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キョウコの危機

 リゼルグ・アーウィンは現在ホテル住まいだ。安宿ではない。一流のホテルだ。

 彼にとってありがたいのはこのホテルは宿泊客のプライベートに特別に配慮がなされていて外部への出入りに関して一切他の客や従業員と顔を合わせることが無いルートが用意されている点である。

 今のリゼルグの容姿は悪目立ちする。

 恥じるという気持ちがあるわけではないができれば衆目には晒されたくない。

 手術で傷跡を消すこともできなくはないが、そんな気にもなれない。


 自分にこの宿を世話したのはフリッツ・バルドル・アルゴレア……教授(プロフェッサー)と呼ばれている口髭にモノクルの紳士。

 宿泊代金やその他も全て彼の負担である。


 得体の知れない男だ。

 強化人間(ヴァンキッシュ)でも超人(オーバード)でもない普通の人間である彼。

 その目的はこの大地を完全に浸食する樹海世界エンディア・デューラに変えてしまう事。

 それは超人(オーバード)以外の全ての人類の死滅を意味している。

 請われて自分は今、そんな世界を滅ぼす陰謀に加担している。

 ……もっとも今の所まだ何をさせられたわけでもないが。


 謎の武術家、緒仁原トウガの妨害でユカリの襲撃に失敗したリゼルグがホテルの部屋に戻ってくる。

 コートを脱ぐとそれを雑にベッドに投げる包帯の男。

 そこでようやく切っていたスマホの電源を入れるとアルゴレア教授からの音声メッセージが入っていた。


『私だよ。気分はどうかね? 必要なものがあるのなら言ってもらえれば届けさせよう』


 親しい友人に語り掛けるかのようなゆったりとした口調の教授の声がスマホから聞こえてくる。


『以前君に話したパーティーを明後日に開催することにしたよ。急だが人数が揃いそうなのでね。君に私の素晴らしい友人たちを紹介したいのだ。是非参加してくれたまえ。気心の知れた者たちの集まりだ。普段着で構わんよ』


「……………」


 メッセージの再生を終えるとリゼルグはネクタイを緩めて椅子に座った。

 よかったら来てほしい、みたいな誘い方ではあるが現状教授(かれ)は自分の()()()だ。否やはない。


(さて、どのような魑魅魍魎と引き合わせてくれるつもりなのやら……)


 ピッチャーの水をグラスに注いで呷ってから嘆息するリゼルグであった。


 ────────────────────────────────────


 骨董競り市から一夜が明けた『のすたるじあ』

 ユカリとルクシエルは早速新入荷した品物を磨いたり値札を付けるなりして売り場に並べている。


「ねぇねぇ、リゼルグ・アーウィンって覚えてる? 元私と同じ黒騎士(オルドザイン)だったやつ。序列三位の」


 慣れた手付きで品物をテンポよく余所行きの装いに変えながらふとユカリがそんな事を口にした。


「覚えてるよ。イヤミな奴」


 昏倒させられて拉致されたのを思い出したのか少し口を尖らせるルクシエル。

 あの頃の自分とでは戦闘力に相当の開きがあった。

 その自分の未熟さも思い出されて苦い記憶の相手である。


「あいつ、生きててさ~。なんかまた出てきちゃったよ」


 暖かくなったら出てくる生き物のような言い方をされている元序列三位。


「へぇ」


 反射でそう返事をしてから手を止めてクルシエルが次の言葉を考える。


「……しぶといね」


 考えた結果、そういう感想になった。


「まあキッチリ殺しておかなかったし生きてること自体はそんなに驚くような事でもないんだけどさ。私としてはもう面倒掛けられなようにボキッっと心をへし折ったつもりだったんだけど……。あんま効果なかったみたい。元気いっぱいだったよ」


