黒い流れ星
亡霊軍馬は地面から僅かに浮いている。
だというのに疾駆すれば蹄の音を響かせる。
怒涛の突進からの白鳥の騎士の猛攻。
雨霰の如く降り注ぐ斬、突、薙……それを冷静かつ的確に受け流すシズク。
だが一太刀ごとに攻撃の鋭さと速度は増していく。
僅かに、少しずつではあるが……彼女は押され始めていた。
(隠していた実力を出しているというわけでもなさそうだ)
何かに駆り立てられるかのように白銀の騎士の攻撃は常に全力だ。
この相手は最初から一切出し惜しみなどしていない。
だというのにじわじわと相手の攻撃の精度と威力が上がっているのは……。
(こいつ……今まさに成長している最中、って事か)
理屈ではそういう事になるのだがシズクの感情的な部分が理解を拒んでいる。
……ありえない。
素人ならまだしもこのレベルに完成されている戦士がこの短時間ではっきり感じ取れるレベルで成長する事など不可能なはずだ。
そして、その不可解な成長ぶりは当人もはっきりと体感していた。
(身体が……軽いッ! 剣が肉体の一部と化したようだ!! 見える見える、感じ取れる!! 奴がどう動こうとしているのかが先んじて見えているッッ!!!)
兜の内で狂悦に目を輝かせているスワン。
白鳥の騎士……フリードリヒ・ヴェルチ・フォルバレンは元は某国の騎士団長を務めていた男だ。
勇敢で誠実で心優しく誰からも敬われ慕われていた騎士であった。
だが、ある時フリードリヒは病に侵されてしまった。
超人のみがかかる奇病『黒灰血病』……治療法は存在せず罹患してしまえば死は避けられない病だ。
ゆるやかに蝕まれていく身体。
超人であれば本来遠いはずの死は突然に目の前に突き付けられた。
病の事を知った家族や友人たち、そして部下たちは皆涙を流して悲しんだ。
だがフリードリヒは穏やかに己の運命を受け入れる。
自分は満たされていた。今現在幸福のさ中にある。
残していくものに心残りがないではないが、自分にとっては死も恐れるものではない。
……そう思っていた。
少しずつであるが病は進行し身体は弱っていく。
そうなると普段は考えないように意識の底に蓋をしてしまっていたあることが不意に思い起こされてチクチクと胸を刺すのだ。
……それは剣だ。
剣の道だ。
いつの間にか地位を得て妻や友人たちを得てその事に思いを馳せる時間は減ってしまったが……自分は本当は剣に生きる者であったはずだ。
「まだ……ッ! まだ私は剣の道を歩み切れてはいない……。このままでは死ねないッッ!! せめて事切れるその瞬間まで私は剣を振るうものでありたい!!!!」
時が経つごとにその思いは自分の内に満ちていき……そしてある時とうとうフリードリヒは全てを捨てて剣だけを手に旅立った。
誰にも何も告げずに、妻も地位も何もかもを捨てて姿を消したのだ。
もう自分には時間がない。
剣の道を究めるために宿敵が必要だ。
その為に自分は……世界の敵とならなければならない。
人の世に害を為す悪鬼と成り果てて討伐者たちを迎え撃つ。
(私の……願いは叶った)
もう……他の何の音も聞こえない。
ただ剣戟だけが耳の奥に響いている。
もう他の何も見えない。
目の前には黒髪の剣士。
自分が全てを賭して追い求めた生涯で最強の宿敵。
一撃ごとに自分が高みに至っているのがわかる。
遥かな剣の道の……その果てを目指して前へと進む。
世界はただ白く静かだ。
純白の何もない世界に自分と相手だけがいる。
できれば永遠に続いて欲しい時間だがそうもいかない。
強さの均衡が破れた時点でどちらかが斃れ決着がつく事だろう。
その均衡を断つ一撃が……。
これだ。
白鳥の騎士の剣閃が消えた。
見えまい……感じ取れまい。
森羅万象の認識を置き去りにするかの如く、その閃光は究極の無我の一撃となり虚空を穿つ。
その剣撃を放ちながら兜の内でスワンは涙を流している。
終に……終に至った。
「果て」を見た。
この斬撃こそが自分が生涯を掛けて追い求めていたものだ。
「凄いなお前は……空に至ったのか」
1秒間の、その十分の一の……そのまた十分の一にも満たないはずのほんの刹那の瞬間に……。
スワンはシズクのその声を聞いていた。
「俺にはムリだ。俗物だからな……捨てていけないものが多すぎる」
自分の純白の一閃を……黒い光が薙いで塗り潰す。
至天の輝きを、誰も届かぬはずの高みにあった究極の一撃を……。
黒い流れ星が押し流してしまった。
「……オォ……ッ」
馬上で仰け反るスワン。
斜め上に伸ばされた手から長剣が零れ落ちる。
胸部の分厚い装甲が斜めに切り裂かれている。
ほんの一瞬前まで恍惚としていた。
自身が至った剣の高みに幸福感で満たされていたのに……。
刹那の間に更新されてしまった。
自分が何もかもを捨ててようやく辿り着けた一撃を、何一つ捨てることなく全てを抱えたままのシズクが超えていった。
手を伸ばす。
シズクへ向かって。
しかし届かない。
夜空の星には人の手は届かない。
羨ましい。妬ましい。
だけどこの上もなく幸福だ。
