策はある(ない)
夏の空に広がっていく雷雨を呼ぶ雨雲のように大樹は枝を伸ばし葉を広げる。
何十倍にも加速した動画を見ているような異様な成長速度だ。
そしてこの異界の世界樹の成長速度はそのまま樹を中心として周囲が樹海化していく速度でもある。
「あーぁ、ッたく走り辛ェったらありゃしねえぜ」
大樹に近づけば近づくほど地上に走れるような空間はなくなっていく。
高速で樹海の木々の上を跳びながら移動している白いロングコート姿……リュアンサが愚痴をこぼす。
そんな彼女を追うようにして枝を蹴って跳躍するアムリタも沈痛な表情だ。
(おかしい……どうしてこんなに浸食が早いの? 世界の抵抗力が上手く働いていないみたい)
大樹の成長が、樹海の浸食がこれ程に早いのは大樹の核になっているものが教授の子である胎児……即ち「こちら側」の存在だからだ。
それ故にそこから成長した大樹はこちら側とあちら側の二つの世界の存在の特性を併せ持つハイブリッド。
だからこちらの世界に馴染んで一体化するスピードが早いのだ。
「よォっしゃあ着いたぜェ! 早速伐採といこうかッ!!」
樹海を抜けると目の前には巨大な根が波打つような形状で地面から覗いていた。
根の盛り上がり一つ一つが小高い丘のようだ。
足元はそんな状態で幹まではまだ距離がある。
「いやァ……こりゃスゲーな。いや、ヒデーなっつーべきかァ?」
思わずその場で足を止めて目の前の光景に顔をしかめたリュアンサ。
火倶楽でも最大級のビルをそっくり乗っ取って置き換えた大樹の巨大さは想像を絶するものであった。
とにかくデカい。……それに尽きる。
この位置からでは幹は巨壁にしか見えない。
見上げても上がどこまであるのか視認するのは不可能だ。
「チッ、ボヤいててもしょうがねェ。やるぜアムリタ……!!」
「ええ。いきましょう!!!」
二人の魔女が同時に魔術の行使の態勢に入る。
両手を前方へ掲げて意識を集中させ魔力を放出する。
大樹の幹を何重もの輝く魔法陣が囲む。
浄化封印の魔法陣だ。
これで大樹のこの世界では受け入れられない異界の特性を弱化させて封印を試みる。
(……ぐッッ!!!)
封印術に取り掛かってすぐにリュアンサの全身には物凄い負荷が掛かった。
(なんて抵抗力だッッ!! 半端じゃねェぞッッ!!!!)
全身が軋む。目から火花が散るようだ。
内臓をミキサーにかけられて脳を万力で潰されているかのような激痛が全身を駆け巡る。
「こりゃァ……アタシらだけじゃ無理かもしんねェな……」
思わず……弱音が零れてしまった。
眼前の巨木の質量はそのまま絶望感となってこっちの精神に圧し掛かってくる。
「大丈夫」
しかし、隣のアムリタは穏やかにそういうのだ。
自分と同じ今にも意識を失いかねない苦痛の中にいるはずの彼女が。
自分と同じく口の端から吐いた血を零している彼女が。
「大丈夫よ、リュアンサ」
強がりや根拠のない願望を告げている声ではない。
アムリタ・アトカーシアは信じているのだ。
「私たちは二人だけではないわ」
彼女のその言葉に応じるかのように木々を薙ぎ倒して大樹の根元に何台もの厳つい黒い装甲車が集まってくる。
統治局環境保全課の車両だ。
指揮を執っているのは当然……。
「浄化作業に入るわよ。……対象が巨大であろうと作業の手順はいつもと一緒」
環境保全課課長、織原キョウコ。
彼女は車両から降り立つと周囲の部下たちを粛々と浄化作業に取り掛からせる。
「応援が来たってんじゃァ、カッコ悪ィとこは見せらんねェなァ……」
苦笑するリュアンサにアムリタが優しく微笑みかけた。
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幾度となく虚空を奔る真紅の雷。
絶望が何度も視界を赤く染め上げる。
魔人王が纏った赤い魔力と彼に挑んだ二人が流す血の赤と……。
二つの赤色の混じり合う、ここは地獄だ。
「こんなものか。先ほどの威勢の良さはなんだ? あまりガッカリさせるな」
枷が外されたかのように本領を発揮した魔人ゼクウの強さは地下の時とはまったく別物だった。
ユカリとシズク……二人の超人が全力で攻めかかっているというのに。
……時間の経過と共に傷を増やしていくのは彼女たちばかりだ。
「この程度でもう音を上げるのであれば過去の妄執が世界を吞み込んでしまうぞ」
「……………」
乱れた呼吸を必死に鎮めているシズク。
足元の草原には今も彼女の流し続ける血が滴っている。
強い……これ程までとは。
自分の攻撃が、ユカリの攻撃が悉く捌かれている。
何をやろうが無駄だ。
この男には通用しないという絶望感が冷たい痺れのように胸の内に広がっていくのを感じる。
「さあ続きだ。かかってくるがいい。俺がゼクウだ……お前たちの旅路の終着点だ」
眼前の二人の剣士をねめつけて冷たく笑う軍服の男。
「右の……鎖骨の辺り」
「……!!」
不意にユカリが何か言った。
呟くような声量で。
口の端を汚した血を手の甲で拭いながら。
「それから左肩と左の脇腹。……後は脛かな。右の脛」
「……………」
ユカリの言葉を黙って聞いているゼクウ。
いつの間にか彼の口元から嘲笑が消えている。
「随分とあっちこっちに古傷をお持ちのようじゃない、大権現サマ」
不敵に笑ったユカリ。
驚いたのはシズクだ。
古傷?
