私の気持ちを押し付ける
……地下空洞に赤い飛沫が散る。
僅かに顔を顰めたシズクの長い黒髪が剣風で後方に流れた。
「……シズクっ!!!」
「問題ない!! そっちに集中しろ!!」
叫んだユカリに、油断なくスワンに向けて身構えながらシズクが応える。
任せるべきだ。口を挟むべきではないと理解していながら思わず叫んでしまったユカリ。
それだけ驚愕したのだ。
死角からの奇襲というのであればまだしも真正面からの一撃でシズクを負傷させたというのは只事ではない。
(……流石に騎士ってわけか。馬上からの一撃は前とは比べ物にならないな)
徒歩の状態のスワンと戦って相手の力量を計ったつもりでいたシズクであったが、まさか馬に乗って現れるとは予想していなかった。
馬……。
馬と呼んでよいものか、あれは。
無数の鬼火を纏った青白い半透明の軍馬。
瞳は爛々と輝きを放っており鬣は炎のように逆立ち揺れている。
亡霊軍馬とでもいうべきような存在。
これはスワンが己の異能にて生み出したものだ。
嵩に懸かって攻め立ててくるかと思われたスワンだが、最初の一撃を入れた後で一旦馬を引いていた。
その間にシズクの肩の出血はもう止まっている。そこまで深手ではなかった。
フーッと意識を研ぎ澄ますために息を吐いて顔の斜め上で切っ先を斜め下へ向け、シズクが刀を構える。
「蛇沼シズマだ。……名前くらい聞いておくか。斬り捨ててしまえば後で聞くこともできないからな」
「フリードリヒ・ヴェルチ・フォルバレン。組織での呼び名は……ナイトオブスワン」
スワンが応えて名乗り、馬上で剣を縦に掲げた。
……………。
目の前の男の踏み込みと、そこから放たれた鋭い下段からの掬い上げるような斬撃をダークネスウィングは視界に収めることができなかった。
三好ショウセイの必殺の居合『地走リ』……覆面の巨漢は分厚い胸板の右を縦一文字に切り裂かれて傷口から派手に出血する。
仰け反って叫ぶ巨漢。
だが……倒れない。
舌打ちをして顔をしかめたのは斬った側のショウセイだ。
「チッ、硬すぎるだろうがよ~。どうなってやがんだテメーの身体はよ~」
「フンッッッ……ヌおおおおッッッッ!!!!」
力むダークウィングの全身の筋肉が膨張する。
メキメキと軋みながら閉じる胸の傷。
傷口が癒えて消えていっているというのではない。
両脇から力で押さえ込んでむりやり閉じているような感じだ。
「全て受けるッッ!! 耐え切ってやるぞ!! 来るがいいッッッ!!!!」
腰を落とし両手を広げて迎え撃つ体勢の覆面レスラー。
「…………」
ショウセイは軽口をやめて目を細める。
尋常でないタフさだ。
これは鍛えてたどり着けるものではない。そういったレベルを超えている。
異能だ。
固有の特殊な能力で相手は自分の攻撃に耐えている。
「腐ったこの世界を破壊しつくすまで吾輩は全ての攻撃をこの肉体で受け止めてやるぞォッッ!!!」
『忍耐』の超人……ダークネスウィング。
この男は相手の攻撃を避けないこと、あえて受けることで耐久力を……そして再生力を大幅に高めることができるのだ。
だがこの能力は痛みを軽減することはない。
超人でも最上位の戦士の必殺の一撃による苦痛は想像を絶する。
それに耐え抜くことで初めてこの異能力は機能する。
耐え切れずに意識を飛ばせば異能は効果を表さない。
その時は命を落とすことになるだろう。
「鬱陶しいなぁ~このヤロ~!」
降り注ぐ無数の斬撃。
その刃の雨に打たれながら彼はじりじりと前に出る。
全身に傷を受け、血を流しながら前進する。
(ヤベーなコイツ……俺と相性が悪ぃぞ~……!)
