になると、地域の人たちのみならず、観光客でさえ遊びに来るほどだ。

澪と恒一は、普段通りに過ごす。

しかし、2人にも大きく変わったことがある。


放課後。

学校が終わると、2人は待ち合わせて、同じ道を帰る。

数十分進むと見覚えのある小さなアパートが見えてきた。


「ただいま! お邪魔するね〜」


「今日の調子はどうだい? 相棒」


2人は、学校が終わると、毎日のように蕾に会いに行くようになったのだ。


「おかえり、2人とも。なんか食べていく?」


「昨日、私が置いて行ったお菓子があるでしょ? まだ食べてないなら食べよ」


「俺ちょっとシャワー浴びたいんだけど、借りていいかい?」


「どうぞー」


最近の僕の生活で1番楽しい時間がやってきた。

みんながいる、ただそれだけでもすごい幸せだ。

ただ、どうしても、あの時の恐怖や憎しみは、消えない。

だから決断したんだ。

恒一が風呂から上がって、お菓子を食べて、文化祭の話をした。


ーー文化祭で実行する、僕たちの“復讐の舞台”の話を。


3人の覚悟と共に、静かに、確実に、舞台は組み上がり始めていた。

ついに、僕たちの物語がクライマックスに向かう。


第十章 いざ、復讐の舞台へ


東城高校文化祭、スタート!

放送の音と共に、号砲が上がる。

正門が開門し、たくさんの人がごった返していた。

一方、体育館の舞台会場はざわめきで満ちていた。

観客の視線、足音、ざわつく声。

それらが一斉に体育館に集まってくる。

緞帳の向こう、舞台はすでに整っている。

1年1組の演劇は、始まってすぐの、プログラム1番だった。

すでにみんなは準備は整っている。

クラスの中心には鷹宮がいる。メイクを済ませて、余裕そうだ。

そのすぐ近くに恒一と澪がいる。2人は、衣装を着終えて、メイクをしてもらっている。

恒一は、僧侶となり、鷹宮が演じる勇者の側近として、共に旅に出るという設定だ。

澪さんは可愛らしい魔法使いの衣装を纏っている。秘宝を守る番人として出演する。

メイクを終えた澪と恒一は、出演者たちの間を縫って、舞台袖から体育館の裏に回る。

そこには、僕がいる。


「お待たせ〜、あれ? ちょっと待って、ん〜?」


出てきてすぐ、澪さんは、僕の顔をじっと見つめる。

視線は唇だった。

何かに気づいた澪さんは、自分のポケットから保湿リップを取り出した。

そして僕の唇に丁寧に塗ってくれた。


「これでよし! うん、メイクもバッチリね!」


「血色がないけどな。無理はしないでくれよ?」


「そ、そう?」


僕は久しぶりの学校に来ている。

その理由は、僕も演劇に出るため。

と言っても、もともと僕は出る予定はなかったし、そもそも僕の役すらこの物語にはない。

この役は、恒一と澪さんが作ってくれたものだ。

僕は、この劇のクライマックス、最後に鷹宮と勇者を“入れ替わる”のだ。

このことは恒一と澪さんと、桐生先生しか知らない。

アドリブで途中参加して物語を進めることになる。

恒一と澪さんが舞台上にいるからまだいいものの、陰キャとして過ごしてきた僕が、勇者だなんて……アドリブ参戦だなんて……舞台上で立つなんて……!


「……なんか不安になってきた……」


蕾はみるみるげっそりしていく。


「何言ってるんだよ。これは俺たちが果たさなければいけないことだろう!」


「そうだよ! 3人で、ね!」

そう、これは僕たちが決着をつける舞台だ。


ーーパァン


舞台に戻ろうとしていた恒一と澪は、その音にびっくりして振り向く。

蕾が頬を叩く音だった。


「……大丈夫! 僕も覚悟決めたよ」


恒一はニコッと笑って拳を前に出す。


「似合ってるぞ、ヒーロー」


僕の着ている勇者の赤いマントが、吹き通った風になびかれる。


「……うん!」


僕たちはグータッチを交わした。

これから、始まるんだ。そう実感させられた。


観客席に、大量の人が流れ込む。

少し経って、人の動きが治まってくると、照明が暗くなる。

そして、最初のナレーションが始まり、この物語最後の幕を開けた。


第十一章 創世の黎明にあらんことを


舞台上では、鷹宮役の勇者が仲間たちとともに冒険を演じる。

恒一の僧侶役、澪の魔法使い役も、緊張で背筋を伸ばしている。


「我は、勇者ハヌル! この国の存亡は我の手にかかっている!

