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棚から美少女

 火倶楽市街の中心部にある統治局保安課内の一部門『死喰鷲隊(フレースヴェルグ)』本部ビル。

 上層階の隊長室に今荘厳なピアノのメロディが鳴り響いている。

 グランドピアノの鍵盤に滑らかに動く指先を走らせているのは白いスーツの美丈夫……『死喰鷲隊(フレースヴェルグ)』隊長テオドール・フランシス。


「…………………」


 そして、その演奏を近くの応接用のソファに座って眺めているユカリ。

 プロの演奏家もかくやという腕前であるテオドールの演奏であるが、それを聴く彼女の表情は何ともパッとしないというかモヤモヤしている心中を余すことなく表現したもので……。


「あの~……」


「何かね?」


 躊躇いがちに声を掛けるユカリに一心不乱に演奏を続けながら返事をするテオドール。


「どうして私は今あなたの素晴らしい演奏を聞かされているの?」


演奏(これ)は君とは何の関係もない。考えをまとめたい時の私の習慣(ルーティーン)だ。知っての通り特務部隊(われわれ)は現在中々に厄介な案件を抱えている」


 テオドールの言う厄介ごととはわざわざ質すまでもない。

 先日、浄化作業中の環境保全課のメンバーに襲い掛かってキョウコに瀕死の重症を負わせた正体不明の超人(オーバード)の事であろう。

 ユカリが今、彼の下に赴いているのもその件である。


 キョウコを襲った超人(オーバード)に付いての情報があるとこの男からユカリに連絡が来たのは大体六時間前だ。

 一般人であるはずのユカリにそんな情報を流そうとするテオドールの意図は容易に想像ができる。


「私は君がこの件に介入してくれる事を期待している。古風な言い方をするのなら織原課長の仇討ちをしてくれるのではないか、とね」


「言われなくてもソイツはボッコボコのベッコベコにするつもりだけど……。あなたはそれでいいの?」


 明け透けに思惑を打ち明けるテオドールに怪訝そうなユカリ。

 統治局の最精鋭部隊の指揮官が一般人であるはずの自分に獲物を譲るからやっちゃってくれないか、と言っているのだ。


「もう、面子だどうだと言っていられる状況ではないのだ」


 テオドールの演奏が物悲しい曲調に変化する。


「統治局の敗北は火倶楽の滅亡……引いては人類の終焉に直結しかねない。これまでは環境保全課のメンバーだけで侵食樹海に関連した脅威は退けられていた。今回それが第三勢力の介入ありとはいえ破られてしまったのだ。非常に……非常に由々しき事態だ。本国は大騒ぎだよ。急いで増援の超人(オーバード)を手配しているらしいがね」


 これまで再三の増員申請をのらりくらりとかわしていたのに皮肉なものだ、とテオドールが嘆息する。


「それで、その殴りこんできたヤツの情報っていうのは……?」


「再生を押してくれ」


 そう言ってテオドールが視線で示したのは応接テーブルの上に置かれたリモコンだ。

 ユカリが再生ボタンを押すと壁の大型モニターに画像が表示される。


 環境保全課の車の車載カメラの映像のようだ。

 突如として現れた正体不明の覆面レスラー『闇の翼(ダークネスウィング)』……圧倒的な膂力でキョウコの蛇腹大剣の一撃を浴びつつも怯むことなくラリアートで反撃し彼女を一撃で昏倒させてしまった。


(……キョーコちゃん、やっぱりちょっと躊躇(ためら)っちゃってるな)


 動画でもそれがユカリにはわかった。

 キョウコは訓練でしか対人戦闘の経験がないのだ。

 初めての対超人(オーバード)戦……殺し合い。

 僅かな戸惑いが攻撃の鋭さと威力に出てしまっている。


(だけどこれ、キョーコちゃんが全力だったとしてもダメっぽい。無茶苦茶強いわ、コイツ)


