惨事のあなた
……殺せる。
まただ。今も殺せた。
ルクシエルはユカリを見ている。
仕事中も、そうではない日常生活の中でも。
その隙を窺っている。
……しかしだ。
(何なのよ! 隙だらけじゃない!)
あまりのユカリの無防備さには怒りすら覚える。
初めて自分が店にやってきた日からずっとこんな様子なのだ。
初日からルクシエルはユカリを注意深く観察しており、今仕掛ければ暗殺できたと思った数をカウントしていたのだが、二十を超えたあたりで虚しくなってやめた。
西方ウィンザリア聖王国からやってきた聖騎士ルクシエル・ヴェルデライヒ。
彼女は聖王国の頂点にいる権力者たち最高評議会の命を受けてユカリを暗殺するためにやってきた刺客だ。
(私が来る必要あったの……?)
やろうと思えばいつでもやれるという現状はルクシエルに色々と考える余裕を与えてしまっていた。
これは本人としてはあまり喜ばしいことではない。
余計なことをつい考えてしまう。
敵は最強のヴェーダー帝国の黒騎士……だった女。
だからこそ聖王国の最精鋭である聖騎士の自分がこの任務に就いたというのに……。
これだけ警戒心がゆるゆるでは駆け出しの見習いでも暗殺できてしまいそうだ。
そして、何よりも……。
(殺すほどの相手ではない、よね)
現在のユカリは単なる一人の古道具屋の店主でしかない。
それを擬態として何かをしているという様子でもなさそうだ。
彼女が現在の仕事をどれほど愛着と情熱をもってやっているのかは一緒に過ごしてきたこの一か月ほどでよくわかった。
(帝国とももう接触してないみたいだし……大体が聖王国とも今は敵対しているわけじゃないんだしさ)
そこでルクシエルはハッとなる。
「……っ」
乱暴に髪の毛を手櫛で後ろに向かって梳き流す。
……ダメだ。
気が付けばユカリを「殺さない理由」を考えてしまっている。
自分で自分に言い訳をしようとしている。
ふーっと荒く息を吐いて渋い顔になるルクシエル。
その時だ。
「ぎゃぁぁぁ~~~~~ッッッ!!!」
……突如として耳に飛び込んできた汚い悲鳴に彼女は強制的に意識を現実へと引き戻される。
何だ今の10tトラックに轢かれた野ブタのような声は。
周囲を見回してみると自分と一緒に店番をしていたはずのユカリの姿がない。
悲鳴は……キッチンの方から聞こえた。
時刻はちょうどお昼時。
さては目を離した隙に昼食の準備をしに行って何事かやらかしたか。
「た、た、たすけッ……助けてルク~~ッッ!! すぐに来でぇ~~~ッッ!!!」
「あぁッ! もう! 今度は何よ!!」
勢いよく立ち上がってキッチンに向かうルクシエル。
……………。
……真昼の惨劇。
赤い世界であった。
キッチンに足を踏み入れたルクシエルの鼻腔を刺激する錆びた鉄に似た匂い。
「ほッ……包丁落っことしちゃってぇ~~~ッッ!!」
キッチンが……血まみれである。
血の海の中に倒れてビクンビクン陸に打ち上げられた魚のようにのたうっているユカリ。
その右足の甲に……履いているスリッパを貫通して包丁が突き立っている。
「一体何をどうすりゃこんな事になるのよ……! 何であんたはちょっと目を離すとすぐに自爆して大惨事になるの!!」
怒って文句を言いながらもルクシエルはユカリを抱き起し、そして足に刺さった包丁を引き抜いた。
当然だが更に出血する。
普通ならそれはまずいが、彼女は普通ではない。
……この傷もすぐに治り始めるはずだ。
「あ~ぁ、もう、完全に貫通してんじゃん……」
「痛いッ、痛いよぅ~~!」
泣いているユカリ。
それはまあ、痛かろう。
「うっ、えぐっ、お昼……お昼肉まんにしようと思って……うえっ、えっ」
「包丁の出番ないじゃない……」
しゃくりあげている腕の中の女にげんなりするルクシエル。
こういう事は……たまにある。
基本的にこの女はちょいおマヌケというかドジというか……。
細かいやらかしはしょっちゅうで、今のところ半月に一度のペースでドでかいのが来る。
最初は酒が悪いのかと思っていたが、このようにシラフでもやらかす時はやらかすのである。
……大体なぜ自分は殺さなければならない標的を手当てしているのであろうか。
……この女が本当に伝説の黒騎士第六位?
父の……聖騎士団長の片腕を奪った女?
