カグラのビッグ・ボス
ユカリは朝はパン食派であった。
トーストにハムエッグ。そしてサラダと卵のスープ。
香ばしいパンが焼ける匂いとバターの匂い。
これこそが朝食だ。究極の答えだ。
それ以外の選択肢などありえぬのだ……!!
……そんな彼女の生活に新しくルクシエルがやってきた。
「ルクは朝は何を食べるの?」
「私は……ご飯とお味噌汁。あとはお漬物とか、焼き魚とか……それが定番」
「そうなんだ。やっぱり朝は白米よね~。うちの朝食も和食だから安心してね!」
その日からあっさり『のすたるじあ』の朝食は和食になった。
今日もご飯と納豆と焼き鮭とお味噌汁。
プライドはないのかと言われそうだが……そんなものはない。
必要に応じて柔軟な思考を持てる。デキる女ユカリさん。
二人で協力して配膳を終えるとユカリはテレビのリモコンを手に取った。
朝食の時間はテレビでニュースを流すのが何となく決まっているいつもの流れであった。
スイッチを入れると画面に大写しになったのはスーツ姿の恰幅の良いブロンドの中年男であった。
目力が異様に強い男だ。濃いめの眉は彼の尊大さと自信を表すかのように厳つく吊り上がっている。
髪の毛は品良く撫でつけられて薄い口ひげを生やしている。
ある種の華があるといえなくもない独特の濃さと圧のある男であった。
画面の向こう側でインタビューを受けているその男は自慢げに胸を反らしだみ声を張り上げている。
先週完成した巨大プラントに関するニュースのようだ。
『……これにより我が社の業績は益々上がるだろう。それが何を意味するのかはもう口にするまでもあるまい。カグラの住人たちにもその恩恵がある。諸君らは今よりもさらに先進的で裕福な生活を送れるようになるということだ! 安心して我がガイアード社に未来をゆだねるがいい!』
あぁ……とユカリのテンションが若干下がる。
あまり朝から見たい顔ではない。
だが、この火倶楽の街で暮らしている以上はこの男の顔を見ずに過ごすことは不可能だろう。
何しろこの男はこの街の実質的な支配者であるからだ。
「ガイアードの社長……よね?」
あまり興味はなさそうなルクシエルの箸を動かすペースは普段と変わらない。
他都市から来た彼女にとっては彼はまだ馴染みが薄いのだろう。
「うん。ガストン・ブルナイル。この街のビッグ・ボスね」
ガイアード・エンタープライズ社。
チリ紙から宇宙ステーションまでを手掛けるといわれている総合企業。
その火倶楽支社の支社長がガストンである。
ある統計によれば火倶楽の住人たちの実に八割近くが直接、或いは間接的にガイアード社に関係する仕事に就いているとのことだ。
火倶楽の街は一応の名目上某国の一領土とされている。
その国によって統治局と呼ばれる機関が設置されているのだが、この局長から重要職員のほぼ全てはガイアード社の息のかかった人間たちだ。
つまるところ、政治も生活もこの巨大な都市の全てはガイアード社の意向で回っているということである。
「ガイアードにあらずんば人にあらずってね。私はあんまり深くかかわりないからそんなに信仰心はないけど、それでも外じゃガイアードのことは悪くは言えないわね」
たはは、と苦笑しつつお新香を摘まむユカリであった。
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……ではガイアード社の支配は本当に全ての火倶楽の住人たちにとって本当に明るい未来を約束するものであるのだろうか?
残念ながらそういうわけではない。
確かにガイアードのお陰で裕福な生活を送っている者たちがいる一方、その影では搾取され涙している者たちもまた大量に存在しているのだ。
……………。
ある日の事である。
開店時間が近づきユカリとルクシエルが二人でシャッターを開けていると……。
「お~い、ユカリちゃん。今日はお店開けないほうがいいよ!」
「おはよう、おやっさん。……どしたの?」
自転車で通り掛って忠告をするのは頭の禿げあがった初老の小男……近所の八百屋のおじさんであった。
彼は慌てた様子で自転車を降りると駆け寄ってくる。
「この先の三丁目のカドんとこの工場で立てこもりだってよ。道路も閉鎖されちってるしよ。火事になってるって話もあって周りに避難しろって命令が出てんのよ」
三丁目の方角を指さして早口で説明する八百屋のおじさん。
彼の店はここよりは三丁目寄り。避難する途中という事か。
「……はぁ~? 何よそれ。ハタ迷惑ね!」
腰に手を当て顔をしかめるユカリ。
彼女は好きで、楽しんでこの仕事を……商売をしている。
店を開ける事は健康的で幸福な人生の一部。
それを誰かに妨げられるのは非常に不愉快なのだ。
「まだ年末じゃねえってのに食い詰めたヤツが出たのかねぇ? ユカリちゃんとこは女の子ばっかなんだから念のため離れてた方がいいよ」
そう忠告を残し、八百屋のおやっさんは自転車で去っていった。
「……どうするの?」
「お店は開けないでお留守番しててくれる? 私はちょっと様子を見てくるわ」
聞いてきたルクシオンに嘆息交じりに答えるユカリであった。
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金属部品を作る小さな工場。
薄汚れていてこじんまりした内部は今は薄暗くてひんやりとしている。