最も尊いものを自らが生み出したと思った次の瞬間に、更にその上をいく尊いものを見る事ができた。
スワンは泣いていた。
そして嫉妬と幸福感でぐちゃぐちゃな感情のままで白銀の鎧の騎士は永遠に沈黙し……その意識は果てのない深遠へと沈んでいった。
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耐える者ダークネスウィングとスレた中年三好ショウセイの死闘が続いている。
「グハハハハッッッ!! どうしたぁッッ!! もっとだ……もっと撃ってこいッッ!!!」
交渉して両手で手招きしている黒い覆面の巨漢。
対するショウセイは顔付きに疲労の色が滲んでいる。
既にどれほどの攻撃を相手に叩き込んだか……。
戦闘中に疲労を感じさせられることなどこれまでほとんどなかった。
常識を遥かに超えるタフネス。
既にこの戦闘だけで放った斬撃の数がこれまでの人生で戦場で出会った敵に向けて放った全攻撃数を上回ってしまったのではないかとすら思う。
そしてこの男はただひたすらに耐えているだけというわけではないのだ。
「来ないというのなら我輩から行くぞッッッ!!!!」
突進からのラリアート。
唸りを上げて迫る太い腕を回避するショウセイ。
これもまともに食らえばただでは済むまい。
何もない空間がごっそり抉り取られていくかのような錯覚を覚える一撃だ。
ダークネスウィングの異能は我慢できさえすれば永遠に持ち堪えることができるのだ。
そしてショウセイの体力は無尽蔵というわけではない。
このままではいつかウィングの攻撃を疲労で受け損なって倒されてしまう。
「プロレスなんてもんは所詮、戦闘の紛いモンだと思ってたがよ~……」
ハァーっと憂鬱そうに大きく息を吐いてショウセイが後頭部を乱暴に掻く。
「こりゃ~ちっと認識を改めなきゃなんねえな~。大したモンだぜオメーはよ~」
「当然だッッ!!! プロレスとは究極の娯楽にして格闘技……熱い魂のぶつかり合いだ!!!」
両腕を振り上げてダークネスウィングが咆哮する。
「これが終わったら今度ヒマみっけて観にいってみるぜ~」
「グハハハッ!! 残念だがそれは叶わんな!! お前はここで我輩に倒されるしこの下らん世界は終わるからだ!!!」
勝ち誇って哄笑する覆面の男の前でショウセイが構えを取る。
最初から抜刀している。居合いをメインで使う彼にしては珍しい構え方だ。
抜き身の刃を胸の高さ……地面と水平に持って切っ先を相手に向ける。
「新たな技を見せるかッッ!! 無駄な事だ!! どんな技であろうが全て耐え切ってやる!!!」
ダークネスウィングが拳で自らの分厚い胸板をバァンと打った。
「実んトコよ~……お前のその頑丈さの仕組みに付いては想像できてたよ~」
「……………」
ショウセイの言葉にダークネスウィングが口を閉じて笑みを消す。
「何とか真正面からブチ破ってやるつもりだったがよ~。どうやらそれは無理っぽいな~……そこだけは負けを認めてやるよ~」
相手に向けて突き付けている刀の切っ先をスッと横に動かすショウセイ。
「フンッ! 真正面だろうが横からだろうが後ろからだろうが吾輩を倒す事などできはしないぞッ!! 吾輩はこの古く汚れきった世界を断罪するもの!! 今の時代が終焉を迎えるまでは絶対に……」
口上の途中でくるりと振り返って自分に後姿を見せるショウセイにダークネスウィングは怪訝そうな顔をした。
「おいどこへ行く気だ!! 逃げるのかッッ!!??」
「……あ~? 何言ってやがんだ。もう終わったよ~」
ショウセイが去っていく。
遠ざかりながらポケットから取り出した煙草を咥えてライターで火を付ける口髭の男。
……終わった?
何がだ?
覆面レスラーは呆気に取られてしまっている。
「楽しかったぜ~。あばよ~」
振り返らずに肩越しにひらひらと手を振るショウセイ。
「………………」
ダークネスウィングがゆっくりと視線を下に落としていく。
胸板が……自分の筋肉に覆われた分厚い胸板が真横に切り裂かれている。
既に流れ出た大量の血が流れ出てしまっていた。足元には大きな血溜まりができている。
「なんだこれは……?」
茫然と呟く覆面の巨漢。
いつ斬られた? こんなにも深く大きく……。
いやそんな事はどうでもいい!!
傷は心臓に届いてしまっている!! 異能を発動して傷を塞がなくては……!!
「がはぁぁッッッ!!! 発動しないッッ!!! 痛みがないッッ!!!??」
大量の血を吐きながら絶望の叫び声を上げるダークネスウィング。
この負傷、一切の苦痛がないのだ。
痛みが無ければ我慢ができない。
我慢しなければ……耐えなければ『忍耐』の異能は発動しない。
(……マリー……オレの、むす、め)
最後に虚空に最愛の娘の面影を幻影に見ながらダークネスウィングは自らの作った血溜まりの中に両膝を屈し、ゆっくりと前に倒れて動かなくなる。
その気配を背後に感じつつ、去り行くショウセイは振り返らない。
……その武技の名は『細波』
静かに、そして一切の苦痛を与える事無く相手の命を断つ彼の持つ中でもっとも慈悲深く容赦のない斬撃である。