そんなものに自分はまったく気付けなかった。
自分では気付けないレベルでゼクウは今ユカリが言った個所を庇うように動いていたという事なのか。
「よく気が付いたな」
またしてもゼクウはユカリの言葉を否定しなかった。
「今お前が言った個所にはいずれも過去の猛者たちが命懸けで俺に刻んだ傷の名残がある。身体的には完全に癒えているはずの傷だが時折思い出したかのように痛みが走ることがある」
そして……目を閉じたゼクウがフッと笑った。
「大した洞察力だ。……だが、お前が必死に見抜いた俺の古傷は俺とお前たちとの絶望的な実力差を埋めるには余りにも些細な情報だな」
「それはどうでしょーね」
剣を構えるユカリ。
それに続いてシズクも刀を構える。
「そこに気が付いたんならもっともっと重要な情報にもユカリさんは気が付いてしまうかも……?」
「それほど沢山の弱点を抱えたつもりはない」
そして静寂。
張り詰めた空気の中の極限の静けさ。
……三人の世界から周囲の雑音が消える。
「何か……策があるんだな、ユカリっ!!」
「もち!! 任しといてよね……必勝のやつがあるから!!」
並んでそれぞれの武器を構えるユカリとシズク。
二人は声を掛け合っている。
実際もう、そうでもしていなければ身体より先に心が音を上げてしまいそうだ。
今自分たちはどう考えても必要レベルに達していない状態でラスボスを前にしているのだから。
「名付けて『とにかく全力でアイツをブン殴ろう作戦』!!!」
「それは……」
二人が同時に地を蹴った。
一瞬にして風を置き去りにして疾駆する。
「何にもないって言ってんのと一緒だッッ!!!!」
「そうじゃないんだってば……でもその辺の細かい解説は……」
猛然と襲い掛かる二人をサーベルを抜いたゼクウが迎え撃つ。
三者の相貌がギラリと剣呑な光を放った。
「コイツを倒しちゃってからね!!!!」
何十もの剣戟が重なり一つの音になって周囲に轟いた。
ぶつかりあった刃が生み出す衝撃波が周囲に波紋のように広がる。
「………!」
今の一瞬の攻防だけでもうゼクウはそれを理解していた。
……二人が強くなっている。
数分前よりも。
攻撃の速度と威力が上がり、狙いもより精密に……。
数年間の厳しい修練と実践を経てきた後のように。
猛攻が続く。
先刻まで余裕で捌き切っていたはずの二人の攻撃の圧は間違いなく増している。
「…………」
……今、自分は押されていないか?
自問するゼクウ。
防戦になってはいないか。
攻め手の二人の勢いが自分有利だったはずの戦況をじわじわと覆していないか。
今、この瞬間にも。
目の前の二人の敵が成長している。
それは紛れもない事実。
だが……。
感傷だ……これも。
思わずゼクウが口の端に苦笑を浮かべる。
自分と互角に戦える敵が欲しい、と。
何度願ってきた事だろう。
新たな挑戦者を迎えるたびに胸を踊らせその都度失望してきたはずだ。
少しずつだが確実に強者の階段を上ってきているユカリとシズク。
だがそれでも自分は未だ遥かな高みにあって。
僅かながらに相手有利に傾きかけている現在の戦況も、もう一人の冷めた視点の自分が俯瞰している。
さてもう幕を引いてもいいだろう。
名残惜しい気もするが……これも戦場のことだ。
奥義を放つまでもあるまい。
「……終わりだ。無残に散れ、お前たち」
とどめの一刀を繰り出そうとするゼクウ。
しかし彼は気が付いていない。
その一撃を誘っていたのはユカリで……。
体の複数個所に鈍痛を感じたゼクウの動きがほんの一瞬固まる。
(……右の鎖骨と、左の脇腹……!)
先刻のユカリの言葉を思い出しながら驚愕するゼクウ。
いくらそれを把握されていると言ってもこんなに都合よくタイミングを合わせて痛みが出るはずがない。
それが本当に偶然なのだとしたらだ。
「ほぉら~……言わんこっちゃなぁーいッッ!!」
……だが、すべて計算のうちなのだとしたら。
痛みが発生するはずの姿勢と挙動をを誘発させられていたのだとしたら。
この0,1秒が彼女が狙っていた隙だったとしたら。
ユカリの『雷霆』とシズクの『流れ星』……。
二つの必殺剣がゼクウに炸裂する。
胸板を十字に切り裂かれた魔人王が激しく出血しながら崩れ落ちる。
全てを振り絞った二人の限界を超えた奥義をまともに食らって倒れる。
……終わりだ。
勝った。
……のか?
止めを刺してしまいたいが二人とも全身で荒い息を吐いていて追撃に移るだけの体力も残ってはいない。
「……いやいやいやいやいや、待って、待ってってば……ウソでしょ?」
真っ青な顔をしたユカリが絶望的な表情で呻いた。
悪夢が展開されている。
「これでは……」
目の前で……ゼクウが立ち上がってくる。
未だ胸板から激しく出血したままで、足元に血溜まりを作りながらも。
「お前たちは俺の古傷になるのは無理そうだな」
厳かに冷たく言い放つと軍服の男は吹き飛んでいた軍帽を拾い上げて再び頭に被るのであった。