 はは、と疲れた表情でユカリが苦笑している。


「スキップでもしてた?」


 適当な返事をするルクシエル。


「うん、してた」


 適当な嘘をつくユカリ。


「てゆかさ、あいつ前にルクにヘンな事してるじゃん。またそういう事がないかってユカリさんは心配なわけですよ」


「ユカリのそういう気持ちは嬉しいけど、私もいつまでもユカリに保護されてるわけにもいかないし」


 ほふ、と物憂げな吐息を吐くユカリに品物のクリーニング作業をしつつ淡々とルクシエルが応える。


「え、なんでよ~。いつまでも保護したいよ。保護させてよ、お世話させてよ……愛情という名の籠の中でネットリと」


「イヤだよそんなの。情けない」


 少しムッとする青い髪の少女。

 ルクシエルの目指すところはユカリと対等のパートナーになる事なのだ。

 一方的に守られているような存在ではなく。


「私の大事な大事な可愛い小鳥ちゃんが巣立っちゃうよ~」


「見てなさい。小鳥だと思ってたらグリフォンだったって気付かせてやるから」


 フンッと鼻息を荒くするルクシエル。


「じゃあ私はザトウクジラだ」


 また適当なことを言うユカリ。

 色々違いすぎてどっちが凄いのか比較が難しい。


 ──────────────────────────────────────


 統治局環境保全課は課長である織原(オリハラ)キョウコが指揮する対浸食樹海(エンディア・デューラ)専門の部署である。

 人知れず異界の侵攻と対峙する人類の最前線だ。


 そんな環境保全課に新たに加わった新戦力、佐倉(サクラ)ユウイチ。

 樹海の汚染に晒されて人と植物の合成生物ような存在……緑人になりかけており、ユカリやキョウコの救助が間に合って辛うじて人に戻ることができた彼。

 その後遺症でユウイチは汚染されたエリアを目視で見つけることのできる特殊な能力に目覚めていた。


 そして彼は異能を活かして環境保全課の活動に加わることになったのである。


 ……………。


 扉に統治局のロゴマークがある装甲車が夜の街を走っている。

 助手席のキョウコの表情には疲労が滲んでいる。発する吐息も重たい。


「課長、少しお休みになった方がよろしいのでは」


 運転席でハンドルを握っている課員が心配そうに上司の顔を窺う。


「……そうもいかないわ。汚染エリアに樹海の生物がいれば超人(オーバード)が必要になる」


 キョウコは環境保全課で唯一の超人(オーバード)だ。

 これまでは汚染が火倶楽内部で見つかるのは年に一、二度という程度の回数だったのでそれで充分回っていたがユウイチの加入によりその環境は激変していた。

 彼がパトロールで見つけてくる汚染個所は現在二か月目で既に七か所。


 増員申請は出していてそれが通ってもいるが実際に新たな戦力が配属されるのはいつになるのかわからない。

 それまでは常にキョウコが現場へ直接赴かなければならないのだ。


(それにしても……まさか市内にここまで汚染箇所があるなんてね。彼が加わってなかったらと考えるとゾッとするわ)


 キョウコの表情は沈んでいる。

 汚染……異界化してしまっている箇所が市街の中心部でも複数見つかっている。

 恐らくは先日の佐倉邸と同様に壁の向こうから持ち込まれた品物が原因と思われる浸食だ。


 誰かが悪意を持って火倶楽に流している壁の向こう側の品々。

 それらは即座に効果を発揮するわけではなく、早いものでは数か月、遅いものでは十数年を掛けて()()して世界を異界に塗り替えていく。

 ユウイチが見つけられるのは孵化しているものだけだ。

 それがこれだけ見つかるとなれば未だ潜伏中のものも相当数あると思ったほうがいい。


「うぅ……疲れたよぅ。ユカリどこ? ユカリに会いたい……」


(うわぁぁ……課長が疲労で壬弥社さん欠乏症になってしまった!!)