三好ショウセイは剣の達人だ。
彼の剣閃はいかにして素早く鮮やかに、そして確実に相手を仕留めるかに特化しているのだ。
相手に効率よく痛みを与える方法など彼は知らない。
相手が痛いと思う間もなく命を絶つからだ。
……だが今、一撃一撃が致死の威力を秘めている自分の連撃を全て受けながら自分に迫ってくる者がいる。
相手の耐久力が忍耐力に依るものであると気付いたわけではないが。
耐える相手に有効打が与えられていない事はわかる。
しかしこの不遜な男はそんな危機的な状況にも笑うのだ。
「いいねいいねェ~……今までいなかったタイプの相手だぜお前~。お前みたいのに会えるのがこの稼業の醍醐味ってモンだよなぁ~!」
ここまで頑丈な相手とは過去に立ち合った経験がない。
つまりこれは未知の戦闘体験ができるという事だ。
その事を……この男は悦んでいるのだ。
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足音が聞こえてくる。
規則正しい靴音は早くもなく、遅くもなく……。
急いではいない。のんびりもしていない。
空洞の奥の暗がりに目をやってユカリは僅かに眉を顰めた。
誰が来るのかはもうわかっている。
火倶楽がヤバいとか、世界がヤバいとかそれよりも今の自分にとっては大事な要件。
……スニーカーの靴音をさせて彼女が姿を見せた。
スカジャンにダメージジーンズに、それから腰には帯刀して。
やや日焼けをした肌に長いブロンド。
猫目の美しく整った顔立ち。
エトワール・ロードリアス。
「えっちゃん……」
「おねーさん、来ちゃったんですねー。あたしを殺す覚悟を決めてくれたって事っすかね?」
ふふっ、と空虚な笑みを浮かべてエトワールが小首を傾げる。
「……ヘンな事言わないでよ。そんな事するわけないじゃない」
「どーしてですかね? あたし今から仲間とこの街をジャングルに変えてやるつもりなんですよ?」
迷うような話ではないだろう、とブロンドの少女は不思議そうだ。
「それはそれで邪魔させてもらいます。それであなたはあなたで連れて帰るから。勿論生きた状態でよ」
エトワールに向けて一歩踏み出すユカリ。
そんな自分に向けて右手が差し出される。
……この手を取れ、と。そう言いたいのか。
一瞬希望に瞳に光を宿すユカリだったが。
「この手、12歳までに何回千切れたと思います?」
笑って少女はそんな問いを投げてきた。
「え……」
思わず動作が、表情が硬直してしまうユカリ。
「十八回です。じゅうはち……他にいますかね? 12歳までにそんなに右手がもげた事あるヤツって。しかもそれやったのは実の父親ですよ。キョーイクのイッカン、ってやつ」
「……………」
ユカリは今、初めてエトワールの内の闇を覗いている。
「切れたままにはされませんでしたけどね。財団お抱えの優秀な治療能力者が近くに待機してて、すぐに繋いでもらえるんですよ。そうじゃねーと続けらんねーですからね、指導が」
冷めた目で笑いながら彼女は凄惨な過去の思い出を口にする。
負の感情もさして感じさせずに……その言葉はただ乾いていて虚ろだ。
「手足は何度ブッ飛んだんだか……知ってます? ノーミソ潰されると元通りに再生しても記憶がいくつか飛んでる事があんですよね。お陰であたしのガキンチョの頃の思い出って飛び飛びなんですよ」
一歩……彼女が前に出る。
ユカリとの距離が狭まる。
「いつか、父親をこの手でブッ殺してやろうって……グチャグチャにしてやるんだって。それだけがあたしの生きる望みでした。意味だったんですよね」
そこで言葉を止めるとエトワールは斜め上を見上げてフーッと長い息を虚空へ向けて吐き出す。
「ところがですよ……そうはならなかった。その辺は知ってんですよね?」
無言でユカリが肯く。
彼女の父親……財団総帥補佐のオズワルド・ロードリアスは死んだ。
殺されたのだ。彼女の手に掛かったのではなく、別の者によって死がもたらされた。
某国の紛争にヴェーダー帝国が介入し黒騎士が派遣された事があった。
その時、帝国が肩入れしていた勢力に敵対していた側の背後に財団がいたのだ。
黒騎士総長ハイドライド・エルドギーアとオズワルド・ロードリアスは戦地で遭遇して戦闘になり……そして、ハイドライドが勝利してオズワルドは死んだ。
「それだけだったんですよねー、あたしの人生。復讐だけ。それがある日にいきなりなくなっちって、もーどうすりゃいーの? って……」
「じゃ、じゃあさ……」
ユカリが向こうで戦ってるショウセイを指差した。
「アイツが横取りしたんだし、その辺のムカ付きはアイツにぶつけちゃおうよ! 私も手伝うからさ!」
「……オイ! 聞こえてるぞコラ~!!!」
向こうの方からショウセイの叫び声が聞こえてきた。
しかし少女は首を横に振る。
寂しそうに笑いながら。
「まー、一時期そーゆーふーに考えた事もあったんですけどね~。でもダメでしたよ、頭の中に冷めてる自分がいて、ソイツが『いやいや、それって逆恨みじゃん』って冷静にツッコんでくんですよね……」
ハハッ、と少女の口から乾いた笑みが漏れる。
「それにあんな屋台でおでんのダイコンばっか食ってる小汚ねーオッサンを突け狙うのも虚しいですし」
「何だとコラ!! おでんはダイコンだろがよ~!!!」
またも小汚いオッサンの叫び声が聞こえてきた。
自分は自分で死闘を繰り広げていると言うのに器用な男だ。
「まあ、そんなワケでして……じゃあどうしようかなってなった時に、お誘い頂いちまいましてね。じゃあこんな世界はなくなっちまえばいんじゃねーですかって。まーそれもいいかな、と。あたしの抱えたこの極大の虚しさを少しでも皆さんにお裾分けしてさしあげよーかねって」
そして……エトワールは腰に佩いた刀の柄に手を置いた。
「おわかりになりましたかね? あたしの破滅に付き合う気がねーってんなら、あたしを殺すしかねーんですよ……おねーさん」
「ごめんだけど、私にはあなたの気持ちはわかってあげらんないわ。そこまでの絶望って味わったことがないから……わかってあげられない」
言いながら踏み込む。
長剣を抜き放ち、鞘を投げ捨てる。
「わかってあげられないから、一方的に私の気持ちだけあなたに押し付けることにするね。何もかもなくなっちゃったってのだけはよーっくわかりました。だから私はあなたを連れて帰って、あなたのこれからに必要な何かを一緒に探すことにするわ……力ずくでね」
銀色に輝く切っ先を前方の少女に向け不敵に微笑むユカリ。
「あは……そうなるといーですね。おねーさん」
ふっ、と苦笑して刀を抜き放つエトワールであった。




