夢見るように
『ゼクウ』とは、皇国の伝承にある強大な魔物の名である。
山中に棲んでいた人喰い熊が年月を経て妖魔に変じたものだといわれている。
魑魅魍魎たちを率いて人の国をいくつも攻め滅ぼし大地を地獄へ変えた魔のものたちの王。
最期は神仏の加護を得た武具を持った英傑たちによって討たれて滅びたという。
男はこの名を好んだ。
彼は随分と長い年月を生きており数多の名を名乗ったが世界を大きく揺るがせるような事件を起こす時は決まってこの名前を用いる。
その理由を彼が誰かに語ることはないが、世を乱すのは魔物の王の役割であるという彼なりの洒落っ気と美学からであろうか。
記録によれば最後にそう名乗った男が騒乱を引き起こしたのは今から百数十年も昔のこと。
その男は集った英傑たちによって最後には討ち取られたという。
まるで名の元となった神話の魔王の最期を辿るかのように……。
……………。
火倶楽中心部、カフェテリアにて。
オープンテラス型のテーブル席で相方とティーブレイク中の翡翠の髪の美少女アムリタ。
彼女はジンジャエールのグラスの氷をストローでかき混ぜつつ何やら浮かない表情であった。
「ここのところ、何だか火倶楽がヘンだと思わない? 貴女のところには何か情報が入っていないの?」
「聞いてねェ。つーか、別にアタシはそういうのにアンテナ高くしてねェしな」
両掌を空に向けて肩をすくめる赤いショートヘアのツリ目の美女……リュアンサ。
「統治局がピリピリしてる気がするのよね。落ち着かないわ……なんだか胸がざわつく」
「お前のその悪い予感ってのは毎回当たっちまうからなァ。前はあのジャングルがこっちの世界にドバッと溢れ出た時で、その前は……」
目を細めてコーヒーカップを口に運ぶリュアンサ。
二人の思い出は共有されている。
アムリタが大きな戦いに身を投じるときにリュアンサがその傍らにいなかった事はない。
「皇国の大震災の時だったわね。アイツは強烈だったわ……。私の長い人生でも最強の敵だった」
二人が過去に経験した中でも最大の戦いが皇国におけるある男との戦いだった。
多くの超人が参戦し多くの者が命を落とした。
百数十年前、皇国に……幕府に激しい恨みを持つ一人の超人が大地の底を走る巨大なエネルギーの流れ『龍脈』を暴走させることで海底火山を噴火させて大津波を引き起こそうと目論んだ。
それを食い止めようとアムリタを始めとする多くの超人たちが招集され激しい戦いになった。
そうして数多の犠牲を出しながら元凶たる超人は討たれて海中に没して消えていった。
「お前が紫桜会を立ち上げたきっかけの事件だったなァ」
「そうね……私はそれまで超人って基本個人事業主だから無理に群れる必要はないと思ってたけど、ああいうのがいるんじゃ話は別よ。ある程度の横の繋がりも作っておいたほうがいいと思った」
急増の連合軍は上手く機能せず連携の不備から命を落とすものも出た。
その時の苦い経験からアムリタは超人でも特に実力のある者たちの互助会として紫桜会を立ち上げたのだ。
「何とか言うヒヨッコのお嬢サマの面倒見てやってンだろ? 会のメンバーにする気か?」
「今はそうは考えていないわ。私の一存でそんな事したら壬弥社さんと関係悪くなってしまいそうだし」
ユカリとお友達になりたいアムリタ。
彼女のもう一つの姿であるジェイドとは面識があるのだが、はっきり言ってジェイドは友達を作るのにはキャラが向いていなさすぎる。
「あ~、例のヤツのお手付きなのかよ。そういやトーガのアホめ。エラソーな事言って出張った割にはしくじってきやがったなァ」
「それが変なのよね。負かされたって感じでもないと思うんだけどスッキリした顔しちゃってね」
ユカリの勧誘に出向いた緒仁原トウガ。
彼は戻ると「ダメだった」とだけ告げてそれ以上を語ろうとしない。
「まさか本当に私の言いつけを守って言葉で勧誘しただけで断られて諦めて帰ってきたのかしら。それって彼っぽくないわよね」
そう言って苦笑するアムリタであった。
……………。
「実際のところ、あの時は流石の俺も自身の終わりを覚悟したものだ。さしもの混世魔王もこれにて一巻の終わりかとな」
そう語って感慨深げに息を吐くと軍服の男はグラスを傾ける。
語るゼクウの正面に座っているのはスワンとダークネスウィングの二人だ。
堅苦しい席ではない。
飲み交わしながら他愛のない話をしているだけ……そうゼクウは思っているのだが聞き入っている二人は随分と畏まっているようだ。
「だがそうはならなかった。海中に没した俺は数日後にある漁村の浜に打ち上げられていた。すべての記憶をなくし自分の名も何者であるのかも思い出せなかった」
当時を思い出すかのように感慨深げに言って酒を含むゼクウ。
「網本の家の当主が俺を息子として引き取った。得体の知れない男に随分と良くしてもらったものだ。それから色々とあって俺は皇国軍に仕官し最終的には中尉まで昇進して仙国との戦に投入された。そこで戦闘の最中に炸裂弾の破片を頭に食らって……それで唐突に何もかもを思い出した。実に十数年ぶりにな」
皇国に激しい恨みを持つはずの魔人ゼクウはこうして甦った。
