それはそれ、これはこれ
……ベッドから滑り落ちて床に顔面からイった。
視界に、頭の中に星が散る。
「……いでェ!!!」
しかし、お陰で意識が覚醒する。
未だ脳内は揺れており視界も波打っているが泣き言を言っていられる状態ではない。
幸いにしてオチてからまだ一時間も経過していないようだ。
急いで雑に服を着こみながらスマホを手に取りある番号をコールする。
「シズク……? 急にごめんね……!!」
『ユカリ、どうした?』
スマホから聞こえてくる冷淡な声。
しかしそれは彼女の常であり、慣れたユカリが聞くと声音にほんの僅かにだが親愛の証である柔らかさを聞き取ることができる。
「この前の……あの財団のさ。一人女の子いたじゃない。総帥の姪の……そう、エッちゃ……エトワール。あの子が例のテロ集団に噛んでるらしいの。緑のナントカ……入学式だっけ? そんな感じのやつ! 今あの子火倶楽にいるから探すの手伝ってくれるかな……!!」
『……わかった。何かわかり次第連絡する』
そして、通話が切れる。
若干唐突な会話の切れ方だったのだが、焦っているユカリはその事に気が付いていなかった。
……………。
通話を切ったスマホをポケットに戻すシズク。
大型バイクで移動中だった彼女は着信のコールで路肩に停車して通話に出ていたのだ。
(すぐに取り掛かりたいが……)
短い息を吐くシズク。
「その前に一仕事こなす必要があるな」
小さく独り言ちながら前方に鋭い視線を向ける。
通話中に姿を現したのは……白銀の鎧の騎士。
そのような物々しい出で立ちでありながら音もなく亡霊のように唐突にその男は現れた。
……白鳥の騎士。
彼はそう呼ばれている。
シズクにとっては正体不明の相手。
しかし発する殺気と尋常ではないオーラでかなりの手練れの敵対者である事は疑いようもない。
この男が姿を見せたのでシズクは急いで通話を終わらせたのだ。
「随分と剣呑なオーラを放っているが……俺に何の用だ」
「恨みはない」
低く掠れた声が兜の下から聞こえてくる。
ゆっくりと長剣を鞘から抜き放ち、それを胸の前で地面と垂直に掲げて礼の姿勢を取るスワン。
言葉が途切れると兜の隙間からはヒューヒューと冬の隙間風のような呼吸音が聞こえてくる。
「だが……お前を斬らねば……ならぬ。我が剣が高みへと至る……その礎と、なって……もらおう、蛇沼シズマ」
「ごめんだな」
冷たくそう言い放って刀の柄に手を置くシズク。
腰をやや落として臨戦態勢に入る。
「こっちは自分の剣を高めるのに手一杯だ。見ず知らずのやつの手伝いをしてやれる余裕はない」
「参る……!」
瞬間。
既にスワンはシズクのすぐ目の前にいた。
疾風を……時間すらもを置き去りにするかのような速度で放たれる無数の剣閃。
街灯の明かりを映して煌めくそれをシズクが無言で受けきる。
速く、重く……そして鋭い。
……強い。
剣士として相対した敵の中では文句なしのダントツで過去最強の相手だ。
「おォ……ッ!!!」
兜の内から漏れ出た声は驚愕と、そして歓喜。
「感謝する……好敵手よッ!! お前を斃す事で……我が剣は、一層……磨かれるッッ!!」
「虫のいい事を言うな」
シズクが極細の時の切れ目に嘆息を挟む。
この間にも両者の神速の攻防は続いている。
「踏み台にされるのはお前の方だ……!!」
攻撃を加速させる黒髪の剣士。
冷めた性格をしているシズクはスロースターターだ。
……そろそろ身体も気分も程よく温まってきた。
シズクの眼光が鋭さを増す。
無数の鋼と鋼の激突音が重なって周囲に響き渡った。
「おぉぉぉぉッ!! 受けて……立つッ!!!」
兜の隙間から覗く目を爛々と輝かせるスワン。
そして白銀の騎士は咆哮し剣を振り上げてシズクに襲い掛かってきた。
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タクシーの後部座席でスマホを捜査しつつ、苛立たし気に舌打ちをするユカリ。
(あーもうッ! 繋がんない!! 何やってんのよもう!! この一大事にッッ!!)