そこが彼の職場だった。つい数日前まではだ。
左手で持った小瓶の酒をグイッと煽ったのは巨漢の犀の獣人だ。
床に座り込んでいる彼は青い作業服を着ている。この工場の制服だ。
そんなサイの男の右手は肘から先が義手。先端はペンチのような物を挟む形状になっている。
……大野谷シゲマサ、それが彼の名である。
「オイッ! シゲ!! おめえこんな事しでかしてどうなるかわかってんだろうなッッ!!」
胡坐をかいて酒を飲んでいるシゲマサのすぐ近く……むき出しの鉄骨の柱にワイヤーで縛り付けられている男。
日焼けして皺だらけのいかつい顔の老人。
シゲマサと同じ青い作業服を着ているこの男はこの工場のオーナーである。
「うるせぇッッ!!!」
シゲマサが激昂し金属製の右の腕で工場長を縛り付けている柱の彼の頭のすぐ上を殴打する。
ガァン! という轟音と共に火花が散って工場長が首を縮こめて震え上がった。
「どうなるかだぁ? このゴーツクバリのジジイが!! どうにかはとっくになっちまってんだよォ!!」
このシゲマサのこれまでの人生はずっと逆境続きであった。
若いころに貧しい地方都市の生活が嫌で火倶楽へ妻と二人でやってきた彼。
しかし憧れていた大都市での生活も決して幸せなものではなかった。
学も経験もなく、まして獣人である彼には最下級の仕事しかなかったのである。
それでも彼は懸命に働いた。
貧しいながらも妻と子と三人でどうにか暮らしていくことはできていた。
しかしその日々もある時突然に暗転する。
働いていた工場の事故で利き腕を失ったのだ。
完全な労災である。
しかし保険はあれこれ難癖をつけられほとんど下りなかった。
彼は自腹を切って義手をどうにか入手し再び働き始めた。
だが障害を持ったことで働ける場はさらに限られ……それで流れてきたのがこの工場だ。
ここでは自分と同じく「訳アリ」の者たちが薄給で働かされている地獄だった。
相場の半額近くの給料しかもらえず生活は立ち行かなくなり……。
つい先日、シゲマサは妻と離婚し彼女を子供と共に郷里へ帰したのだ。
「俺はもう終わりだよ。だがなぁ、独りじゃ終わらねえぞ!! お前もこのクソッタレな工場も全部道連れだッッ!!!」
「ヒッ、ヒィィィッッ!!!」
シゲマサは義手でガンガンと鉄骨を打ち鳴らす。
これまで散々自分を酷使し罵声を浴びせてきた工場長が怯え切っている。
その様に彼は暗い悦びを見出している。
……もう少し、この男を脅して満足したらここに火を放ってやる。
工場内には機械を動かす油がある。
さぞかしよく燃える事だろう。
喉を鳴らしシゲマサがくぐもった笑い声を漏らしたその時だ。
「……ちょっと、ちょっとごめんなさい。盛り上がってる所悪いんだけど」
「うおぉッッ!!!??」
いつの間にか……自分のすぐ後ろに女が一人立っていて。
その女に肩を指でトントンと叩かれてシゲマサは飛び上がった。
眼鏡を掛けている若い人間の女。
スタイリッシュなシャツにネクタイでスラックス姿……主婦という感じではない。
「なんだテメェはぁッッ!!??」
「なんだって……近所の者よ。ここの騒ぎで避難命令が出ていて困ってるの。色々事情はおありのようだけど、とりあえず落ち着いて外へ出ません?」
混乱する。
この女は何を言っているんだ……? 状況を理解しているのか?
自分は獣人で、特に頑強で力のあるサイの種族だ。
オマケに片腕は凶器。
だというのに、この非力そうな人間の女はそんな自分をまったく恐れている様子もない。
頭のネジが飛んでしまっているのか?
自分に危害が加えられる可能性を考えられないのか?
「……オメェ、この有様を見て俺が『ハイそうですか』って言う事聞くと思ってやがんのか……?」
自分が思っていた以上にドスの効いた声が出た。
身を屈め、鼻先の大きなツノを突き付ける様にしてやる。
すると……ユカリは露骨に表情を歪めた。
恐怖を感じたもののそれではない。
全力で顔面で「めんどうくさいなぁ」というのを彼女は表現したのだ。
一瞬でシゲマサの視界が真っ赤に染まった。
目が眩むほどの怒りで。
なんだその態度は。
格好とこんな所にノコノコ出向いてくる能天気さから察するにそれなりの生活を送っている者なのだろう。
「俺がなんでこんな事してると思ってんだよォォッッッッ!!!!」
人工物の右腕を振り上げてサイの男は咆哮する。
「お前らだ!! 全部お前らが俺から奪っていったんだろうがぁッッ!!! 何も知らねえようなツラしやがってッッ!!! お前らみたいのがノーノーと暮らしてる裏側で俺たちみてえのがどれだけ泣いてるか……」
……ドンッ!!!!
ブツン、とテレビのスイッチを切るような感じでシゲマサの視界は暗転し思考はそこで途絶えた。
顔を顰めて左手で耳を塞いだユカリが右の拳でシゲマサの胸を小突いたのだ。
彼女としてはそれほど力は入れていなかったのだが、巨体はひとたまりもなく吹き飛んで背後の鉄骨の柱に激突してそれをくの字に折り曲げた。
「うあ、ヤバ……」
慌てて意識を失っているシゲマサを転がすユカリ。
その下から彼の巨体の直撃を食らった工場長が出てくる。
こちらも白目を剥いて泡を吹き昏倒している。
「あーあー、どうすんのよコレ。私のせいみたいじゃない。……いや、私のせいか」
転がる二人を見下ろして大きくため息を付いて肩を落としたユカリさんであった。