 愕然とする運転席の保全課スタッフであった。


 ……………。


 そして、キョウコたちは本日の現場に到着した。

 とっくの昔に操業を終えている古い小さな工場だ。

 すでに周辺の閉鎖は完了しており課のスタッフたちが浄化の準備に走り回っている。


 どうやら樹海の生物は今回はいないようだ。

 今日は指示を出すだけで済みそうだ、とキョウコが安堵の吐息を漏らしたその時……。


「うわッ……うわああああああッッッ!!!!???」


 叫び声が響く。

 弾かれたようにそっちを見るキョウコ。


 大型の装甲車が……逆さまに浮き上がっている。

 誰かが下から持ち上げているのだ。


「グアーッハッハッハッハッハッハッハッハァッッッ!!!!」


 何者かのわざとらしい哄笑が轟いた。


 装甲車を持ち上げているのは見事な逆三角形の体躯の半裸の2m近くもある大男。


「……何? プロレスラー……?」


 思わず呆然とキョウコはそう呟いていた。


 男の見た目はそうとしかいいようがない。

 着用しているものは黒いレスリングパンツと肘と膝にプロテクター、そして手首にリストバンドとレスリングブーツ。

 何よりも特徴的なのは頭部を覆った黒地に目鼻口の部分が赤く枠取りされた覆面だ。

 頭をすっぽりと覆って鼻と口の部分だけがくり抜かれていて素顔が外気に晒されている。

 目の部分には黒くメッシュが当てられ瞳は見えていない。

 ……覆面レスラーそのものの出で立ち、そして身体つきなのである。


「いかんなぁーッッ!!! 諸君ッッ!!! 新たな時代の到来を妨害してはいかんぞぉーッッッ!!!」


 叫びながら覆面レスラーは装甲車を軽々と放り投げた。

 地面に叩きつけられて爆発し炎上する車体。


(……超人(オーバード)だ)


 キョウコが愛用の蛇腹式の大剣スコーピオンテイルを構える。

 人にこれを向けるのは初めてだ。

 だがそんな事は言っていられない。


「何者なの? 私たちの活動を妨害するのは重罪よ……それがわかっているの?」


 ムンッと両手で力こぶを作ってポージングしている覆面レスラーを睨むキョウコ。


「グアハハッッ!!! 罪だと!!? 笑止な……ッッ!!! 間もなく終わる世界でどのような罪状を科されようが痛くも痒くもないわッ!!!」


 天を仰いで嘲笑うマスクマンにキョウコが眉間に深く皴を刻む。


 間もなく終わる世界……この男は今そう言った。

 それは樹海に世界が飲み込まれるという意味なのか。


「おっと失礼。吾輩の名であったな……」


 笑いを止めてレスラーは両方の拳を腹の前で当て、力みながら前傾姿勢になる。


「我こそは新たな時代を導くものたち……『緑の聖域(グリューネ・オアーゼ)』の使者ッッ!!! 闇の翼(ダークネスウィング)ッッ!!!」


 雄々しく名乗りを上げ、猛然と突進してくるダークネスウィング。


「さあッッ!! 砕け散るがいいッッ!! 古き汚れた世界の守り手たちよッッッ!!!!」


「ッッ!!!!」


 蛇腹剣を振るうキョウコ。

 屈強な樹海生物を容易く両断するその一撃を生身の両腕を上げてガードする覆面レスラー。


「グアハハハハッッッ!!! 温い温いヌルゥいィィィッッッ!!!!!」


 ダークウィングの腕に当たったキョウコの剣。

 負傷し血を飛沫かせるレスラー。

 だが傷ついたのは皮ばかり。

 キョウコの腕に伝わってきたのは異様なまでの彼の硬さだ。


 ……効いていない!!!


 青ざめるキョウコの眼前でダークネスウィングが太い腕を振り上げ……。


 そして次の瞬間、激しい激突音と共に華奢なキョウコの身体は背後に吹き飛ばされたのだった。



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