ユカリがかけているのは財団総帥ギャラガー・ロードリアスの番号だ。
エトワールの件を問い質そうというのである。
しかしいくらコールしても相手は出ない。
まさかこの時点で連絡をしようとしている相手が……最強の二つ名を持つ超人が生死の境を彷徨っているとは夢にも思わないユカリである。
突然本部を襲撃してきたゼクウによってギャラガーと一族の者たちは蹂躙されていたのである。
スマホをシートの上に投げ出すとユカリは長く息を吐きながら背もたれに身を預けた。
後は……どこだ? どこに連絡をするべきか。
キョウコは駄目だ。
彼女は傷は癒えたがまだ職務に復帰していない。余計な心配をかける。
後は何人かの……主に黒騎士時代の同僚の顔が頭に思い浮かんだが……。
駄目だ。
自分たちは頼み事をし合えるような間柄ではない。
貸しでも作ってあるのなら話は別だがむしろ今はこの前の財団の一件で自分が借りている側。
それに彼らは介入させれば容赦なくエトワールを殺してしまう気がする。
(やー……自分でも甘いなーっては思ってるけどさ)
額に手を当てたユカリが物憂げな吐息を吐いた。
エトワールが緑のナントカの仲間だというのなら、それはキョウコを傷付けた一味という事になる。
大きな統一された意志の下での活動という事になれば直接手を下していないので咎無しという訳にはいかない。
だが、それはそれとして。
……あの娘を死なせたくない。
好きだと言われて身体の関係ができたからというわけではないが……いやそれは理由の一つとして勿論あるのだけど。
彼女が死んで終わるというのはどうしても納得がいかない。
何がそれほどあの子を絶望させたのだろう。
世界を巻き添えに心中しようと思うほどに。
それは今はわからない。
わからないから本人に聞くしかない。
(罪は罪、罰は罰……で、それはそれとしてユカリさんは美少女の味方ですから)
フッと小さく苦笑いしつつ……固く決意するユカリであった。
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ホテルの一室に足を踏み入れる虎柄のスカジャンの娘。
そして……ブロンドの猫目の美少女は露骨に顔をしかめた。
酒臭い。
ソファには身を沈めるようにしてカーキ色の軍服の男が腕組みをして寝息を立てている。
軍帽を深く被り顔を覆い隠すようにして。
エトワールはチラリとその男を一瞥すると無言でその脇を通り過ぎようとした。
「……戻ったか」
帽子の下からゼクウの声がする。
足を止めてそちらを見るエトワール。
「えー、まー……只今戻りましたよ」
「楽しかったか?」
どちらかといえばそれを聞く側のほうが楽しんでいるような声音である。
「最高でしたね」
そう答えた側は虚無の表情をしているというのに……。
「わからんなぁ。ならば何故お前はこんな事に加担しているのだ」
そう言うとゼクウは軍帽を被り直した。
「安らげる相手がいるのならその者と共に生きていけばよかろう」
「よけーなお世話っつーんですよ、ソレ」
薄笑いを浮かべているゼクウに冷たく鋭い視線を向けるエトワール。
彼女のこの喜怒哀楽がハッキリしていて人懐こい性格は比較的近年に成立したものだ。
それまでは他者に感情を表すことはほとんどなく必要最低限のことしか口にしない……そんな娘であった。
変化が訪れたのは父の死の時から。
伯父であるギャラガーや周囲の者たちは彼女のその変化を好ましいものであると受け入れて意味を深く考えなかったのだ。
彼女の今の性格は……擬態だ。
父親の死から自分が表に出る機会が嫌でも増えてしまうので社会に上手く適合していくための仮初の姿でしかない。
本質は何も変わっていない。
偽りの姿で殻のように本当の自分を覆って……。
その内側でいつまでも殺すことが叶わなかった父親の存在に呪縛され続けている。
生きる意味を唐突に喪失したあの時から時間が止まってしまったエトワール。
前にも後ろにも進めなくなった彼女は立ち尽くしたまま。
……まあ、どこへどう進もうが無限の闇が広がっているだけなのだが。
「むぅ……老婆心のつもりだったが、やはり最近の若人の感性には俺は合わぬか……」
唸ったゼクウは首を傾げ、口をへの字にしている。
……あれで案外本心からの言葉だったのか。
だとすれば少しだけ意外だ。
この魔人からすれば人の営みなどもう一瞥にも値するようなものではないのだと思っていた。
いずれにせよ、この男はもう人の域を外れすぎていてこちらの物差しで測れるような存在ではない。
自分たちの究極の目的についての不信感も相変わらずだ。
その時、扉が開いたかと思うとガシャンと鎧を鳴らして白銀の鎧の騎士が入ってきた。
「……うグッッ! ぶフッッッッ……!!!」
入ってきたかと思うと身体をくの字に曲げて激しく血を吐いているスワン。
その地も空中で炭化し黒い粉となって散っていく。
エトワールが無言で目を細めた。
スワンの鎧に無数の傷が付いている。
分厚い特殊鋼の鎧が切り裂かれ、その内側が細く覗いている。
どうやら……誰かと一戦交えてきたようだ。
その相手を想像し、一瞬ユカリの横顔が思い浮かんでゾクッと背筋を寒気が這い登っていく。
「お前も戻ったか。どうだった? 楽しかったか?」
先ほど自分に向けたのと同じ問いを発するゼクウ。
激しく吐血して苦しんでいる様子の同胞を彼もエトワールも眺めているだけだ。
どちらも手を貸そうとはしない。
仮に手が差し伸べられたとしても鎧の騎士はそれを拒んだであろうが……。
「無念……ッ!! 決着は……付かず。水入りと、なった……」
ヒュウヒュウと苦し気な吐息の中で喘ぐように言うスワン。
スワンとシズクの戦いは彼が言うように無関係の者が通り掛ったので水入りとなっていた。
奇妙なもので、この鎧の騎士は間もなく世界ごと人類を滅ぼそうという悪事に加担していながら自らが標的と定めた者以外は絶対に傷付けようとはしない。
自分が斬るものは剣の糧となり得る強敵のみ……そういう規範の中で動いている。
「噂に違わぬ……使い手、であった。……この次は、斬る」
震えるこぶしを握り締めるスワン。
それを見て薄く笑みを見せるゼクウ。
その時にはもうエトワールはその場にはおらず姿を消していたのであった。