 誰か、共にに秘宝を手に入れ、この国に持ち帰ろうではないか。

 行くものはいないか?」


鷹宮が悠悠と役を演じる。

さすが鷹宮、役を“演じる”のが上手い。


「私が行きましょう。

 私は、この国の僧侶をしております、ラルトと申します」


「おお! 僧侶か! よし、共に進もう!」


恒一演じるラルトが名乗り出て、ハヌルとラルトは冒険に出る。

二人の勇者は、森や洞窟、荒野を進むかのように舞台上を駆け回る。

観客からは拍手や笑い声が漏れる。

小道具の剣や杖、魔法の光を模したライトやスモークが、冒険の世界を鮮やかに彩る。

舞台の光が淡く揺れる中、勇者ハヌルと僧侶ラルトは、長い旅路を経て、ついに秘宝の在処とされる神殿の前にたどり着いた。

床には古びた石板、壁には無数の紋章が刻まれている。

舞台の中央には、低い台座の上に「秘宝」とされる小箱が置かれていた。

しかし、そこに立ちはだかっていたのは、澪演じる魔法使い、ラマンダだった。


「あら? こんなとこまで足を運ぶおバカさんもいるものね。

 あなたたちには、私の実験台になってもらおうかしら?」


澪の声は、演技とは思えぬほど艶っぽい声で、魔法使いらしい杖を高く掲げる。

ライトが彼女の紫の衣装を照らし、観客の目を釘付けにする。


「ふん、貴様一人で防げると思っているのか!」


勇者ハヌルは、大きく剣を構える。

ラルトも僧侶として後ろから支えるように一歩前に出た。

舞台上では、二対一の戦いが繰り広げられる。

ハヌルの剣をラマンダが魔法で防ぎ、ラルトの僧侶術も魔法に跳ね返される。

光の演出と音響が迫力を増し、観客は息を呑む。


「この秘宝、誰にも渡さないわ!」


ラマンダは舞台の端から魔法の攻撃を放つ。

華やかな演出用のライトと煙で、まるで本当に魔法が飛んでいるかのように見える。

ハヌルとラルトはその攻撃をかいくぐり、少しずつ秘宝の台座に近づく。


「もう少しだ、ラルト!」


勇者ハヌルの声。

ラルトは軽くうなずき、最後の一歩を踏み出す。

しかし、そこに立ちはだかるラマンダーー。

観客席には緊張が走る。

ここが舞台のクライマックスであり、全ての伏線が交差する瞬間。

ライトは少しずつ落とされ、ラマンダの攻撃は強調され、ハヌルの剣先は秘宝に迫るが、まだ触れられない。


ーーこの瞬間、舞台裏では蕾が息をひそめ、登場のタイミングを待っていた。

観客には見えない。

しかし真の決着の一歩が、ここで始まろうとしている。


観客はまだ誰も気づかない。

蕾が舞台袖から静かに姿を現した。

赤いマントを翻し、息を整える。

ここで、彼の存在は観客には「突然のサプライズ登場」として映るわけだ。


よし、ここから僕のセリフ。

ずっと練習してきた成果を発揮させて……


ふと、暗闇の中、観客の目が光る。

数人は僕に気づいたらしい。ヒソヒソと声が募る。

それがだんだん大きくなっていく。

それに僕は恐怖を覚えた。


怖い。

あの時のあの目のように見える。僕が罪を被って、みんなから非難された、あの時のみんなの目。

蕾は赤いマントをぎゅっと握りしめる。

鼓動が耳にまで響く。

舞台のライトはまだ落ちていて、観客席の顔までは見えない。

だが、ざわめきは確かに届く。


恒一、澪さん……助けて……僕は、いつまでも弱い人間なんだ……

蕾は赤いマントを握りしめたまま、足が動かない。

心臓が破れそうに早鐘を打ち、観客のざわめきが鼓膜を圧迫する。

その時、舞台袖の暗闇で、気配を感じた。

肩にかかる温かい手の感触と、低く穏やかな声が僕の心を落ち着かせる。


「大丈夫だ、氷川。

 お前が守ったものを、みんなに認めてもらうチャンスだ。

 お前がヒーローなら、悪を倒しに行こうじゃないか」


その声は観客には届かない。

けれど、蕾にはすべてを理解できるくらいの力で伝わった。

肩の手の重みと、視線の先にある桐生先生の落ち着いた顔。


ーー自分は一人じゃない。助けてくれるみんながいる。


蕾は深く息を吸った。

肩の力を抜き、少しだけ口を開く。

声はまだ震えていたが、桐生先生の後押しが、彼の勇気の火を灯した。


「あんたの求めてるものは、ここにはないぞ!」


蕾が舞台袖からゆっくりと姿を現す。

観客の視線を受け止める。

息を整え、一歩踏み出して低く、しかし力強く言った。


大丈夫。この舞台上には恒一も澪さんもいる。

そして、敵がいる……!