「また皇国に恨みをぶつけてやろうとは思わなかったんですかい?」
「それが、いざ思い出してみるとその辺の事はもうどうでもよくなっていてな。……思い返してみれば俺も厄介者過ぎたかもしれん。長く地の底に封じておこうと思われても致し方ない部分もある」
ふはは、と軽く笑い飛ばすゼクウであった。
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……少しの間微睡んでいたようだ。
不意に意識を覚醒させたユカリ。
見上げているのは見覚えのない豪奢な天井である。
ああ、そうだ……と彼女は直前までの出来事を思い出す。
ここは高級ホテルの一室だ。
食事の後で彼女とここに……。
「どーしました? おねーさん」
裸身の自分にすり寄ってくるやはり一糸纏わぬ姿のエトワール。
ごろごろと喉を鳴らす猫のようだ。
そんな彼女にふっと笑顔を見せるユカリ。
「幸せすぎて夢じゃないかなって思ってたとこ」
「ところがどっこい、夢じゃねーんですよね~、これが」
伸ばされた細い指先がユカリの鼻の頭をつまみ上げる。
その手首を優しく掴んで引き寄せると彼女は抵抗はせずにされるがままになる。
そうして二人の唇が重なり合った。
しばらく後に名残惜し気に二人の顔が離れてお互いにはにかみ合う。
「今更だけどさ、よかったの? 私で。こういうの初めてだったでしょ?」
「や、ホントにそれ今更ですね……。全部済ませちゃってから何ゆってんですかね」
自分に覆いかぶさってジトっとした視線を至近から浴びせるエトワール。
えへへ、と照れ笑いしながらユカリは逆に視線を逸らせる。
「だってさ~……もう夢中だったからそんな事考える余裕もなかったんだもん」
「イヤならこんなトコまでノコノコ付いてくるはずねーでしょうが。あたしの事何だと思ってやがんですかね……」
ムスッとした様子でそう言うと一転してギューッと力を入れて抱き着いてくるエトワールだ。
「ゴメンよぅ、そういうのじゃなくて~……何かヤな事あって投げやりになってるとか、そういうんじゃないといいな~って」
「……………」
ユカリからは見えてはいなかったが、彼女の腕の中で一瞬エトワールの表情が消えた。
それも一瞬のことですぐにその口元には勝気な笑みが戻る。
「もーちょっと自信持ってくんないですかね。あたし、初めからずーっと狙ってましたよ。初めてはおねーさんみたいなキレイで優しい人がいいなって。夢が叶ってあたしも今ちょっとフワフワしてるかもしんねーです」
「うへへへへ……そう? じゃあ自信持っちゃう~。これもう私の~」
だらしなく笑ってから強めの抱擁を返すユカリ。
「おねーさんのもの……に、なりたかったんですけどね」
ベッドの上で上体を起こすエトワール。
張りのある若々しい裸身がユカリの目に入る?
「……エッちゃん?」
「だけど、これっきりです。こーゆーのは……多分もうあたしはおねーさんと会えなくなる」
どこかスッキリとして物悲しい微笑みを浮かべたエトワール。
ユカリの思考が凍り付く。
冗談の類ではないことが彼女の表情から感じ取れてしまったから。
「どう、して……?」
「あたしね、『緑の聖域』なんですよ。名前くらい聞いてますよね?」
あっさりとそんな事を告白してくるエトワールに一層の混乱の渦に叩き落されるユカリ。
それはキョウコを大怪我させた覆面レスラーが口にしていた名前。
恐らくは浸食樹海によって世界の終焉を目論んでいるテロ集団。
「だからもう会えないし、会えたとしたら殺し合いになりますよね?」
微笑みながらエトワールはユカリの両手をとって、そのままその手を自分の細い首に触れさせた。
「そーなる前にここで終わりにしてくれてもいいですよ。あたし、おねーさんなら抵抗しないです」
「い、いやいや……待て、待ってよ。できないって、そんなの……」
首を……絞めろと言っているのだ。
動揺したままユカリは首を横に振る。
「あ~ぁ、残念。夢みたいな時間のまま終われるならそれもいーかなって思ってたのになぁ」
少女が寂しげにそう微笑んだのと同時に……。
「……ッ」
エトワールが触れているユカリの手首に鋭い痛みが走った。
手を放すエトワール。
その手の指輪にキラリと光る何か。
……針だ。
ぐらりとユカリの思考が……視界が揺らいだ。
薬を打たれた。
「ゾウさんもコロッといくくらいのキョーレツな薬ですよ。つっても、超人じゃまともに効きゃしねーでしょうけど。ま、あたしが服着て帰るまでの間だけ静かに見送ってくだせーな」
ベッドからひらりと下りて散らばっている自分の衣服を拾い集めるエトワール。
「うぐぐぐぐっぐぐぐっぐ……!!!」
飛びかけの意識を必死に繋ぎとめようと血が出るくらいに歯を食いしばってユカリが抵抗している。
だめだ。行かせてはだめだ。
止めなくては……!!
だが……伸ばした手に力が入らず虚しく指先は虚空を引っ掻く。
「それじゃ……バイバイ、おねーさん」
最後にエトワールが振り返って笑った。
「大好き」
その笑顔の記憶を最後にユカリ意識はどろりと黒い沼の底に沈みこみ、伸ばした腕も力尽きて落ちるのであった。