なんだかとてもそうは思えない。
「とにかく、掃除しなきゃ……。ちょっとの間お店閉めるよ」
「うぅ……お願いひまひゅ……」
ずびずび鼻をすすりつつ頭を下げるユカリであった。
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……火倶楽市内某所、廃工場内。
もう十年以上も前に操業を止め、無人の廃墟となっているはずのこの場所にたむろしている者たちがいる。
夜だが光源は点灯して無造作に置かれている大型の懐中電灯が一つだけ。
その明かりが暗く埃臭い工場内に数人の人影を浮かび上がらせている。
わずかな明かりでぼうっと幽霊のように浮かび上がる人影……その内の一人は数日前の銀行襲撃犯の一人、あの鉢巻の男であった。
朽ちかけた木箱に腰を下ろしたその男の表情は陰鬱だ。
「俺の目の前で一瞬でバラバラにされたんだ。あんな強そうな男が二人もだぞ……? まな板の上のダイコン刻むよりも呆気なくよお。……うぅ、あの日からロクに眠れやしねえ。目を閉じるとあの光景が蘇って来るんだよ。鼻の奥に血の匂いも染みついちまってやがる」
銀行を襲撃した時よりもやつれて無精ひげが濃くなっている鉢巻の男。
彼はちびた煙草を咥え、嘆息交じりに紫煙を吐いた。
彼の名は大場ユキヒコ。
革命組織『火倶楽解放戦線』のメンバーだ。
「大変だったなぁ」
陰鬱な表情で俯くユキヒコに対してどこか間延びして緊迫感のない声で応えた男。
カップ麵をすすっている上下紺色のジャージでサンダル履きの小太りの男だ。
年齢は三十前後……ユキヒコと同じくらいに見える。
ユキヒコと同じく解放戦線のメンバーである植草ハルオだ。
「他人事みてぇに言うんじゃねーよ!」
「思ってねえって。だから俺はお前に現場には行くなって言っただろ」
鼻息を荒くしているユキヒコに両手に割り箸とカップ麺を持ったまま肩をすくめるハルオ。
むう、と唸ったユキヒコ。
鼻白んで彼の勢いが削がれる。
確かにこのジャージの男の言う通り反対を押し切って現場へ同行することを決めたのはユキヒコ自身である。
「……つったってよぉ、こんな重要な作戦をいきなり新入りたちだけに任すわけにはいかねえだろ」
あの強化人間二人も、獣人も……皆、ごく最近メンバーに加わったばかりの新人なのだ。
だからこそ創設メンバーであるユキヒコが同行したのであるが……。
「まあまあ、お二人ともその辺で」
二人の会話に一人の男が割り込んでくる。
先ほどまで少し離れた場所にいて窓から外を見ていたその男。
ラフな格好の他のメンバーたちと違って、一人だけかっちりとしたスーツに身を包みロングコートを着込んでいる。一見するとエリートサラリーマンといった印象のシャープな感じの男だ。
年齢はやはり三十台前後か……黒髪でサングラスを掛けているので目元は見えていない。
「……クロカワさん。あんたが連れてきてくれた奴ら全員死んじまったぜ」
ハルオに言われ、クロカワと呼ばれたサングラスの男が肯いた。
「不幸な出来事でした。しかし相手は統治局が抱えている人斬りでも最強といわれている男……この損失は織り込み済みとして活動を続けることにしましょう」
低い落ち着いた声で言うクロカワ。
彼は若干芝居がかった仕草で悲しそうに首を横に振る。
このクロカワも比較的最近解放戦線のメンバーになった男である。
名は明かせないが組織の活動を支援したい協賛者がいて、その人物によって送り込まれてきたという触れ込みで彼は接触してきた。
当然初めは警戒されていたが、彼は実際に組織に資金を提供し新たなメンバーとして強化人間や獣人を連れてきたのである。
「聖戦に犠牲は付き物です。それを恐れていたら革命は成せませんよ」
「うぅ~む! 確かに!! 俺たちはこんなトコで立ち止まってるわけにはいかねえんだッ!」
クロカワの言葉に感じ入った様子でユキヒコは腕組みをして何度も力強く肯いた。
それに対してハルオの方は言葉には出さないもののどこかうそ寒い視線をサングラスの男に向けている。
(何が狙いなんだろうなぁ、この男は)
クロカワが本気で組織の理念に賛同しているとはハルオはまったく思っていない。
何かこの男はこの男で思惑があるはずだ。
しかし、裏があるとしても今の所彼が実際に解放戦線に活動資金や戦力を提供しているというのも紛れもない事実である。
(言いたかないが、いくら革命軍とか御大層なお題目を掲げた所でこっちは吹けば飛んでっちまうような弱小テロ組織。曰くつきだろうと金や武器が出てくる以上はこの男を邪険にもできねぇ)
自分たちは社会からはみ出してしまった存在だ。
そんな連中が寄り集まって、高い所でいい暮らしをしている連中に一泡吹かせてやろうとしているのがこの火倶楽解放戦線である。
利用できるものはなんでも利用しないと……そうでなければ標的と定める「天上人」たちには自分たちは存在を認識すらされる事なく踏み潰されて消える事になるだろう。
「件の人斬りの対策や新たな戦力の補強を手配しますよ」
薄笑みを浮かべて言うクロカワ。
サングラスの奥で冷たく光っている彼の瞳が見えている者はいない。
「よーしっ! 頼んだぞ!! 14人の同志たちよ……革命が成功するその日まで戦い続けるぞぉ!!」
勇ましく拳を振り上げ、裏返った声を張り上げるユキヒコ。
思いがけずに破格の援助を受けた日からこの男はテンションが上がってしまってどうにも暴走気味だ。
そこもまたハルオにとってみれば悩みの種である。
「12な。12……銀行の失敗でビビって2人飛んじまったよ」
「あ、そ、そう……そうなの……」
ハルオの言葉に思わず真顔になってしまったユキヒコであった。
……………。
廃倉庫での『会合』が終わって少しして……。
クロカワは倉庫街の外れに待たせてあった乗用車の後部座席に乗り込んだ。
彼が乗り込むと運転手は無言で車を発車させる。
深夜の車道を静かに進む彼の車。
そしてクロカワは取り出したスマホでどこかへ連絡を入れた。
「……今、終わりました。連中はまだもう少し使えそうです。ええ、怯えて使い物にならなくなるかと思ったんですがね。現実が見えていないと言うのは時として強味にもなるんですね」
車の窓に映っているクロカワの横顔。
その口元が嘲るように冷たい笑みを浮かべるのであった。