観客には乱入者の決め台詞として響くが、鷹宮が演じるハヌルには鋭く突き刺さる。

ハヌルーー偽者勇者の目が一瞬で動揺する。


「こ、こんな台本あったか?!」


鷹宮とその他クラスメイトは、急な大番狂せに衝撃を隠せない。

一ヶ月ぶりの氷川 蕾の登場だ。

しかし、澪と恒一は、何事もなかったように続ける。


「あなた、何者です?」


「なんか、似たような服を着てるわね」


「それにも理由があるんだ。

 なぜならこいつは……勇者ハヌルは、国を自分のものにしようと、勇者をでっちあげ、強力な力を得られるこの 秘宝を自分だけのものにしようと考えていたんだ」


「……でたらめを言うな!」


ハヌルーー鷹宮が一歩踏み出し、声を荒げる。

鷹宮はすぐに状況を理解して、順応してきた。


「俺は選ばれし勇者だ! 国のために秘宝をーー」


「残念。何か勘違いしてるようね」


澪が、魔法使いラマンダとして冷たく言い放つ。


「この秘宝は、力を与えるものじゃない」


杖を床に打ちつけると、舞台中央の秘宝が淡く光り始めた。


「真実を映すためのものよ」


ざわ、と観客がどよめく。

照明が変わり、スクリーンが降りてくる。

秘宝の光が空中に模様を描く。

それは演出だが、同時にこれは“証拠”そのものだった。


秘宝の光が一段と強くなる。

舞台上方のスクリーンに、影絵のような映像が映し出される。

勇者を名乗る男が、影で人を蹴落とし、悪行をなすりつけ、覚悟を切り捨てる姿。

そう、あの事件の証拠映像だ。


この証拠は、桐生先生の助けによるものだ。

桐生先生は、僕の真相を聞いて、すぐに行動に出た。

校長と教頭のところに直談判に行ったのだ。


ーー校舎の奥、静まり返った校長室で、桐生は一人、頭を下げていた。

校長と教頭が、向かいの席に座っている。

机の上には、簡単な報告書と、懐中電灯。


「そう言われてもね……」


言葉を選ぶ教頭を、桐生は遮らなかった。

ただ、背筋を伸ばしたまま、最後まで聞いた。

長々と続いた話が終わると、もう一度強く伝える。


「この件の責任は、すべて私が持ちます。どうか、お許しください」


声は低く、揺れていなかった。


「生徒たちを、あの様に追い込んだのは、私の監督不届きです。

 処分が必要であれば、受けます。

 ですが、氷川はやってないはずなんです」


教頭が目を見開く。


「桐生先生、それは、もうーー」


「……いいでしょう」


校長が割って入った。

教頭が校長を、正気か……?という目で見る。


「な、何をおっしゃるんですか! 流石に警察沙汰にするのは、我々の権威が……」


「桐生先生の話が事実だった場合、警察沙汰にしたほうがいいまであります。

 それに、事実ならこの大事は隠し通せません。

 ですが……」


桐生は、校長の圧力に押され、喉が鳴る。


「もし、これが虚偽だった場合、君はこの学校に残ることはできないと思ったほうがいい」


桐生は、深く頭を下げた。


「覚悟の上です。ありがとうございます」


その表情には、緊張も恐れもあった。

だが同時に、迷いはなかった。


観客には「物語上の回想演出」。

だが、鷹宮の顔色はみるみる変わっていく。


「……やめろ」


声が震える。


「違う……! これは、ただの作り話だ!」


「違う。これはお前が隠した事実だ」


すぐに蕾が訂正する。もう嘘はつかせない。

蕾の目には、すでに、目の前の敵しか見えていなかった。

もう先ほどの恐怖はなかった。


「これは、あんたが隠してきたことだ。