 いくらキョウコに迷いがあったとはいえガードの上から一撃で彼女を倒してしまっている。

 そんな事ができる超人(オーバード)が果たしてどれだけいるか。

 ユカリの見立てではそのラリアートですらこの覆面レスラーにしてみれば全力というわけではなさそうだ。


「『緑の聖域(グリューネ・オアーゼ)』のダークネスウィング? 何なのコイツ。人類を滅ぼしちゃいたいの?」


 腕組みをしたユカリが顔をしかめる。

 キョウコの活動を妨害するという事はそういう事だ。

 動画ではダークネスウィングは「間もなく終わる世界」とも口にしている。

 わけもわからずに騙されてやっているというわけではなく、明確に自分たちの蛮行の先にあるものを理解した上でやっているらしい。


「保安課の職員にプロレスマニアがいてね。凡その正体は特定できた」


 テオドールのその台詞を合図にしたかのように画像が切り替わる。

 画質があまりよくない。昔の画像なのか。

 大勢の観客がいる会場の……その中央にある四角いリングで二人のプロレスラーが戦っている。

 そのうちの片方が白いマスクマンだ。

 白地に黄色い枠のマスク……ダークネスウィングの黒字に赤枠のマスクの色を変えて細部のデザインを若干変えただけのように見える。


「それは今から30年近く昔の映像だ。ファーレン・クーンツ共和国の共和国プロレスに所属していた覆面レスラー、サンダーイーグル」


 似通ったマスクをしていて体型が近いからといって同一人物と決め付けるのは乱暴ではないかと思うユカリであったが……。


「ラリアートに入るときのモーションが完全に一致するのだそうだ。後は身体の古傷の位置も合致する。マニアの観察眼とは大したものだな」


「でもこれ……普通の人間じゃない?」


 試合の映像を見ながらユカリが眉を顰める。

 そもそも超人(オーバード)が普通の格闘技の興行などに参加できるわけがない。


「その通り。この男がサンダーイーグルと名乗ってプロレスラーをやっていた頃はただの人間だった。本名はカルロス・ドゥーロッカ。記録によれば若いころに妻を病気でなくし娘を男手一つで育てていたんだが……。ある時、この娘が交通事故で亡くなってしまった。事故を起こした男は飲酒運転だったのだが、共和国要人の家系の者であり裁判で非常に軽い判決が出た。カルロスの再三の抗議も退けられ、彼は失意のままに表舞台から姿を消し、その後の行方は杳として知れずだ」


「その時の絶望と怒りで超人(オーバード)に覚醒した?」


 激しい心の動きが超人(オーバード)覚醒への切っ掛けになるケースはあると聞いている。

 愛娘の死。そしてその犯人が正しく裁かれないことへの怒り。

 人を超えてしまうほどのショックを受けたとしてもおかしくはない。


「そう考えるのが妥当ではないかな。その後の彼の人生でそれ以上の絶望を味わう機会があったとも考えにくい」


「ふ~ん……なるほどね……」


 ぼふっ、とソファに身を沈めるユカリ。


「まあ例えこの世で一番可哀相な目に遭ってたとしても私のキョーコちゃんいじめていい理由にはなりませんので、コイツはブッコロします」


「存分にやってくれたまえ。必要な情報は随時提供しよう。部隊(うち)からシズマが既に環境保全課との連携任務に当たっている」


 シズクの事が話題に出ると毎回本名を口にしてしまわないか気を付けて話さなければならないユカリである。

 職場にまで本来の性別を伏せているというのは徹底している。

 シズクが言うにはメディカルチェックの職員だけは彼女の本当の性別を把握しているらしい。

 その職員にも当然彼女の家の……蛇沼家の息がかかっていてそこから秘密が漏れる心配はないのだそうだ。


 とはいってもシズクにとっては秘密を知る者とはいえ味方というわけではない。

 彼女にとって実家の影響下にある者とは警戒の対象であった。


(男女どっちでも線が細くて美形過ぎる人って中性的になるよね~)


 シズクを思い出してそんな事を考えるユカリであった。


 ─────────────────────────────────────


 フレースヴェルグ本部ビルからの帰り道。

 ユカリがライトバンを走らせていると……。


「……おや?」


 誰かが歩道でこちらに向かって手を振っている。

 日焼けした肌でブロンドの、ちょっと勝ち気そうな猫目の美少女だ。

 スカジャンにジーンズ姿の彼女は明らかにユカリの車に向かって軽く手を振っていた。


「あの子って……財団の……」


 彼女の事は当然キョーレツに記憶されている。

 実力も含めインパクトのある一族であった……財団のロードリアス。

 その総帥ギャラガーの姪エトワールだ。

 記憶の中の男連中の顔はもうぼんやりしているのだが、美少女だけは無駄に精密にユカリさんメモリーに保存されているのだ。


「こんにちは! どうしたの? こんなトコで……」


 車を歩道に寄せて停めると窓を開けてユカリが彼女に……エトワール・ロードリアスに声を掛けた。

 前に殺し合ったとはとても思えない笑顔で。


「覚えのある魔力(オーラ)が近くにいるな~って思ったらやっぱおねーさんでしたか。よかった~、あたしおねーさんに会えたらいいなーって思ってましたからね」


 何やら嬉しい事を言ってくれるエトワールにユカリがふにゃっとだらしなく表情を崩した。


 とりあえずユカリは車に乗って、とエトワールを誘った。

 彼女は素直にそれに応じて助手席にちょこんと座る。

 こんなオフィス街の道路で話し込んでいてもしょうがない……車を出発させるユカリ。


総帥(ボス)たちと一緒に帰ったんじゃなかったの?」


「そーなんですけど、その後で私だけでもっかいこっちに来たんですよ。火倶楽は何か色々楽しそうだったし。……だけど一人じゃどこから見て回ったもんだかよくわかんねーんでフラフラしてたんですよね。あ~ぁ、どこかに火倶楽(ここ)に詳しくて親切でやさし~ぃおねーさまはいらっしゃいませんかね~」


 思わせぶりな口調でそう言って、ユカリをチラリと見て小悪魔のように笑うエトワール。


「え~、いるよ~いるいる。ここにいま~す火倶楽に詳しいお姉さんが! どこでも案内しちゃうよ~」


 デレデレのユカリが露骨なエトワールの誘いに乗る。

 キョウコを傷付けたテロリストたちへの怒りを忘れたわけではないが、それはそれこれはこれ。


「きゃ~、やった~。実は初めて見た時からステキなおねーさんだなーって思ってたんですよね。んふふ、幸せな気分だな~」


「あはは、ありがとー。私も可愛い子だなーってずっと気になってたよ」


 ごろごろと喉を鳴らす猫のように懐いてくるエトワールに余裕のある笑顔を見せるユカリであったが……。


(え、なにこれ? すっごくいい感じじゃない? チャンスじゃない……? これはあれかな? 日頃から頑張ってるユカリさんに女神様がご褒美として美少女を……?)


 内心ではめちゃくちゃ目を血走らせてハァハァ息を荒げているのであった。


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