 強くなるために、人を利用して、都合が悪くなったら切り捨ててきた」


続けてラルト役として恒一も淡々と応える。


「この通り、証拠はあります。

神はどちらを信じるんでしょうね。

誰かのために戦った人間と、自分のためだけに戦った人間の違いを、神は知っているでしょう」 


わなわなと震えていた鷹宮ーーもとい偽物勇者ハヌルが、急に立ち上がり、澪目掛けて走っていく。

鷹宮が、澪に殴りかかろうとしたその時、危険をいち早く察知した蕾が止めた。


「……お前、ほんっとにウザいな。

 もう終わったことだろ?

 お前以外のやつもちゃんと学校来てんじゃん。

 それに俺は約束を守ったはずだぜ?」


全体重を僕にかけてくる。


「お前、足震えてんじゃん。

 まだ俺がトラウマか? もう一度殴ってみろよ。

 次はみんなの前でさぁ!」


ーー許されると思うなよ。


「はっ! 武者震いだよ。

 やっと決着つけられるんだから……な!」


勢いをつけて押し返す。

反動で後ろに倒れそうになるが、澪が蕾を支える。

同じく吹っ飛んだ鷹宮はすぐに臨戦体制に入る。

その時、恒一が演じるラルトが声を張る。

「勇者が今、本性を表しました。私たちはどうすれば良いのでしょうか!」


まるで、誰かに語りかける様に言葉をステージ外に向かって振り撒く。

すると、応えるものがいた。


「倒せー!」

「やっちゃえ!」

「制裁を与えてくれー!」

「頑張れ!」


観客の声援だ。

恒一はニヤッと笑う。


「あぁ、神のお伝え、感謝いたします」


恒一は、まっすぐ蕾へ向き直す。


「真の勇者様! どうか、偽物勇者への断罪の鉄拳をお与えください!」


恒一合図を受けて、蕾は一歩、また一歩と近づく。

赤いマントが揺れる。


「あんたは、皆に嘘をつき、騙し、悪の所業を幾度となく行なった」


恒一の、澪さんの、桐生先生の、思いを胸に。


「そして、僕の仲間を傷つけたことを、絶対に許さない!」


ドンッ、と踏み込んで構えた。

会場の空気と威圧に押された鷹宮は後退りするしか無かった。


「お、お前ぇ……お前はぁ……!」


何か言いたそうだ。利用してやろう。


「そう僕が、真の勇者ゼロ! ヒーローだ!」


その名が告げられた瞬間、照明が蕾を照らす。

観客席から、息を呑む音が漏れる。


勇者ゼローーもとい氷川 蕾は生まれ変わった。

誰かのために、自分のために、これから先もたくさん悩むのだろう。

しかし、心配することはない。


ーー蕾はきっと大丈夫だ


「……だまれぇぇぇえ!」


鷹宮がアルミ製の剣を抜く。

観客には、クライマックスの対決。

蕾にとっては決別の時。

鷹宮が飛び出す。

蕾は構える。


「蕾……!」

「相棒……!」


恒一と澪は、小さく名前を呟く。

まさに今、接敵しようとしたその時。


「!?」


照明が落ちた。

視界が真っ暗になる。

澪と恒一は、驚いたがすぐに理解した。

誰かの意図だ、と。


ここは公共の場だ。

生徒も子供も大人も見ている。

この瞬間を見せては、よくないだろう。


桐生先生の仕業だった。

決着後の氷川への批判や、暴行行為として判断されないようにとした、教師としての行動だ。


しかし、2人は止まることはない。

視界に突如広がった闇の中から、鷹宮の顔が見えてくる。

暗闇によって、鷹宮の圧力が増幅されている。

あの日と同じ目。人を見下し、支配しようとする目。トラウマが蘇る。気圧される。

一歩、また一歩、距離が縮まる。

蕾も迎え撃つ。


ーーここだ!


次の瞬間。

ドンッ、と鈍い音がした後に、金属音が響いた。

そして何かが崩れ落ちる気配。

それ以上の音は、なかった。

観客には、何も見えない。

恒一や澪、桐生先生も含めて、誰1人として何が起きたのかを理解できていない。

数秒の沈黙の後、桐生先生は照明を戻す。

そこにいたのは、床に座り込み、うつむいたままの偽物勇者ハヌルだった。

剣は手放され、もう握る気力すら残っていない。

赤いマントの勇者は、彼の前に立っている。何かが消えていくのを、別れ惜しむように、その場に立ち尽くした。


しかし、この場は劇中。

いち早く気づいた恒一は、壮大なBGMと共に、この物語のエピローグに入る。


「……この戦いは無事解決したが、ゼロは皆に、勇者を殺めた偽物勇者と批判されてしまう。

 しかし、ゼロは、それに何も意を返さず、この国を出たのでした。」


澪も後に続いた。


「しかし、勘違いしてはいけません。

 真の勇者ゼロは、前に進み続けているのです。

 ゼロの選択した道は、決して間違ってなどないのです」


蕾は、舞台袖へゆっくり歩き出す。

舞台袖にある高い岩を模した台座に上がる。

そして、この復讐劇ーー勇者と偽物勇者の物語最後のセリフを力強く、告げた。


「創世の黎明にあらんことをーー」


第十二章 カーテンコールに残った希望


壮大な音楽と共にカーテンが閉じていく。

カーテンが閉じきった瞬間。

一拍の静寂のあと、体育館を揺らすほどの拍手が巻き起こった。

最初は戸惑いが混じった音だった。

だが、次第にそれは熱を帯び、歓声へと変わっていく。


「すごかったね……」

「鳥肌立った」

「演技が迫真だったよな! 文化祭一発目にこのレベルかよ!」


拍手は、止まらない。

その歓声と拍手が蕾にも届く。

舞台袖で赤いマントを脱ぎかけた蕾は、しばらく動けずに立ち尽くしていた。

足が、まだ少し震えている。


「よくやったな」


恒一が蕾の背中を軽く叩いた。

澪は、ぴょんと蕾の横につき、蕾を覗き込む。


「怖かった?」


澪の問いに、蕾は一瞬だけ考えてから、正直に答える。

「……うん。でも……」


顔を上げる。

恒一と澪の顔が見えて、安心して泣きそうになるのを堪える。


「1人じゃないって教えてくれたから」


その言葉に、恒一は小さく笑った。

その時、桐生が近づいてくる。

拍手の中でも、はっきり分かるほど、穏やかな足取りだった。


「よく、やりきったな」


それだけ言って、頭を撫でてくれた。

桐生先生のおかげでここまで来れた。


「本当にありがとうございました……」


やがて、再びカーテンが開く。

出演者全員が、横一列に並ぶ。

鷹宮は、その中にはいなかった。

横の人と手を繋ぎ、全員で深くお辞儀をする。

再び拍手喝采が巻き起こる。

それは勇者ゼロへの拍手でもあり、同時に、氷川 蕾への拍手でもあった。


その日、東城高校文化祭のプログラム一番は、長く語られる演劇となった。


カーテンコールの拍手が、体育館の中で渦を巻いている頃。

鷹宮は、一人、裏口から外へ出ていた。

体育館裏のコンクリートの壁に背中を預け、その場に崩れるように座り込む。


「……くそっ」


吐き捨てるような声だった。


「なんで、こんな目に……」


言葉は続かなかった。

言い訳も、怒鳴り声も、喉の奥で引っかかって消える。

肩を動かそうとした瞬間、じん、と鈍い痛みが走った。


「っ……」


歯を食いしばる。

腕、腹、背中、もしくは、心。

どこが、というより、全部が痛い。

しばらくして、力なく息を吐く。


「……痛いな」


思わず、そう呟いていた。

誰に聞かせるでもない声。怒りも、虚勢も、そこにはなかった。

でも確かに、痛みはあった。

そしてそれは、彼が初めて、自分が何をしたのかを、否定も誤魔化しもできずに突きつけられた証だった。

鷹宮は、何も言わず、ただその場で、うつむき続けた。


体育館の片付けが、ほぼ終わった頃。

照明は落とされ、舞台袖には、使い終えた小道具と、静かな疲労だけが残っていた。

その中で、蕾は一歩、前に出る。

クラスメイトたちは、最初、近づく蕾に気づかなかった。

誰もが、数時間前の劇の余韻をどう扱えばいいのか、分からずにいたからだ。


「……あの」


蕾の声に、何人かが顔を上げる。

一瞬、空気が張りつめる。

責められるかもしれない。怒鳴られるかもしれない。

その覚悟はあった。

蕾は、深く頭を下げた。

恒一と澪さんも同じく頭を下げた。


「ごめんなさい。劇をめちゃくちゃにして……」


短くて、飾り気のない言葉だった。


「みんなで作ってきた劇なのに、僕の都合で、僕の感情で……勝手に壊した」


顔を上げる。

視線は、逃げなかった。


「劇を続けさせてくれてありがとうございました」


それだけ言うと、くるりと振り返り、そのまま体育館を後にしようとする。

僕は、ここにいることを望まれてない。

そう思ったからだ。

しばらく、誰も口を開かなかった。

その沈黙を破ったのは、照明係のクラスメイトだった。


「……正直さ」


肩をすくめる。


「びっくりはしたけどさ、めっちゃいい劇になったと思うんだけど」


別の誰かが、小さく笑う。


「まぁ、台本通りじゃなかったけど、普通よりはマシだったと思う」

「むしろ、忘れられない劇になったよね!」


少しずつ、空気が緩んでいく。


「……ありがとう。それでも……勝手だったことは、謝りたい」


「じゃあさ」


誰かが言った。


「次、何かやるときは、ちゃんと最初から本気でやればいいんじゃない?」

「うんうんそうだよ! あ、まず学校ちゃんと来てね」


蕾は、みんなの優しさに触れて、涙が止められなかった。


「うん……! その時は、ちゃんと、仲間としてやりたい」


その言葉に、誰も反対しなかった。

後ろで見ていた恒一も泣いている。

それを見た澪が自分も泣いていることを隠さずに、恒一をからかった。


「相棒の涙に感極まっちゃったの? お父さんみたい」


「あぁ、相棒は、蕾は、俺たちの家族だ」


澪も嬉しそうに泣き笑う。

そして3人はお互いを向き直す。

信じている、と伝えんとする眼差しが、3人を笑わせる。3人の笑顔は、夏の輝きにぴったりなほど、今までで1番輝いていた。

恒一が拳を前に突き出す。


「あ! 私もそれしたかったんだよね!」


すぐに嬉しそうに拳を重ねる。

そして蕾も拳を合わせる。

まだ2人に返してなかった言葉を伝える。


「友達になってくれてありがとう!」


舞台の裏には、まだ小さな箱が残っていた。それは、文化祭で使った“真実を映す秘宝”の小箱。

ほんのり温かく、かすかな光を放っているようだった。

その秘宝に3人が反射して映る。

キラキラ輝く光が、蕾たちの真実の友情を祝福しているようだった。


エピローグ


もう氷川 蕾を、陰キャと思うものはいない。

この物語の主人公として、劇の主役として、大切な人を守るヒーローとして。

悩み、落ち込み、絶望し……、覚悟を持ち、鼓舞し鼓舞され、また、進む。

もう彼にはそれができるのだ。

劇は終わった。物語も終わった。

でも、ここから先も、誰かと一緒に、続いていくのだろう。

もう、勇者としてではなく、みんなと平等な助け合える、ただの一人の人間として。

それでも確かに、前へ。

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― 新着の感想 ―
小説、初心者です。 とても読みやすく面白かったです。次回作楽しみにしています。頑張ってください^_^
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